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zoom RSS 目取真俊『沖縄「戦後」ゼロ年』(NHK生活人新書)@

<<   作成日時 : 2009/08/15 09:01   >>

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8月は、各種メディアがこぞって「戦争特集」を取り上げる特別月間である。

しかしながら、相も変わらず日本のメディアは、
戦争の悲惨さを伝えようとはするものの、
日本の加害の歴史については取り上げずに済ませるのであろう。

「戦争はよくない」と漠然と思っているひとに、本書は超超超おすすめ。

日本人の偽善性と独善性を容赦なく浮き彫りにしているからである。

沖縄から日本人に向けて突き刺さる言葉が投げかけられているからである。

すばらしい本である。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


本書が書かれたのは、2005年。

日本は「戦後60年」を迎えていた。

だが、「戦後60年」とは、何を意味しているのだろうか?

日本人が無自覚に使用していたこの言葉に、著者はこだわる。

「戦後60年」。

 一つは、「戦後」を60年と表現できる国が、はたしてアジアにどれだけあるか、ということです。……日本の周辺を見ても、朝鮮戦争があったし、ベトナム戦争があった。中国とベトナム、ベトナムとカンボジアの間でも戦争があったし、中国と台湾の間でも軍事的緊張が絶えませんでした。フィリピンやインドネシアでは独立戦争や軍事クーデター、民族紛争があったし、ミャンマーでは今でも軍事独裁政権が続いています。核保有国であるインドとパキスタンの紛争もあった。(12頁)


「戦後60年」と言うことのできる国は、じつは少ない。

「戦争」を過去の出来事として語ることのできない国が、たくさんある。

だが、このように指摘する著者は、
戦後の日本の「平和」を再確認しようとしているわけではない。

ここが、主要メディアとちがうところだ。

ここが、メディアに露出するコメンテーターどもとちがうところだ。

 二つ目には、……日本人にとってもはたして「戦後」は60年と言えるのか、そのことを検証する必要があると思います。昨年、自衛隊がイラクのサマーワに派兵されました。……朝鮮戦争やベトナム戦争に対しても、日本は深く関わっていたのであり、米軍の後方支援基地、あるいは出撃拠点基地として、戦争に参加していたと言えるのではないでしょうか。(13頁)


「戦後60年」と何の疑問も抱かずに語るひとは、
日本はあれから戦争をしていない、と思い込んでいる。

だが、そうだろうか?

日本はすでに戦争に関わっているではないか。

 それと関連して三つ目には、「戦後60年」があたかも憲法9条があったが故に戦争を免れ、日本が平和を保てた60年であった、とまとめられてしまうことの問題があります。(13頁)


これは、しばしば護憲派が陥っている問題である。

「憲法9条のおかげで、日本はこれまで戦争をせずに済んできた」と言われる。

だが、そのような見方は、ある重大な問題を見落とすことになる。

日本人が「平和」を享受していたと思いこんでいた「戦後」が、どのような犠牲によって支えられていたのか。そういうことへの反省が大多数の日本人には欠落しているように思います。日本の「戦後復興」と朝鮮戦争との関係。あるいは、サンフランシスコ講和条約で沖縄を切り離し、施政権返還後も米軍基地を集中させ、日米安保体制の負担を押しつけてきたこと。このことにどれだけ目を向けているのでしょうか。(14頁)


圧倒的多数の日本人たちは、「沖縄」を犠牲にしてきたのだ。

それなのに、「戦後60年、日本は平和を維持してきた」と言ってしまえる神経。

この鈍感な神経を、欺瞞と呼ばずに何と呼べばよいのだろうか?

