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zoom RSS 奥村宏『会社とはなにか』(岩波ジュニア新書)

<<   作成日時 : 2009/08/30 13:51   >>

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初心者にとてもおすすめの本である。

株式会社とはどのようなものなのか?

企業にはどのような問題があるのか?

こうしたことについて学ぶのに、とても分かりやすい本だ。

企業不祥事や企業犯罪が頻発しているなか、
「会社とはなにか?」を考えるのも大事なことだろうと思う。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


まず、「会社」という言葉はいつごろできたのだろうか?

会社という言葉が確立したのは明治時代になってからで、これは立会結社、あるいは会同結社という言葉を縮めたものだといわれています。(33頁)


では、日本の会社にはどのような種類があるのだろうか?

……日本の商法で規定している会社としては合名会社、合資会社、株式会社の三つがあり、商法とは別に有限会社法によって認められている有限会社があります。(36頁)


高校生のときにこのことを勉強をしたひとも多いだろう。

では、株式会社と有限会社の違いは何なのだろうか?

 株式会社の社員、すなわち株主の数には制限がなく、誰でも株主になれますが、有限会社の社員は50人以下に制限されています。また株式会社では出資した持ち分、すなわち株式はいつでも自由に譲渡(売買)することができますが、有限会社の持ち分をその会社の社員以外の者に譲渡する場合には社員総会の承認を必要とします。(37頁)


意外に知られていないのは、この「社員」という言葉の正しい意味だ。

株式会社の「社員」というのは、「株主」のことを指すのであり、
ふつうわたしたちが「社員」と呼んでいるのは「従業員」のことなのである。

以上の会社のほかに相互会社があります。これは保険業法によって、保険事業を営むために設立することが認められたもので、営利を目的としない非営利法人とされています。これは生命保険会社に限られており、しかも同じ生命保険会社でも株式会社の形態をとっているものもあります。(37−38頁)


このように、本書は初心者向けにていねいに解説してくれている。

現在、「会社」といえばたいていは「株式会社」のことを意味するので、
「会社」は「株式会社」のことだと思って以下の文章を読んでいただきたい。

「株式会社」というのは、ひとつの制度である。

どうして多くの会社は「株式会社」という形態をとるのだろうか?

それは、多くのひとから資金を集めることができる点にある。

カーネギーはスコットランドからの貧しい移民の子でしたが、苦労の末アメリカの「鉄鋼王」になったという人物……。そのカーネギー製鋼をはじめ多くの製鉄会社を1901年に合併してできたのがUSスチールです。合併によってUSスチールは世界最大の鉄鋼会社になったのですが、この合併はモルガン商会がプロモーターになって相手の会社の株式を取得することによって行なわれたのです。USスチールはその後、世界一の座を日本の新日本製鐵に抜かれ、そして今ではUSXという社名に変っています。(48頁)


企業を大きくするのにも、株式会社という形態は便利だったのだ。

株式会社という制度を使って資本の集中が進み、大企業体制が確立していったのです。(49頁)


会社は株式会社という形態をとることによって、どんどん大きくなった。

いまや株式会社は国境を越え、グローバルに活動している。

活動範囲が大きくなっただけではない。

さらには、国家を超える経済規模になっているところまである。

たとえば、各国のGDI(総国民所得)と多国籍企業の収入を並べたデータがある。

1  アメリカ
2  日本
3  ドイツ
4  イギリス
5  フランス
6  中国
7  イタリア
8  カナダ
9  スペイン
10 メキシコ

望田幸男・杉本昭七ほか『国際平和と「日本の道」』昭和堂(GDIはWorld Ban, 2005。企業収入は"FORTUNE" July, 25, 2005より作成)


こうして19位までは国家がつづくのだが、
20位にウォルマート・ストアーズ(米)が入り、
21位BP(英)、22位エクソン・モービル(米)と企業がつづいて入っている。

23位にトルコが入り、24位にまたロイヤル・ダッチ・シェル(英・蘭)が来る。

31位にはゼネラル・モータース(米)、
34位にはダイムラー・クライスラー(米)、
35位にはトヨタ自動車(日)、
36位にはフォード(米)とつづいている。

これを見ると、現代の多国籍企業がどれほど巨大な組織であるかが分かるだろう。

もし株式会社という制度が生まれていなかったなら、資本主義はこんなに発展していなかったでしょう。それは資本主義が生んだ最大の発明だったといってもよいかもしれません。
しかし株式会社では全員が有限責任だといわれて何かがおかしいと思いませんか。(44頁)


どういうことだろうか?

これも高校生のときに勉強する内容なのだが、説明しよう。

これは「会社は誰のものなのか?」という問題ともつながってくるが、
株式会社の出資者は「株主」であることから、「会社は株主のものだ」と言われる。

いわゆる「所有(資本)と経営の分離」である。

株主が会社の所有主であるなら、
その企業の責任も株主は負わなければならないことになる。

しかし、株主が負うのは「有限責任」なのである。

たとえば、10億円の負債を抱えてつぶれた会社があったとして、
その負債をすべて返済するのがふつうは「責任を果たす」ということのはずだが、
株主は出資した分だけの責任しか負わないでよいのである。

100万円分の出資をした株主は、その会社がつぶれた場合、
100万円がパーになるというだけで、それ以上の責任は問われないわけだ。

これを「無限責任」とは区別して、「有限責任」という。

このおかしさについては、後日別の記事を書くつもりである。

ともあれ、株主は「会社は株主のものだ」というのに、
そこで負う責任は「無限責任」ではなく「有限責任」なのである。

これを「おかしいとは思いませんか」と著者は述べているわけだ。

……このアダム・スミスが株式会社に批判的だったことは忘れられがちです。(45頁)


資本主義の教祖アダム・スミスが株式会社に批判的だったというのは、
意外な印象をもたれたひともいるのではないだろうか?

どうしてアダム・スミスは株式会社に批判的だったのかというと、
株主が「有限責任」しか負わないので「無責任」になるからなのである。

これについても、詳しくは後日の記事で紹介したいと思う。

ともあれ、現代の企業はますます巨大化している。

グローバル化の競争を勝ち抜くために、M&Aも活発に行なわれている。

多角的経営に乗り出すコングロマリットも進んでいる。

だが、著者は企業の巨大化にとても批判的である。

企業を効率的にするためには大企業を分割して、小さい組織にすることが必要なのです。
 また国有企業を株式会社にしても、それまでの官僚がそのまま経営者になったのでは官僚主義は変りません。単に国有企業を株式会社にするだけでは問題は解決しないのです。(72頁)


この論点は大いに検討する価値のあるものであると思う。

巨大な組織は、硬直化しやすい。

企業組織の運営における民主化もおろそかになるだろう。

「日本は民主主義の国だ」とアジア諸国に対する優位性を主張する日本人も、
自分たちの会社組織がどれほど民主的であるかをよく考えてみたらよい。

胸をはって「民主的だ」と言える企業がどれほどあるだろうか?

次に、日本企業の特徴について見てみよう。

アメリカの会社では、就職試験は会社のそれぞれの部署の担当者が学生に面接して決めます。……
……人事部で一括採用するというやり方は、日本型就職システムの大きな特色……。(121頁)


これだけではない。

……全国一斉入社、人事部一括採用、初任給一律という「一斉、一括、一律」が日本型就職システムの特色です。……
……このシステムが確立したのは、1955年ごろからです。(122−123頁)


なんだか全体主義的特徴がよく出ているようにも思われるが、
こうして「みんな一緒」という意識が強まっていくわけである。

よく言われる「日本的経営」についても説明しておこう。

……日本的経営とは何でしょうか。
 ……終身雇用と年功序列賃金、そして企業別組合の三つが日本的経営の内容だとされています。これ以外に手厚い企業内福祉ということをあげる人もいます。(126頁)


