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zoom RSS ハワード・ジン『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(下)』(あすなろ書房)

<<   作成日時 : 2009/10/18 12:04   >>

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下巻は、1901〜2006年までを扱っている。

この本のユニークなところは、左派の運動もていねいに取り上げている点だ。

アメリカで「左派」といえば「リベラル派」を意味することが多いが、
本当の意味での「左派」がかつてアメリカで一定の勢力を保っていた。

また、アメリカ社会党は一時期、党員数10万を誇ったこともある。(13頁)


共産党もかつて存在していたし、社会主義労働者党も存在していた。

また、あのヘレン・ケラーが社会主義者だったことも意外に知られていない。(13頁参照)

こうしたアメリカの左派に言及しているだけでも、
この本は相当に独特な「歴史の教科書」と言ってよいだろう。

そして、アメリカの左派がいかにひどい暴力によって弾圧されてきたか、
どれほどひどい暴力で殺されてきたかという事例もいくつか紹介されている。

さて、20世紀に入って、大きな事件といえば第一次世界大戦だ。

第一次大戦については、アメリカの子どもも日本の子どもも学ぶ。

しかしどれだけきちんと学んでいるかは疑問だ。

 1915年、イギリスの民間定期船ルシタニア号が、北アメリカから本国への帰路途中、ドイツの潜水艦から魚雷を受けて沈没し、アメリカ人124人をふくむ、1200人近くが犠牲になった。アメリカは、ルシタニア号は一般人を運ぶ客船であり、軍事物資は積んでいないのだから、ドイツの攻撃はとんでもない暴虐行為だと非難した。しかし、実際にはルシタニア号はしっかりと武装されており、何千ケースもの爆薬をイギリスへ輸送中だった。積み荷目録は書きかえられていた。イギリスとアメリカの政府はうそをついていたのだ。(22頁)


ルシタニア号事件は教科書に書かれているはずだし、
学生たちもこれを学ぶはずだ。

しかし、英米両政府が「うそをついていた」ことまではあまり学ばないと思う。

正しい歴史を学べば、政府というのは「うそをつく」ことがあるのだと知ることができる。

正しい歴史を学ばなければ、政府はわれわれの味方だと妄信してしまう。

開戦のきっかけはいくらでも操作され得るのだ、ということがここからも分かる。

日本国憲法の9条を変えようとするひとたちは、
この「事実」についてどう考えているのだろうか?

つぎに第二次世界大戦の項目を見てみよう。

著者は、アメリカの加害の歴史から目をそらさない。

アメリカが行なった非道な殺戮行為のひとつに、ドレスデン空爆がある。

その恐るべき空爆は、ドイツの都市ドレスデンで頂点をきわめる。そこでは、爆撃で引き起こされた火事嵐(ファイアストーム)により、10万人以上が殺害された。(51頁)


戦時中の日系人に対する人権侵害も、著者はきちんと取り上げている。

かつて日系市民たちはアメリカ政府によって迫害されていたのである。

戦争中の日系アメリカ人に対する処遇をふり返ってみると、アメリカもまた、他国から非難を受けて当然の、野蛮きわまりない人種差別国そのものに思われる。真珠湾攻撃のあと、政府内では日本人への悪感情が急激に高まった。ある下院議員は、「現在アメリカ本土とアラスカ、ハワイにいる日本人全員をつかまえて、強制収容所へ入れることに大賛成だ。連中を追っぱらえ!」と発言している。
 1942年、大統領ローズベルトは、西海岸に住むすべての日系アメリカ人を逮捕せよ、と陸軍に命じた。(53−54頁)


