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zoom RSS 伊藤真『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)C

<<   作成日時 : 2009/08/21 23:21   >>

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右派は、思いつきでしか、国家や憲法を語れない。

「近代」について、彼らは驚くほどに無知である。

愚かな右派にならないために、
次に「権力分立」の原理について考えてみたいと思う。

「権力分立」というと、学校で習ったモンテスキュー『法の精神』を思い出すだろう。

どうしてこのような制度が大事なのだろうか?

国家の作用を単独の国家機関に集中させると、権力が乱用されて国民の自由が侵害される恐れがあるので、それを分散させるというのが、この考え方です。日本国憲法はこの原理に立って、国家権力の作用を立法作用、行政作用、司法作用の三つに分離し、相互に抑制均衡(チェック・アンド・バランス)を保たせる制度を採用……。(113頁)


なるほど、それで三権分立があるのだ。

ただし、権力分立というと、三権分立だけを連想するひとが多いのだが、
それは正しい理解ではない。

ほかにもあるからだ。

……立法府(国会)が衆議院と参議院の二つに分かれているのも、権力分立の原理によりますし、政治を中央の政治と地方自治に分けているのも、その一つといえます。警察権力なども、明治憲法時代は中央の内務省に集中していましたが、現在は中央の警察庁と各都道府県警とに分散されています。(113頁)


ここ最近では、「ねじれ国会」などという言い方がメディアで盛んに使われた。

まるで「国会はねじれていてはいけない」かのようなイメージを広めた。

だから、一部のひとから「大連立構想」が持ち上がったのだろう。

しかし、二院制を採用していたからこそ、
自民党の暴走を防ぐことができたのだということも、忘れてはいけない。

権力分立を理解する上で大切なのは、「懐疑」や「不信」を前提にした原理であること、すなわち、権力を信頼するのではなく、疑ってかかることから始まった考え方だということです。(114頁)


国家権力は怖いものだ。

国家権力は暴力を独占しているから、とても怖い存在だ。

だからこそ、国家権力を信用してはいけないのである。

つねに国家権力に疑いのまなざしを向け、これを監視しないといけない。

それが歴史の教える教訓である。

ところが、困ったことに、右派はこのことがまるで理解できない。

彼らは、国家権力に対して、絶大な信頼を無邪気に寄せてしまう。

だから、彼らは愚かだ、というのである。

……現代の福祉国家においては、三権のなかでも、行政権の持つ権限が突出して拡大しがちです。……たとえば国会で審議する法案の8割以上は行政府である内閣から提出されたもので、議員立法はわずかしかありません。(114頁)


このように、行政権が大きくなった現代の国家を「行政国家」と呼ぶ。

しかし自由主義や民主主義という憲法の基本理念に照らした場合、行政国家現象は多分に危険な面を持っています。行政権が肥大化することで、たとえば人権侵害の危険性が高まる可能性があります。また、官僚主導で物事が決まり、そこにはあまり民意が反映されません。ですから今後は、いかに行政国家現象へ歯止めをかけるかという観点から、あらためて憲法を読み直すことが求められているのではないでしょうか。(115頁)


なるほどね。

だって、行政権を縛るのも憲法なのだから。

本当は、国会議員もきちんと行政権をチェックしてくれればよいのである。

だって、それも彼らの大事な仕事なのだから。

その全国民の代表機関である国会議員は、二つの役割を担っていると考えられています。一つはいうまでもなく、民意を政治に反映させることです。しかし、それだけでは立法府としての責任を果たすことはできません。選挙民の声を国会で代弁するだけでなく、そこで全国民の意見を一つにまとめ上げる必要があります。これを「民意の統合」といいます。(116頁)


ところが、自民党の無能な国会議員たちは、
下品なヤジを飛ばすのがせいぜいである。

彼らは、開かれた場できちんと議論することができない。

自民党議員を見ていると、日本人の「民度」がよく分かる。

もし行政が憲法に沿った政治を行なっていなければ、
それを司法がチェックすることもできる。

けれども、裁判所の能力には限界がある。

裁判所が判断できるのは、「具体的に起きている事件」であって、
かつ「法律的な問題」に限られる。

 たとえば抽象的に、「イラク特別措置法は憲法違反の疑いがあるから判断してほしい」といっても裁判所は受けつけません。その法律に基づく職務命令を断った自衛官が、職場で処分を受けてしまった、というような具体的な事件があってはじめて、裁判所は処分の違法性や法律の違憲性を判断することができます。
 また具体的な事件が起きていても、それが宗教上の教義をめぐる争いや、学説の対立をめぐる争いのように、法律を適用しても解決できない場合もダメです。(121頁)


このような司法の権限を「違憲審査権」という。

では、日本の違憲審査のあり方は、ほかの国と比べてどうなのだろうか?

