フォーラム自由幻想

アクセスカウンタ

zoom RSS 小熊英二『1968【下】』(新曜社)B

<<   作成日時 : 2009/10/30 14:15   >>

トラックバック 0 / コメント 0

きょうは連合赤軍事件から。

本書は、
連合赤軍がどのように結成されたのかをたどりながら、
この組織の性質を明らかにしている。

本書に「内ゲバ」の具体的でグロテスクな描写を期待するひとは、
読んでみると裏切られるかもしれない。

そういうことは目的にしていないからである。

「浅間山荘事件」を取り上げる前に、「よど号事件」について少しだけ。

1970年、赤軍派のグループは日航機「よど号」をハイジャックする。

このときの声明文があまりに有名である。

 我々は、我々に与えられたこの歴史的任務を、最後まで貫徹するだろう。
 日本の同志諸君! プロレタリア人民諸君!
 全ての政治犯を奪還せよ! 前段階武装蜂起を貫徹せよ!
 前段階武装蜂起=世界革命戦争万歳!
 共産主義者同盟赤軍派万歳!
 そして、最後に確認しよう。
 我々は“明日のジョー”である。(523頁)


最後に出てきた「明日のジョー」とは、
当時の超人気マンガ『あしたのジョー』のことである。

これについて著者は、上巻でつぎのようにコメントしていた。

 70年3月の「よど号」ハイジャック事件で、赤軍派の犯人グループは、当時の人気マンガのタイトルを入れて「われわれは『あしたのジョー』である」という声明をだした。これは、現在のハイジャック犯が「われわれは『機動戦士ガンダム』である」という声明をだせば、幼稚で独善的にみえるのと同様に、年長者をあきれさせたが、若者からは共感をよんだ。(上巻112頁)


思わずくすっと笑ってしまう箇所である。

ところで、「反米愛国」というスローガンがある。

いまでは右翼もこれを使うことがあるみたいだが、
このスローガンはもともと誰が使っていたのかを
著者はこっそりと右翼の諸君に教えてさしあげている。

もともと「反米愛国」というスローガンは、中国共産党が唱えていたものでもあったが、50年代から60年代初頭には日本共産党も唱えていた。日本共産党は、日本はアメリカの半植民地にあり、非マルクス主義者をふくんだ幅広い「民族統一戦線」によって、「反米愛国」の戦いに結集するという戦略をとっていたからである。(544頁)


「反米愛国」は、
中国共産党や日本共産党が使用していたスローガンだったのである。

右翼の諸君はこのことについてどう感じるのだろうか?

さて、連合赤軍事件に戻ろう。

この事件はテレビ中継され、全国の注目を浴びた。

テレビ視聴率は、一時は87.9%を記録した。(650頁)


この事件はこれまで数多くのひとたちによって語られてきた。

そのとき、多くのひとびとはこれを「同志殺し」と捉えた。

しかし著者はこの「同志殺し」という見方に否定的な評価を下す。

連合赤軍事件の性格はそのようなものではなかったという。

この事件は革命をめざした若者の集団が、「同志」や「仲間」を殺したものと論じられることが多い。しかし連合赤軍は、「同志」や「仲間」といえるような集団だったとは、とてもいいがたい。(626頁)


ではどのような事件と見なすべきなのだろうか?

すなわち、指導部が逃亡と反抗の恐れを抱いたのが、「総括」の原動力だった。(626頁)


これは比較的新しい見解と言えるのかもしれない。

また、多くのひとびとは、この事件からつぎのような「教訓」を得た。

「正義」や「理想」を掲げて組織をつくり運動を展開していくと、
結局はこのような凄惨な事件に行きついてしまうのだ、と。

新右翼の鈴木邦男も、こう述べている。

 ……右翼も宗教も、ともかく〈理想〉を目ざす社会運動は全ていかがわしいものと見られた。心の中に正義を持つ人々は危ないと思われたのだ。


 このように連合赤軍事件は、60年代末からの若者たちの叛乱に終止符を打っただけでなく、その後の日本において、すべての社会運動を沈滞させるという悪影響をもたらした。当時の若者が事件からうけた衝撃や「トラウマ」は、それほど深かったのである。(667−668頁)


しかし、こうした見方も誤ったものであると著者は否定する。

 しかし著者には、上述のような論じ方は、いずれも事態を見誤ったものと思われる。
 ……連合赤軍の実態は、「大義や理念のために逃げない道を選んだ」人びとといった、ロマンティックなものではなかった。(668頁)


実態は「同志殺し」や「理想の果て」といったものとは大きくかけ離れていた。

 概してこれまでの多くの連合赤軍事件論は、「総括」の理由づけの解明に、むだな努力を注いでいるように思われる。(669頁)


なるほど。

 総じてこれまでの連合赤軍事件論は、事件当時の森や永田の心理を、見誤っていると思われる。(669頁)


なるほど。

では、いったい何が「総括」の本当の理由だったのだろうか?

