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zoom RSS 高橋哲哉『靖国問題』(ちくま新書)D

<<   作成日時 : 2009/06/12 23:28   >>

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次に筆者は、国立追悼施設のあり方へと考察を進めていく。

靖国神社のあり方を個別に批判するだけでなく、
「国家」と「戦争」と「死者」の関係について考えるためである。

こういう展開が高橋哲哉は見事である。

右派・保守派のなかには、靖国神社とは別に、
無宗教の国立追悼施設をつくろうという動きがある。

靖国神社には、A級戦犯合祀の問題と政教分離の問題があるからだ。

では、無宗教の国立追悼施設を建設すれば靖国問題は解決されるのだろうか?

この施設を建設し、靖国神社ではなくこの施設を「わが国における戦没者追悼の中心的施設」とすれば、「靖国問題」は解決されるのだろうか。
 そうは思えない。(186頁)


わたしもそうは思えない。

まず、あの「A級戦犯」問題はどうなるのだろうか。(186頁)


どういうことだろうか?

毎年8月15日に政府主催で行なわれている「全国戦没者追悼式」の追悼対象には、「A級戦犯」14人も含まれているが、この場合に中国や韓国から批判がないのも、「日本軍国主義の象徴」靖国神社における「祭神」の扱いとは区別されている、と考えられる。(187頁)


「全国戦没者追悼式」では、戦死者を追悼するのが目的であって、
靖国神社のように「英霊」を「顕彰」するものではない。

では、それなら問題はないというのか?

もちろんそうではない。

福田政権のときに検討された報告書によると、
「戦後」の戦没者もそこで追悼することがはっきりと明記されている。

「戦後」の戦没者?

そうだ、これからの「戦争」「武力衝突」をも想定しているのである。

新たな国立追悼施設は、「内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧げる」ことができるように、靖国神社の代替物になることが期待された。たしかにそれは、施設自体を「無宗教」のものとして、過去に日本が係わったすべての戦争における死者を、日本人であると非日本人であるとにかかわらず、また、軍関係者であると一般民間人であるとにかかわらず追悼対象に含めている点で、靖国神社とは異なる。だが、それにもかかわらず、この追悼施設は「第二の靖国」とならざるをえない。それは、過去の日本の戦争に対する歴史認識が意図的に曖昧にされているからというだけではない。「戦後」については、そしてとりわけ今後将来においては、自衛隊の戦闘行為はつねに、日本や国際社会の平和を脅かす不正な敵への正しい武力行使となり、この活動で命を落とした日本側の死者だけが追悼対象となるという点で、明らかに「靖国の論理」が復活しているからである。しかも、ここでは「平和憲法」がアリバイとして巧みに利用され、「靖国の論理」の復活に力を貸している。戦後日本国家は「戦争放棄」をしたのだから戦争することは理論上ありえない。したがって、自衛隊の武力行使は戦争ではなく、「日本の平和と独立を守り国の安全を保つため」の活動であり、「国際平和のための活動」であって、つねに正当なのだというわけである。(196頁)


まさに「第二の靖国」である。

国家による無宗教の追悼施設でも問題は大有りなのだ。

……靖国の論理が近代日本の天皇制国家に特殊な要素――とりわけ国家神道的要素――を有している反面、そうした特殊日本的な要素をすべて削ぎ落としてしまえば、そこに残るのは、軍隊を保有し、ありうべき戦争につねに準備を整えているすべての国家に共通の論理にほかならない……。(197頁)


ここにおいて、国家が国民に求めてくる「犠牲」という問題が明確になる。

韓国ソウルの国防省前には巨大な戦争紀念館があり、ここでは古代から現代まで外敵との戦争で斃れた人々が文字通り「護国の英霊」として顕彰されている。また、同じくソウルの顕忠院と呼ばれる国立墓地には、朝鮮戦争における韓国軍の多数の戦死者が、対日義兵闘争の死者や上海臨時政府の死者らとともに葬られているが、この墓地の慰霊の語りも「護国の英霊」への顕彰に貫かれている。中国であれば、北京郊外の盧溝橋に抗日戦争紀念館があり、遼寧省瀋陽には9・18事変(=「満州事変」)紀念館があり、そうした代表的な抗日戦争紀念館ではどこでも、祖国防衛のために日本軍と戦った「愛国烈士」たちの顕彰展示が行なわれている。(199−200頁)