アメリカではこの事実を十分に教えているとは言えないが、
それでも近年、当時の日系人に対する謝罪と名誉回復が行なわれている。

日系人強制収容所を描いた映画も製作された。

参考までに、次の記事を紹介しておきたい。

強制収容で学業中断

 第二次大戦中の日系収容で、学業の中断を余儀なくされた学生43人に、オレゴンの州立大学2校がこのほど、名誉学位を授与した。
 オレゴン大(University of Oregon)は4月6日、当時在学していた20人の日系学生に名誉学位を授与。オレゴン州大(Oregon State University/OSU)は6月15日の卒業式で、23人に名誉学位を授与し、すでに亡くなった12人の在学歴を公式に認めた。
 真珠湾攻撃直後の1942年2月に発令された、西海岸在住の日系人に強制退去を命じた大統領令9066のために、退学となった学生への学位授与を認める法案が昨年、オレゴン州議会で成立した。2校の措置はこれを受けたもの。州法は、OSUの学生、アンディ・キユナさんとジョエル・フィッシャーさんの働きかけで、ティナ・コテック、ブライアン・コレム両州下院議員が提案者となった。
 オレゴン大のセレモニーには、オレゴニアン紙によると、ロバート・ヤスイさん(84)ら4人が、直接学位を受け取った。デーブ・フローンメイヤー総長は「あなた方を卒業生と呼べることを誇らしく思います」と、日系人の苦難を労った。
 一方、OSUの卒業式には5人が出席。エド・レイ総長は、「元学生の皆さんに学位を手渡すことができて誇らしく思う。(収容という)深刻な過ちを正すのは、今からでも遅くない」と話した。
 第二次大戦中は、12万人の日系アメリカ人が強制退去を命じられ、収容所に送還された。学業を中断させられた日系の元大学生に学位を授与する動きは、オレゴン州のほか、カリフォルニアやワシントン州でも行われており、今年5月にはワシントン大(University of Washington)が440人の日系学生の在学を公式に認めている。

(「Hokubei.com」より)


ここでもわたしは日本のことを考えずにはいられない。

日本の右派は、こうしたアメリカの努力をどのように評価するのだろうか?

高く評価するか?

まさか。

自分たちは日本の加害責任を重視していないのだから、
このアメリカで行なわれていることだって評価できるはずもない。

日本の右派が言動を一貫させるならば、
むしろアメリカのこの努力を批判しなければならなくなるはずだろう。

さて、ハワード・ジンのこの本では、当然、原爆のことも取り上げている。

こうした記述も、日本の右派がどのように読むのかに、とても興味がある。

なぜなら、彼らはアメリカ人によるアメリカ批判を好意的に受け止めるはずだが、
そのことを彼らの思想・信条からいって素直に認めることはできないからである。

なぜなら、彼ら自身は日本による加害の歴史と向き合わないのだから。

もし日本のネット右翼がアメリカ人だったら、
こうした日系人に対する謝罪と名誉回復も批判しているにちがいない。

話を戻そう。

アメリカでは、戦争が産業にとって不可欠な要素になっていった。

世界最大の複合企業の1つであるゼネラル・エレクトリック社の社長は、企業と軍とは〈永続的な戦争経済〉をつくるべきである、と主張した。(56頁)


戦争で儲ける連中がいるのである。

ひそかに戦争を待ち望んでいる連中がいるのである。

外部の敵を強調する社会は、同時に内部に敵を探しはじめる。

あの悪名高い「マッカーシズム」である。

ウィスコンシン州の上院議員ジョセフ・マッカーシーが、共産主義者という裏切り者を、国務省と軍部から狩り出す十字軍をかってにスタートさせた。……
……リベラルの上院議員ヒューバート・ハンフリーとハーバート・リーマンは、共産主義者や国家への反逆者であると疑われる者は、裁判をへずに強制収容所へ入れることができる、という法案を提出した。そして実際にそうした施設がつくられ、いつでも使えるように準備された。(60−61頁)


「9・11同時多発テロ事件」以降、
当時のブッシュ政権は「反テロ愛国者法」を制定して、
通常の司法手続きを無視して容疑者を拘束できるようにしたが、
同じような法律が「赤狩り」の時代にもつくられていたのである。

「歴史は繰り返す」。

次に公民権運動を取り上げよう。

黒人差別に反対する運動は、左派やリベラル派を中心に展開されていた。

1930年代、アンジェロ・ハーンドンという活動家がが逮捕されたが、
彼はそのときの裁判について、こう述べているという。

〈彼らは細かいことまで、わたしに質問した。おまえは、雇い主や政府が、失業した労働者に保険金を払うべきだと思っているのか? 黒人と白人とは、完全に平等になるべきだと信じているのか? 労働者階級に属する者が、工場や鉱山、それに政府まで動かせると思っているのか? そもそも上下関係などいらないと考えているのか、と。そこでわたしは、自分はそうしたことすべてを信じている、と答えた。いや、それ以上のことを信じているのだと。〉(65−66頁)


