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zoom RSS 高橋哲哉『靖国問題』(ちくま新書)@

<<   作成日時 : 2009/06/06 01:04   >>

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これほどまでに靖国問題を分かりやすく解説した本があっただろうか?

平易な言葉で書かれた見事な名著である。

超超超おすすめ。

こういう話題をブログで取り上げると、
この記事がまた「ゴキブリ・ホイホイ」機能を図らずも発揮してしまうのではないか、
という予感がするのだが、
大事なことは何度でも書くべきであると思う。

世の中には、「え? 靖国神社の何が問題なの?」と思うひともいるだろう。

「靖国神社って、日本の文化じゃん」と思い込んでいるひともいるだろう。

何の抵抗感もなく、靖国神社に初詣に行くひともいるだろう。

桜を見に行くひともいるだろう。

こういうひとたちは、どうして首相の靖国参拝が問題になるのかが理解できない。

こういうひとたちは、中国や韓国から批判されたと聞くと、逆ギレする。

靖国神社がどういう存在なのかを彼ら/彼女らはまったく知らない。

そういうひとは、この本をぜひ読んでほしい。

そうすれば、あなたの思い込みがすべて間違ったものだと分かるはずだ。


**************************************


筆者は、「靖国問題」をまずは「感情の問題」から考察する。

靖国神社は、大日本帝国の軍国主義の支柱であった。たしかにそうなのだが、この問題のポイントの一つは、靖国信仰がかつての日本人を「軍国主義者」にしたかどうかというレベルにおいてだけではなく、より深層において、当時の日本人の生と死そのものの意味を吸収し尽くす機能を持っていた点にあるのではないか、と私は思う。
 「お国のために死ぬこと」や「お天子様のために」息子や夫を捧げることを、聖なる行為と信じさせることによって、靖国信仰は当時の日本人の生と死の全体に最終的な意味づけを提供した。(29−30頁)


つまり、ひとびとを戦争に動員するための洗脳装置が、靖国神社だったのである。

どういうことか?

ふつう、自分にとって大切なひとが戦争で死んでしまったら、悲しむものだろう。

かけがえのない命が失われたことに深く傷つき悲しむものだろう。

ところが、その悲しみが国家的儀式を経ることによって、一転して喜びに転化してしまうのだ。悲しみから喜びへ。不幸から幸福へ。まるで錬金術によるかのように、「遺族感情」が180度逆のものに変わってしまうのである。(43頁)


国家のために死んだ「殉教者」が「神」として靖国神社に祀られる。

すると、遺族は、どういうわけかそこで「喜び」を感じるようになるのだ。

「あのひとが神として祀られている」

「あのひとの魂を天皇陛下がなぐさめてくれている」

遺族はたちまち「喜び」の感情に包まれてしまうのである。

決定的に重要なのは、遺族が感涙にむせんで家族の戦死を喜ぶようになり、それに共感した一般国民は、戦争となれば天皇と国家のために死ぬことを自ら希望するようになるだろう、という点である。遺族の不満をなだめ、家族を戦争に動員した国家に間違っても不満の矛先が向かないようにしなければならないし、何よりも、戦死者が顕彰され、遺族がそれを喜ぶことによって、他の国民が自ら進んで国家のために命を捧げようと希望することになることが必要なのだ。(44頁)


これを筆者は、靖国信仰を成立させる「感情の錬金術」と呼んでいる。

悲しみを喜びに魔法のように変えてしまうからだ。

大切なひとが死んだことを喜ぶようになってしまうからだ。

「靖国神社は日本の伝統的な宗教施設だ」と誤解しているひとがいる。

しかし、靖国神社は「伝統」でも何でもない。

靖国神社は1869年に東京招魂社として創建され、10年後の1879年に靖国神社と社号を改称し、別格官弊社となった。その間、1874年の「台湾出兵」から海外派兵における戦死者の合祀を開始し、日清戦争に至ったのだが、この時点ではまだ靖国信仰のシステムが確立されていたとはいえなかった。(44頁)


つまり、ほんの百数十年前に建てられたにすぎない新しい施設なのである。

では、何のためにつくられたのか?

それは、靖国信仰の3つの本質に秘密が隠されている。

 @ 「聖戦」教義:自国の戦争を正義の戦争とする教え

 A 「英霊」教義:戦死した将兵を「お国のために死んだ」存在として英雄化する教え

 B 「顕彰」教義:他の国民に「英霊に続け」と呼びかける教え

つまり、国民に対して、
国家の行なう戦争はつねに正しい戦争(殺人!)であること、
その戦争で戦死したひとは英雄になれること、
さらにはあなたたちも戦争に喜んで行け、喜んで人殺しをして来い、
と洗脳するためのカラクリだったのだ。

これは洗脳以外の何ものでもない。

……靖国の戦死を悲しむことを本質とするのではなく、その悲しみの正反対の喜びに転換させようとするものである。靖国の言説は、戦死の美化、顕彰のレトリックに満ちている。(54頁)


靖国神社は、単なる神社ではない。

靖国神社は、戦争を美化し、戦争をするために必要な装置なのである。

だからこそ、靖国参拝が問題になるのだ。

では、「感情の錬金術」というカラクリを見抜いたわたしたちは、
靖国神社に洗脳されないためにどうすればよいのだろうか?

もしそうだとすれば、靖国信仰から逃れるためには、必ずしも複雑な論理を必要としないことになる。一言でいえば、悲しいのに嬉しいと言わないこと。それだけで十分なのだ。……本当は悲しいのに、無理をして喜ぶことをしないこと。悲しさやむなしさやわりきれなさを埋めるために、国家の物語、国家の意味づけを決して受け入れないことである。(51頁)


こう筆者は述べている。

見事な考察である。

靖国のシステムの本質というのは、
戦死の悲しみを喜びに、不幸を幸福に逆転させる「感情の錬金術」にあるのだ。






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