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zoom RSS 辺見庸『しのびよる破局』(大月書店)

<<   作成日時 : 2009/08/10 08:06   >>

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この日本のありさまをみて、まだファシズムではないと思うひとがいる。

これほど大きな足音を立てながら近づいているというのに?

専門家があれほど警鐘を鳴らしてきたというのに?

日本人は、歴史から何も学んでいないのか?

ジャーナリストの辺見庸は、あきらかに苛立ち、戸惑っている。

日本人は、どこまでやさしくモノを言わなければ理解しないのか?

やさしく言っても理解しないのか?

資本主義に疑問を抱かないひとびとに、著者は問う。

「資本主義とは何であるか?」

端的にいって、それは〈人びとを病むべく導きながら、健やかにと命じる〉システムです。それはまた、「器官のない身体」になぞらえられます。資本主義はさらに、この世のありとある異なる「質」を、お金という同質の「量」に自動転換していく装置でもあります。(17頁)


この装置に違和感を抱かないひとがいるとするなら、
そのひとは相当な狂者にほかならない。

人びとを病むように育て導きながら、健やかにあれと命じる資本主義はいいかえれば、人間生体を狂うべく導いておいて“狂者”を(正気を装った狂者が)排除するシステムです。(18頁)


資本主義は、ひとびとの骨の髄まで侵し、蝕んでいる。

そして、これがいちばん恐ろしいことなのですが、経済的、生活的不安不平等が、あるいはいろいろな権利の格差が人間社会にあるのは当たり前だという考えがいつの間にか常識化した。4、5年まえから日本でもそうなってきました。これはなんとしてもくりかえし考えなければいけないのですが、諸権利、生活の快適さ、教育、災害が起きたときに安全なところに住めるかどうかということをもふくめた不平等、あるいは雲泥の差ほどの収入格差が当たり前で、これも能力と自己責任なのだという考えが常識化するなかで、実際は、人間の内面が次第に変わってきたのではないかとおもいます。(18−19頁)


資本主義への拒絶反応は、すでにあちこちで起きている。

たとえば、3月に茨城県土浦市のJR荒川沖駅で起きた事件。あの容疑者が日常的になにをやっていたかというと、携帯電話をもっていて、ゲームをやっていた。……つまり、そこには原質というかマチエールというものはなにもない。(24頁)


ここで辺見庸は「マチエール」という概念を強調する。

「マチエール」とは何か?

……マチエール……は人でいえば、においとか温もりとか、冷淡さとか、あるいは抱きあったときの感触とか、つまり質感や手触りや感覚のことです。……ぼくはつよいショックを受けたのですが、かれは携帯電話を2台もっていて、1台の携帯電話に別の携帯電話からメールを送信していた。(25頁)


自分のケータイからもうひとつのケータイへとメールを送る。

自分で送ったメールを自分で受け取る。

ひとりメール。

ここまで彼を孤独の淵に追い込んだこの社会とは、いったい何なのか?

秋葉原の連続通り魔殺傷事件でもそうだ。

犯人とされるKは、ケータイの掲示板に書き込みをしていた。

しかし、誰からも反応がなかった。

やがてKは凶行に走った。

犯人はKである。

だが、Kを逮捕して、処罰すれば、それで済むのか?

辺見庸は、つぶやく。

……「犯人が捕まったけれども“真犯人”がわからない」……。(44頁)


ここで著者は、マルクスの『経済学・哲学草稿』を引用する。

ちょうど秋葉原事件の青年と同じくらいの年のときにマルクスが書いたものだ。

 ……「労働者は、彼が富をより多く生産すればするほど、彼の生産の力と範囲とがより増大すればするほど、それだけますます貧しくなる。労働者は商品をより多くつくればつくるほど、それだけますます彼はより安価な商品となる。事物世界の価値増大にぴったり比例して、人間世界の価値低下がひどくなる」。モノの価値増大は人間価値の低下なのだということ。(51−52頁)


ということは、人間がモノになりはてた社会で、
Kはただひとを壊してみただけなのかもしれない。

「そんなことはない、あれは凶悪な殺人事件だ」と世間は言うだろうか?

