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zoom RSS ハワード・ジン『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(上)』(あすなろ書房)

<<   作成日時 : 2009/10/09 02:08   >>

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最近日本で出版されたハワード・ジンの本を取り上げたい。

以前彼の『ソーホーのマルクス』を紹介したので、
著者の名前についてはご記憶の方もいるだろう。

そのハワード・ジンの主著に『民衆のアメリカ史』という作品がある。

重要な作品なのだが、これはけっこうボリュームがある。

そこで、若いひとにも読みやすいものを、ということで、
『民衆のアメリカ史』を若者向け・初心者向けに編集し直されたのが本書だ。

Howard Zinn,
A YOUNG PEOPLE'S HISTORY OF THE UNITED STATES,
Seven Stories Press, New York, 2007.

超おすすめ。

むずかしい本は苦手、というひとにも分りやすく書かれている。

上巻は1492〜1901年までを扱っている。

「偉大な国アメリカ」「自由の国アメリカ」「経済大国アメリカ」など、
アメリカに対するイメージがごっそりと覆されるだけではない。

歴史をどう捉えるべきか、という問題においても、
わたしたちはこの本から大いに学ぶことができるだろう。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


これまであらゆる国で、歴史は「権力者の歴史」として語られてきた。

歴史的偉人が何をしたのか、どんな戦争があったのか、
もっぱらそういう視点から「歴史」は語られてきた。

日本でもそうだ。

織田信長がどうした、徳川家康がどうした、
戦国武将がどうのこうの。

伊藤博文がどうした、山本五十六がどうした、
はたまた勝海舟や西郷隆盛がどうのこうの。

日本の歴史教育でも、彼らを「英雄」や「偉人」として扱っている。

しかし、よく考えてみなければならない。

「英雄」は本当に「英雄」なのだろうか?

英雄だと教えられてきた人物のなかにも、尊敬に値しない者がいるのだという真実を語るべきなのだ。地球のこちら側にたどり着いたコロンブスが、金を手に入れようと暴虐のかぎりを尽くしたことを、なぜ英雄的行為だと考えなければならないのだろう? アンドリュー・ジャクソンが、インディアンを、もともと住んでいた土地からむりに移住させたことを、どうして英雄的行為だと思わなければならないのか? アメリカ・スペイン戦争で、スペインをキューバから追い出しただけでなく、そのキューバをアメリカの支配下に置く道を開いたセオドア・ローズベルトを、なぜ英雄と見なさなければならないのだろう?(8−9頁)


「英雄」や「偉人」と教えられてきたひとたちは、
じつは「英雄」どころか「大悪党」「極悪人」だったのではないのか?

澄んだ瞳で歴史を見通せば、権力者は「英雄」ではない。

では、著者は、誰を「本当の英雄」と考えているのだろうか?

……英雄には、16世紀に活躍したスペイン人聖職者で歴史家のバルトロメー・デ・ラス・カサスをあげたい。(9頁)


ラス・カサスは、スペイン人による残虐行為を告発しつづけた聖職者である。

彼の本は日本語訳も出ているので、ぜひ読んでみていただきたい。

あまりの残虐さに吐き気を覚え、自分たちの無知に恐怖を感じるはずだ。

・ ラス・カサス『インディアス破壊を弾劾する簡略なる陳述』(現代企画室)

ちなみに、別の訳者による同じ本が岩波文庫でも出版されていたと思う。

これだけでも分かるように、
ハワード・ジンはコロンブスの視点からは歴史を描かない。

なぜなら、コロンブスは侵略者にほかならないからだ。

彼は先住民の視点から歴史を描く。

 アラワク族の男たち女たちが、村々から浜辺へ走り出してきて、目をまるくしている。そして、園奇妙な大きな船をもっとよく見ようと、海へ飛びこんだ。クリストファー・コロンブスと部下の兵たちが、剣を帯びて上陸してくるや、彼らは駆けよって一行を歓迎した。(12頁)


