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zoom RSS P・ヴィダル=ナケ『記憶の暗殺者たち』(人文書院)

<<   作成日時 : 2009/06/29 18:22   >>

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ナチス・ドイツは、ユダヤ人を迫害した。

ユダヤ人を地上から丸ごと絶滅させようとした。

この残虐な歴史を二度と繰り返さないために、
「ユダヤ人大量殺戮」の歴史は世界中で語り継がれている。

残虐な歴史だからこそ、直視するのがつらいからこそ、
後世に語り継がなければならないのである。

「ホロコースト」の歴史を否定するひとは、普通は、いない。

歴史的事実だからだ。

ところが、この歴史的事実を勝手に捻じ曲げようとする連中がいる。

ネオナチだ。

歴史を勝手に書き直す彼らを、「歴史修正主義者」という。

彼らは、「アウシュヴィッツはなかった」と信じられないようなことを言う。

「絶滅収容所は、反ドイツ勢力によるでっち上げだ」と強弁する。

彼らのような破廉恥な連中を、著者は「記憶の暗殺者」と呼ぶ。

「人類の記憶」を抹殺しようともくろむからだ。

ところで、「ホロコースト否定論者」の言い分を聞いて、何か連想しないか?

あれ? どこかで聞いたことのある言い方ではないか?

そうだ。

「南京大虐殺はなかった」

「従軍慰安婦は民間業者が勝手にやったことだ」

「強制連行などなかった」

「日本は侵略国家ではない」


こう虚言を重ねるのは、日本の「自称愛国主義者」たちだ。

彼らは「江戸城はなかった」とは言わない。

「原爆投下はなかった」とも言わない。

彼らが必死に否定しようとするのは、もっぱら加害の歴史である。

歴史を勝手に書き換え偽装するのが「歴史修正主義者」だ。

本書を読むとよく分かることがある。

懸命に日本の残虐行為をなかったことにしようとウソを重ねる彼らは、
じつはドイツの「歴史修正主義者」の「猿真似」でしかなかったということだ。

「ネオナチの猿真似、イエロー・モンキー」。

最近でも、NHKの番組に抗議している「自称愛国主義者」がいるらしい。

彼らについては後日記事を書くつもりだが、
恐るべき幼児的・自己中心的なひとびとで、恥知らずなひとびとである。

さて、歴史偽装主義者たちの荒唐無稽な主張に対して、
わたしたちはどのように対応すべきなのだろうか?

著者は次のようにきっぱりと断言する。

私は告発者たちに答えないということ、いかなる点においても私は彼らと対話しないということを、きっぱりと了解していただきたい。たとえ敵対者同同士であっても、その二人の人間の間に対話が成立するためには、共通の土俵が、今の場合、真理に対する共通の敬意が前提されるものだ。しかし、「歴史修正主義者たち」を相手とする場合、このような土俵は存在しない。月はロックフォールチーズで出来ているなどと断言する「研究者」がいると仮定して、一人の天体物理学者がその研究者と対話するような光景を想像できるだろうか。歴史修正主義者たちが位置しているのは、このようなレヴェルなのだ。(9頁)


まったくだ。

歴史偽装主義者は、対話の相手にはなりえない。

「月がチーズでできている」と言い張るひとと対話できないのと同じように、
「アウシュヴィッツはなかった」「南京大虐殺はなかった」と言い張るひととも、
対話などすることは不可能である。

その意味で、最近のメディアのあり方は犯罪的だ。

田母神俊雄や小林よしのりを討論番組に登場させ、
それと反対の立場の論者と討論をさせる番組がある。

これを見た何も知らない視聴者は、
異なる見解を持ったものたちの対等な議論であるかのように錯覚する。

おかしいだろう。

まるでレベルがちがうはずだろう。

日本のテレビは、いまや、救いがたい状況にある。

では、ドイツの歴史偽装主義者は、どのような主張をするのだろうか?

