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zoom RSS 小熊英二『1968【下】』(新曜社)C

<<   作成日時 : 2009/11/01 16:18   >>

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そうは言っても、「あの時代」の叛乱には批判すべき点がいくつかある。

そう著者は述べる。

では何が批判されるべき点なのだろうか?

 第一に彼らは、あまりに無知かつ性急に、それ以前の「戦後民主主義」を一面的に非難しすぎた。(811頁)


「戦後民主主義」を強く批判していたわりに、
「戦後民主主義」に対する理解がお粗末だった、というわけだ。

実際、批判の対象とされた丸山真男の思想などは、
当時の学生たちによってきちんと理解されていたとは言えなかった。

 第二の点は、運動後の去就である。(811頁)


どういうことか?

……民青の活動家が、大学卒業後も活動をつづけると答えた者が多数派だったのにたいし、三派系の活動家は4年生で引退が通例とされていた……。(813頁)


たとえば、当時運動に身をささげたひとたちの、
いったいどれだけの割合が現在の市民運動に携わりつづけているのか?

あれだけ運動にのめりこんでいったひとたちが、
その後はいともやすやすと「企業戦士」に変身していった。

高度消費社会を支える軽薄な文化の担い手になったひともいた。

ヨーロッパでは、60年代の学生運動活動家たちは、
その後政治家になるなどして新しい政治を形成していった。

それに比べると、日本の活動家たちの変身ぶりは際だっている、という。

 批判すべき第三の点は、運動のモラルである。(814頁)


内ゲバばかりではない。

組織内の女性たちに対する暴力も見逃すことはできない。

 第四の批判点は、運動内の責任意識である。(815頁)


日本の変革を目指した運動組織自体が無責任構造をもっていたというのは、
何とも皮肉な話である。

つぎに著者は、よくある見解を批判している。

それは、
「当時の学生叛乱は世界的な叛乱とのつながりをもっていた」、
という見解である。

1968年に、大部分のアジア・アフリカ諸国は学生叛乱を経験していない。中国の文化大革命やゲバラの活動、チェコ事件などは、学生叛乱とは無縁である。学生叛乱がおきたのは、日本、アメリカ、フランス、イタリア、西独などである。これをもって「世界」とよぶのは一種の西洋中心主義でないだろうか。
……ちなみにイギリスは、60年代にも大学整数の急増はなく、大規模な学生叛乱はおきていない。(817頁)


当時の学生にとって、就職状況もわるくはなかった。

……1954年の京都大学文学部卒業生の就職率は13%ほどにすぎず、大学卒業生の完全就職がほぼ達成されたのは60年以降だった。そして「就職氷河期」といわれた1990年代後半以降は、その状態は終わってしまう。(827頁)

こうしたことに関連して、
昨今の「プレカリアート」たちのなかには、つぎのように感じる者もいるという。

「すると全共闘世代ってのは、好景気の時に暴れるだけ暴れて無事に就職して、不況になったら年金もらって食い逃げってこと? けっこうな御身分で」。(828頁)


若者世代から見れば、
全共闘世代というのはずるいひとたちだと映るわけだ。

そのうえ、全共闘世代が昨今の若者たちに向かって
「自己責任論」をふりかざすのを見ると怒りがこみ上げてくるのだろう。

では、「あの時代」の学生叛乱にはどのような意味があったのか?

しかし筆者は、「あの時代」の若者たちの叛乱が遺した最大のものは、高度成長への、そしてその結果として出現した大衆消費社会への適応であったと考える。(835頁)


どういうことだろうか?

そうした彼らが大衆消費社会に適応するには、自己の内部にあるそれに抵抗する感性を排除する必要があった。この過程は、2段階をたどることになったと思われる。
 彼らの高度成長や大衆消費社会への反発は、一つには高度成長以前の社会状態で幼少期の人格形成を行なったためでもあったが、「一人の百歩よりみんなの一歩」「我利我利亡者にはなるな」といった、戦後の民主教育の価値観のためでもあった。(836頁)


だからまずは「戦後民主教育」を批判する。

……革新政党や「進歩的文化人」の「欺瞞」を暴ければ、彼らの内部にある戦後教育の理念を排除する役割を果たしえた。(837頁)


つぎに「禁欲主義」を批判する。

 そして、このリゴリズムと禁欲主義を脱却するために必要だったのが、連合赤軍事件だった。(837頁)


実際、当時の叛乱を経験し、目撃したひとたちは、
全共闘や新左翼のリゴリズムや禁欲主義を徹底してゆけば、
行きつく先は連合赤軍事件だ、
との「教訓」を得ることで「あの時代」を「総括」した。

彼らはこうして、連合赤軍事件によってトラウマをあたえられるという形態をとって、自己の内部にあったリゴリズムや禁欲主義を排除し、「私」の欲望に忠実になることに成功した。(837頁)


連合赤軍事件を思い出してみよう。

あの事件はもっぱらつぎのように語られてきた。

リンチで殺された女性たちは、
「化粧をしていた」「指輪をしていた」などの理由で殺害された、と。

しかし実際はそうではなかった。

……「消費社会的」「ブルジョワ的」というような口実でリンチをうけた者は、事件の死亡者12人のうち3〜4人である。(837頁)


しかし「消費社会的」「ブルジョワ的」であることが殺害の理由になったと
多くのひとびとが解釈していたことそのものが大きな意味を持っている。

すなわち彼らは、大衆消費社会の欲望に抵抗すれば、行きつく先は連合赤軍事件であり「同志殺し」だと解釈することによって、「私」の欲望に忠実になることを自分に許したのである。(838頁)


まとめるとこうなる。

 この世代は、戦後教育によって内面化した「一人の百歩よりみんなの一歩」という倫理から脱却するために、いわば2段階転向を行なったことになろう。彼らはまず、全共闘運動のリゴリズムによる「戦後民主主義」批判によって、戦後教育の理念を排除した。そして連合赤軍事件に彼らなりの解釈を施すことによって、全共闘運動のリゴリズムから脱却した。こうした2段階転向によって、彼らは高度成長と大衆消費社会に順応しえたのである。(838頁)


だから全共闘運動の活動家たちは、その後、
「企業戦士」となり「消費社会」の担い手になることができた。

これは見方によっては、身勝手なひとたちだというふうに見ることもできる。

だが著者は逆の判断を下す。

全共闘運動と連合赤軍事件がベビーブーム世代に大きなトラウマとなって残っていることは、ある社会が発展途上国から先進国になる過程において、どれほどの精神的葛藤と代価を支払わねばならなかったかを示している。(838頁)


総じて、「あの時代」とは何だったのか? と問われたら、著者はこう述べる。

 すなわち「あの時代」の叛乱は、高度成長にたいする集団摩擦反応であったと同時に、こうもいえるであろう。それは、日本が発展途上国から先進国に、「近代」から「現代」に脱皮する過程において必要とした通過儀礼であり。高度資本主義社会への適応過程であったのだ、と。(838−839頁)


つぎは、こうした結論から現代をどう見ることができるのか?
という問題に移っていく。

次回が本書の紹介の最終回になると思う。

たぶん。







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団塊世代が定年を迎えはじめたからなのか、「あの時代」を取り上げた本や映画やテレビが増えてきた気がする。 そのことは別にどうとも思わな... ...続きを見る
俺、パンダ
2009/11/22 19:01

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