だから、一度就職できなかったひとは、ずっと就職できない。

フリーターの高齢化が問題になっているのは、こうした構造が関係している。

……ヨーロッパでは「労資同権」という考え方が戦前からありました。……
 労働者の経営参加として最も代表的なのはドイツの共同決定法です。これは1976年に、当時の西ドイツ政府のもとでつくられたもので、従業員2000人以上の企業では監査役の半数が従業員代表でなければならないということになりました。(136頁)


ヨーロッパでは労働運動が盛んだったために、労働者の権利意識も高い。

ここで指摘されている労働者の経営参加というのも、注目される事例だ。

労働者の経営参加のもうひとつの形態が従業員による株式所有です。……日本でも従業員持株制度はかなり普及し、上場会社では9割以上の会社がこの制度を採用しています。従業員が給料から一定額を積み立て、それを従業員持株会で自社株に投資するというもので、その際、会社側が一定の補助金を出すというケースもあります。(138頁)


労働者が経営の歯車にますます巻き込まれるという問題はあるものの、
労働者の経営参加が進めば企業組織の民主化も進むかもしれない。

アメリカでは労働組合が株式を買い取って大株主になって経営権を握った会社があり、イギリスでは国有企業だったものを労働組合が国から株式を買い取って経営権を握ったという会社もありますが、日本でも今後そういうことが考えられます。(138頁)


労働組合が経営に参加していくことで労働者の権利が守られるならよいが、
他方で、非正規労働者たちの権利が軽視されないように注意しないといけないだろう。

それから、献金が公然と行なわれてきたことが重大な問題であろう。

その選挙権のない者が自分の政治的意思を通すために政治献金という形で政治活動をするのは国民主権の原則に反し、またその会社の株主の利益を侵害することになります。(12頁)


「選挙権のない者」とここで著者が述べているのは、
「法人」としての企業のことを指している。

選挙権も持っていない法人が「政治献金」をするというのはおかしい、ということだ。

もし会社がその利益のために政治献金をするのであれば、それは賄賂、あるいは汚職ということになります。もし、会社の利益とは全く無関係に政治献金をするのであれば、それは株主の利益を侵害することになります。(13頁)


つまり、日本の企業は公然と政治と癒着しているのである。

1955年ごろからの日本、すなわち私のいう法人資本主義の日本を支配しているのは、この「政・官・財の三位一体構造」なのです。(15頁)


この「法人資本主義」という点を著者は繰り返し強調している。

では、「法人資本主義」とはどのようなものなのか?

……日本が法人資本主義といわれるもうひとつの大きな理由はこのような株式所有の法人化ということにあります。……これを「株式の相互持合い」といいます。(77頁)


一般的には、大企業になれば株式所有が分散し、
多くの個人投資家が株主になることによって経営者支配になるといわれる。

しかし、日本の場合はそうはならなかった。

……1960年代になって、政府が資本取引を自由化し、それによって外国資本による会社乗取りのおそれがでてきたため、……法人による株式相互持合いが進みました。(88頁)


こうして日本では、法人資本主義化が進行していった。

……日本の経営者支配は株式分散ではなく、法人への株式集中によって起っているのです。(89頁)


日本の企業をめぐる問題の根本原因は、この「法人資本主義」という形態にあるという。

たとえば、バブル経済について学生が勉強すると、
バブルの原因は「プラザ合意」にあったと解説されているのを見ると思う。

一般には1985年のプラザ合意によって円高になり、円高不況を防ぐために日本銀行が金融をゆるめることがバブルを生んだといわれています。しかしこれでは一般の物価は上がらないにもかかわらず、地価と株価だけがなぜ急上昇したのか、ということを説明できません。(26頁)


なるほど。

では、バブル経済の本当の原因はどこにあったのだろうか?

