フォーラム自由幻想

アクセスカウンタ

zoom RSS 小熊英二『1968【下】』(新曜社)B

<<   作成日時 : 2009/10/31 13:31   >>

トラックバック 0 / コメント 0

長かった本書の旅も、ようやく終わりを迎えようとしている。

ここから最終章「結論」に入っていく。

「あの時代」の若者たちの叛乱は、何だったのか?

一言でいうなら、あの叛乱は、高度経済成長にたいする集団摩擦反応であったといえる。(777頁)


では、何が「あの時代」の若者たちをあのような運動に駆りたてたのか?

著者は4つの要因を挙げている。

 第一は、大学生数の急増と大衆化である。60年代前半に大学進学率は急上昇し、63年には高等教育の大衆化のメルクマールである15%をこえた。(777頁)


「団塊世代」のひとたちが大学生のとき、ほとんど勉強をしなくなった。

だから彼らが子どもに「勉強しなさい」と言っても何の説得力もない。

 第二は、高度成長による社会の激変である。これは何重もの現象がからまりあっている。(778頁)


経済状況の変化は、ひとびとの意識に大きな影響を及ぼす。

 朝鮮戦争特需は当時の日本の貿易の6割前後を占めていたが、ベトナム戦争特需は1割から2割であった。(779頁)


考えさせられてしまうデータだが、
経済不況がひとびとを抵抗運動に走らせたのかというと、
それもちがうと著者はいう。

 当時は好況期だったが、人間の不満は経済のみで決まるものではない。高度成長期には、大人たちにも、高度成長で激変していく社会に違和感を抱く者、故郷を離れ都市で孤独感に悩む者、都市の劣悪な住宅事情や公害に不安をもつ者が少なくなかった。内閣府調査によると、現在の生活に不満だという回答は1959年の31%から、71年には40.8%まで増加していた。三浦展は、「生活への不満は経済成長によっては解消されず、むしろ経済変動の著しい時期に増大すると言えそうである」と述べている。(781頁)


ここで著者は、「モラル・エコノミー」説を紹介する。

……イギリスの民衆史家たちは18世紀の暴動や反乱を調査し、それが食糧事情が極貧だった情況でおきているのではなく、資本主義の浸透による社会変動がおきている地域にさかんだったことに注目している。
 すなわちそうした変動のなかには、民衆がもっている「あるべき秩序」の規範意識を破壊する行為(商人による投機や値上がりを期待した買占めなど)がおこり、民衆は生活苦よりも、そうした行為などが民衆のモラル・エコノミーに反した行為と映ったとき、蜂起をおこすというのである。(781頁)


不況で叛乱が起きるという単純な話ではない、という。

 そしてこうしたモラル・エコノミーによる民衆蜂起では、秩序を破壊したとみなされた相手への辱めの行為(集団で音をたて不吉な物体を掲げてはやしたてる「シャリバリ」など)が行なわれ、それによって民衆の意識内で「秩序の回復」が行なわれる。それは、社会構造の変革よりも、意識面での秩序回復をめざした「運動」なのである。(781頁)


著者が挙げる第三の要因は、戦後の民主教育の下地である。

 そして、高校や大学で「問題意識をもて、言葉にして表へ出せ、徹底的に議論しろ」といった価値観をそのまま実践すると、多くの高校教師は学園祭の「政治的」な展示を禁止し、多くの大学教官はのらくらした応答しかしなかった。これは学生たちにとって、彼らが幼少期から形成してきたモラル・エコノミーを裏切る行為と映った。(786頁)


そして第四の要因は、
「当時の若者のアイデンティティ・クライシスと『現代的不幸』からの脱却願望」だという。

……彼らはいわば親世代が直面した貧困・飢餓・戦争などのわかりやすい「近代的不幸」とは異なる、言語化しにくい(そして最後まで彼らが言語化できなかった)「現代的不幸」に集団的に直面した初の世代であった。(787頁)


当時の多くの年長者からは、この「悩み」は理解されなかった。

こうした閉塞感は、彼ら自身にとっては深刻だったが、「近代的不幸」しか知らない年長者にはぜいたくな悩みとしか映らなかった。(787頁)


前に著者は、
全共闘運動に参加した学生はじつはそれほど多くはなかった、
と述べていた。

……全共闘運動に参加した人間は同世代の5%前後であった……。(789頁)


そうすると、逆にこういう疑問がわいてくる。

なぜ多くの学生たちは運動に参加しなかったのか?