そして、1955年、有名な事件が起きる。

 1955年、アラバマ州モントゴメリーで、43歳の黒人婦人ローザ・パークスが、市バスの“白人用”と書かれた席に座った。全国有色人種地位向上協会(NAACP)で長く活躍していた彼女は、バスの座席の分離に挑戦しようと決心したのだ。パークスは逮捕された。(67−68頁)


勇気ある女性である。

マーティン・ルーサー・キングやマルコムXのことも本書では取り上げているが、
詳細は本書で直接確認していただきたい。

 白人の人種隔離支持者は、4ヵ所の黒人教会へ爆弾を投げこむという暴力に訴え出た。また、ボイコットを支援していた牧師マーティン・ルーサー・キングの自宅の正面ドアには、散弾銃が撃ちこまれた。(68頁)


卑劣な人種差別的暴力が襲いかかったが、
運動はさらに大きな展開を見せていくことになる。

そして1960年、暴力を使わない、あらたな抗議運動がはじめたれた。ノースカロライナ州にある黒人の大学の1年生4人が、市内のドラッグストア内の、白人専用の食事カウンターに座ったのだ。店側は彼らに食事を出さなかったが、学生たちは帰らなかった。翌日もその翌日も、黒人の学生はさらに仲間をふやしてやってきて、カウンターに座りつづけた。
 この“座りこみ(シットイン)デモンストレーション”と呼ばれる運動は、南部のほかの都市へも広がっていった。シットインをしている者に暴力がふるわれることもあった。しかし、彼らは5万人以上の人々――大半は黒人だったが、白人もふくまれていた――をふるい立たせ、100にのぼる都市で同様の抗議行動が行われた。そして1960年末には、多くの店が、黒人にも食事を出すようになったのである。(69−70頁)


ユニークな運動である。

ただ座るだけ。

人種差別主義者は暴力をふるってくるが、
差別反対運動の側は非暴力で徹底的に抵抗していったのである。

ただ座るだけだがこの運動は大きな広がりを見せた。

1961年春、黒人と白人からなるグループが、バス内での分離反対を唱えて、あらたな運動に出た。
 それは自由のための乗車運動(フリーダム・ライド)と呼ばれるもので、フリーダム・ライダーたる乗客たちは、ワシントンDCから、南部のニューオーリンズ行きのバスに乗りこんだ。サウスカロライナではなぐられ、アラバマではバスの1台が放火された。人種隔離支持者は、げんこつや鉄パイプでライダーたちに襲いかかった。南部の警察はまったく動かなかった。FBI捜査員も暴行現場を傍観してただけで、連邦政府もやはりなにもしなかった。(70頁)


人種差別に反対すると、暴力をふるわれたのである。

読んでいて、人種差別主義者に対する怒りがこみ上げてくる。

奴隷制の名残がまだ色濃いジョージア州のオールバニーという小さな町で、黒人がデモ行進をし、大衆集会を開いた。参加者を逮捕した警察署長が、逮捕者の名前を書きとめはじめた。そのなかに、9歳ぐらいの少年がいた。「おまえの名前は?」警察署長がたずねると、少年は署長をしっかりと見すえて答えたという。「自由(フリーダム)、自由(フリーダム)だ」と。(71頁)


カッコイイ少年である。

この9歳ぐらいの少年も、ふつうの教科書では取り上げられないものの、
立派な「英雄」といっていいのではないか?

……ミシシッピ州フィラデルフィアで、黒人1人と白人2人の公民権運動家が逮捕された。彼らは夜遅く留置場から解放されたあと、何者かに鉄のチェーンでめった打ちにされたあげく、射殺された。のちに保安官と保安官代理をふくむ数名が、殺人罪でつかまった。(72頁)


人種差別を克服する道のりで、こうしたひどい事件が数多く起きた。

このあたりの記述は、日本と無関係なこととして読んではいけない。

日本ではまだ人種差別を克服していないからだ。

つぎにベトナム戦争について。

この戦争でアメリカは深刻な「敗北」を抱え込むことになるが、
当初アメリカ政府は、「共産主義の脅威」と戦うことを口実として挙げていた。

しかし、それだけで戦争を仕掛けることはできない。

本気で共産主義の脅威と闘うというなら、
世界中で戦争を引き起こさないといけなくなるからだ。

本音はやはり「天然資源」にあった。

……1954年の国務省の覚書にはこうある。〈もしもフランスが現実に(ベトナムからの)撤退を決断するなら、この地域を引き継ぐかどうか、わが国はきわめて真剣に検討しなければならない。〉(82頁)


では、戦争開始の口実は、何だったのか?