この記述を読んでいると、読者は当然のことながら、
本当の理由が著者によって明らかにされることを期待する。

何が連合赤軍のメンバーたちを残酷な行為にかりたててしまったのか?

本当の原因は何か?

そこで著者が下す判断は、「そんなことはわからない」である。

 概してこれまでの多くの連合赤軍事件論は、「総括」の理由づけの解明に、むだな努力を注いでいるように思われる。(669頁)


期待させて期待させて、わたしはここで椅子から落ちそうになった。

真犯人を明らかにしてくれると期待していたら、
なんと「そんな真相探しは無意味だ」という結論が下されるのである。

つぎに、「ウーマン・リブ」について。

最近、わたしの経験から衝撃的なことがわかった。

若者に「ウーマン・リブ」の「リブ」って何? と聞くと、誰ひとり答えられない。

「Woman Live」と答える若者までいた。

「女は生きる」?

まあそんなことはいいとして、
当時の女性活動家たちは苦しい問題に直面していた。

 上野千鶴子は、……こう述べている。

 女が戦力にならないとなれば、2つの道しかなかったわけですね。ゲバルト・ローザになるか、藤純子になるか。男並みの戦士か救対の天使か、どちらかですよね。どちらもカリカチュアだっていうのは目に見えていました。……雇用機会均等法ができたときに、総合職と一般職のコース分けが登場しました。その時私は、これはいつか見た景色だと思いましたね。男並みになるか、女の指定席に納まるか。……
(682頁)


いまでも卑劣な男性諸君からは同じ理屈を投げかけられると思う。

女性が差別を告発して平等を求めると、
生産性重視の「男並みの平等」に従うか、
「女らしさ」におとなしく収まるか、というずるい選択を迫られてしまう。

そんななかで、当時もっとも注目を浴びていた活動家のひとりに、
田中美津というひとがいた。

彼女は新しい権力観を発見していくことになる。

……田中〔美津〕は「権力、権力とことさら騒がなくても、あたしたちは日常的に権力に包囲されて生活している」「最も身近で、直接的な抑圧は、表面は決して『政治的』な趣きを呈していない」「ブルジョワジーが直接抑圧してくる訳ではない。佐藤首相が手を伸ばして女の生命の輝きを奪っていく訳では決してないのだ。『男のヒトが訪ねてくるのは好ましくない』との大衆のひとことが、就職組を差別する教師が、結婚退職をほのめかす係長が、日々との生き難さを作っていくのだ」という。(756頁)


このように
「権力」は日常的に網の目のように人びとをとらえていくという考え方は、
ミシェル・フーコーなどの巨大な思想家の権力観ともつながる
とても大事な視点である、と著者はいう。

また、田中美津は「永田洋子はあたしだ」というエッセイを書いている。

 田中は『いのちの女たちへ』で、「男より主体的に革命理論を奉ろうとすれば、女はみんな永田洋子だ」と主張した。さらに、新左翼の男性に好かれるためにマルクス主義を学ぶ女性は、マルクスで化粧をするか資生堂で化粧するかの違いにすぎないとして、「男に向けて尻尾をふるこの世の女という女はみんな永田洋子なのだ」と断言している。(761頁)


著者はこの田中美津の連合赤軍論に賛同していないのだが、
こうした事件の捉え方はある大きな意味をもっていたという。

 ……田中の連合赤軍解釈は、高度成長によって開花しつつあった大衆消費社会の肯定につながっていった。すなわち、革命もファシズムも、新左翼も大日本帝国も、「大義によって〈私〉を殺す」という禁欲主義では共通だという連合赤軍解釈の行きつく先は、ある意味で明らかだった。すなわち、「公」の「大義」や社会運動などよりも、「私」の欲望が優先されるべきだ、という論理が出現していったのである。(767頁)


田中美津自身はのちに高度消費社会日本からも離れていったのだが、
彼女の見方は大衆消費社会に適応するための姿勢を準備した、というのだ。

フェミニストたちはこの著者の見解をどう受けとめるのだろうか?

とても興味のわく問題である。








テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
小熊英二『1968【下】』(新曜社)B フォーラム自由幻想/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる