フォーラム自由幻想

アクセスカウンタ

zoom RSS 鎌田慧『橋の上の「殺意」』(平凡社)@

<<   作成日時 : 2009/07/24 23:09   >>

トラックバック 0 / コメント 2

2006年、秋田県に住む小学4年生の女の子が行方不明になった。

翌日、母親からの通報を受けた警察などが川を捜索した結果、
女の子は遺体で発見された。

警察は事件性はないものと判断し、事故死として処理した。

しかし、母親はこれに納得しなかった。

そして、娘の特徴を記したビラを地域にまいた。

目撃者を探そうとしていたのである。

けれども警察は依然として事故死と考え、捜査はしていなかった。

ところがその数日後、
死亡した女の子の2軒隣に住む小学1年生の男の子も、行方不明になった。

やがて男の子も遺体で発見された。

女の子が発見されたのと同じ川だった。

男の子の名前を、豪憲くんといった。

女の子の名前を、彩香ちゃんといった。

しばらくして、2人の殺害容疑で、女の子の母親である畠山鈴香が逮捕された。

  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

本書は、秋田県連続児童殺害事件のルポルタージュである。

この事件は、男の子が遺体で発見されるや、
テレビ・雑誌などのマスコミが大きく取り上げるようになった。

 豪憲事件があったあと、家の前には警察車両が常駐し、砂糖に群がる蟻のようにテレビの中継車が停車し、新聞、テレビ、ラジオ、週刊誌、写真誌などの記者やカメラマンが、24時間態勢で脚立や三脚をたて、カメラの放列を敷いた。多いときには、その数は100人を超えた。(36頁)


報道陣はすでに畠山鈴香を「容疑者」としてマークしていた。

 彼女は重要参考人あつかいだったが、そうかといって、犯人とする確証もなく、一方では、彼女をテレビに引っ張り出すために、「悲劇の母親」あつかいして迎合するテレビ局もあった。
 鈴香のクルマが移動すると、警察車両が尾行し、その後を各社がチャーターしたタクシーやワゴン車が追尾する。メディア・スクラムは、ふたりの子どもが通学していた藤里小学校の門前にもあらわれ、子どもや保護者に無遠慮にカメラやマイクをむけた。(37頁)


のちに母親が「容疑者」として逮捕された場合に、
スクープ映像・独占映像として使用するためだった。

テレビ取材陣・新聞記者・雑誌記者などによる「メディア・スクラム」。

 「マスコミ」はせわしなく携帯電話で話し、ジュースやコーヒーの空き缶を捨て、時間の見さかいなくインターホンを押し、住民から恐怖される集団になっていた。団地内にも四六時中マスコミが屯(たむろ)し、中継車のエンジンの音と振動が終日つづいた。さらに低空を飛ぶ取材用のヘリコプターは、屋内の会話を中断させた。(37頁)


秋田県藤里町という小さな町に、突然大勢のマスコミが押し寄せてきたのだ。

たまたま近くに住んでいた作家の簾内敬司は、この様子を記述している。

〈「メディア・スクラム」というのを初めて見た。そのスクラム現場の、メディアの立ち去ったあとに投げ捨てられて散乱した、煙草の吸殻、ビニール袋、コンビニ弁当の空箱やジュースの空缶など、目に余ったと住民たちのもっぱらの評判だった。……〉(38頁)


マスコミ・報道陣のマナーの極端な悪さだけが目立っていたのではない。

なんと近隣住民の恐怖感を刺激しつづけてしまったのである。

……同じ団地に住む子どもたちが、事件発生後、外では遊ばなくなり、頭が痛い、お腹が痛いといっては親にまとわりつき離れなくなった……。泣きつづける子どももいるという。(52頁)


もちろん報道陣だけのせいではないだろう。

しかし、連続殺人事件に動揺する近隣住民の不安を、
さらに増幅させたのはこうしたマスコミ・取材陣の過剰取材であった。

亡くなった女の子と男の子の住んでいた町営団地は、
心ないひとたちによって「親不孝団地」とか「殺人団地」とか言われた。

沓掛哲男国家公安委員長は、次のようにコメントを述べたが、
いかにも的外れな、間の抜けたコメントであった。

「二度とおなじような事件を起こしてはならない。今後どうすべきかは警察のみならず、国全体、社会全体として取り組むべき課題だ」
「(再発防止については)基本的には、子どものころからしっかりとした教育をしていくことが大切だ」


「子供のことからしっかりとした教育を」。

いつも繰り返される没知性的なコメントである。

 犯罪防止にどう取り組むか、はあきらかにされていない。国家公安委員長が、社会的な問題ではなく、教育の問題であって、子どもをしっかり教育すれば防げる、などという。政府得意の「自己責任論」だが、この事件では子どもにはなんら責任がない。(57頁)


事件後、畠山鈴香に対する好き勝手な「噂」が飛び交った。

それらの「噂」の多くは、いい加減なものばかりだった。

 夕方になるとどこかへ出かけていく(実家に食事にいっていたのだが)。ときどき、家の前に得体の知れない黒いクルマが駐車している。男がやってくると彩香ちゃんが外に出される、などの噂が、尾ひれをつけて週刊誌に載るようになった。
 鈴香は米山家と仲が悪かったとか、それとは逆に米山勝弘さんと怪しい関係だとか、風俗店で働いていたなど、よくあることだが、取材者の品性を剥きだしにした虚報が流通するようになっていた。それには、犯罪者が女のひとり暮らし、であることも影響している。(62−63頁)


シングルマザーに対する好奇な視線が、世間から容赦なく浴びせられた。

 売春や虐待の噂は、鈴香が団地のなかで1軒だけの母子家庭だったこと、彼女がおよそ健気な母親像ではなかったことから、「邪魔者」イコール「殺害」という俗っぽいストーリーが囁かれ、「稀代の悪女」とマスコミで増幅されて全国化した。(109−110頁)


精神科医が現地に派遣され、地域住民に調査を行なった。

調査に当たった精神科医は、次のように述べている。

「今回調査を実施したことで、17.9%(5.6人に1人)という多くの住民がPTSD反応を呈していたということが確認できた。」(69頁)


驚くべき数値である。

 子どもばかりか大人にたいしても、PTSD(心的外傷後ストレス障害)をあたえた犯罪だった。そのこともあってか、わたしが会ったある住民は、公然と死刑を求め、彼の子どもはテレビで鈴香の映像を見かけると、「死刑」と叫ぶ、と語った。(13頁)


メディアの報道を見た世間のひとびとも、畠山鈴香に対して「死刑」の大合唱だった。

このときすでに、畠山鈴香は、メディアによって、
「稀代の悪女」というイメージで描かれていたのである。

報道陣に向かって叫ぶ畠山鈴香の映像は、繰り返しテレビで流された。

それにしても、誰もが不思議に思ったのは、
畠山鈴香が娘の彩香ちゃんを殺害した犯人だとしても、
それならなぜ彼女は当初警察が事故死扱いをしたことに抗議したのか?
ということだった。

事故死として処理されれば、むしろ「犯人」にとっては好都合なはずである。

そのことを考える前に、彼女の過ごした環境について見てみよう。

畠山鈴香が暮らしていた秋田県は、長い間、
「自殺率日本一」という不名誉な記録を更新しつづけてきたという。

 曹洞宗「月宗寺」の住職・袴田俊英さんにうかがうと、藤里町でも、三世代同居の家庭が多く、農業や家事の機械化とともに、自分が役に立たないと思うようになり、将来の病苦の不安から家族の重荷になると悲観して自殺するケースが多かった、という。
……
「秋田県は、えふりこき(見栄っ張り)が多くて、ひとに弱いところをみせたがらず、ひとりで苦しみを抱えて悩んでいる。それが自殺の引き金になっている」(68頁)


よく世間ではこう言う。

「都会は人間関係が稀薄であり、他人に冷たいが、地方には人情と温かみがある」と。

だが、それは現実のほんの一面にすぎない。

というより、地方も近代化・工業化の影響をもろに受け、
地域社会の絆はとっくに崩れているという面の方が強いのかもしれない。

地方の理想化は、重要な現実の姿を見えなくする。

では、畠山鈴香は、どのような人物なのだろうか?

彼女は、どのような人生を歩んできたのだろうか?