 逆にいえば、現代の日本で政治運動に若者が集まらないのは、〈心〉〈生きていない実感〉〈アイデンティティ〉といった問題を、社会や政治と切りはなして論じる慣習や言説にとりかこまれすぎているからだ、という言い方も可能である。社会の問題として論じる場合においても、既存の社会体制を前提として、その枠内でいかに適応し上昇するかを説く言説。あるいは現在の社会の部分的改良を説くにとどまる言説が多くを占めている。こうした言説では、若者のユートピア志向のエネルギーを激しくひきだすことはむずかしい。(792頁)


なるほど。

自分の問題は自分だけの問題。

そう考えれば、社会変革の運動に参加しようとは思わないだろう。

こうした見方から、社会に反抗しようとするひとに向かって、
「それは甘えだ」という妙な考え方をするひとが生まれるのかもしれない。

ともあれ、こうした考え方は、
権力者にとってはじつに好都合な考え方であるとは言えるだろう。

いわば全共闘運動は、高度成長にたいする集団摩擦現象でもあったが、日本史上初めて「現代的不幸」に集団的に直面した世代がくりひろげた大規模な〈自分探し〉運動であった、ともいえるだろう。(794頁)


著者の大胆な判断である。

つまり、「あの時代」のあの学生運動は、
政治や社会を変革するための運動ではなかった、というのだから。

……東大全共闘の行為は、「叛乱」ないし「思考革命」「表現行為」ではあったが「政治運動」ではなかった。(798頁)


もうひとつ著者が全共闘運動の特徴として挙げるのは、
それ以前の運動とのちがいである。

それ以前の運動には、「民衆への献身という禁欲的精神」が存在していた、という。

ナロードニキの「人民のなかへ」を想起させる。

しかしながら、全共闘運動にはそれが見られなかった。

また評論家の大野力は69年夏に、当時の学生に流行っていた歌「自衛隊に入ろう」を「たいへん不愉快」だと述べている。(808頁)


フォーク歌手の高田渡が亡くなったとき、
「自衛隊に入ろう」がTVでよく流されていたのを思い出す。

では、この歌の何が問題なのだろうか?

それは、自衛隊に仕方なく入った貧しい青年たちが多くいたからである。

兄弟姉妹を養うために入隊した貧しい青年たちがいたからである。

そんな青年たちを嘲笑するかのようなこの歌は、
あるひとびとにとって大変に「不愉快」に聞こえる歌でしかなかったのだ。

 ……かつての「左翼青年」が持っていた民衆への献身という禁欲的精神は、「いつ、どうして、すっぽぬけてしまった」のかという問いには、こう答えられよう。大学生が大衆化し、責任意識と使命感をもつエリートではなくなった高度成長によって、そうした精神は失われたのであると。(809−810頁)


こうしたことから、
「民衆への献身という禁欲的精神」を美化する意見も出るかもしれないが、
著者はそのようには考えない。

 ただし筆者は、献身的姿勢や禁欲主義が、60年代末の若者たちに稀薄だったことを、非難するものではない。(810頁)


過去のある時期を美化して、
そこからある時代のあり方を批判するという安易な方法は、とらないわけだ。

なぜなのだろうか?

 また「あの時代」の若者たちが直面していた「現代的不幸」は、「近代的不幸」よりも表現困難であったが、それは質の相違であり優劣ではない。……それを優劣の問題と勘違いすれば、現代の不登校児に、第三世界には貧しくて学校に行けない子供が大勢いるのにお前はぜいたくだ、といった類の無意味な説教をするにとどまってしまうだろう。(811頁)


ここを読んでいて思い出すことがある。

よく大人は子どもに向かって言う。

「アフリカの恵まれない子どもたちに比べればあなたなんか……」

いまでもうこういう言葉を子どもに投げかける大人は少なくないのではないか?

こういう大人には、
子どもたちが直面している固有の問題を理解する頭がないのである。

そのくせ大人は、恵まれないアフリカの子どもたちのために、
何ひとつ努力をするわけでもないのである。








テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
小熊英二『1968【下】』(新曜社)B フォーラム自由幻想/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる