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zoom RSS 安田節子『自殺する種子』(平凡社新書)C

<<   作成日時 : 2009/08/01 00:09   >>

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ここまでは世界の状況を見てきた。

では、日本はどのような状況になっているのだろうか?

ここからは日本の農業・畜産の現状について見ていきたい。

 日本の場合ほとんどの栽培野菜はいまやハイブリッドであるため、農家は種を毎年買うのが当たり前になっています。(76頁)


農家が種を毎年購入するという仕組みは、
日本でもすでに出来上がっているわけだ。

そして、農業分野でも規制緩和が進められた。

 かつては「主要農作物種子法」という法律で、米、麦、大豆については公的機関のみが品種開発し、私企業の参入は認めませんでした。国民の命にかかわる穀物の種子は公的なものとし、利益追求の商品にしないとの考えに立っていたのです。それが、競争により品種開発が促進されるという理由で規制緩和され、民間企業の参入を認めるようになりました。日本モンサント社は、GMではない普通の米の新品種開発も手掛けており、「とねのめぐみ」という米で、2006年、茨城県の産地品種銘柄米指定を取っています。(77−78頁)


モンサント社は日本にも進出していた。

彼らが日本の市場でもGM作物を商品開発していくのは、時間の問題かもしれない。

次に、興味深いエピソードを取り上げよう。

右翼系政治家の本当の正体がよく分かるエピソードである。

……米国農務長官アン・ベネマンが来日しました(98年)。中川昭一農水相との会見後、審議会は突然半年間も休会となり、その後発表された表示骨子は輸入されるGM原料の90%は表示を免れるというものでした。当時の技術でGMタンパクを検知できる「製品」に表示をするという理屈を作り出し、その結果、表示対象は納豆、豆腐、味噌などごくわずかの食品に止まり、食用油や粉末、醤油などは検知困難と表示対象から外されました。(94頁)


「どうせ検知できないのだから、調べる必要もない」という理屈のようだ。

この理屈はBSE疑惑のアメリカ産牛肉解禁のときと似ている。

それから、おお、中川昭一といえば、
泥酔記者会見で世界中に恥をさらした人物だ。

わたしはあのあとてっきり皇居の前で切腹でもするのかと思っていたが、
結局彼は薬のせいにして大臣を辞任してごまかしてしまった。

彼は、自分の気に入らないテレビ番組に圧力をかける極右の政治家として、
さらには世襲のボンボン右翼政治家として、知られている。

その彼が、アメリカの圧力にいともやすやすと屈したという。

右翼であることをポーズとしてとると、
日本では「アメリカ追従」「アメリカの下僕」になるしかない、
というわたしたちにとっては自明のことを再び証明してくれたかたちだ。

いや、日本だけがそうしているわけでではない、と右派は言うだろうか?

規制緩和は世界の潮流だと言うのか?

EUでは、原料に0.9%以上GMを含むすべての食品、飼料、添加物にまで表示を義務づけています。(94頁)


どうやらアメリカの忠実な下僕なのは日本だけのようだ。

ところで、この農務長官アン・ベネマンとはどのような人物なのだろうか?

アン・ベネマンは、「フレーヴァーセイヴァートマト」という世界初の遺伝子組み換え作物を商品化し、その後モンサント社に買収されたカルジーン社の重役だった人物です。(94−95頁)


おお、何と分かりやすい話か。

それだけではない。

当時のアメリカ政府には、モンサント社の幹部がずらりと顔を揃えていた。

たとえば環境保護庁次官リンダ・フィッシャー(モンサント社副社長)、商務長官ミッキー・カンター(モンサント社理事)、国防長官ドナルド・ラムズフェルド(モンサント子会社サール社社長)……。(95頁)


さて、日本は世界一巨大なフードマイレージの国だと言われているらしい。

「フードマイレージ」とは何か?

「食料の輸送距離」で、食糧輸送が環境に与える負荷の大きさを表す指標。農場や漁場から消費者の食卓まで、食料を運ぶ距離に食料の重量を掛け合わせたもの。(199頁)


たとえば、ヨーロッパのなかには、
スーパーの商品価格の横に「何マイル」と書かれているところがある。

これは、その商品がどのくらいの距離を移動してきたのかを示している。

距離が長ければそれだけエネルギー資源を消費して移動してきたことになる。

エコ意識の高い消費者は、なるべく「フードマイレージ」の少ないものを選ぶ。

残念ながら日本の消費者はそこまで意識が進んではいない。

他方、添加物に対する日本の消費者の意識はそれなりに高い。

「保存料・添加物を一切使用していません」という注意書きのある商品もある。

だが、実際には、日本人の添加物摂取量は増えている。

戦後にはじまった食品添加物の使用は一貫してうなぎのぼりに増加し、現在、日本では1人当たり年間約24キログラム(2001年の食品添加物需要量約311万トンから計算)も使用されているのです。(128頁)


1人当たり「年間約24キロ」(!)。

コンビニで売られているものばかりではない。

スーパーで売られているものも、添加物盛りだくさんである。

 防腐剤、酸化防止剤、発色剤、合成香料、甘味料、化学調味料など何種類もの添加物……。英国で行われた合成着色料と保存料(安息香酸ナトリウム)の相加毒性実験では、子どもの多動性を引き起こすと指摘されています。(128頁)


では、農薬についてはどうなっているのだろうか?

 2002年のOECD(経済協力開発機構)資料によれば、農耕地における単位面積当たりの農薬使用量は、27ヵ国中日本がダントツの1番で……。(131頁)


「ダントツの1番」……。

農薬漬けが進んでさらに食料自給率も低下しているなら、
日本の農政は完全に失敗してきたということだろう。

 大豆は、かつては全国のどこでも作られ、田んぼの畔にまで植えられていたものですが、その生産量はいまや風前の灯となっています。1955年に41%あった大豆自給率は、93〜95年には2%にまで落ち込みました。2006年度は5%(製油用・食品用を合わせた数値)です。どうして大豆の自給率がこのように下がってしまったのでしょうか。
 低下のきっかけは、1961年の大豆の輸入自由化(72年以降無課税)です。……戦後復興を果たした日本に米国がまっさきに求めた農産物の自由化品目は、輸入拡大の必要のない大豆でした。しかし、工業製品輸出のために日本政府はこれを受け入れ、農業を犠牲にしたのです。そして米国大豆は巨額の補助金によって、生産費よりも安く輸出が行われ、国産大豆の3分の1以下の価格で流れ込んできました。日本の生産農家は一掃されてしまったのです。自由化という美しい言葉のもとに、不合理な要求がまかり通ってきたのがGATT(関税及び貿易に関する一般協定)であり、WTO(世界貿易機関)なのです。(136−137頁)


自由化が日本の農業を破壊してきたのである。

いったん作られなくなった農作物は、簡単に再開できるものでもないらしい。

 大豆、雑穀、菜種は、いまや生産消滅の危機にあります。……いまでは農家が大豆の作り方がわからない、雑穀の作り方がわからないといった状況なのです。たとえば種の播き時はその土地土地によって違います。村から望む山の雪が溶けて鞍の形になったときにとか、こぶしの花が咲いたらとか、その土地での作物の播き時が伝えられてきました。(160頁)


これは農業の貴重な「知」が継承されなくなったという問題を示している。

そういえば、思い出すことがある。

GATTウルグアイ・ラウンドで農産物の輸入自由化が問題になったとき、
わたしの周りの大人は全員「自由化賛成」だった。

わたしをのぞいて、大人の全員が賛成だった。

大人たちの知的水準があまりに低かったのに愕然とした覚えがあるので、
このことをわたしはいまだに鮮明に覚えているのである。

では、なぜアメリカは日本に農産物の輸入自由化を迫ってきていたのか?

……ウルグアイラウンド(86〜94年)……。交渉のはじまった86年前後、米国は穀物余剰に苦しみ、輸出市場を求めていました。(146頁)


そこで目をつけたのが日本の農産物市場だったというわけだ。

その結果、日本の食糧自給率は先進国のなかでもっとも低くなった。

そして、いまごろ世間は日本の食料自給率の低さを嘆いてみせる。

その結果、日本は海外から大豆を大量に輸入しなければいけなくなった。

そしてその安全性の不安に今ごろ脅えているのである。

 なお、米国大豆のGM(遺伝子組み換え)割合は年々高くなり、07年は91%になっています。(138頁)


自業自得と言ってしまえばそれまでだが、
農業問題についてきちんと考えてこなかった大人の責任は重大だ。

 2001年4月、遺伝子組み換え食品の表示が義務づけられました。醤油は多くは輸入大豆が原料ですが、表示対象外です。味噌は表示対象食品です。……分別管理の証明書がある非組み換え表示の食品にも、5%までの混入は容認されているのです。(138頁)


こうして知らず知らずのうちに、わたしたちは遺伝子組み換え作物を摂取している。

現在、農業をめぐって新たな主張が声高に叫ばれている。

どういうことか?

農業の活性化のために、株式会社の参入を認めるべきだ、と言い出すひとがいる。

派遣切りされた若者を労働力不足で悩んでいる農業分野に移動させればよい、
と言い出すひとびとがいるのである。

いわゆる「ミスマッチ論」である。

仕事がなくて困っているなら、農業をやればよい、と彼らは言う。

まったく学習しないひとたちで、困ったものである。

 家族農家は帰属する地域に愛着を持ち、永続的利用のために協働して環境を守ろうとします。また得た収入は地域で使うので、お金は地域で回ります。一方借地による大規模企業型農場の場合は、地域コミュニティに責任を持たず、収益第一主義のため、資源収奪的であり、地力が落ちれば他の地へ移るだけです。収益は地域には回らず、新たな投資先に振り向けられます。打ち捨てられた地域は、人口が減り、学校が消え、ゴーストタウンとなっていくのです。(143−144頁)


こういうことが分かりきっているから、
多くの農業専門家は株式会社の参入に慎重なのである。

しかも、営利企業が推進する農業は、大型化による利潤最大化をもくろむだろう。

するとどうなるか?