堂々と侵略戦争をはじめるわけにもいかない。

そこで、アメリカ政府はある事件をでっち上げたのだ。

 1964年8月、大統領ジョンソンは、アメリカ海軍の艦船が北ベトナムから魚雷攻撃を受けた、と発表する。しかし、それはうそだった。その艦船はベトナム領海内において、CIAのために監視活動中であり、魚雷の発射も受けていなかった。ところが、北ベトナムからの〈攻撃〉は、戦火をまじえる口実をアメリカに与えたのだ。(83−84頁)


戦争中、何の罪もないベトナムのひとびとが殺戮された。

……アメリカ軍の歩兵中隊がソンミ村のミライ地区へ入った。アメリカ兵は、赤ん坊をだいた女性や老人をふくめて、村人全員を狩り集めた。そして溝に入るように命じ、射殺したのだ。(85頁)


これが有名なソンミ村虐殺事件である。

 さらにその付近からは、450人から500人の村人――大半が女性と子どもと老人だった――が埋められた大きな墓穴も発見された。
 カリー〔中尉〕は終身刑をいい渡されたものの、わずか3年間、自宅軟禁されただけだった。(85頁)


これに関連したニュースが、最近報道された。

大事なニュースなので引用しておこう。

ベトナムのソンミ村虐殺事件謝罪 米陸軍元中尉、41年後に

 【ニューヨーク共同】ベトナム戦争中の1968年、米陸軍部隊が南ベトナム(当時)の村を襲撃し、女性や子供ら500人以上を殺害した「ソンミ村虐殺事件」で、部隊を率いたウィリアム・カリー元中尉(66)が22日までに、41年の沈黙を破って当時の状況を語り、犠牲者と家族らに謝罪した。

 米ジョージア州コロンバスの地元紙によると、カリー氏は19日、同地で開かれた実業家の昼食会に招かれ、事件について「良心の呵責を感じなかった日は一日たりともない」と振り返るとともに、犠牲者とその家族、当時の部下らに「大変申し訳ない」と謝罪した。

 カリー氏は「上官の命令に従って殺害した」という当時の説明を繰り返しながらも「(命令に)従った自分が愚かだったのだろう」と語った。

 米軍当局は当初、死者の大半はゲリラ兵士だったと主張したが、69年11月に米マスコミが真相を暴露。米国内で開かれた軍事法廷で上官らは無罪だったが、カリー氏は終身刑を言い渡された。その後、減刑され仮釈放の身となっていた。

 同事件は、米国内外でのベトナム反戦運動盛り上がりにもつながった。

(『共同通信47NEWS』より)


彼にはまだ「良心」が残っていたようだ。

当時は虐殺の存在そのものを必死に否定していたのだが、
いまになってやっと「謝罪」したというニュースである。

くどいようだが、
こうしたニュースも日本の右派がどう受けとめるのかに、大いに関心がある。

もし日本の右派がアメリカ人だったら……。

彼らはこの「謝罪」を非難しバッシングを加えていたことだろう。

ともあれ、歴史を学ぶことで分かるのは、
政府は自分たちに都合のわるい「事実」を後世に伝えようとはしない、
ということである。

連邦政府は、インディアン諸部族と400以上もの条約を結んだが、破らなかった条約は1つとしてなかった。たとえばジョージ・ワシントンが大統領だったころ、政府はニューヨーク州のイロクォイ族と条約を結び、その部族の1つセネカ族に、ある地域をゆずることに同意した。しかし、1960年代初めのケネディの時代になると、政府はこの条約を無視して彼らの土地にダムを建設し、セネカ族の保留地の大部分を水没させたのだ。(100頁)


