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zoom RSS 伊藤真『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)F

<<   作成日時 : 2009/08/25 00:23   >>

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改憲派のターゲットは、やはり9条だろう。

改憲派は、この国を戦争ができる国にしたくて、ウズウズしている。

武力行使をできる国にしたくてムズムズしている。

戦争・武力行使とは結局のところ「ひとを殺すこと」だから、
改憲派は「ひと殺し」をしたくてウズウズ&ムズムズしているわけだ。

ところが、9条はそれを許していない。

だから改憲派は9条に対して苛立つのである。

日本国憲法の第9条は、3つのことを規定している。

・ 平和主義

・ 戦力不保持

・ 交戦権の否認


この3つが揃っていることがポイントである。

たとえば、戦力不保持と交戦権の否認を取り除いて、平和主義だけになったらどうか?

「平和主義があればいいではないか」と思うひともいるかもしれない。

だが、9条の偉大さは、平和主義だけではない点にこそ、あるのだ。

……日本の平和主義は侵略戦争だけでなく自衛戦争まで放棄し、一切の戦力を持たないのが特徴……。(161頁)


たとえば、世界のどこの国に、「侵略戦争OK」と規定している国があるだろうか?

「侵略戦争もじゃんじゃんやってやるぜ」と書いている憲法が考えられるだろうか?

どこの国家も、「自衛」や「平和」を口実にして戦争をするのである。

それは歴史が語っている。

だから、平和主義を定めているだけでは十分ではない。

9条の特徴は、平和主義・戦力不保持・交戦権の否認の3点セットだ。

これをもって日本の独自性と評価するひともいるし、
これをもって日本の不自然さと見なすひともいる。

だが、実際は、戦力も放棄した国は世界にいくつもある、
という話を以前このブログで紹介した。

※「前田朗『軍隊のない国家』(日本評論社)」を参照。

「国権の発動たる戦争」とは、宣戦布告をともなう正規の戦争……。「武力による威嚇」は、武力を背景として自国の主張を押しつけるような行為……。また「武力の行使」とは、満州事変や日中戦争などのように、宣戦布告なしに行われる事実上の戦争のことです。憲法は、その三つをすべて、「国際紛争解決の手段としては、永久にこれを放棄する」といっているのです。(161頁)


だから、日本の「武力」によって北朝鮮を威嚇する行為は、
日本国憲法の精神に明確に違反する行為である。

「国際紛争解決の手段」とは「侵略戦争」を意味する、というのが国際法上の一般的な解釈です。(162頁)


では、侵略戦争だけが否定されているのか、と考えるのは、まちがいだ。

しかし、憲法全体を読めば、やはり自衛戦争も含めたすべての戦争を放棄している、と理解するのが妥当でしょう。というのも、現行憲法には戦争や軍隊に関する規定が何もありません。……誰が宣戦布告を行い、誰が戦争を終結するかという重要な事柄について、何の規定もないのです。これは、そもそも日本が戦争を行うことを想定しないからだと考えられます。前文で掲げられた平和主義の精神と合わせて考えれば、一切の戦争を放棄したと理解するのが、素直な読み方でしょう。(164頁)


自衛のための戦争をも否定しているのが、日本国憲法である。

日本政府は、個別的自衛権はあり行使できると強弁しているのだが、
憲法を読めばそれは無理な解釈であることは誰にも分かる。

では、この個別的自衛権/集団的自衛権とはどういう意味なのだろうか?

個別的自衛権とは、自国が攻撃されたときに自衛のために反撃をする権利のこと、集団的自衛権とは、自国は武力攻撃を受けていなくても、同盟国が武力攻撃を受けた場合に共同して反撃する権利のこと……。(169頁)


これら集団的自衛権だけでなく個別的自衛権まで否定しているのが、
日本国憲法第9条の特徴であり、魅力なのである。

日本政府の公式見解は、すでに憲法をふみにじっている、ということだ。

ところで、9条に対して、次のような批判がある。

「集団的自衛権は国連憲章でも認めているではないか」というものだ。

「国連憲章でも認めているものを日本だけ認めないというのはおかしい」と。

たとえば、民主党の改憲論などがほぼこれに当たる。

だが、これに説得力はあるのだろうか?

