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zoom RSS 小熊英二『1968【下】』(新曜社)@

<<   作成日時 : 2009/10/28 03:12   >>

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当時の学生運動は、高校生にまで広がっていった。

下巻のはじめで取り上げられるのは、高校闘争である。

青山高校の闘争など、高校生たちの闘いが描かれる。

高校生たちも学校をバリケード封鎖して、闘いの声をあげた。

……四方田犬彦は、「新宿高では3年生の1人が、封鎖された音楽室でドビュッシーを優雅に演奏していたという、まことしやかな噂が流れてきた。大分後になって、その生徒が坂本龍一という名前であったと、わたしは知らされた」と述べている。(67頁)


バリケード封鎖された学校の音楽室でピアノを奏でるシーンは、
以前どこかのマンガで読んだことがあるような気がする。

ひょっとしてこの逸話が元ネタになっていたのだろうか?

前にも書いたことだが、日本の右派勢力は敗戦直後から巻き返しをはじめていた。

敗戦から10年も経たないうちに、改憲の動きが出はじめた。

 社会党や共産党が憲法擁護に転じるのは、1953年から54年ごろである。52年のサンフランシスコ講和条約発効と占領終結とともに、鳩山一郎や岸信介といった公職追放となっていた戦前の右派政治家が返り咲き、自由党は岸を会長として憲法調査会を設置した。
54年に公表された自由党憲法調査会の改正要綱案は、9条改正による再軍備容認のみならず、天皇を元首と規定した。そのほか、都道府県知事の公選制を廃止して戦前とおなじく中央政府からの任命制にし、これまた戦前とおなじく参議院は選挙ではなく政府推薦議員で構成されることになっていた。また改正検討項目として第21条(集会・結社・言論の自由)、第24条(男女平等)、第28条(労働者の団結権・団体交渉権)、第38条(黙秘権)、第66条(内閣文民規定)などが挙げられた。(173頁)


この記述をよく読んで、
改憲派が何をもくろんでいるのかをじっくり頭に入れておこう。

ここから改憲派がどのような価値をふみにじろうとしているのかが、
じつによく分かるから。

また、右派・保守派はよく現代を批判するときに、
「昔は良かった」という言い方で日本の現状や若者を批判する。

「昔は貧乏だったが、心は豊かだった」とか。

「オレたちの若いときは、夢を持ってがむしゃらにがんばっていた」とか。

冗談はほどほどになさっていただきたいものである。

……「戦争の時代は、日本中の人が、貧乏な人でも誰でも心を合わせてひとつの目標を実現するために生きていた」などというのは幻想であり、戦時中の実態はコネと役得が横行するモラルの崩壊した時代だった。しかし戦争を体験していない若者にとっては、高度成長下の「何のために自分は生きているのか」という「現代的不幸」のほうが、戦争の悲惨さよりはるかに重要であり、むしろ戦争の時代は「現代的不幸」が解決されていたかのような幻想を抱けたのである。(213頁)


このあたりで、著者は、
「戦後民主主義」という用語が登場する経緯について解説している。

社会学者の見田宗介は小学生のうちに『資本論』を読破していた、
などという恐るべきエピソードも紹介している。

立命館大学の「わだつみ像」が破壊された事件のことも取り上げている。

ただ、これらの説明についてはここでは省略。

つぎに話を進めたい。

この時期、出入国管理法案をめぐる反対運動が起きた。

1969年、在日中国人・台湾人たちが「華青闘」を結成。

彼らはベ平連の運動に合流し、
新宿西口フォーク・ゲリラの集会でハンストに入った。

そのときのことだった。

……華僑青年たちをひきずりだしてリンチを加え、……機動隊員は「天皇陛下の機動隊に逆らうのか!」「二度とやったら強制送還してやる」などと脅したという。(237頁)


こうした事実も語り継ぐべき重大な事件であろう。

ここで興味深いのは、
この「華青闘」が新左翼セクトに対する批判を行なったことである。

 「何故、われわれは、集会実行委員会から脱退したのか? 日本の新左翼も又、排外イデオロギーを持ち続けているからだ。在日朝鮮人中国人の入管闘争に対して、反戦・全共闘はそれを支援し連帯する闘いを一貫して放棄してきた。65年日韓闘争の敗北によってもたらされた在日朝鮮人の過酷な事態を直視せず、69年入管闘争を10・11月決戦に解消し、4・19朝鮮学生革命〔1960年4月に韓国の李承晩政権が学生らの蜂起で倒れたこと〕への無知をさらけ出しながら世界革命を呼号している」。
 「われわれは、在日朝鮮人・中国人の問題は、決して新左翼の中に定着しなかったと断言する。そのような事態に対する根底的自己批判なくして、連帯は空文に等しい」。
 「諸君は日帝のもとで抑圧民族として包摂されていることを自覚しなければならない」。
 「抑圧民族としての自己の立場を自覚しそこから脱出しようとするのか、それとも無自覚のまま進むのか。日本帝国主義に対決するのか、それを擁護するのか。立場は2つにわかれている」。(257−258頁)