日本のバブル経済は1985年になって発生したのではなく、それ以前、すなわち1970年代の半ばごろから発生していました。それを発生させたのは土地と株式所有の法人化であり、法人資本主義という構造がバブルを生み出したのです。(27頁)


強まる経営者支配をチェックする機能は、もちろんある。

経営者が正しい経営を行なっているかどうかをチェックするひとがいる。

監査役である。

監査役は会社の帳簿の監査だけでなく、業務も監査することになっている。

ところが、「身内」を公正にチェックするかどうかは不安が残る。

取締役や監査役が内部出身者で固められますと、外部からのチェックがきかなくなります。……監査については、1993年の商法改正以後、資本金5億円以上の大会社では監査役のうち1人は外部者でなければならないということになりました。(93−94頁)


なるほど。

外部からのチェック機能を充実させれば、企業の不正はチェックできそうだ。

といっても外部取締役や外部監査役の候補者を決めているのがその会社の社長ですから、その社長を本当にチェックするような人が候補者になるとは考えられません。(94頁)


なんだ、ダメじゃないか。

これを「コーポレート・ガバナンス(企業統治)」の問題というのだが、
「誰が会社を支配しているのか」ということと深く関係した問題である。

このことが話題になった背景には、企業不祥事の頻発があった。

企業不祥事が起ったために経営者の責任が追及されたのですが、その経営者をチェックするシステムができていなかったところから、コーポレート・ガバナンスが問題にされるようになったのです。
 ……本来なら株主総会が経営者をチェックしていなければならないのですが、そうはなっていません。そして法律上は取締役が代表取締役をチェックし、監査役が取締役をチェックすることになっているのですが、そのチェック機能も働いていません。
 そこで経営者に対してチェック機能を果すものとして注目されたのが株主代表訴訟です。……裁判に敗けた取締役は会社に損害賠償をしなければなりません。訴えた株主には1円のおかねも入ってくるわけではなく、会社に賠償金が支払われるのです。(103頁)


このときによく使われたのが、「モノ言う株主」という言葉だった。

「株式会社は株主のものである」という考え方を取り戻そうとするものだった。

では、これで企業に対するチェック機能は十分なのだろうか?

株主代表訴訟はコーポレート・ガバナンスの点でひとつの役割は果していますが、しかしそれにも限界があります。なにより株主が会社の立場に立って訴えるのが株主代表訴訟で、会社は株主のものだというタテマエに立っているところに限界があります。もっと一般市民の立場から株式会社の経営をチェックすることが必要なのです。(104頁)


企業は私的利益を追求する私的存在ではあるが、
重要な公共性を担っていることから、社会的責任があると言われるようになった。

これを「企業の社会的責任(CSR)」というのだが、
そのことに触れる前に、どうして「CSR」という言葉が大流行しはじめたのか、
その背景をたどってみよう。

「国家は永遠である」という国家主義が敗戦によって崩壊したあと、今度は国家に代って「会社は永遠である」という考え方になっていったのです。国家主義から会社主義へと移行したところに日本人の会社観の特徴があります。それは国家絶対主義から会社絶対主義へ、あるいは国家本位主義から会社本位主義への転換です。(185頁)


戦前・戦中の日本人は、国家のため、天皇のために生きること、死ぬこと、
もっと言えば、天皇・国家のために人殺しになることが求められた。

戦後は、会社のために生きること、死ぬことが求められるようになった。

もっと言えば、会社のためならひとを傷つけても殺してもよいと考えるようになった。

環境を破壊しても消費者を傷つけても構わないと考えるようになった。

企業に従順な日本の「社員」(従業員)たちは、「企業戦士」「社畜」と呼ばれた。

こうして会社本位主義を原理とする法人資本主義が日本において確立し、それによって日本経済は高度成長したのですが、20世紀末になってバブル経済が崩壊すると同時に、法人資本主義の構造が崩れはじめました。(186頁)