日本の違憲審査制度の特徴は、抽象的に法律の違憲性だけを審査することはできず、具体的な事件が起きたときに、その判決に必要な範囲で違憲審査を行う点にあります。これは「付随的違憲審査制」と呼ばれ、アメリカと同じ制度です。
 これに対して、具体的な事件が起きていなくても、つくられた法律に対して違憲審査を行うことができる制度もあります。「抽象的違憲審査制」と呼ばれるもので、ドイツ、オーストリア、イタリア、韓国などが採用しています。この場合は、通常の司法裁判所とは別の、違憲審査だけを専門に行う憲法裁判所が設けられます。憲法の秩序を守るためだけに存在する裁判所です。
 これまで日本の裁判所は、違憲審査権の行使に対してきわめて消極的でした。戦後60年間、最高裁の、法律に対する違憲判決は6つしか出ていません。他方ドイツでは、戦後に現在の憲法が制定されて以来、およそ500件以上の違憲判決が出ています。アメリカにいたっては、数えきれないほどです。(127頁)


「6つ」!?

戦後、日本の最高裁が出した違憲判決は「6つ」だけ?

さぞかし自民党政権は日本国憲法に忠実な政治を行なってきたのだろうなあ、
という皮肉のひとつも言ってみたくなるというものだ。

これでは、司法のチェックがきちんと機能しているとは言いがたい。

そこで重要なのが、最高裁判所裁判官の国民審査である。

有権者には、最高裁の裁判官をチェックする権利がある。

有罪率が異常に高い日本の裁判の問題点を改善させることができる。

ところが、この大事な権利が行使されていないのである。

……今のところは、この国民審査によって罷免された裁判官は一人もいません。……もし「このまま最高裁判事を続けてもよいと思う人に印をつける」方式だったら、おそらく多くの裁判官が失職するのではないでしょうか。(123頁)


どうしてこれまでひとりも罷免された裁判官が1人もいないのか?

それは、「×」と記されたものは「×」として処理されるが、
○も×も書かれなかったものは「○」として計算されてしまうからなのだ。

有権者は、事前に裁判官のことを調べて、
こんどの総選挙からはちゃんと辞めさせたい裁判官に「×」をつけよう!

ここで著者は、「裁判員制度」を取り上げる。

……2009年までに、新しく「裁判員制度」が導入されることが決まりました。職業裁判官3人に、一般市民のなかから無作為に運ばれた6人が裁判員として加わり、9人で一定の刑事事件について有罪か無罪かを決めます。このような制度を参審制といい、ドイツなどで採用され、発達してきました。
 これは、司法に対する民主的コントロールよりもっと踏み込んだ、司法そのものの民主化、民主主義の理念を反映しています。分立している三権のうち、「立法」に対しては、国民が選挙という形で関わることができます。「行政」に関しても、オンブズパーソン制度や情報公開、あるいは公聴会への参加といった形で、国民が関わることができる。(124−125頁)


裁判員制度は、評判が芳しくないが、じつは司法の民主化だったのだ。

たしかに裁判員制度には問題も多いが、
「司法の民主的コントロール」という視点も忘れてはならないだろう。

実際、欧米の先進国は、ほとんどが陪審制や参審制など、国民が裁判に参加する制度を持っています(陪審制では一般市民から選ばれた陪審員、裁判官とは独立して起訴・不起訴の決定や評決を行う)。(125頁)


いずれにせよ、面倒なことはすべて「お上にお任せ」という心情では、
日本の民主主義を成熟させることはできない。

次に、地方自治について著者は取り上げる。

……「地方自治の本旨」を、一般には「住民自治」と「団体自治」という言葉で表します。住民自治とは、地方自治は住民の意思に基づいて行われるべきだという民主主義的な要素、団体自治とは、地方自治は国から独立した団体に委ねられ、その団体自らの意思と責任の下で行われるべきだという自由主義的な要素です。(132頁)


地方自治の本旨は、「住民自治」と「団体自治」である。

これは、高校生のときにお勉強するレベルの内容だ。

「地方自治は民主主義の学校」という有名な言葉があるように、
地方レベルでの民主主義が活性化することが、日本の民主化にとって重要だ。

地方自治は中央の議院内閣制とは違って、大統領制(首長制ともいいます)を採用……。それに以外にも、首長や議員のリコール制、住民による議会の解散要求、条例の制定要求など、地方自治法にはさまざまな形で直接民主制的な制度が採用されていますが、これはいずれも「住民自治」の表れです。(132頁)


ところが、近年、この地方自治を破壊する動きが見られる。

ここ数年、「平成の大合併」というかけ声のもとで、全国的に市町村合併が盛んに行われています。財政面のムダをなくすという経済的な目的が主眼……。
 市町村が合併すると、自治体が大きくなって強い力を持つことになりますから、「団体自治」の観点からは有意義だといえるでしょう。……
 しかし自治体の広域化は、「住民自治」の観点からは、メリットばかりとはかぎりません。(133頁)


「平成の大合併」。

そして「三位一体の改革」。

またしても小泉純一郎である。

また、近頃、知事たちが盛んに叫ぶ「地方分権」も、要注意である。

彼らが「道州制」を主張しているときには、とくに注意が必要だ。

「道州制」の真のねらいがどこにあるのかを、見定めなければいけない。








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