日本でも、アイヌからどのようにして土地を奪っていったのかを学ばせないだろう。

政府は平気でうそをつく。

つぎに、70年代・80年代に話は移る。

レーガン、ブッシュという共和党政権の時代である。

 レーガンとブッシュの政策は、よく似ていた。貧困層への援助をカットし、富裕層に対する税金をさげ、軍事予算をアップさせた。どちらの政権も連邦裁判所には右寄りの判事、つまり体制側に有利な法解釈をする保守的な者を、多数任命した。たとえば、レーガン、ブッシュ政権下の最高裁判所では、死刑が復活されたし、貧困層に対して公教育の授業料の支払いを強制してもよい、という判断までくだされている。
 大統領レーガンは1期目の4年間で、アメリカ軍に1兆ドル以上の予算を割りあてた。貧しい人々への諸手当をカットし、軍事費をまかなったのだ。貧困層に対する補助金削減は、深刻な影響をもたらした。1日の栄養摂取量の半分以上を、学校給食に頼っていた子どももいるというのに、100万人以上の児童が、無料の給食を受けられなくなった。未婚の母親に補助金を支給する、扶養児童世帯補助という福祉政策も、槍玉にあげられた。まもなく、全児童の4分の1を占める、1200万人の子どもが貧困層へすべり落ちてしまった。(126頁)


新自由主義(ネオ・リベラリズム)が導入されるとどうなるかは、
このときすでに明らかになっていたはずだった。

 1992年初めの世論調査を見ると、〈福祉〉については回答者の44パーセントが、あまりに多くの金が福祉に使われている、と答えている。ところが、〈貧困者への支援〉を問われると、多額の金が使われていると考える者はわずか13パーセントで、64パーセントが、もっと援助すべきだと回答していた。アメリカ人はあいかわらず、こまっている人に対しては気前がよかったのだ。しかし、〈福祉〉という言葉が政治的な意図で使われているため、質問に用いられた言葉によって、回答にちがいが生じたのである。(127頁)


日本にもまだまだ、
「福祉の充実は社会主義だ」と言い募るネオリベの残党がいるが、
アメリカで〈福祉〉という言葉のイメージがあまりよくないというのは、
興味深い話である。

 アメリカの富裕層と貧困層の格差は、レーガン政権下で劇的に広がった。1980年に企業のトップ役員は、工場労働者の平均サラリーの40倍の報酬をえていたが、89年には、93倍にまで拡大していたのだ。(127−128頁)


レーガン政権の悪政・暴政からどうして日本は学ぶことができなかったのか?

考えさせられる問題である。

 1990年代初め、キース・マクヘンリーという若い活動家がくり返し逮捕された。ほかにも吸う百人が、同じように逮捕されていた。彼らはいったいどんな罪を犯したとされたのだろう? この活動家たちは、貧しい人々に無料で食料を配っていたのだ。(134頁)


おお、すごい話だ。

彼らはどんな「わるいこと」をしたのかと思いきや、
貧しいひとびとに食料をタダで配っていただけだったとは!

原爆を投下したひとと、貧しいひとに食料を配ったひと。

後者は逮捕されたが、前者は逮捕もされていない。

逮捕どころか前者は米国政府や米国民から「英雄」扱いである。

「善/悪」とはいったい何なのだろうか? と考えずにはいられない。

こうした「国家による歴史」を刷り込まれるから、
大量殺戮行為はいまも繰り返されてしまうのである。

スマート爆弾によって、女性や子どもをふくむ何千人ものイラク市民が命を失ったのだ。……あるエジプト人は、イラクの首都バクダッドの南にあるホテルへの攻撃を、次のように証言している。「アメリカ軍は、家族連れでいっぱいのホテルを攻撃した。そして舞いもどってくると、さらに攻撃してきたのだ」(131頁)


湾岸戦争やイラク戦争で、いったい何人の市民が殺されたのだろうか?

アメリカは、いつまで恥知らずな矛盾を重ねるのだろうか?

ところで、ジョゼ・ラモス・ホルタという人物の名に覚えはあるだろうか?

