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zoom RSS 高橋哲哉『靖国問題』(ちくま新書)C

<<   作成日時 : 2009/06/09 12:17   >>

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次に筆者は、靖国問題を「文化の問題」という視点から捉える。

最近でも、こんなワケの分からない主張がしばしば見られた。

「靖国神社は日本の伝統文化だ」

「死んだひとはみな神さまになるのが日本の文化だ」


小泉純一郎もかつて、「死んだらみんな『仏さま』になる」と意味不明なことを言って、
自らの靖国参拝を必死に正当化しようとした。

神社に祀られるひとを「仏さま」と呼んでしまう彼の無知にも驚くが、
「死んだらみんな神さまになる」というのならば、
凶悪な殺人事件の犯人が死んでも「神さま」になると明言してほしいものだ。

大阪で小学生たちを殺害した人物も、どんな凶悪な犯罪者も、
今ごろは「神さま」になっているのだと言ってみてほしいものだ。

言えるものなら言ってみよ、右派・ナショナリストの大バカどもよ。

このような支離滅裂な主張を象徴する意見として、
筆者はここで江藤淳の思想を取り上げる。

そして、江藤淳の主張を、見事にコテンパンに論破していくのである。

しかし、ここでは仮に、この江藤〔淳〕の大前提を大筋で認めたとしてみよう。つまり、江藤の言うような「死者との共生感」が「日本文化」の「根源」にあると、ある大雑把な意味で認めたとしてみよう。だがその場合にも、根本的な疑問が残る。それは、「死者との共生感」がなぜ靖国という形をとらなければならないのか、その必然性がまったく不明であり、根拠に欠けるということである。(163頁)


右派や保守派はよくこう言う。

「戦争で死んでいったひとたちのお蔭で現在の日本の繁栄はあるのであって、
彼ら死者たちに感謝するのが当然で、そういう気持ちが日本文化の核なのだ」と。

こういう屁理屈に納得するひとがいるとは到底思えないが、
順番にその主張の問題点を見てみよう。

第一に、戦死者との共生感が靖国という形をとらなければならない必然性はない。
 ……
 兵士の慰霊や追悼にも、さまざまな形がありうる。それが靖国という形をとるのは、戦前・戦中においても、戦後の首相の参拝においても、江藤の言う「文化論」を超えた国家の政治的意志が働いたからである。(164−165頁)


筆者がここで「国家の政治的意志」を看取していることが重要だ。

靖国神社を肯定するものたちは、
それを純粋な「文化」のレベルに閉じこめ、政治的問題を隠蔽する。

しかし、まさしくそのような卑劣なふるまいこそが「政治的」なのである。

第二に、文化としての「死者との共生感」を言うなら、なぜ靖国は日本の戦死者のなかでも軍人軍属だけを祀り、民間人戦死者を祀らないのか。
 ……靖国はその夥しい死者のなかから、日本軍の軍人軍属のみを選び出して合祀し、軍人軍属より多数にのぼったと言われる民間人の死者には目もくれない。例外として、軍の要請による戦闘や徴用などによる作業中に戦死した民間人は合祀されている(準軍属)。(165頁)


そうなのだ。

靖国神社は「日本人」の文化などでは決してない。

靖国神社は、わたしたちのような民間の市民が死んでも、祀らない。

過労死したひとを祀るわけではないし、交通事故死したひとを祀るわけでもない。

あくまで天皇のための軍人だけを選んで祀る。

天皇のためにひとを殺しに行った軍人・兵士だけを「神さま」にする。

靖国神社は、死者を選別する。

靖国のように、戦死者のなかでも軍人軍属、戦士の死者のみを遇するという決定をしたのは、これもまた「文化論」を超えた国家の政治的意志である。(166頁)


それだけではない。

「死んだら日本ではみんな神さまになる」などと言われているのだが、
靖国神社は「敵」の戦死者を決して祀らない。

 第三に、戦死者との交感を言うなら、なぜ靖国は敵側の戦死者を祀らないのか。
 日本の中世・近世には、仏教の「怨親平等」思想の影響で、敵味方双方の戦死者の慰霊を行なう方式が存在した。北条時宗建立の円覚寺は文永・弘安の役(「元寇」)の、島津義弘建立の高野山奥の院・敵味方供養碑は文禄・慶長の役(「朝鮮出兵」)の、敵国と自国双方の戦死者の慰霊を目的としている。(166−167頁)