アラワク族は、西洋から到着したものたちに寛大で気さくだった。

しかし、コロンブスたちはやがてその本性を示しはじめる。

コロンブス一行は、アラワク族による歓迎を暴力でお返ししたのだ。

そこで、13歳以上のインディアン全員に、金を集めてこい、と命じたのだ。金をもってこられなかった者は、手を切断され、出血多量で命を落とした。
 ……コロンブスとスペイン人たちは犬をけしかけながら追いかけて、彼らを殺した。捕虜にした者は縛り首にするか、火あぶりにした。……ハイチには25万人のインディアンがいたが、2年後には、殺されたり自決したりして、彼らの数は半分にまでへっていた。
 ……1550年にはアラワク族は500人にまでへり、その100年後、島には1人のアラワク族もいなくなった。(17−18頁)


コロンブスの侵略をきっかけに、
多数の西洋人たちが新大陸に押しかけてきた。

このように、著者はアメリカの歴史を権力者の側からは描こうとしない。

……多くの人々が、歴史とは、政府や征服者、指導者たちの物語だと考えている……。そうした視点から過去をふり返ると、歴史とは、ある国になにが起きたのか、の話になるだろう。だから、国王や大統領、将軍が登場人物になるのだ。しかし、工場で働く者や農民、有色人種、女性や子どもはどうなのだろう? 彼らもまた、歴史の担い手ではないだろうか?
 どの国の歴史物語にも、征服する者とされる者、主人と奴隷、権力をもつ人々ともたざる人々のあいだの、はげしい対立がふくまれている。歴史を書くということは、そのどちらかの側に立つということだ。わたしはたとえば、アラワク族の立場から、アメリカ発見を語りたいと思う。たとえば黒人奴隷の視点に立って、アメリカ合衆国憲法について述べ、ニューヨーク・シティに住むアイルランド人の目で、南北戦争を見てみたいと思うのだ。(20−21頁)


支配された者の視点、
服従を強いられた者の視点、
差別されてきた者の視点、
そうした視点から「歴史」をとらえ直したとき、
その国の「歴史」はこれまでとはまったく別の姿をあらわすことになる。

権力者たちのおぞましい本性がくっきりと浮かび上がる。

アメリカ合衆国の建国者たちも、例外ではない。

 建国の父たちとは、公平な勢力のバランスをあらたにつくり出そうとした、本当に聡明な人々だったのだろうか? いや、彼らはすでに存在していたバランスをこわしたくない、と考えていた。富者と貧者、主人と奴隷、あるいは白人とインディアンとのあいだに、対等なバランスをつくろうとは思っていなかったのだ。そのうえ、この国に住む半数の人々は、建国の父たちから顧みられることもなかった。(86頁)


この指摘がどれほどラディカルであるか。

現在のアメリカにも、「いまのアメリカはおかしい」と感じているひとはいる。

しかし彼らの多くは、「いまのアメリカ」が「建国の父」の意思から
いかにかけ離れてしまったかを嘆くのである。

そのとき、「建国の父」たちの良心はまだ無邪気に信じられているのだ。

しかし著者は言う。

アメリカは、建国のはじめから「おかしい」のだ、と。

だからアメリカでは、人種差別が公然と行なわれてきた。

 黒人に対する白人の暴力は、南北戦争終結後まもなく南部で爆発する。1866年5月、テネシー州メンフィスで、白人たちが46人の黒人を殺し、黒人の家や教会、学校を100軒以上焼き討ちにした。クー・クラックス・クランをはじめとする白人のテロリスト集団が結成され、襲撃や殴打事件、人種憎悪に根ざした私刑(リンチ)と呼ばれる殺害行為など、暴力が横行しはじめたのだ。(141頁)


「KKK」は、白人至上主義を掲げる人種差別団体だ。

この「KKK」に似た精神をもつ右翼団体が、日本にもある。

この「KKK」に似た精神をもつひとびとが、日本で増殖している。

怖ろしいことである。

 歴史の本ではしばしば、最初の大陸横断鉄道は、アメリカの偉大な業績として賞賛されている。じつはそれは2つの鉄道会社の、血と汗と政略、そして盗みに等しい行為によってつくられたものだった。セントラル・パシフィック鉄道は、西海岸から東へ向かって線路の敷設を開始した。この会社はワシントンDCに20万ドルのワイロを贈り、ただで土地をもらって、無利息の融資を受けていた。しかし、アイルランド人と中国人の労働者には、1日に1ドルか2ドルしか払っていなかった。(162−163頁)