のちに東ティモール大統領となる彼は、
ニューヨーク・シティのブルックリンにある教会で次のように語った。

 〈1977年の夏、わたしはここニューヨークにいましたが、そのとき、21歳の妹マリアが空爆で死亡した、との知らせを受けとりました。戦闘機の名前はブロンコといい、アメリカ合衆国から贈られたものでした。数ヵ月後、アメリカから支給されたベル社のヘリコプターに住んでいた村を攻撃されて、17歳の弟ガイが、多くの村人とともに死んだ、という知らせも届きました。別の弟ヌヌも、やはり同じ年にとらえられ、アメリカ製のライフル銃M16で処刑されています。〉(148頁)


アメリカ政府による「攻撃」は国外だけでなく、国内にも向けられた。

 1970年代後半からは、アメリカ総人口の1パーセントである最富裕層だけが、自分の資産がけたはずれにふえていくさまを謳歌している。税法の改正によって、1995年には、1パーセントのスーパー富裕層に、1兆ドル以上の収入がもたらされたが、これは国の財貨の40パーセントにあたる数字だ。全国でもっとも裕福なトップ400組の家族の資産総額は、1982年の920億ドルから、95年には4800億ドルへとはねあがった。……平均的サラリー所得者の購買力は、1995年には、82年より15パーセントも落ちてしまった。(152頁)


そうだ。

これはアメリカ政府による「攻撃」なのだ。

貧困は政府と企業による「攻撃」なのだ。

それに対して、市民による抵抗運動もなくなってはいない。

次の運動はじつに興味深いケースだ。

マサチューセッツのハーバード大学で行なわれた抗議行動である。

 用務員などハーバード大学のキャンパスで肉体労働についている者の多くは、週に80時間働かなければならない者までいた。そこでハーバードの学生たちが、彼らに〈最低生活賃金〉が支給されることを求めて、組織をつくったのだ。
 ……マット・デイモンとベン・アフレックも、最低生活賃金という考えに賛同して、姿を見せた。(156頁)


用務員のひどい待遇を知ったひとびとが、連帯する運動をはじめたのである。

じつに感動的な光景ではないか!

ここには「共感」という絆がある。

用務員の待遇をひとごとと考えない市民の「共感」がある。

他方、日本ではどうか?

路上生活者を蔑視する市民がいる。

不当解雇されたひとびとを冷たい目で眺めるだけのひとびとがいる。

たとえば、現在、京都大学のキャンパスで、
不当解雇された元職員たちが抗議活動をつづけているという。

彼らに「共感」し「連帯」する動きはあるのだろうか?

日本にマット・デイモンやベン・アフレックはいるのだろうか?

 大学当局がキャンパス労働者との話し合いを拒否すると、学生たちは大学管理棟の1つを占拠し、全国各地からよせられた寄付と、数百人もの外部の人々に支援されて、数週間、昼夜をとおして立てこもった。ついに大学側が賃上げと、キャンパス労働者に医療手当を出すことに同意した。ほどなく、学生とキャンパス労働者が協同して最低生活賃金を獲得しようとする運動は、ほかの大学へも広がっていった。(156−157頁)


アメリカという国は、不思議な国である。

自発的に行動するこうした市民運動も健在なのだから。

2001年9月11日、同時多発テロ事件が起きた。

アメリカ政府は、イスラム系のひとびとに対する弾圧を強めた。

それだけではない。

アメリカ国内でも「自由」が窒息しはじめていた。

電話会社を退職したある男性はスポーツクラブへ行ったとき、大統領ブッシュに批判的なことを話した。のちにこの男性は、FBIから尋問されることになった。また、ある若い女性は、自分の部屋のドア口に2人のFBI捜査官が立っていることに気づいた。彼女の部屋の壁に大統領を非難するポスターが貼ってある、との通報を受けた、と捜査官はいったという。(169頁)


恐らく誰かが「密告」したのだろう。

テロにおびえ、治安維持を最大の目的にする社会は、
市民の間での密告を横行させる社会になるのである。

アメリカ政府は、テロ事件のあと、報復と称してアフガニスタンを攻撃した。

そして、つぎにイラクを攻撃の標的にした。

戦争の口実は、大量破壊兵器の保有疑惑だった。

テロ対策についての大統領補佐官だったリチャード・クラークは、9月11日の事件のあと、ホワイトハウスはただちにイラクを攻める口実を探しはじめた、とのちに語っている。(176頁)


またもや政府は「うそ」をついていたのだ。

日本ではほとんど報道されなかった次の出来事も、重要である。

 CBSのニュースによると、イラク戦争開始から2004年末までに、5500人の兵士が逃亡したという。多くはカナダへ逃げた。その1人に、元海兵隊の曹長がいる。彼は、仲間の兵士とともに、30人以上の丸腰の男女子どもを撃ち殺したこと、そのなかには両手をあげて車からおりてきた青年もふくまれていたことを、トロントで告白した。(183頁)


なぜ日本で脱走兵のニュースをほとんど報道しないのか?