なるほど、もっともな言い方である。

だが、それならば、なぜこの社会はこれほどまでに人間を貶めてきたのか?

なぜ世間はそのことを歓迎してきたのか?

 日本でも株式投資のやり方を子どもたちに教えるような傾向があったし、現実にどこの大学でも投資同好会とか株のクラブがいっぱいできたし、若い起業家というのもそれに付随してたくさん生まれてきました。人びとは逆立ちして踊ったのです。要はアメリカ型の金融資本主に適応した人間だけが勝ち組になって、適応できない人間は負け組みになる。そういうカジノ資本主義、というより資本主義は宿命的にカジノ化するという本質を見ぬけず“適者生存”、“優勝劣敗”の考えが正しいかのような時流ができました。(56頁)


ひとびとは、小泉構造改革を圧倒的に支持していたではないか?

金儲けの上手な人間をつくることが教育の目的だとばかりに、
「教育改革」の名目で競争人間をつくることに必死だったではないか?

これほど腐敗した社会をつくってきたのは、あなたがたではないか?

ただ、腐臭をそれとして感じる感官がだめになってきたのではないでしょうか。(57頁)


「100年に1度の世界不況」だと政治家は言う。

企業も経営が厳しいと言う。

 たとえば、愛知県に世界でも有数の自動車工場がある。あそこの減産でどんどん派遣労働者たちのクビが切られて、関連企業をふくめれば膨大な人たちが解雇されている。そのただなかでもその企業は、何億円もするようなテレビCMを断じてやめない。それをだれも不思議だとおもわない。あるいは、大きなサッカー大会のスポンサーからおりもしない。労働者たちのクビ切りは一方で冷酷に強行される。商品の宣伝は絶対におろさない。「それは当たり前じゃないですか」といまの若い人たちにいわれるかもしれない。でもぼくは当たり前だとはおもわない。(58頁)


わたしもまったく思わない。

人を大切にするという雇用関係のあるべき姿が退けられて、モノを売るほうのみが優先される。こき使われている人間たちも、それをなんともおもわなくなってしまう。なんとかカップのスポンサー企業からおりるということのほうがひどいマイナス価値のようにおもってしまう。でも本当にそうでしょうか。それで何十億ものお金を使っているとしたら、その何十分の一でも回して、労働者の馘首をやめるべきではないかとおもう。……大臣だって首相だってそうでしょう。経済が回復するまで当分、閣僚級、次官級の給与を半分にし、貧困対策にあてるともいわない。絶対にいわない。(58−59頁)


日頃、愛国心が国民に足りないなどとえらそうに言う政治家だが、
日本がこれほど危機的な状況だというのに、
自称・愛国主義者のタカ派政治家どもの誰ひとりとして、
自分たちの給与を減額するべきだと言ったひとはいなかった。

ご自分の財産・資産を国家に寄付して、
国家・国民を救おうと「愛国心」を示した国会議員は、ただのひとりもいなかった。

国会議員だけではない。

愛国心を鼓舞してきたネット右翼の連中だって、
誰ひとりとして自分の財産を寄付していないだろう。

威勢のいいことを言ってきたわりには、態度が伴っていないではないか。

おう、自称・愛国主義者たちよ。

あなたたちには、「愛国主義」を名乗る覚悟など実は微塵もないのである。

言葉に責任を持たない愛国者気取りの狂者たち。

 いまの金融恐慌は、負債までも組みこんだような証券をアメリカが世界中にばらまいたことに端を発しています。これはなにに似ているかというとウイルスです。新型ウイルスのように世界中にまき散らした。でなければ、こんな世界の同時不況なんか起きはしない。疫病が世界中にまき散らされるみたいに、アメリカが証券化した回収のしようもないような負債を世界中にまき散らしたということです。(60頁)


資本主義を賛美したものたちの、共通の、そして重大な責任である。

経済成長を果たすと言って実現してのは、
年間3万人以上のひとが毎年生命をみずから絶とうとする社会だった。

……公式に統計されただけでも年間に3万人以上が死ぬというのは戦争規模です。しかも、その少なくとも10倍の人間が自殺を試みている。つまり、毎年30万人以上の人たちが死のうとしているわけです。(61−62頁)


これが小泉純一郎の言っていた「痛み」だったのか?