そのことを忘れて、あるいは意識的に無視して「平和」な時代としての「戦後60年」を語ることとは欺瞞的に満ちています。(14−15頁)


ここから著者は、本土と沖縄の間に広がる深刻な溝を指摘する。

日本人が語る「戦後60年」と沖縄人にとっての「戦後60年」は同じではないのだ。

 そして、四つ目に問われるのは、日本・「本土」・ヤマトゥにとっての「戦後60年」と、沖縄にとっての「戦後60年」の違いです。60年経った今も、沖縄島の20パーセントという広大な面積を占拠している米軍基地を見るとき、沖縄にとって戦争は、あるいは占領は終わったのだろうか、と思わずにおられません。(15頁)


敗戦後、沖縄は「銃剣とブルドーザー」で米軍に占領された。

不法占領は現在にいたるまで継続されている。

ところが、右派の体たらくといったらどうか?

「周辺の脅威から日本を守れ」と国防強化を主張する連中は、
威勢のいいことを言うくせに、自分たちでその負担を引き受ける覚悟もない。

すべて沖縄に押し付けてきたからだ。

これほどのひどい欺瞞がほかにあるだろうか?

米兵に強姦されて殺された由美子ちゃんや米軍トレーラーに轢殺された国場君らの死。それは形を変えた「戦争の犠牲者」ではないのか。(16頁)


由美子ちゃんというのは、1955年に、
米兵に暴行・殺害された6歳の少女である。

犯人である米兵は本国送還となり、日本で処罰されることはなかった。

国場君というのは、1963年に、
米兵の運転する大型トラックに轢き殺された中学生の少年である。

犯人である米兵は軍法会議で無罪として処理されてしまった。

この軍法会議は傍聴も許されず、判決文も示されなかったという。

そして、どういうわけか、
日本の自称・愛国主義者たちはこうした悲惨な事件にまったく怒らない。

米軍は3月26日に慶良間諸島に上陸します。渡嘉敷島や座間味島、慶留間島、屋嘉比島では、日本軍による命令や強制・誘導によって、住民の「集団自決」が起こります。住民が米軍の捕虜となって軍事機密を漏らすことを恐れた日本軍は、捕虜になることへの恐怖心を住民に植えつけ、捕虜とならずにみずから命を絶つことを指示します。そのため、米軍の上陸を知ってパニック状態となった住民は、日本軍から渡された手榴弾や鎌や鍬などの農具、縄、石などを使い、あるいは素手で、肉親同士が互いに殺し合うという「集団自決」を起こします。そうやって500人以上の住民が犠牲になっています。沖縄戦の最初から、日本軍は住民を守るどころか、死に追いやっているのです。(32−33頁)


よく覚えておこう。

日本軍は、「日本人」を守らなかったのである。

「軍隊は国民の生命・財産を守らない」。

これが歴史的事実である。

これがわたしたちが歴史から学ぶべき教訓である。

敗走を重ね追いつめられた日本軍は、住民を壕から追い出して艦砲射撃の中にさらし、食料を強奪し、スパイの嫌疑をかけた住民の殺害を各地で行っています。そのような沖縄戦の実相を見れば、いざ地上戦となったとき、軍隊が国民を守る、ということが虚妄でしかないことが分かります。沖縄戦の中でも、住民を守るために努力した軍人もいるでしょう。ただ、それは当時の日本軍の中では少数でしかなかった。「友軍」と呼んで信頼し、家屋や食料を提供したり、陣地構築を手伝ったりして協力した沖縄人を、いざ戦争が始まると、守るどころか壕から追い出し、虐殺していった。それが日本軍の実態だったのです。(33頁)


実際、沖縄のあるひとは、当時「アメリカ兵より日本兵が怖かった」と証言している。

自称・愛国主義者がこうした歴史を直視するなら、
ある程度認めてやってもよい、という気持ちにもなるかもしれない。

だが、彼らは沖縄に対してひとかけらの誠実さも持ち合わせていない。

歴史を直視しない。

 ここで私達が考えなければいけないことは、沖縄の住民を虐殺した日本兵で、戦後、みずからの行為を悔い、謝罪し、虐殺にいたった経過や理由を自己検証した日本人がいないということです。(35−36頁)


この厳しい指摘を真剣に受け止めた日本人が、どれだけいたのだろうか?

それどころか、右派は沖縄の住民を虐殺した歴史そのものを消去しようとしているのだ。

これほど恥知らずな行為がほかにあるだろうか?












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