小さいころの彼女は、ごく普通の生活をしていたという。

 ところが、小1のとき、担任から「水子の霊が憑いている」といわれ、母親が呼びだされる、という「事件」が起こった。その教員は、夏休みに、自分が信心している『仏所護念(ぶっしょごねん)』(土俗宗教)の講習会に行くのだが、ついでにお祓いをうけてきてやる。ついでは「3万円の3点セットが販売されているので、それを購入したらどうか」ともちかけた。(79頁)


そんな教師が世の中にいるのかと驚くが、
この「事件」は幼い畠山鈴香に対する周囲の扱いを変えた。

それでも、同級生たちに与えた影響は大きく、それ以降、鈴香は「心霊写真」というあだ名を貼りつけられ、気持ち悪いといわれるようになった。
さらに、高学年になっても、給食を食べるのが遅かったため、残ったおかずを両手に受けさせられ、それを食べさせられた。指の間からおかずの汁がこぼれるのを見て、同級生たちは「バイ菌」と囃したてた。
ある日、同級生たちに便所に押し込まれ、鍵を掛けられた。バイ菌を洗い流す、という悪ふざけで、頭の上から洗剤を振りまかれ、ホースの水を浴びせかけられた。(79頁)


中学に上がっても、「いじめ」はつづいた。

友だちもほとんどおらず、孤立していたという。

 修学旅行のとき、担任から「あなたの面倒だけみているわけにいかないから、来ないように」と釘をさされた。(80頁)


卒業文集には、次のように書き記していたという。

いじめられていた、という証言も多いのだが、本人自身は、「痛みに耐えてこそ、大輪の花が咲く」と中学の卒業文集に、健気な1行を書き残している。(77頁)


著者は、クラス別卒業文集を入手するのだが、
そこに書かれていたのは、クラスメートたちからの残酷な言葉ばかりだった。

鈴香が在籍していた3年B組の「アンケート」で、「すぐに仕事をやめてしまいそうな人」、「墓場入りが早そうな人」の項目では、鈴香がトップにされている。
 ひとりひとりに、クラスメートからの寄せ書きが編集されているのだが、彼女にたいしては、「いままでいじめられた分、強くなったべ。俺達にかんしゃしなさい」「秋田から永久追放」などの心ない文言がみられる。
 さらに、番外編としての、「いろいろな意味で有名になりそうな人」という設問では、鈴香について、「自殺、詐欺、強盗、全国指名手配、変人大賞、女優、殺人、野生花」などの言葉が書き連ねられている。もちろん、匿名の回答である。(77−78頁)


その文集には、担任教師もコメントを寄せている。

担任は、つぎのように書き添えて励ましている。
「いろいろなことがありましたけれどこれから楽しいこともたくさんあると思います。ひととの出会いを大切にし自分に正直に生きてほしいと思う」
 が、鈴香はこの文集を捨ててしまった、という。(78頁)


彼女にとって教師は、自分を救ってくれる優しい大人ではなかった。

 鈴香はいじめられていたのではない、からかわれていただけだ、という同級生のなん人かに会った。「からかわれる」ということ自体が、本人にとって屈辱的なことなのだが、自分が体験しなければ、その苦渋はわからない。(81頁)


地獄のような学校生活を毎日送っていたわけだが、
では彼女の家庭環境はどのようなものだったのだろうか?

父親の稔はとんでもない家庭内暴君だった。……
 小学生だった彼女にたいしても、アル中気味の稔は遠慮会釈なく平手打ちを加え、髪の毛を引っ張ったり、足蹴にしたりと見境いがなかった。(87頁)


父親はこうした暴力も「しつけ」と称していたのだろう。

「言うことを聞かない子どもは殴ればいい」という世間の考えが、こうした父親を生む。

 中学生になって、ちょっと遅く帰ったりした鈴香を、稔は拳骨で殴りつけ、髪をつかんで引きずりまわした。(87−88頁)


畠山鈴香にとって、学校も家庭も、恐らく地獄だったのではないか。

 彼女は父親を異常なほど怖がっていた。一度など、N子のクルマの助手席に乗っていたとき、前方からやってくるダンプカーをみつけて、「あ、親父だ」といって、シートに身体を沈みこませて、脅えていた。(94頁)


本書を読みながら、どうしようもなくイヤな気持ちになった。

 話は前に進むが、2007年3月、母親はついに離婚に踏み切った。父親が「鈴香が彩香を殺したのなら、絶対に許せない」といったのが決定的だった、という。いかにも、カッコつけ男の無責任なセリフだった。稔側の親戚は鈴香の犯罪を母親の躾けのせいにしていた。(88頁)


このようにして思春期を過ごした少女は、やがて自殺未遂を繰り返すことになる。

実際、娘の彩香ちゃんが遺体で発見されたとき、
畠山鈴香は自殺をしようと思ったのだろう、遺書をしたためている。

彩香ちゃんへの遺書は、「10年後の彩香へ」と表書きされていた。なかには離婚調停の書類と彼女の父親の写真を同封し、大きくなって会いたくなったら、裁判所を通して会いに行きなさい、途中で挫折するお母さんを許してください、と記され、両親と弟へは、彩香をよろしくお願いします、と書かれていた。(112頁)