この批判に、セクト各派やノンセクト活動家たちは衝撃を受けたという。

そして、このなかで中核派などは、自己批判を行なったという。

その直後、これまた注目すべき事件が発生した。

華青闘の告発翌日の70年7月8日、沖縄出身の流浪労働者だった1930年生まれの富村順一が、東京タワーの特別展望台を占拠する事件がおこった。富村は1人で包丁をかざして展望台にいた観客たちをおどし、「日本人よ沖縄のことに口を出すな」「アメリカは沖縄から出ていけ」「天皇裕仁を絞首刑にせよ」「美智子も売春婦になってその罪をつぐなえ」などと叫び、警察に逮捕された。(260頁)


新左翼のひとびとは、
従来の運動ではあまり注目されることのなかったマイノリティの問題に
直面することになったのである。

それだけではない。

1970年にはウーマン・リブによる日本初の独自デモが行なわれた。

また障害者団体「青い芝」が新綱領を発表し、
障害者運動の転換点をなしたのも70年だったという。

同じ年、沖縄では「コザ市の暴動」が発生している。

 こうして70年7月以降、パラダイムの転換が発生した。「戦後民主主義」や「近代」への批判はそれ以前から広まりはじめていたが、安保の自動延長後、マイノリティ差別や戦争責任問題の台頭のなかで、「戦後民主主義」「近代」批判が強化された。そして「安保」にかわって、マイノリティ差別、戦争責任問題、天皇制、リブ、障害者問題、環境問題など、それまで注目されていなかったテーマが急浮上することになった。(262頁)


この動きを著者は、「1970年のパラダイム転換」と呼んでいる。

だが、同時にこのことは、運動についていけないと感じる者たちも生んだ。

元東大全共闘の船曳建夫は、こう回想している。

 ……いろいろなところの闘争に出かけていこうという考え方を宮沢賢治主義もしくは「雨ニモマケズ風ニモマケズ主義」と呼んで疑問を持った。つまり東に困っている人がいたら助けに行き、西に疲れている人がいたら助けに行く……そんなことをしていると、世界中に闘いがあれば世界中に行かないといけない。
(273頁)


運動のテーマが広がっていたからである。

世界中に問題があるのだから、
闘うとなったら世界中に行かないといけない、
と感じたひとも出はじめたというのである。

もちろん、マイノリティ問題に向き合い、
日本人の加害責任を受けとめようとするひとたちもいた。

有名なところでいえば、
三菱重工や三井物産などを爆破した東アジア反日武装戦線。

彼らの発行した文書『腹腹時計』(1974)は、
ネット上でも全文が読めるが、とても興味深い内容である。

ほかには、つぎのような例もあった。

たとえば滝田修は、70年の華青闘の「七・七告発」直後の講演で、こう主張した。

 軍事的力量から疎外された国際主義を、その審判者たるべき地位を客観的に保証された在日朝鮮人が、どうして信用するであろうか。軍事的力量の形成を抜きにして、在日朝鮮人にどないして義理が立つと言うんや。絶対に立たない。我々に、国際主義的軍事的力量がないから、在日朝鮮人が、半殺しの目にあっているのを、座視しているのだ。在日朝鮮人を暴力的に迫害する「日本人」住民・右翼に対して、我々日本人が暴力的に敵対し、在日朝鮮人を防衛することが、つまり言い換えるなら、日本人と日本人の暴力的対決によって日の丸国家秩序を揺さぶることが、そうした暴力へと深化することが、国際主義的軍事力量の形成の一歩とちがうのか。
(282頁)


ちなみに、滝田修の『ならずもの暴力宣言』の表紙を描いたのは、
あの赤瀬川原平だったらしい。

同様の主張は、赤軍派の「戦争宣言」にも見られたという。

「君達にベトナムの仲間を好き勝手に殺す権利があるのなら、我々にも君達を好き勝手に殺す権利がある。君達にブラック・パンサー〔アメリカで結成されていた黒人武装組織〕の同志を殺害しゲットーを戦車で押しつぶす権利があるのなら、我々にも、ニクソン、佐藤、キージンガー、ドゴールを殺し、ペンタゴン、防衛庁、警視庁、君達の家々を爆弾で破壊する権利がある。君達に、沖縄の同志を銃剣で突き刺す権利があるのなら、我々にも君達を銃剣で突き刺す権利がある」。(282−283頁)


これまでの運動はたいてい具体的なテーマをめぐって展開されていた。

安保闘争も学園紛争もそうだった。

それがやがて、テーマを広げて抗議運動が展開されていったのである。

つぎに本書が取り上げるのは、「ベ平連」である。

これについては、記事をあらためたい。







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