戦争のたびに繰り返される「市民の虐殺」。

イラク戦争にいちはやく支持を表明した小泉純一郎は、
何の説明責任も果たすことなく、
息子に地盤を譲ってそそくさと引退してしまった。

 ユタ州のソルトレーク・シティ……市長のロッキー・アンダーソンが、大統領ブッシュを「戦争好きでうそつきの、人権を踏みにじる大統領」と呼んだとき、数千人の人々から歓声があがった。アンダーソンは、ブッシュの任期は、「われわれ国民がかつて遭遇したことのない、胸がむかつくほど最悪の期間だ」とまでいったのだ。(184−185頁)


ユタ州ソルトレーク・シティといえば、超保守的な地域だが、
そこの市長でさえもこう述べていたのである。

それに比べて日本の政治家はどうであろうか?

アメリカの超保守的な地域の市長よりも保守的ということなのだろうか?

状況が苦しくなってきたブッシュ政権は、
なんとかして熱烈な国家主義的ムードを維持していきたいと思っていた。

なぜなら、彼は愛国主義を煽ることでかろうじて支持率を保っていたからだ。

そこでブッシュ政権が目をつけたのは、メキシコ移民だった。

アメリカ国民の怒りや不満をメキシコ移民に向けることを考えたのだ。

 連邦議会はカリフォルニアとアリゾナの南の国境線沿いに、750マイル(約1200キロ)のフェンスを建てる、という計画を承認した。……アメリカ政府は気づいていないようだが、貧しいメキシコ人が入ろうとしている場所は、皮肉にも1840年代にアメリカがメキシコから奪いとった地域なのである。(185頁)


なんとも皮肉な話ではないか。

 2005年の春、議会はアメリカに不法滞在している者を処罰する法律の制定に乗り出した。これに対して全国各地、とくにカリフォルニアをはじめとする南西部で、大規模なデモが起き、移民にも平等な権利を与えよ、と数十万人が叫んだ。デモには移民だけでなく、彼らを応援するアメリカ人も参加していた。(186頁)


このとき叫ばれたスローガンに、次のものがあった。

〈不法な人間などいない。〉

そうだ、不法な人間などいない。

在日外国人を差別する日本の右派連中に対しても、このスローガンは有効だろう。

本書では、アメリカン・ネイティブのことを「インディアン」と表記している。

これまで先住民の呼称として「インディアン」は不適切であると考えられてきたが、
最近はまた「インディアン」でもよいとなってきているそうだ。











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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
良い本を紹介して頂いてありがとうございます。
早速買おうと思います。
私は、今まで、社会坩堝たる混沌とし感じから、アメリカの民主主義がうまれ、それがアメリカの強さと弱さだと思っていまっした。

奴隷制から、南北戦争、第二次世界大戦の日系人の強制収容所、原爆や都市部の大空襲、レッドパージ、キング牧師の公民権運動、ベトナム戦争、ヒッピー、などなど。流石アメリカだ。

そこでアメリカの追い求めているものはなにか、時の為政者や権力者と、
このブログを読んいて、ジーン・ロッデンベリーが作ったTV番組のスタートレック(日本名 宇宙大作戦)を思い出しました。
アメリカの強みは、必ず反対する人がいたり、揺れ戻しが必ずあったりすることですね。
竹林 賢七
2010/01/04 11:46
◆竹林 賢七さま

わたしの記事を参考にしてくださって、ありがとうございます。アメリカには、政府をきちんと批判する市民が出てくるので、たしかにおもしろいですね。ハワード・ジンの視点で日本の歴史を捉え直すとどうなるか? ということを考えながらこの本を読むと、またおもしろさが倍増すると思います。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
影丸
2010/01/14 10:24

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