だが、この「自殺未遂」も、「容疑者」の「悪女」のイメージに利用されることになる。

行き詰まると発作的に自殺に逃げる性向は、のちの話になるが、検事から執拗に狂言自殺として追及され、「嘘つき」の例証にされるようになる。(112頁)


畠山鈴香は、逮捕後も自殺未遂を繰り返していたという。

 逮捕されたあと、鈴香は取調べ室で、自供に誘導するため取調官が与えていた煙草4本をくすねて、便所に持ち込んだ、という。粉末状にバラしてトイレットペーパーにくるみ、下着に隠して独房に持ち込んで飲みこんだ。そのあとも浴場で、ボディソープ1瓶の3分の1を飲み、取調べ中にもボールペンを腕に突き刺すなど、自傷行為を繰り返している。(113頁)


さらには、次のような事件も。

 ……2006年8月25日、鈴香は拘置所の独房にいて、タオルで自分の首を絞め、……翌07年3月16日、手鏡を壊しその破片を左腕に刺した。(113頁)


裁判長の委嘱を受けて鈴香の「精神鑑定書」を作成した精神科医は、
「被告人は自殺願望者である」と診断している。(185頁参照)

実際、彼女は事件の前から精神科で受診していた。

 鈴香が精神科で診察を受けたのは、2003年の暮れ、事件の2年半前である。その年の秋ごろから消化器科などをまわされたあと、精神科にやってきた。……起立性貧血として、小学校低学年から眩暈がしたり、手足が痺れて倒れることがあった。中学校では椅子に座っていても崩れ落ちるようになっていた。(191−192頁)


子どものころから受けてきた「いじめ」に、彼女は耐えることができなかった。

彼女は結婚して綾香ちゃんを出産するも、すぐに離婚する。

離婚後は、借金を抱えながらひとりで彩香ちゃんを育てなければならなかった。夫は養育費を送ってこなかった。そのためもあってか、過食、嘔吐、円形脱毛症になったりして、「摂食障害、解離・転換性障害」と診断されていた。(192頁)


シングル・マザーの苦悩は、世間が思うよりも深刻なものだった。

精神科の担当医につぎのように相談していた。
「子どもが苦手。どう接していいかわからない。手をつなぐのも嫌。自分は親に叩かれて育ったが子どもにはそうしたくない。それでも子どもに当たり散らしてしまう。可愛いいとは思えない。子ども以外に不満のはけ口がない。仕事のために子どもを親まかせにしていたので、2歳ころから3年間は、ほとんど会話をしていなかった」(193頁)


娘の彩香ちゃんも、学校で「いじめ」を受けていたことを知ると、
彼女はますます不安定になっていったという。

「仕事をしたいと言っているくせに、本気で探していない、と親に言われると、『そうだな』と思う。嫌なことがあったり、なにか障害があるとすぐ投げだしてしまう。東京にでも出てなにかやりたいと思っても、『じゃ、子どもはどうするんだ』、『身体の具合が悪いから私らで子どもの面倒はみられない』と親に釘をさされている。『病気だからといって甘えてはいけない』と言われると、『そうかもしれない』と思う。かといって、どうしようもない部分がある」(195頁)


このようなかたちで「自己責任論」は家族内でも浸透していた。

そして、「自己責任論」は、犯罪者の抹殺で事件の解決を図ろうとする。

嘘つきで、いつもイライラしていて、切れやすく、暴力的で、子どもの死を願う鬼女による凶悪犯罪、だから死刑にしてしまえ、という論理である。(202頁)


世間が注目するなかで、裁判は開始された。

「死刑」以外の判決はあり得ないという世論が、すでに形成されていた。









テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 「彼女は当初警察が事故死扱いをしたことに抗議したのか?」
 確かにこれには引っかかりを感じますね。たぶん、「あの女の子供だから…。」的扱いを受けたであろう娘の死に対し、違うことを認めない村八分社会意識に、原因を求めたかったのではないか? 
山路 独
2009/07/25 17:35
◆山路独さま

誰か攻撃対象を見つけるやいなや「村八分」にしてストレス解消をする、といったところでしょうね。真実を明らかにするというのも、裁判の大事な役割のはずなのに。
影丸
2009/08/05 15:38

コメントする help

ニックネーム
本 文
鎌田慧『橋の上の「殺意」』(平凡社)@ フォーラム自由幻想/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる