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zoom RSS 笠原十九司『南京事件論争史』(平凡社新書)@

<<   作成日時 : 2009/08/05 14:53   >>

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南京大虐殺は、あったのか? なかったのか?

日本ではこのような論争が巻き起こっている。

答えは言うまでもなく、「あったに決まっている」である。

「あったか? なかったか?」という問い自体が、間違っているのである。

それはちょうど、
「月はチーズでできているか? いないか?」という問いが間違っているのと同じだ。

「原爆投下は、あったか? なかったか?」という問いが、犯罪的であるのと同じだ。

ところが、日本には「歴史的事実」をなかったことにしようとするひとたちがいる。

彼らを、歴史修正主義者という。

卑劣な歴史修正主義者という。

「外道」と呼んでもよい。

「日本版ネオナチ」と呼んでもよい。

歴史修正主義者の増殖は、世界中で問題になっている。

本書は、南京大虐殺をめぐる論争をまとめたものである。

よくまとまっていて、読みやすいので、おすすめ。

この記事はまた「ゴキブリ・ホイホイ」機能を発揮するのだろうか?

何匹引っかかってくるのか、後日、「箱」を開くのが楽しみである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


歴史を勝手に偽装するのは、異常で犯罪的な行為である。

ところが、日本では、歴史修正主義者が堂々とテレビに出ている。

漫画や本を出版している。

歴史修正主義者がデカイ面をしている日本は、世界からどのように見えるのだろうか?

彼ら〔海外からの留学生〕は、本国のテレビや新聞では、日本における南京大虐殺事件(南京事件と略称)否定派の活動がニュースのトピックとなって報道されることが多いので、日本では歴史修正主義者(リビジョニスト)が影響力をもっていると理解していることが多い。その留学生たちが日本に来て、東京などの大きな書店に立ち寄ると、南京大虐殺を「ウソ」「虚構」「まぼろし」とする本が店頭に平積みされているのを見、また民間テレビ局の時事放談に類する番組を見ていると、出演著著名人のだいたいが「南京大虐殺はなかった」「外国人のプロパガンダ」などと発言しているのを聞く、さらに新聞の広告欄あるいは電車内のつり広告に定期的に掲載される月刊雑誌、週刊誌などの目次には、南京大虐殺に関連して「米中の情報戦による謀略」「反日プロパガンダ」「自虐史観」「左翼・マルクス主義史観」などと糾弾する文字が踊っているのを目にする。(12頁)


海外のひとたちから見れば、
日本は頭のおかしいひとたちの国、というふうに見えるだろう。

あるフランスのジャーナリストはこう述べたという。

「歴史事実が国民の歴史認識として定着せず、むしろそれが歪曲され、あるいは抹殺されるような社会は民主主義国家としては未熟か、さもなければ危機的状況にあるのではないか」……。(14頁)


おっしゃるとおりである。

日本は民主主義国家として未熟であり、独善的であり、危険である。

ここで、南京大虐殺をめぐる立場を整理しておこう。

@ 史実派・大虐殺派
  南京大虐殺を歴史的事実として認める立場

A 否定派・まぼろし派
  南京大虐殺派なかったと主張する立場

B 中間派
  殺戮があったことは認めるが、中国側が言うほど多くはないとする立場


著者は@の立場である。

そして、@の立場から、AとBを痛烈に批判していく。

誰がどう見てもAは論外だが、Bもきわめて危険な立場である。
事件の本質を歪曲し、矮小化するからだ。

破廉恥な歴史偽装主義者だけが問題なのではない。

「良心的」な研究者の態度も見逃せない危険性を秘めている。

筆者は、そのひとりとして、国際政治学者の藤原帰一を批判している。

なぜなら、「良心的」な研究者は、史実派と否定派の「終わりのない論争」を見て、
どっちもどっちではないかという、実は根拠のないイメージを広めるからである。

こうして多数の日本人のなかにも、「南京大虐殺」について、
「ある程度の殺戮はあっただろうが、日本だけが突出して多くの人を殺したわけではない」
「中国側は自国に有利になるように被害者数を水増ししているのではないか」
といった無責任なイメージが形成されることになる。

こうした「どっちもどっち」「ドロ仕合」といった嫌悪感が、日本人のなかに多数の傍観者を形成させ、南京事件の歴史認識の定着を妨げている大きな要因となっている。それこそ南京事件の事実を日本人に記憶させまいとする人たちや勢力の思う壺にはまっている。(17−18頁)


まったくそのとおりだと思う。

それにしても、どうして日本では歴史的事実が受け止められないのだろうか?

どうして歴史的事実を直視することができないのだろうか?

どんなに愚鈍な日本人でも、
さすがに「アウシュビッツはなかった」というネオナチの主張には同調しない。

それなのに、どうして日本人は自国の史実を捻じ曲げようとしてしまうのか?