もちろん韓国や中国の「顕彰」施設を、靖国の問題と同列には扱えない。

靖国は侵略戦争を美化するものであるのに対して、
韓国や中国の施設は帝国主義・植民地支配に抵抗したひとのためのものだ。

しかしそれでも「祖国のために死んだ兵士」を顕彰する点では、同じである。

国家が「国のために」死んだ戦死者を「追悼」しようとするとき、その国家が軍事力をもち、戦争や武力行使の可能性を予想する国家であるかぎり、そこにはつねに「尊い犠牲」、「感謝と敬意」のレトリックが作動し、「追悼」は「顕彰」になっていかざるをえないのである。(205頁)


戦争をする国家は、必ず戦没者を顕彰するための儀礼装置をつくる。

「戦う国家は祀る国家である」(子安宣邦)。

したがって、「反戦」の戦いは、
国家による顕彰そのものを乗り越えるものでなければならない。

集団的な追悼や哀悼の行為が、それ自体として「悪いこと」だとは私は思わない。しかし問題は、追悼や哀悼が個人を超えて集団的になっていけばいくほど、それが「政治性」を帯びてくるのは避けられないという事実である。(210頁)


とりわけ、「追悼」の主体が国家である場合は、きわめて危険である。

このような観点から見て、「国立追悼施設」が新たな戦死者の受け皿にならない必要条件とは何か。それは、この施設における「追悼」が決して「顕彰」とならず、国家がその「追悼」を新たな戦争につなげていく回路が完全に絶たれていることである。具体的に言えば、国家が「不戦の誓い」を現実化して、戦争に備える軍事力を実質的に廃棄することである。また、「不戦の誓い」が説得力をもつためには、「過去の戦争」についての国家責任をきちんと果たすことが必要である。(211頁)


まさにそのとおりだろう。

政治利用させないための条件が整備されていることが絶対に必要なのだ。

国家がいくら「平和のため」だと言ってもダメである。

これまであらゆる国家が「平和」を口実に戦争をしてきたのだから。

すると、問題の本質はハッキリしている。

問題は政治である。(218頁)


ここで筆者は、この政治的本質を明らかにするために、ある事例を取り上げる。

ドイツのベルリンにあるノイエ・ヴァッヘ(国立中央戦争犠牲者追悼所)だ。

この施設は現在、ドイツ人が「自らの国が行なった戦争を誤った戦争として否定し、その死者を「英雄」としてではなく「犠牲者」として哀悼する」戦没者追悼施設として、高く評価されている。……ドイツ人と非ドイツ人、軍人と民間人を問わず、ナチスの支配下で死んだすべての人々を「戦争と暴力支配の犠牲者」として追悼する……。(219頁)


これだけ読むと、靖国とはまるで異なる「良い施設」であるかのように思うかもしれない。

ところが、このノイエ・ヴァッヘの歴史自体が、
問題は施設ではなく政治なのだということをはっきり示しているのだ。

ノイエ・ヴァッヘは最初、プロイセン王宮の近衛兵の詰め所であったが、ワイマール共和国時代にはプロイセン州立戦没者追悼所となり、ナチス時代には「戦争のための戦没兵士顕彰碑」となり、ドイツ民主共和国(東ドイツ)時代には「ファシズムと軍国主義の犠牲者のための警告追悼所」となり、そしてドイツ連邦共和国への再統一のさいに現在のような施設になった。その時代時代の国家の政治イデオロギーによって大きく性格を変えてきたノイエ・ヴァッヘの歴史は、将来もまた、国家の政治が変われば施設の使われ方も変わりうる、ということを物語っている。(219−220頁)