……憲法は国の最高法規として条約よりも優先されるので、国連憲章が認めている権利が、すべて日本でも認められるわけではありません。(169頁)


なるほど。

もっとも、この理屈が人権侵害・差別を正当化する便法に利用されてはならないが、
戦争をしたくてウズウズしているひとたちには効果的な批判になるだろう。

ところで、日本の最大の矛盾は、自衛隊の存在だろう。

誰がどう見てもこれは「軍隊」であり「戦力」であるが、
日本政府はこれを「軍隊」ではないとしており、「実力」と呼んでいる。

ちなみに国内では「軍隊ではない」とされている自衛隊も、国際法上は「軍隊」として扱われます。たとえば自衛隊が業務のために乗った旅客機は「民間機」ではないので、相手国からは当然攻撃の対象にされます。(171頁)


それはそうであろう。

日本はこれまで自衛隊を海外に派遣することがなかったので、
自衛隊は「戦力」ではなく「実力」だという詭弁も見逃されてきた。

しかし、自衛隊を海外に展開するようになると、そうもいかない。

この矛盾が大きくなったのが、1990年の湾岸戦争のときだった。

日本は巨額の資金提供によって多国籍軍を支援したものの、「金だけ出して人を出さない」といわれて、あまり感謝されませんでした。……92年に成立したPKO協力法……。この法律によって、自衛隊はカンボジア暫定行政機関に参加しています。
 ただしPKO協力法は、あくまでも紛争当事者間で停戦が合意されている地域への派遣だけを認めるものでした。……2001年、米国で発生した9・11テロ事件……。それが「テロ対策特別措置法」で、当事者間の停戦合意のみならず、国連決議も不要、たとえ戦争中であっても、後方支援ならば派遣できるという内容でした。……自衛隊は、物資の空輸や洋上での燃料補給などの後方支援を行い、アメリカから「日本が戦後初めて現在進行中の戦闘行為に協力した」と高く評価されました。(172頁)


こうして自衛隊の海外派兵を並べて見てみると、
いかにずるずると既成事実が積み重ねられていったのかがよく分かる。

そして2003年7月には、イラク特別措置法が制定されました。この法律では、自衛隊が「人道支援活動」を行うことが強調されています。これは、イラクに駐留している各国の占領軍の、軍事的戦力活動を支援することにほかなりません。もはやたんなる後方支援としてではなく、戦地に自衛隊を送り込むことが可能になったのです。(172−173頁)


9条のもとで、自衛隊を海外の戦地に派遣するなどということを、
これまでどれだけのひとたちが想像しただろうか?

9条のもとで、ここまで無茶な活動ができると、誰が想像できただろうか?

イラクにまで自衛隊を派兵することになると、誰が想像できただろうか?

政府見解では、現在の日本国憲法のもとでさえ、ここまでの活動が認められている。

戦地に自衛隊を送り込み、米軍の戦争に協力することさえ、
なんと現在の9条のままでもできるということだ。

逆に言えば、改憲を行なえばそれ以上のことができる、ということにほかなるまい。

改憲派が何を考えているのかを想像すると、怖ろしいものがある。

小泉首相も「自衛隊は実質的には軍隊であるが、それを言ってはならないというのは不自然だ」などと発言していますが、これは「自衛隊は実質的に違憲だ」と言っているのと同じです。違憲状態を何十年も放置してきた政治家の責任をすっかり棚に上げて、開き直っているような印象さえ受けます。そこには、憲法を遵守して国を治めるという立憲主義の精神に反してきたことへの反省が、みじんもありません。このような政治家に憲法改正を委ねていいのか、私たちがあらためて考えなければならないところです。(174−175頁)


改憲派に対するもっとも痛烈な批判が、これであろう。

自民党は、長期政権によって日本国憲法を骨抜きにしてきたのだ。

憲法違反の政治を積み重ねてきたのだ。

つまり、自民党はそもそも憲法を守ってこなかったのだ。

では、そのような連中が新憲法なら守る、という保障はどこにあるのか?

これまで憲法を破ってきた連中が、新憲法なら守るという保障はあるか?

どこにもない。

これまで憲法を守ってこなかった連中は、今後どのような憲法ができようと、
これを遵守しようなどとは決して思わないだろう。

だからこそ、ゴリゴリの改憲論者として知られる憲法学者・小林節(慶応大)でさえ、
自民党による改憲には反対するようになったのであろう。

彼は、いまの自民党に改憲をさせるのはあまりに危険である、と述べている。

改憲派は次のように言う。

「自衛隊を国防軍にして、国を守るのだ」と。

「北朝鮮による拉致事件は、9条のせいで起きたのだ」と。

本当にそうなのだろうか?