 米国の大規模企業型農場にとっては、なによりも収量増加が最優先であり、そのため大量に水を使う大規模モノカルチャーを行ってきました。(144頁)


大量の水を使用するだけではない。

大量の農薬も使用するだろう。

肥料投入に伴う穀物生産増大効率は悪化している……。
 それは、化学肥料の過大な投入が土壌劣化を招くからです。農地に残留する窒素化合物が土壌を酸性化させます。ほとんどの作物は、弱酸性から中性が生育しやすい環境といわれています。毛細根の少ない生育不良の植物は、病害虫等にも弱くなります。その結果、殺虫剤・殺菌剤等農薬を多用しなくてはならなくなり、病害虫の天敵まで殺してしまい、より一層害虫が猛威を振るう悪循環に陥るのです。(172頁)


効率性と利潤を重視する農業は持続可能ではない、ということになるのだろう。

そして、農業に手を出して利益が思ったように出なかったら、
株式会社は責任もとらずにサッサと手を引くであろう。

また南北に長く、山川が入り組み高低差がある日本は、大規模単一生産には不利、不向きですが、多品目生産ができる条件に恵まれているといえます。
 多品目生産のメリットは、気象変動に強く、作物ごとの出来不出来の影響が少なく、また価格暴落などのリスク分散ができます。農地集積のネックといわれる日本の田畑の分散も、水害などのリスク分散を考えた祖先の知恵でした。(145頁)


次に、日本で問題になった「汚染米」を取り上げたい。

「汚染米」問題の背景にあったのは、ミニマムアクセス(MA)輸入米である。

これもGATTの自由化交渉で決まったのだった。

 これまで政府与党と農林水産省は、MA米を「最低輸入義務」であるかのように国民に説明してきました。しかしミニマムアクセスとは「輸入機会」の保証であり、一定の量まで低率関税で輸入機会を与えるというものです。日本は、米の消費量(基準年86〜88年)の7.2%という枠いっぱい輸入していますが、米国の鶏肉輸入量は消費量の0.03%、EUの豚肉輸入量は同0.4%という具合で、枠の未消化が普通なのです(2000年度)。(148−149頁)


そうだったのか。

無理して購入しつづける必要はなかったのか。

それにもかかわらず、自民党政権は、MA米を買いつづけた。

 汚染米事件発覚の発端は違法農薬のメタミドホス残留米ですが、もっとも深刻なのはアフラトキシン汚染米が食用に流れたことです。アフラトキシンB1は、アスペルギルスフラバスというカビが産出するカビ毒です。史上最強の発ガン物質で、どんなに微量でも肝臓にガンを発生させ、絶対に口にしてはならないものです。(154頁)


これほど危険な「汚染米」が給食用の米にもまわってしまったのだった。

 アフラトキシン汚染米の輸出国は米国、ヴェトナム、中国でした。厚生労働省による輸入食品のアフラトキシン汚染実態調査では、米国産の輸入トウモロコシが顕著に高い実態があります。(154頁)


なんと米だけでなく、トウモロコシも危ないという。

 また、日本の乳牛の97%は、いまでは牛舎の中で飼われており、それは北海道においても同様です。放牧するとエネルギーが奪われて乳量が少なくなるため、牛舎飼いで運動量が制限されます。栄養価の高い穀物飼料と、高カロリー・高タンパクの配合飼料(カルシウム、ビタミン剤、酸化防止剤、魚粉、脱脂粉乳などを添加)を大量に与えられます。かくして、多いものでは1日30キログラム、年間約9000キログラムの牛乳を「生産」するようになります。自然放牧される牛の泌乳量がせいぜい1日15キログラムだそうですから、2倍の生産量です。1キログラムの乳を出すには400倍の血液が必要といわれています。
 体の機能を酷使するため、必然的に健康状態に恒常的な問題を抱え、病気にかかりやすくなり、頻繁に抗生物質、栄養剤、強肝剤が打たれます。本来牛の寿命は20年前後といわれていますが、体を酷使し続けた雌牛は6年前後で廃牛とされます。このように牛の健康を犠牲にした工業的酪農の牛乳が、果たして健康食品といえるのかどうか、疑問に思います。(182−183頁)


なんだ、牛乳も安心して飲めないのか。

こうした事態を招いた自民党政権の責任は、きわめて重い。

彼らにはサッサと退場してもらおう。

それにしても、安易な労働政策で農業人口を増やそうとするのではなく、
長期的な農業政策の転換が求められていることだけは確かなことのようだ。

知れば知るほど怖ろしくなる。

それが日本の現状である。










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