国家は、追悼施設を政治的に利用するものなのだ。

そうすることで、国民を戦争に動員するのである。

したがって、追悼施設が「非戦」の誓いを謳うだけでは十分ではない。

非戦の意志と戦争責任を明示した国立追悼施設が、真に戦争との回路を絶つことができるためには、日本の場合、国家が戦争責任をきちんと果たし、憲法九条を現実化して、実質的に軍事力を廃棄する必要がある。現実はこの条件からかけ離れているため、いつこの条件が満たされるのかは見通すことが困難である。(220頁)


これで、無宗教の戦没者追悼施設を新たにつくるという案が、
わたしたちにとって決して「良いもの」ではないことがハッキリしただろう。

他方、これとは別に、千鳥ケ淵の戦没者墓苑を活用するという案もある。

千鳥ヶ淵墓苑を靖国神社の代替施設にするなら、それはまさに「無宗教の国立追悼施設」にほかならない。(221頁)


実際、この施設を問題にしようとするひとは少ない。

なかには、靖国神社に対抗する施設と位置づけているひともいるらしい。

つまり、靖国はダメだが、千鳥ケ淵ならよい、というわけだ。

しかし本当に問題は少ないのだろうか?

もちろんそうではない。

まずここの天皇との関係が挙げられる。

さらに、ここで開催されているという「奉仕会」主催の「秋季慰霊祭」がある。

これを主催する「千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会」とはどんな団体か。瀬島龍三会長の下に副会長3名のうち2名は石原慎太郎東京都知事と藤森昭一宮内庁長官。理事長と常務理事あわせて3名は、すべて航空自衛隊および陸上自衛隊幹部、理事にも陸上および航空自衛隊の幹部が並んでいる。
……こう見てみると、この施設はすでに十分に「第二の靖国」として機能していると言えるだろう。少なくとも、「第二の靖国」となる準備は十分にできている。(223頁)


まあ、このメンツを見れば、どのような価値観の連中かはおのずと明らかだろう。

瀬島龍三のような人物が戦後の日本で偉そうな顔をしてきたことが、
本当は相当に異常なことなのである。

ところで、日本の戦争犠牲者の追悼施設のなかで、
反靖国の立場のひとたちからも概ね好意的に評価されている施設がある。

沖縄の「平和の礎」である。

「平和の礎」は沖縄県糸満市摩文仁に建立された戦没者氏名の刻銘碑であり、1995年6月23日、すなわち「戦後50年」の年の沖縄戦慰霊祭の日に除幕式が行なわれた。刻銘対象は主として沖縄戦の戦死者で、沖縄県出身者については「満州事変」以後に内外の戦場で死亡した全戦死者である。沖縄戦の死者については国籍にかかわりなく、また軍人軍属であるか一般市民であるかにかかわりなく、その氏名を戦死者の母語で刻銘している。2004年6月23日現在、全刻銘者数は23万9092人、そのうち沖縄出身者は14万8610人、他の都道府県出身者は7万5941人、米国は1万4008人、英国82人、韓国341人、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)82人、台湾28人となっている。(224頁)


国籍が関係ない。

軍人だけを選んで追悼しているわけでもない。

市民も、他国の犠牲者も、等しく追悼している。

これまで追悼施設のあり方がさまざまに批判されるなかで、
多くの配慮を行なってこの施設は沖縄につくられたのである。

ところが、この「平和の礎」でさえ「靖国化」の可能性を秘めているという。

実際、「慰霊の日」に行なわれる全戦没者追悼式に、
今や米軍や自衛隊の高官が軍服姿で招待されているという。

ここを訪問したクリントン大統領(当時)は、
「平和の礎」の前で日米軍事同盟の重要性を述べたという。

小泉首相(当時)も、この「平和の礎」を「参拝」したという。

ここに示されているのは、「平和の礎」のような施設についてさえ、決定的なことは施設そのものではなく施設を利用する政治であることにほかならない。戦争遂行の主体にはなりえない非国家的集団の追悼施設であっても、国家の政治(ナショナル・ポリティクス)に取り込まれ、「靖国化」することがつねにありうることを忘れてはならないのである。(226頁)


ここまで深く考えることができる哲学者は、すばらしい。

高橋哲哉の見事な考察が冴えを見せている。






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