アメリカでもっとも過酷な労働に従事していたのが、
アイルランド人と中国人だったことは、もっと知られていてよいことだろう。

それなのに、ひとびとは、「輝かしい企業」の名で歴史を描き出そうとする。

そういえば、日本の鉄道についても同じだ。

いったい誰がつくったのか、
どこの労働者をどのように駆り立ててつくったのか、
そういうことはまったく教育のなかでも教えられていない。






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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
「権力者の歴史」を学ぶことが当たり前のことになっていて気づきませんでした。おそらく「英雄」を仕立て上げることによって「我々の国にはこんな凄い人たちがいたんだ。我々の国はすごい」という国家意識も高めていたことでしょう。歴史の共有だけでも団体意識・帰属意識は高まりますが、それが「権力者の歴史」であることにより、その効果はさらにあがっていると言えるのではないでしょうか。こんなところにもナショナリズムの内面化は作用していたんですね。
そよ
2009/10/09 02:50
 ずいぶん前に、金沢兼六園で感じた事と同じです。「こんな山の上に、こんな大庭園を造るには、多くの人たちの血が流されたろう。それをありがたがって素晴らしいなどという者どもの無神経・無感覚さに、驚き呆れるばかりです。」
山路独
2009/10/09 09:32
権力者としての歴史というのは現在の日本でいうならば小泉,阿部,福田,麻生という人々までも歴史として残ってしまうということなのでしょう。そうすると我々の教科書で学んだ歴史というのは,くだらない為政者でたらめな政策のオンパレードなのかもしれません。そういう連中が数十年後の日本の教科書に載るのだとしたら,普通は滑稽でしょうね。しかし,どうも私たちはそういった滑稽な歴史がまじめに教えられてきたようです。
教科書裁判で有名な家永三郎氏は,検定不合格教科書で歴史を動かしてきたのは常に民衆であったと記述されていたと思いますが,そういう意識を我々も持たない限り,アホな権力者であっても歴史に名を残すというバカげた歴史観が繰り返されてしまうのでしょう。我々が学校で学んできた歴史というのはいかに偏向的なものであったかを知る上で本書を読んでみようと思います。ありがとうございました。
安天
2009/10/10 02:21
◆そよさま

わたしの考えていることを、とても正確にまとめてくださいました。ありがとうございます。そのとおりです。どの国も自国の歴史教育を「ナショナリズム」に利用しています。

そして厄介なことに、こうした歴史を学ぶことでひとびとは、「よし、自分も立派な権力者になるぞ」と思うようになる。だから、企業などあらゆる組織を見わたすと、「権力」をふるって悦に入る「ぷち金正日」が日本にはたくさんいるでしょう。いや、「ぷち天皇」と言った方がいいのかもしれません。もちろん、同時に「歴史的偉人」にあこがれ「権力者」に尻尾をふる従順なひとびとも大量に生産されるのですけどね。

権力者の視点でしかまだ歴史をとらえることができないのは、愚鈍な一部の漫画家と、愚鈍な一部の小説家です。漫画や小説もじつはナショナリズム形成に役立っているのです。

そういえば、企業経営者や政治家は、戦国武将を描いた歴史小説が好きですよね。
影丸
2009/10/24 05:23
◆山路独さま

わたしは電車に乗るとき、そう考えることがあります。そして、そのことを以前記事で書いたことがあります。ありがとうござます。
影丸
2009/10/24 05:25
◆安天さま

まったく同感です。「首相はえらい」「大臣はすごい」などという奴隷のような感覚を持っている限り、いつまで経ってもまともな歴史認識など持てないでしょうね。小泉も安倍も福田も麻生も、何もすごくないのだということを、いや、いかにひどい政治家だったのかということを、わたしたちは語りつづけていきましょう。

そうですね、歴史を動かしてきたのは民衆です。そしてそれはわたしたち自身です。国家がわたしたちに押しつけてくる「歴史」を断固拒否し、「真の新しい歴史」をわたしたちが語り、学び、紡いでいくことが、何より大切なことだと思います。それは、「新しい歴史教科書をつくる会」の言うような、「新しい」と言いながらじつは陳腐なナショナリズムに汚染された「歴史」ではもちろんなく、排他的ではない、国境をも越える民衆の歴史でなければならないでしょう。

ありがとうございました。
影丸
2009/10/24 05:43

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