わたしも日々実感していることだが、
若者の間でも、「南京大虐殺はなかった」「犠牲者数はそれほど多くはなかった」
という荒唐無稽な説を信じるものが増えている。

そういう若者は、歴史家が書いた本書をきちんと読んでいただきたい。

そして、自分たちの無知と卑劣さを、深く恥じていただきたい。

さて、本書の内容に入っていくこととしよう。

多くのひとたちの「思い込み」とは裏腹に、
南京事件はその発生当初からよく知られていた事件だった。

 南京事件の情報は発生と同時に、南京の日本総領事館から外務省に報告が送られ、さらに陸軍省、海軍省当局に伝えられた。(20頁)


日本政府や軍部の上層の人たちは知っていたのである。

 昭和天皇の末弟の三笠宮崇仁(たかひと)が自叙伝『古代オリエント史と私』(学生社、1984年)に「1943年1月、私は支那派遣軍参謀に補せられ、南京の総司令部に赴任しました。そして1年間在勤しました。その間に私は日本軍の残虐行為を知らされました」と記しているのは、南京に総司令部をおいた中支那派遣軍の幹部の間では、南京事件について語り伝えられていたことの例証である。(32頁)


ところが、日本は戦争に負けた。

すると、政府・軍部は数々の「証拠」の隠滅を図ったのである。

 日本の敗戦直後、連合軍占領までの「空白期間」に乗じた、政府、軍部、軍隊の大規模かつ徹底した公文書記録の焼却、隠滅の結果、南京事件を立証する系統的な公文書史料が抹殺されてしまった。(43頁)


支配層は、不都合な「証拠」がそのまま残ってしまうのはマズイ、と考えた。

だから「証拠」隠滅を図った。

犯罪者なら誰でも考えつくことであろう。

その結果、日本国内には南京大虐殺事件の「証拠」が少なくなり、
「証拠がないのだから、南京大虐殺は外国勢力による反日宣伝だ」
という無茶苦茶な「説」が受け入れられていったのである。

「外国人の記録や文献は反日プロパガンダ、敵国の謀略宣伝である」といった類の南京事件否定説を受容する意識を醸成する要因になっていった。(44頁)


ただし、わたし自身は、ほかにも要因があると考えている。

もし「動かぬ証拠」がたくさん揃っていたなら、
「南京大虐殺否定派」は生まれなかったのだろうか?

そうは思えない。

実際、この南京大虐殺について「証拠」が示されても、
それを認めようとしないひとは、なくならない。

「慰安婦」問題にしても、「動かぬ証拠」が発見されているのに、
まだこれを否定しつづける恥知らずなひとたちがいるのである。

強制連行にしてもそうだ。

だから、「証拠」が充分に揃っていたら歴史修正主義は現れなかっただろう、
とは言えない。

もっとも、著者はそう述べているわけではないのだが。

ともあれ、南京大虐殺は、
すでに発生当時から日本の指導者たちにさえ知られていた「事実」だった。

日本政府だけではない。

国際社会にも、当時から知られていたのである。

『ニューヨーク・タイムズ』や『ロンドン・タイムズ』が報じていたからだ。

それだけではない。

じつは、日本兵、南京のひとびと、南京在住の外国人たちによっても、
数多くの「証拠」「証言」が残されていたのである。

……終戦前後、連合国側は日本軍による戦争犯罪の証拠集めに奔走したが、日本軍がすでに公文書類の焼却、隠匿をはかったことや、すでに年月の経った時点で、あらためて現場を訪れて犯罪の物的証拠を収集したり、被害者や目撃者を探して供述をとるのは非常に困難な作業であった。しかし、南京事件は例外的で、南京在住の外国人、被害者、記者、外交官、また日本兵によっても、残虐行為の状況が事件発生当初から記録されていた。検察側は南京事件の立証のため、事件当初から状況を綿密に記録してきた南京安全区国際委員会のメンバーの文書、欧米諸国の在華外交筋報告書、南京在住の一般市民被害者・目撃者による宣誓口述書など豊富な証拠を提出することが可能だったのである。(48頁)


こうして、日本政府による必死の証拠隠滅工作にもかかわらず、
豊富な証拠を集めることができ、南京事件は東京裁判で裁かれることになった。

だから、「南京大虐殺は、あったか? なかったか?」という問いは、
はじめから成立しえないのである。

それでも「なかった」と言い張るなら、あなたは虐殺の一味と見なされるであろう。








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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 日本を70年前の状態に戻すと、都合のよいカネゴン(金権亡者)たちがたくさんいるのですよね。
山路 独
2009/08/07 07:58
◆山路独さま

企業なども戦争責任をほとんど果たしていないですね。無責任を放置しつづけてきたから、いまのような日本ができてしまったのでしょう。情けないかぎりです。
影丸
2009/08/22 12:34

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