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zoom RSS 伊藤真『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)B

<<   作成日時 : 2009/08/20 08:58   >>

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今回は、世の中のひとたちに見られる「誤解」を取り上げてみたい。

憲法を変えようとするひとたちには、法に対する無知・誤解が渦巻いているからだ。

法に対する無知が、現実に対する漠然とした不満を抱かせる。

その不満が大きな渦となって憲法改正を求めているとしたら、どうか?

さらにいうなら、憲法改正そのものが、社会の行き詰まりを打開するための起爆剤として期待されている面もあります。憲法は国のあり方を決める重要なものであるだけに、それをガラリと変えてしまえば、「負の遺産」が清算されて世の中がオール・リセットされ、心機一転、新しい時代を築いていけるのではないか、そんな幻想を抱いている人が少なくありません。(13頁)


そんないい加減な印象で現行憲法を変えられてしまったら、たまらない。

そんないい加減なひとたちにこの国が右傾化させられたら、たまらない。

だから、法を正しく理解することがとても重要である。

たとえば、多くの無知が顕在化するのが刑事事件であるから、これから考えてみよう。

近年、凶悪犯罪が増加している、と言われる。

殺人事件がTVで大きく取り上げられ、
世論は「容疑者」に対して死刑が適用されないと納得しないようになっている。

世のなかのひとびとは、こう言う。

「犯人の人権ばかりが尊重されすぎているではないか!」

「被害者・遺族の人権はどうなるのか!」

「ひとを殺したら死刑だ!」


実際、わたしも小さいころからこのような大人の無知な声をたくさん聞いてきた。

だが、本当にそのような印象は正しいのだろうか?

もちろんそうではない。

もう一つの誤解は、被疑者や被告人を「犯罪者」と決めつけている点です。……有罪判決が確定するまでは無罪と推定されるのが、日本の刑事裁判の原則です。(105頁)


どういうことだろうか?

まず、「無罪の推定」「疑わしきは被告人の利益に」というのが、刑事裁判の大原則だ。

裁判が終わるまでは全員無罪が推定され、
有罪と確信する合理的に明らかな証拠がないかぎり、
有罪を言い渡して罰することはできない。

裁判で有罪が確定するまでは、容疑者はあくまで「被告人」である。

それなのに、世論が「死刑にしろ!」という大合唱をするのは、異常である。

麻生首相も、この原則についてまったく無知だった。

「疑わしきは被告人の利益に」することによって生じるリスクを、社会全体で分かちあうことが、一人ひとりを「同じ個人」として尊重することなのです。(57頁)


なぜ「推定無罪の原則」がそんなに大事なのか?

それは、冤罪を防ぐためである。

だからこそ、わたしたちは安心して暮らせるのである。

「推定有罪」の国家になったらどうなるのかを想像してみたらよい。

どれほど怖ろしい国になるか、容易に分かるはずである。

極端なことを言えば、国家にとって「真犯人」を検挙するかどうかは、
さほど重要なことではない。

「犯人」と目されるひとを検挙し、そのひとが本当は「無実」であっても、
世間に「犯人は逮捕された」という事実を発表すれば十分なのだ。

世間はそれで、「事件は一件落着」と見なしてくれるからである。

しかし、そのような国家では、わたしたちは安心して暮らせない。

人権侵害が横行してしまう。

だから、「推定無罪の原則」がどの国でも重要なものになっているのである。

では、「加害者の人権ばかり強く守られていて、被害者の人権が保障されていない」
というよく聞かれる意見はどうなのだろうか?

被害者の人権は、憲法の条文ですべて保障されています。……
 それでも被害者の人権が現実に守られていないとすれば、それは憲法のせいではありません。被害者を救済すべき国家の政策が、憲法に則ったかたちで十分に実施されていないというだけの話です。(104−105頁)


なるほど。

そのとおりだ。

被害者の人権が十分に守られていないから改憲すべきだ、
という意見は説得力を持たないのである。

……そもそも被疑者や被告人(判決が確定するまでは「加害者」とは決めつけられません)の人権は、あくまでも国家権力との関係で守られるべきものであって、「被害者の人権」の対立概念ではありません。(189頁)


ここが重要だ。

したがって、「加害者の人権」と「被害者の人権」を天秤にかけて、
前者ばかりが尊重されていて、後者がないがしろにされている、
といったよくあるイメージそのものが根本的に誤っているのである。