しかし、彼自身はいったいどのような「痛み」を引き受けたのか?

国会議員を引退し、息子にその地位を譲って、悠々自適の老後を過ごすのだろう。

そして、メディアは、小泉に説明責任を求めるわけでもなく、
「小泉さん、小泉さん!」と楽しそうにマイクを向けるだけなのだろう。

大企業経営者たちは誰も責任をとらず、
労働者だけが失業・賃金カットというかたちで不況の「責任」をとらされる。

これほど「冷たい社会」なのである。

 でもよくよく考えてみると、なにかそれよりも、もっと冷たいのです。なんというのでしょうか、何千羽もの鶏を飼うようなかたちで雇って、それにワッと卵を産ませるような調子で働かせている。基本的に人を人としてあつかっていない。クビを切ったら「早くでていけ」という。(64頁)


人間を人間扱いしていないのは、この社会である。

 日本では、02年ごろから戦後最長の景気拡大がつづいているといわれ、バブル再来などともいわれていました。……しかし、一方で、非正規雇用の増加、労働組合の弱体化、御用組合化などが原因で労働者への報酬はむしろ減少し、長時間労働が増え、過労による労災認定は史上最高でした。そして、じつに驚くべきことには、企業の経常利益は1.8倍、役員報酬は2.7倍、株主配当は2.8倍にそれぞれ増えているのです。(69頁)


驚くべきことである。

企業経営者と株主は儲けているのである。

しかも、自民党政権の配慮によって、彼らは減税という「特権」を手にしてきた。

他方で、「財源は?」などと国民に脅してくる。

消費税の増税への布石である。

著者による次の一文もとても重要である。

ファシズムは魅力的な顔をしている(71頁)


そうなのだ。

ファシズムは、熱狂から生まれる。

興奮から生まれる。

苛立ちから生まれる。

ここで著者は『旧約聖書』を引用する。

「かつてあったことは、これからもあり/かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない」(新共同訳)。(74頁)


日本の国防を強化せよ、反日を排除せよ、と叫ぶ右派たち。

彼らは、まったく気づいていない。

かつて戦争に突進していったときの日本人も、まさにそう言っていたのだ、と。

そうして戦争に突き進んでいったのだ、と。

右派だけではない。

世間のひとびとも、同じである。

 かくして私たちは狂っている。そんな大それたことはだれも大声ではいったことがない。だから、そっと小声でいわなくてはならない。私たちはじつは狂(たぶ)れているのである。(161頁)


辺見庸は、そんな大それたことはだれも大声ではいったことがない、と述べている。

わたしの知っているところでは、
漫画家の「つげ義春」が、かつて同じようなことを小声で述べていた。

 現在私は失業状態で毎日ぶらぶらしている。すっかり無能の人になってしまいとてもらくだ。そのせいか持病の神経症も軽くなってきたように思える。私は神経症を世の中への不適応症と名付けている。もともと適応しない素質を無理に適応させようとするところに葛藤が生じ発病するのだと思う。だから逆に適応しないことに徹して無能の人になってしまえば治るのではないかと期待している。
 それにしても、発病もせず現在の世の中にしっかり適応している人を見ると、不思議に思えてならない。(つげ義春『無能の人』日本文芸社、239頁)


この文章を読んだのは、学生時代だっただろうか?

そのときのわたしは、思わず「そうなのだ」とひとり唸った覚えがある。

あれから何年が経ったのだろうか?








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