敵・味方、双方の死者を慰霊する方式が、かつての「日本」には存在していた。

戦死者のなかから味方だけ選んでを慰霊し祀るというのは、
日本の「伝統文化」でも何でもない、ということだ。

このような右派の支離滅裂ぶりは、さらにつづく。

諸外国から靖国参拝が批判されると、彼らは一様にこう反発してみせる。

「戦死者の慰霊はどこの国だってやっているではないか」

「なぜ日本だけが批判されなければならないのか」


右傾化している一般市民のなかにも、そのように考えているひとがいるだろう。

あの田母神俊雄なども言いそうである。

実際、江藤淳も同じような主張をしていた。

この混乱ぶりはどうしたものか。この問題に対する江藤の「基本的態度」は、「日本の国柄」は「アメリカの国柄」とは違う、「われわれのConstitution」は「欧米人のConstitution」とは違うとして、靖国を「死者との共生感に充たされ」た「日本文化特有の時空間」に根拠づけることだった。ところがここへ来て、江藤は突然、「どこの国だって」そうしているではないか、と言い出す。「どこの国だって」、「自国の戦死者」を、また「自国の戦死者」だけを弔っているのであって、日本だって同じだ、と。ここには矛盾が露呈している。靖国の論理を日本「特有の」文化伝統から説明しようとしたのに、ここで江藤は、日本の文化伝統のなかに存在した「敵味方の死者を弔う」という方式を完全に無視して、「どこの国だって」している、日本に「特有」でない方式に訴えなければ、靖国を説明することができないのである。(168頁)


「ほかの国だってしているではないか」という幼稚な屁理屈の問題点は、
これまでわたしも何度も書いてきた。

再度確認しておこう。

靖国神社は、日本の「伝統文化」などではない。

新しくつくられた「戦争のための神社」であり、「洗脳のための神社」だ。

靖国神社の前身、東京招魂社は、1869年6月の第1回合祀で幕末以来の内戦の「官軍」=新政府軍の戦死者3588人を祀って以来、靖国神社となってからも今日まで、内戦の死者としては「官軍」=新政府軍の戦死者のみを祀り、「賊軍」=旧幕府軍および反政府軍の戦死者は祀っていない。(168−169頁)


だから、「死んだらみんな神さまになる」というのは、真っ赤なウソである。

同じ「日本人」の戦死者でも、時の「政府」の側すなわち天皇のいる側に敵対した戦死者は排除するというこの「死者の遇し方」は、戊辰戦争の帰趨を決した会津戦争の戦死者への対極的な扱いに対応している。(169頁)


さきほども記したように、
敵の戦死者を排除しない慰霊は、かつての「日本」でも行なわれていた。

日本の中世・近世には、外国軍との戦争においても怨親平等の弔いがあった。「日本人」同士の戦争においては、そうしたケースはもっと多く確認できる。平重盛の紫金山弦楽寺、藤沢清浄光寺(遊行寺)の敵御方供養塔、足利尊氏の霊亀山天龍寺、足利尊氏・直義兄弟の大平山安国寺、北条氏時の玉縄首塚、等々。(172頁)


靖国のあり方をまるで「日本の伝統文化」であるかのように装うのは、
「偽装天国ニッポン」に相応しい「大ウソつき」のふるまいにほかならない。

いずれにせよ、1869年の東京招魂社創建から今日まで、ほぼ140年間、かつて国家機関であった時代も、敗戦後に宗教法人となってからも、靖国神社に「天皇の軍隊」の敵側の死者が祀られた例は一つとして存在しない。靖国神社がこのように敵側の戦死者を排除するのは、まさに「文化」を超えた国家の政治的意志によるのである。(174頁)


靖国神社は、「政治的な神社」なのである。

靖国神社の死者との関係は、以上のように、特殊な戦死者との関係である。すなわち、戦争の死者から敵側の戦死者を排除し、さらに自国の戦死者から一般民間人の戦死者を排除した後の、日本の軍人軍属(および日本軍の協力者)の戦死者との関係である。(176頁)


以上で、よく分かったのではないか。

国家が戦争をするためには、それに喜んで協力してくれる国民を作らねばならない。

靖国神社は、国民を洗脳するための「政治的な仕掛け」なのである。

どうして右派政治家どもは、近所の神社に参拝に行くのではなく、
わざわざ「靖国神社」に集団でぞろぞろと行こうとするのか?

なぜ近所の八幡神社ではないのか?

なぜ「靖国」なのか?

それはそういうことが理由だったのだ。

破廉恥な者どもが靖国神社を何とか正当化しようとすると、
これは日本特有の文化なのだと特殊性をアピールする一方で、
その舌の根も乾かぬうちに、これは他の国でもしている「普通」のことだと言い張る。

彼らは思わず「しどろもどろ」になってしまうのだ。

ところが彼らには、自分の「しどろもどろ」と向き合う勇気がない。

逆ギレして、他者のせいにして開き直ることしかできないのだ。







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