犯人を死刑にすればそれで被害者の人権が守られるかのように言うひとは、
「人権」というものをそもそも正しく理解していないということだ。

なぜなら、「人権」とは、国家権力との関係で規定されるものだからだ。

しかも、実際は凶悪事件は近年際だって増加しているわけではないのである。

戦後の一時期がもっとも多く、その後は減少傾向にある。

このことは、最近専門家によってよく指摘されるようになった。

次に、改憲論の中身を具体的に見てみよう。

自民党のように、露骨に人権を制約する方向での改憲論もあるが、
そうではない改憲論もある。

たとえば、「新しい人権」を書き加えるために改憲すべきだ、という改憲論がある。

公明党が主張しているものである。

日本国憲法がつくられたときとは時代が変わっているので、
現状に合わせた「新しい人権」を追加するために改憲すべきだ、と彼らはいう。

これは一見、「人権の拡充」にも思える。

それなら改憲してもいいではないか、と思える。

では、「新しい人権」を加えるという理由での改憲は、説得力のあるものなのか?

……今の改憲論のなかには「新しい人権」を加えるべきだという意見がありますが、それが必ずしも人権の拡大につながるとはかぎりません。いくら細かく規定しても、人間が持っている「自然権」をすべて個条書きにすることは不可能です。……逆に、人権規定を細かくすればするほど、森有礼が懸念したように、「そこに書かれていない権利」がないがしろにされる恐れがあります。(53頁)


なかなか鋭い指摘である。

「新しい人権」をひとつひとつ書き加えれば、逆に、
そこに記載されていない「権利」は守る必要がない、という理屈を生むだろう。

たとえば肖像権やプライバシー権、自己決定権などは、60年前の制定時には想定されていなかった権利であり、憲法に明記されていません。ですが、これらの「新しい人権」は個人の「幸福追求」につながるとして、憲法上、13条を根拠に保障されると解釈されます。(85頁)


なんだ、「新しい人権」も、現行憲法第13条でちゃんと保障されているのか。

それなら、わざわざ「新しい人権」を加えるために改憲する必要はない。

アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスなどの例を見ても、プライバシー権を明文で保障している憲法はありません。イギリスの場合は成文憲法ではないので当然ですが、いずれの国でも、これらの人権は解釈によって、憲法上保障されていると考えるのが一般的です。(85頁)


そうだったのか。

だいたい、時代の要請に応じて、いちいち憲法を変えていたら、
「硬性憲法」という憲法の大事な特徴を破壊してしまうことになるだろう。

硬性憲法というのは、そう簡単には改正できないもの、という意味だ。

しょっちゅう改憲をしていたら、改憲のハードルがどんどん低くなってしまう。

やはり勉強するというのは大事なことだ。

危うく公明党の主張に同意してしまうところであった。

危ない、危ない。

ところで、「プライバシー権」というのは、どのようなものなのだろうか?

最近、監視カメラがどんどん増えていっているので、心配なひとも多いだろう。

グーグルが妙なサービスをはじめて、お困りの方も多いだろう。

従来、プライバシー権は「私生活をみだりに公開されない権利」と定義されてきましたが、最近は「自己に関する情報をコントロールする権利(情報コントロール権)」と位置づけられるようになってきました。自分に関する情報をみだりに漏洩されたり、国家がその情報を取得したりしたときに、閲読や訂正や抹消を求める。プライバシーは、そうやって自己に関する情報を自らコントロールすることで守られる、という考え方に基づきます。(85頁)


なるほど、「情報コントロール権」ということなのか。

とても大事な権利であると思うのだが、
右派は基本的にこのプライバシー権を認めたがらない、
ということは覚えておいてよいだろう。

もし、「そんなことはない」と言う右派がいたら、
そのひとは自分の思想について理解できていない証拠である。

右翼思想は、本質的にプライバシーを制限する思想である。

ちなみに、それが守るべきプライバシーかどうか、すなわちプライバシーの中身は、他人が決めることではありません。本人が「他人に知られたくない」と思えば、たとえ世間的には本人にとってプラスに思われる情報であっても、みだりに公開することは許されません。名誉毀損と違って、その人の社会的評価を下げたかどうかは関係ないのです。(86頁)


ふむ? これはどういうことなのだろうか?

以前、ある人物が自分の離婚歴を公開されてプライバシーの侵害を訴えたとき、テレビで「いまどき離婚なんて恥ずかしいことでも何でもないのだから、訴える必要はない。逆に、離婚が悪いことであるかのような印象を広めてしまう」などとコメントした人がいましたが、これはプライバシーの意味をまったく理解していない発言です。(86頁)


なるほど。

無知なコメンテーターがあまりに多いので、視聴者は気をつけないといけない。

プライバシー権は、「情報コントロール権」という意味だから、
他人に知られたくないと思う情報はきちんと守られなければならないのである。

勉強するということがいかに大事なことなのかを、痛感する。







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