事実、「歴史修正主義者たち」はみな、多かれ少なかれ、次に列挙するような極めて単純な原理をいくつか共有しているのである。
 一、ジェノサイドというものはなかったし、それを象徴する道具、すなわち、毒ガス室は決して存在しなかった。
 二、「最終解決」とは東欧方面へのユダヤ人の「追放」、フォリソンの上品な言い方によれば、「押し戻し」でしかなかった。……
 三、ナチズムのユダヤ人犠牲者の数字はそう言われてきたのよりも実際にはずっと低い数字である。……
 四、第二次世界大戦の重大な責任はヒトラーのドイツにはない。ドイツはこの責任を、たとえば、ユダヤ人と共有する。……
 五、30年代ならびに40年代における人類の重大な敵はナチス・ドイツではなく、スターリンのソ連である。……
 六、ジェノサイドは連合軍の、主にユダヤ人の、それもとりわけシオニズムのプロパガンダによってでっち上げられたものであり……。(40−41頁)


おお、日本の歴史偽装主義者と「そっくり」ではないか。

わたしたちは覚えておこう。

「記憶の暗殺者」たちは、同じパターンで、「歴史」を「偽装」するものなのだ。

「記憶」を抹殺する怖ろしいひとたちが、「歴史修正主義者」だ。

もとより、虐殺の規模や内容を精確に示すことは、困難である。

虐殺の規模が大きければ大きいほどそれは困難である。

たとえば、村人を全員殺害してしまったら、
その事実を具体的に、詳細に、精確に語り継ぐことはむずかしい。

実際、そういうことがパレスチナで起きていると言われている。

歴史偽装主義者はそこにつけ込む。

ツキディデスが言ったように、どのようにして一人一人が姿を消したのかは分からないし、決して分かることはあるまい。(186頁)


ましてや、証拠資料の隠滅を図った場合、証拠を見つけるのはむずかしい。

そうすると、歴史修正主義者の卑劣さは、さらに罪深いものになる。

歴史偽装主義者は、「記憶」を「暗殺・抹殺」することで、
じつはヒトラーのユダヤ人絶滅計画を戦後も着々と実行しつづけているひとだ、
と見なすことができるのではないか。

ただ、勘違いしてはいけないのは、
アウシュヴィッツにせよ、南京大虐殺にせよ、従軍慰安婦にせよ、
それらはすべてまったく「証拠」がないのではなく、
公的な証拠も出てきているし貴重な証言も残っているということだ。

ガス室に送られたひとたちの「思い」「証言」を聞くことはできない。

なぜなら彼らはもう殺されてしまったのだから。

だからこそ、わたしたちは彼らの「死」に思いを向けようとする。

そうした誠実な営みを平然と踏みにじるのが、歴史偽装主義者だ。

たとえば、ある歴史修正主義者はこう言う。

ガス殺は一部であったかもしれないが、
「産業化された撲滅方法」などというものはあったのかどうか疑問だ、と。

これに対して、著者は厳しく反論する。

産業合理性をめぐる彼らのこうした口論には、全体主義体制とはどのようなものかということについての深甚な無知が現に隠されている。全体主義の体制は、一人の首領の指導のもとで全く一様に機能する機関のことではない。たとえば、ナチス・ドイツにおいては、ゲシュタポ、外務省、占領地担当大臣などはみな、それぞれ派閥を形成していて、同じ利害、同じ政策をもっていたわけではない。(28頁)


この指摘は、全体主義を理解するのにきわめて重要なポイントだ。

わたしたちは全体主義国家を一枚岩のように捉えてしまう。

一糸乱れぬ全体主義体制であるかのようにイメージしてしまう。

しかし実態はそれほど単純ではない。

たとえば、「罪」を犯したユダヤ人のなかには、
強制収容所行きを猶予されたひとがいた。

アウシュヴィッツには病院もあった。

だからといって、ユダヤ人がナチスから人道的に配慮されていたことにはなるまい。

だからといって、強制収容所はなかったということにはなるまい。

だからといって、ユダヤ人大量殺戮はなかったということにもならないだろう。

ドイツの場合、政府はこの歴史を認めているので、まだよい方かもしれない。

日本の場合は、政府も歴史偽装に加担しているので、最悪の状況だ。

あらゆる正史〔=歴史記述〕のなかで最悪なのが国家の手になる正史であるのは、自明なことであって、国家というのは、かつては犯罪者であったという事実をめったに容認しないものだ。(204頁)


国家は、自分が犯罪者であったことを素直に認めない。

国家は、「輝かしい記憶」をことさら強調し、「残虐な加害の歴史」には目をつむる。

著者による上の警句を、わたしたちは心に刻んでおこう。

歴史を偽装するものたちは、「記憶の暗殺者」である。








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