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zoom RSS 鎌田慧『橋の上の「殺意」』(平凡社)A

<<   作成日時 : 2009/07/25 03:03   >>

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全国のひとびとが注目するなか、裁判がはじまった。

検察は、当然のように死刑を求刑した。

 死刑求刑を支持したのは、元最高検検事の土本武司・白鷗大学法科大学院長である。
「争点の長女殺害で、検察側は殺意が確定的としたが、殺意の発生時期などがはっきりしない。しかし、長女への疎ましさや、自分に向けられた殺害のうわさをそらそうとした勝手な考えから、2人の子どもの命を奪った。理由なく親が子を殺すような、こうした事件が二度と起きないよう、一罰百戒の効果を狙って検察側が極刑で臨もうとした姿勢は理解できる」
「一罰百戒」。犯罪抑止力としての処刑、という政治性の強い判断が元最高検検事の判決にかける期待だが、混乱のすえに衝動的な殺人者となった母親は、犯行のときに死刑などは意識していない。だから、死刑制度は犯罪の抑止力になることはない。(228頁)


世間も「死刑」が当然であると考えていた。

しかし、世間の期待に反して、一審判決は「無期懲役」だった。

そのあと、新聞のコメントでは、判決を支持するものはほとんどなかった。新聞社はそのようなコメンテーターを回避するからである。
「子ども2人が犠牲になっただけに、本来なら極刑の可能性が高かったはずだ。それでも無期懲役としたのは、裁判所が悩んだ末の結論だったのだろうが、違和感を覚える」(土本武司元最高検検事・白鷗大学法科大学院長=東京新聞=共同通信3月19日)
「無期懲役の判決を受けて、米山豪憲君の両親は納得いかないだろう。理由なく幼い子どもが殺害された事件で、父親が死刑を望むのは当然だ」(ジャーナリスト・鳥越俊太郎=前掲紙)
「落ち度が全くない子供2人を殺害し死刑判決でないケースはほとんどない。裁判員制度だったら死刑だった可能性が高い」(渥美東洋・京都産業大学法科大学院教授=毎日新聞3月19日)
「近年は犯罪の凶悪性や遺族感情を重視する傾向にある。被告は遺族に十分な謝罪をしておらず、無期懲役はやや軽い印象だ」(諸沢英道・常磐大学教授=読売新聞3月20日)(235頁)


メディアには、死刑を臨む世論を後押しするような識者のコメントが並んだ。

地元の「秋田魁新報」には、つぎのような記事が掲載されている。

 判決公判後 不満訴える電話が殺到
 藤里町の連続児童殺害事件で、殺人などの罪に問われた無職畠山鈴香被告(35歳)に無期懲役を言い渡した秋田地裁に、判決公判のあった19日から21日まで、「なぜ死刑にならないのか」「犯罪の抑止にはならない」などの不満を訴える電話が約60件よせられていることが分かった。関東や東海、四国からの電話もあったという。
 地裁によると、少なくともここ数年、判決に対する不満の電話が一般市民からかかってきたことはないという。(239−240頁)


ひとびとが殺人事件に対して理性的な反応ができなくなったのは、
いつごろからなのだろうか?

ここで思い出すのが、山口県光市母子殺害事件での世間の反応だ。

あのときも、タレント弁護士に煽動されたひとびとが、情緒的に反応していた。

 殺人事件の裁判が、死刑判決で終わらなければ納得せず、裁判所に抗議するひとたちがいる。それが日本社会の現実である。死刑執行こそが正義の実行、と考えているひとびとは多い。しかし、裁判所が死刑判決にしなかったのは、死刑にする要件を欠いていたからにすぎない。(240頁)


日本社会は、まるでひとつの内向きの「村」のようである。

 しかし、裁判官が「死刑を選択するほかないと断じることには、なお躊躇を覚えざるを得ず」と判断して、死刑判決に踏み切らなかったにもかかわらず、他人がなお「死刑にしろ」と主張するのは、横暴の謗りを免れない。
 というのも、彼や彼女たちは、判決を批判する論理をもちえていないからである。死刑制度自体が非論理的かつ非倫理的な制度とはいえ、論理なき処刑の要求はリンチ(私刑)ともいえる。(240頁)


リンチ、村八分。

ひとびとが口々に「あいつを殺せ」を叫ぶ社会が、健全な社会のはずはない。

その影で、事件のたびにいつも繰り返されるのは、家族の苦悩である。

たとえば、畠山鈴香には弟がいる。

彼は姪の彩香ちゃんを可愛がっていたし、彼女もよく懐いていた。加害者の弟であり、被害者の叔父でもある。仕事を奪われて失職し、再就職もままならぬ彼もまた被害者である。(244頁)


