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zoom RSS 高橋哲哉『靖国問題』(ちくま新書)A

<<   作成日時 : 2009/06/07 03:24   >>

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次に筆者は、「歴史認識の問題」としてこれを取り上げる。

このなかの、とくに若者が理解していない事柄について拾っていこうと思う。

ここで問題になるのが、いわゆるA級戦犯の問題だ。

よく知られているように、靖国神社にはA級戦犯も祀られている。

戦争犯罪の最高の責任者たち(天皇は巧妙に除かれている)が、
靖国では「英霊」として祀られている。

どうしてそうなったのか?

戦後、靖国神社への合祀は、厚生省が遺族援護法などを適用できる「公務死」として認定した人々の名簿を靖国神社に渡し、靖国神社がそれを基にして行なってきた(この厚生省と靖国神社の連携自体、政教分離を禁じた日本国憲法に違反する疑いが濃いと考えられる)。厚生省は、1966年の段階で、すでにA級戦犯の祭神名表を靖国神社に送っていたことが明らかになっている。(65頁)


国が、一宗教法人であるはずの靖国神社に祭神名表を送っていたというのだ。

これは誰がどう見ても、政教分離の原則に違反している。

ところが、こうした批判に逆ギレする連中がいる。

彼ら/彼女らは言う。

「そもそもA級戦犯というのは、東京裁判の不当な結果にすぎない」と。

「東京裁判は、勝者による不当な裁きだ」と。

なんともおめでたい連中である。

現実問題としては、日本が連合国による占領状態から主権を回復し、国際社会に復帰することを可能にしたサンフランシスコ講和条約において、日本政府が連合国による戦犯裁判の「判決」を受諾している、という事実がある。東京裁判を「勝者の裁き」として拒否し、「A級戦犯」断罪を容認できないと主張するなら、戦後日本国家を国際的に承認させた条件そのものをひっくり返すことになってしまう。(69頁)


この矛盾に、右派・愛国主義者どもは気づかない。

どうしてこんな簡単なことに気づかないのか、
それにはまた秘密があるのだが、それについてはいずれまた。

それから、天皇ヒロヒト自身がA級戦犯合祀に不快感を抱いていたことが
「富田メモ」によって発覚したわけだが、
このときの右派・愛国主義者たちの狼狽ぶりは見ていて滑稽であった。

さて、A級戦犯が靖国神社に合祀されていることから、
日本の首相が靖国に参拝することに対して国際社会から厳しい非難が起こる。

中国や韓国から厳しい批判が向けられる。

これに対して、多くの日本人は反発する。

逆ギレと言ってよい。

彼ら/彼女らは、中国や韓国がいつも戦争を「ネタ」に日本を批判しているかのように感じる。

しかし、本当にそうなのだろうか?

実際は、多くの日本人の印象とは反対に、
中国や韓国からの靖国神社参拝への批判は、きわめて妥協的なものなのだ。

日本では、中国は「A級戦犯」合祀を理由に日本の首相の靖国神社参拝を批判することによって、日本の戦争責任を徹底追及しているのだ、という印象が広まっている。しかし私の見方は、ある意味で逆である。中国政府は、この問題を「A級戦犯」合祀に絞り込むことによって問題を限定し、一種の「政治決着」を図ろうとしているのである。
「A級戦犯」合祀を問題にするということは、逆に言えば、それ以外は問題にしないということにほかならない。(70頁)


まさにそのとおりなのだ。

中国政府や韓国政府などは、A級戦犯の合祀を問題にしているのであって、
それ以外は問題にしていないのである。
※じつはこの言い方は正確ではないのだが、その意味はすぐ後に分かる。

だから、この点から言えば、
むしろ中国政府や韓国政府は日本に対する批判が甘すぎる、と言えるくらいなのだ。

中国や韓国からの非難は、ちっとも厳しいものではない。

逆に相当に妥協したものなのである。

こうも言える。「A級戦犯」以外を問題にしないということは、靖国神社そのものを問題にしているのでもない、ということである。いやそれどころか、中国政府は(韓国政府も)「A級戦犯」合祀自体を問題にしているのではない、とさえ言えるだろう。繰り返して確認すれば、中国政府が批判を開始したのは、「戦後政治の総決算」を唱えて新国家主義を打ち出した中曾根首相が公式参拝したときであって、「A級戦犯」合祀が公けになったときではなかった。中国政府の批判は、日本の一宗教法人・靖国神社が「A級戦犯」を合祀したこと自体にではなく、そうした戦犯が合祀されていることが明らかになっている靖国神社に、日本の首相が公然と参拝するという現在の政治行為に向けられている、と考えるべきであろう。(70−71頁)


筆者による説明は、きわめて正確なものである。

A級戦犯が合祀されている靖国神社に日本の首相が参拝すること。

これはどう考えても相当に異常なことだ。

それはそうだろう。

たとえば、ナチスの幹部を「神」として祀った宗教施設があったとしよう。

そこに、戦後ドイツの首相や大統領が参拝に行って、
「英霊」を「顕彰」しに行ったとしたらどうなるのか?

考えてみれば分かるだろう。

侵略の被害を受けた国にとって、これだけは許せない行為だ。

だからアジア各国政府は、それだけはやめてほしい、と言っているのだ。

本当なら、わたしたち日本人にとっても許しがたい行為のはずなのだ。

中国政府などは、じつはきわめて寛容な態度をとっているのである。

どうしてそこまで寛容なのか?