そこで出てきたのが、「CSR」である。

……経団連は1990年ごろから再び企業の社会貢献活動に力を入れ、メセナとかフィランソロピーという言葉が財界によってしきりに使われるようになりました。メセナというのはフランス語で、「文化を支援する活動」という意味ですし、フィランソロピーという英語は「博愛、あるいは慈善」という意味です。そして経団連は「1%クラブ」を提唱し、企業が経常利益の1%を毎年メセナ活動に寄付するよう働きかけました。(194頁)


企業は利潤だけを追求するわけではなく、
社会的な責任を果たし、社会貢献も行なっていくと宣言している。

いわば企業の生き残り政策として「CSR」が注目されはじめた面があるというわけだ。

「CSR」にはこうした「したたかな側面」があることを見逃してはいけないだろう。

だが、これに強く反対するひともいる。

「企業が社会貢献活動を行なうなど、余計なことだ」と主張する。

誰あろう、フリードマンである。

ミルトン・フリードマンという人はシカゴ学派を代表する経済学者で、規制緩和や市場主義という主張の元祖のようにいわれている人です。
 そのフリードマンは、株式会社は株主の利益を最大にするためにあるので、それが社会貢献活動や慈善事業をするのは邪道だと批判しています。(194頁)


株式会社はほかならぬ「株主」のものなのだから、
企業が果たすべき責任は唯一「株主の利益の最大化」のみである、というのだ。

確かに株式会社が株主の利益を最大にするためのものであるとしたら、文化活動や慈善事業に株主のかねを無断で経営者が寄付するのはおかしいといえます。(194頁)


しかし、株主の利益だけを追求する企業のあり方は、もう破綻している。

だからこそ「CSR」などという言葉が流行しているのであろう。

このことは株式会社がもはや株主の利益だけを追求しておればよいということはできなくなっているということを意味しています。「会社は株主のもの」という考え方は社会的に通用しなくなっているのです。(194−195頁)


株価至上主義、株主主権という考え方は、もう通用しない。

会社は株主のだけのものではないからだ。

ところで、芸能人が薬物で逮捕されると、
「芸能界から引退させよ!」との声があちこちで高まるのに、
「一流企業」が犯罪行為を繰り返しても、
「市場から撤退せよ!」という声がほとんどわき上がらないのはなぜだろうか?

長くなったので、このあたりで終わりにしようと思う。







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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ご無沙汰をしております、船頭です。

芝居や、展覧会などで企業メセナとして企業が名を連ねる事がありますが、そういう事だったのですね。
テレビや、映画のスポンサーとおんなじものかと思っていました。
それでは、その寄附を貧しい人の生活を豊かにするような文化的事業に回せないものでしょうか?
それ以前に「そんな余裕があるなら、派遣切りやめろ、正規雇用しろ」という話しになってしまいそうですが・・・

それから、よくアンケートなどの職業の選択欄に会社員とありますが、これは会同結社従業員の略になるのでしょうか?

株式会社の問題について多岐に渡っているこの本は、とても面白そうですね!
読んでみたいなと思います。
船頭
2009/08/30 18:24
◆船頭さま

お久しぶりです、コメントありがとうございます。

途上国支援にお金を使っている企業もありますけど、まだまだ十分とは言えませんね。それに船頭さまは、重要な点をご指摘くださいました。そうなのです、企業はそうした「社会貢献活動」を行なっていながら、同時に、労働者を使い捨てるという「矛盾」を平然と行なっています。「社会貢献」の中に「雇用の確保」も入ると考えれば、「両方きちんとやれ」と企業に言い続けることができるのではないでしょうか?

それから、「社員」というのは「会同結社従業員」になるか? というご質問ですが、おもしろいですね。歴史的経過をギュッと圧縮すると、そういうことになりそうです。

とても読みやすい本ですので、ぜひ読んでみてください。同じ著者の別の本も後日ご紹介しようと思っています。
影丸
2009/09/05 13:49

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