だが、世間はそういうことには関心を示さない。

「ひきこもり」の研究で知られる精神科医の斎藤学は、意外な事実を指摘している。

 斎藤学医師の患者のシングルマザーで、「わたしもやっていたかもしれない」「べつな人がやってくれたから、わたしがやらないですんだ」というひとたちがいる。鈴香に共感して在家出家したひとさえいた、という。
「畠山鈴香はわたしだ」というひとたちは多い。「幸せに暮らしているひとと精神科医を訪ねなければならないひととの差」(斎藤医師)が、鈴香への反発と共感の分岐点である。鈴香は精神科に通いつづけていたが、恢復する間もなく、犯罪者として塀のむこうへいってしまった。
 鈴香のうしろに精神疾患患者の増大がある。なかでも鬱病はこの10年間で2倍になり、自殺者がこの11年のあいだ、3万2000人ものレベルで推移している不安社会が控えている。(301頁)


秋葉原通り魔事件では、容疑者Kに対して、
「ひとごとではない」と共感するひとびとが数多くいたと言われる。

ほとんと報道されていないと思うが、
「畠山鈴香はわたしだ」という女性が少なくないのだという。

しかし、シングル・マザーたちの声や悲鳴は、社会に届かない。

苦しんでいるシングル・マザーは彼女だけではない、
というお決まりの「自己責任論」によって、かき消されてしまう。

そして、仙台高裁で控訴審が開かれた。

しかし高裁は控訴を棄却し、一審の「無期懲役」判決が支持された。

死刑は回避されたのだが、著者は裁判そのものに納得してはいないようだ。

まだ明らかにされずに残った問題があったからである。

なぜ畠山鈴香は、娘の死のあと、事故ではないと警察に訴えたのか?

なぜ彼女は娘の殺害の記憶がまったくないのか?

そして、彩香ちゃんの死亡した場所は、本当はどこだったのか?

だが、そうした事実に世間はまったく関心を寄せない。

唯一の関心は、彼女が死刑になって処刑されること、それだけであった。

死刑にしないと納得しない世間の声は、新聞社が代弁する。

 産経新聞の社説は、「死刑回避には疑問が残る」というタイトルで、「これでは裁判員に選ばれた国民は、何を基準に判断していいのか迷うことになる」と書いている。(310頁)


専門家を名乗る者も、世間に迎合していく。

 板倉宏・日本大学法科大学院教授は、「死刑を回避したことは分からないではなく、不当とはいえない」といいながらも、「一般国民や遺族の立場からするととんでもない判決であり、あと一歩を踏み出して、死刑を言い渡しても良かったのではないか」という。
「一般国民、世間一般」という曖昧模糊とした、無責任な存在の死刑待望論と遺族の処罰感情に迎合した発言である。冷静な判断こそが学者にもとめられるはずなのに、「一般国民」に代弁させる死刑論は、卑劣怠慢というべきである。(310頁)


検察は、最高裁への上告を断念した。

他方、畠山鈴香は、突然上告すると言い出した。

しかし結局、2009年5月18日、最高裁への上告を取りやめた。

これで無期懲役が確定した。

著者はこの本の冒頭で、次のように述べている。

これは哀れな「魔女」の裁判にかかわる記録である。(13頁)


たしかにこの事件をめぐる世間の騒ぎようは、「魔女裁判」と呼ぶに相応しいものだった。

「あの女を八つ裂きにしてしまえ!」とひとびとは叫ぶ。

そして、わたしたちは最近もうひとつの「魔女裁判」があったことを知っている。

和歌山県のカレー毒入り事件である。








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内 容 ニックネーム/日時
 「誰かが言った何か。」は、真実なのか流言なのか。検証方法がない私たちは、「パブロフの犬」的単純な条件反射で物事を判断しがちです。
 捜査自体にも、そのような思い込みに踊らされた捜査を行っている可能性があります。強制的な自白(強白)で真実が必ず引き出されるという思い込みが、思い込み捜査に合致する結論を創りだし、それをもとに検察中心裁判が行われ刑が確定してしまう。
 これからは、何も知らないわからないまま、「素人裁判官」が判決に加担させられていく。村八分社会意識による、拡大魔女裁判。危機管理能力の欠如。
 いつになったら、勝手な思い込みではなく、事実・真実をもとにした判断ができるようになるのか? 選挙もそうです。思い込みで人を選ぶのではなく、カネゴン(金権亡者)優遇で格差拡大なのか、格差を是正して低所得者の経済的底上げで社会全体を元気にするのか、政党の政策で国政が行われるのですから、人物では無く政策で政党を選択しなければなりません。
 「働くしか能がない人たち」だの、「面白いかどうかで判断するレベルの人たち」などと言わせたままでよいのですか?
山路 独
2009/07/25 18:10
◆山路独さま

コメントの最後に書かれているのは、麻生太郎の「問題発言」ですね。あのひとも本当に懲りませんね。

こんどの選挙でも、民主党と自民党の2大政党制へとますます移行していくのであれば、日本社会の行く末は真っ暗だと思います。
影丸
2009/08/05 15:41

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