A級戦犯を合祀している宗教組織があるというだけで、
十分に批判する理由になるはずなのに。

だって、ドイツにナチスを祀る宗教組織があったら、
それこそ重大な問題になるはずだろう。

それは、中国の歴史認識に関わっている。

つまり、「日本軍国主義者」と一般の「日本国民」を区別して、中国侵略戦争の責任は日本軍国主義者にあったのであり、一般の日本国民にあったのではない、という立場……。(71頁)


これはよく知られた中国政府の公式見解のはずだ。

中国政府は、寛大なことに、
日本の一般国民のことを「軍国主義者」の犠牲者と見なしてくれているのである。

この立場には、二重の意味が込められていると思われる。第一に、日本国民に向けて中日友好を訴え、日本国民が中国人民とともに「日本軍国主義の復活」に反対するよう呼びかける意味である。第二に、戦争で甚大な被害を受けたけれども、中国の発展のためには「民族復讐主義」を抑えていこうという自国民に向けた説得の意味である。(72頁)


こういう事実を知らないと、
中国や韓国では「反日教育」が行なわれているなどというデマを信じることになるのだ。

若いひとたちは、とくにこのことを知らない。

すると、日本政府が考える対応はいくつかに分かれる。

 @ A級戦犯を合祀した靖国神社への参拝を強行すること
 A A級戦犯を分祀して、靖国神社への参拝をつづけること
 B A級戦犯の分祀を拒む靖国神社への参拝をやめること

@は、国際社会からの反発を招きつづけることになる。

Bは、右派にとっては採用しにくい道である。

そこで、右派はAの道を探ろうとしている。

Aであれば、中国政府や韓国政府からの批判はなくなる。

では、それでよいのだろうか?

A級戦犯の分祀がもっともよい方法なのだろうか?

もちろんそうではない。

私が強調したいのは、A級戦犯分祀論は靖国問題における歴史認識を深化させるものではなく、むしろ反対にその深化を妨げるものだということである。(77頁)


どういうことか?

筆者の説明を見てみよう。

いま仮に、A級戦犯が分祀されたとしてみよう。そのとき何が起こるだろうか。
 日本の首相が靖国神社に公式参拝する。中国政府や韓国政府からは何の抗議も発せられない。……そして次に、A級戦犯合祀が公けになってから今日まで途絶えている天皇の「御親拝」が復活する。(78頁)


想像してみただけで相当に不気味な光景である。

この構図が問題なのは、それがある意味で、東京裁判の巨大な問題点を反復するものにほかならないからだ。(78−79頁)


戦争責任をA級戦犯に押し付けることで、天皇の復権が図られるわけだ。

A級戦犯を排除した靖国神社に昭和天皇が参拝し、「英霊」たちを慰撫する。それは、A級戦犯に主要な戦争責任を集中させ、彼らをスケープゴート(犠牲の山羊)にすることで昭和天皇が免責され、圧倒的多数の一般国民も自らの戦争責任を不問に付した東京裁判の構図に瓜二つなのである。(79頁)


こういう分析は、読んでいて、すーっとする。

東京裁判を批判してきた連中がやろうとしていることが、
じつは東京裁判の反復でしかない(!)というのだから。

筆者の分析力に脱帽である。

さらにまた、天皇の権威によって天皇の神社として、それらの兵士を動員することに決定的な役割を果した「戦争神社」靖国神社の戦争責任もまったく問われないことになる。(79頁)


靖国神社は「戦争神社」なのだという点がまた重要なのだが、
こうなれば、わたしたち日本人にとっても悪夢である。

靖国神社とは、いったいどのような思想を持った宗教施設なのだろうか?

……植民地獲得と抵抗運動弾圧のための日本軍の戦争が、すべて正義の戦争として記述され、そこで死亡した日本軍の指揮官と兵士が「英霊」として顕彰されてきた……。(84頁)


つまり、日本の植民地主義=侵略行為を丸ごと正当化する思想である。

逆に言うと、日本の植民地主義を国民に洗脳していくための宗教施設なのだ。

靖国神社と日本植民地主義の関係を示すもう一つの重大な事実は、旧植民地出身の合祀者の存在である。靖国神社が公表しているところによれば、2001年10月現在で、台湾出身の合祀者が2万8863人、朝鮮出身の合祀者が2万1181人。これだけでも、合わせて約5万人の旧植民地出身者が、靖国神社に「護国の神」として祀られているのである。(93頁)


若者は、靖国神社が「日本の宗教施設」であると思い込んでいて、
そこから「靖国問題への中国・韓国からの批判は内政干渉だ」という誤解が生まれるのだが、
ここからも分かるように、靖国神社は旧植民地出身者も勝手に合祀しているのだ。

台湾や朝鮮のひとびとを、勝手に祀っているのである。

遺族の意向を無視して。

まとめよう。

靖国神社が問題なのは、A級戦犯合祀の問題だけではない。

植民地主義そのものを正当化するのが靖国神社の思想なのだ。

したがって、A級戦犯合祀問題は靖国に関わる歴史認識問題の一部にすぎず、
本来、日本近代を貫く植民地主義全体との関係こそが問われるべきなのである。






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