北朝鮮による拉致被害者の存在は、軍隊だけで国を守ることができない証拠です。……少なくともこの日本においては、軍事力で国を防衛できると考えることのほうが、はるかに、非現実的だと思います。(179頁)


軍事力で国を守れると考えるひとがいるとしたら、
そのひとは相当におめでたいひとたちであろう。

多くのひとが指摘していることだが、
世界最大の軍事大国アメリカでさえ「9・11同時多発テロ事件」を防げなかった。

また、これも何度も指摘してきたことだが、
9条改憲は日本を「自立」させるのではなく、アメリカに従属させるものでしかない。

その証拠に、日本はこれまで多額のお金を米軍のために支出している。

……在日米軍の駐留費などを肩代わりする「思いやり予算」は、2005年度は2378億円に上り、これは、中小企業対策費の1.4倍です。(181頁)


つまり、日本の中小企業よりも米軍を重視するのが、自民党政権だったのだ。

よく覚えておこう。

日本政府は、日本国民の生命よりも米軍を大事にするのである。

この現実をナショナリストは説明することができない。

また、次のような改憲派の主張もよく聞かれる。

日本国憲法の第9条では、先に見たように、
本当は個別的自衛権さえも認めてはいない。

そこで、彼らは、
「個人に正当防衛が認められるのだから、
国家にも正当防衛としての自衛戦争を行う権利はあるはずだ」
という議論を展開する。

だが、これは無茶苦茶な論理である。

個人の正当防衛と国家の自衛戦争を同列に論じることはできないからだ。

 個人の正当防衛は、あくまでも不正な侵害をしてきた当の侵害者本人に対して反撃をする、きわめて具体的なものです。それに対して自衛戦争では、「国を守る」という抽象的な目的のために、何ら不正な侵害を行っていない個人を攻撃することになります。戦場の兵士は、いまここで自分を狙っている敵の兵士を撃ち殺すだけではありません。いったん戦争が始まれば、相手側の兵士はすべて攻撃の対象になりますし、民間人を巻き込むこともあります。正当防衛との違いは明らかです。ですから、個人のレベルで許される正当防衛を、国家の自衛戦争と同列に語るべきではないのです。(183頁)


こういう簡単な比喩に騙されてはいけない。

個人の正当防衛と国家の自衛戦争は、まったく次元の異なるものなのだ。

改憲派の没論理性には、すさまじいものがある。

最近、民主党の政策に対して、「財源は?」と聞き返すのが、
自民党議員や保守派・右派たちの間で流行っている。

自民党は、まるでオウムのように「財源は?」と繰り返す。

だが、彼らは、どういうわけか、軍事費に対しては「財源は?」と問うことをしない。

「思いやり予算」について、「財源は?」と問わない。

「自衛隊の活動」について、「財源は?」と問わない。

日本の軍事力強化を主張する連中も、「財源は?」と問わない。

核武装を主張する連中も、「財源は?」と自問しない。

なぜなのだろうか?

オウムだからだろうか?

興味深い病理現象である。








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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
軍事費・思いやり予算などについて「財源は?」と聞かない、というところには言われるまで気づきませんでした。自分の勉強不足を感じると共に、深く「その通りだ」と頷いてしまいました。

ところで、常日頃感じていたことなのですが、実際問題「財源」はどこからくるべきなのでしょうか。例えば、セーフティネットの拡充をし、非正規雇用者や障害者、母子家庭といった弱者に「最低限の生活」を保障させるためには、どうしてもどこからか財源が必要になります。私が考えていたのはやはり増税、特に消費税などです。もちろん、その時には例えばカナダのように、食料や一部の衣服など、生活に必須であるようなものには税をかけない、といった工夫が必要になるでしょうが。(余談ですが、ここで思ったのが、それとも、私のこの「財源の必要性」を感じるのも、自民党の主張の内面化なのでしょうか。)ぜひ、お時間がある時にご意見を聞かせていただけると幸いです。
そよ
2009/08/25 01:56
◆そよさま

はじめまして。コメントありがとうございます。最近ブログ・デビューなさった方なのですね。早速わたしのブログでもリンクさせていただきますので、今後ともよろしくお願いいたします。

「財源は?」とオウムのように繰り返していた自民党は大敗しました。そよさまのおっしゃるとおり、「財源問題」はつねに存在しています。だから、自民党のように自分たちの都合のよいときだけ「財源は?」と言うのではなく、右派や保守派が「財源は?」と問わないところにこそ「財源は?」と問い返しながら、他方でわたしたちは、必要なところには十分な支出を行なうように政府に要求していくことが大切だと思います。

消費税の税率アップについては、わたしは賛成しかねます。というのも、日本の国会で「消費税率」の話が出ても、「日用品への非課税」という話は絶対に出てこないからです。消費税を上げたいひとたちにとっては、そういうプランはもともとないのです。

わたしは、所得税、法人税、相続税などを上げて、高額所得者から多く徴税するべきだと思います。さらには、株取引や為替取引に対する課税を強化する方法も必要だと思っています。投機マネーへの規制がどうしても必要だからです。消費税はやはり逆進性が大きなネックになると思いますので、賛成できないというわけです。この間のさまざまな改革によって、高額所得者たちは優遇されすぎています。

またぜひコメントくださいね。
影丸
2009/09/05 13:35

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