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zoom RSS ルース・ベネディクト『菊と刀』(社会思想社)@

<<   作成日時 : 2009/05/26 14:33   >>

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言わずと知れた日本文化論の「古典」である。

ルース・ベネディクトは、アメリカの文化人類学者であり、
アメリカ軍が日本を占領統治するための「貴重な考察と示唆」を与えた。

統治するなら、敵を知れ。

それで生まれたのが本書である。

日本人とはいかなる国民なのか?

日本人の価値観はいかなるものなのか?

日本文化とはどのようなものなのか?

文化相対主義の立場から、日本の「文化」を読み解いてみせる。

「罪の文化/恥の文化」という言葉を聞いたことがあるだろう。

「欧米は『罪の文化』であるのに対して、日本は『恥の文化』である」。

こう述べたのが本書だ。

アメリカ人にとって、日本人は理解不能なひとたちであった。

戦争中、特攻隊は自ら爆弾となって死んでいった。

そしてその行為を美化する。

戦争に熱狂していた国民は、敗戦を迎えると、たちまち「平和」主義者に変身する。

まったくワケの分からないひとたちであった。

日本人はアメリカ人がこれまでに国をあげて戦った敵の中で、最も気心の知れない敵であった。(5頁)


そこで著者は、日本について内在的に研究するのである。

日本人は最高度に、喧嘩好きであると共におとなしく、軍国主義的であると共に耽美的であり、不遜であると共に礼儀正しく、頑固であると共に順応性に富み、従順であると共にうるさくこづき回されることを憤り、忠実であると共に不忠実であり、勇敢であると共に臆病であり、保守的であると共に新しいものを喜んで迎え入れる。彼らは自分の行動を他人がどう思うだろうか、ということを恐ろしく気にかけると同時に、他人に自分の不行跡が知られない時には罪の誘惑に負かされる。彼らの兵士は徹底的に訓練されるが、しかしまた反抗的である。(6−7頁)


他人の目が届かないところでは平然と罪を犯す。

これは「罪の文化」ではないからだ、という。

「恥の文化」は、世間の目を気にしているうちは行動を抑制するが、
世間の目の届かないところではやりたい放題。

「旅の恥はかきすて」。

今後も非常に長い間、日本は必ずその生来の態度の中にあるものを保ってゆくことであろう。そしてこれらの態度のうち、最も重要なものの一つは、その階層制度に対する信仰と信頼である。(29頁)


つまり、上のものには「ぺこぺこ」頭を下げる態度である。

日本は必ず精神力で物質力に勝つ、と叫んでいた。(29頁)


極端で狂信的な精神主義が日本の特徴である。

しかし、つねに精神主義的な軍国主義だったわけではない。

大正デモクラシーのときは、多くのひとが「デモクラシー」に熱狂していた。

彼らはあの第一次世界戦争の後、猫も杓子も“デモクラシー”を口にした時代、軍人が東京の市中へ出かける時には、平服に着換えて行った方が賢明だったくらいに、軍国主義が不人気だった時代でも、天皇に対する崇敬の念は同じように熱烈であったことを見て知っていた。(38−39頁)


そして国民は、いつも都合よく天皇を利用する。

最後まであくまでも頑強に抗戦した日本の俘虜たちは、その極端な軍国主義の源を天皇においていた。彼らは「聖志を奉行」していたのであり、「聖慮を安んじ奉り」、「天皇の命のままに身命を捨て」つつあったのである。「天皇が国民を戦争にお導きになったのである。そしてそれに従うことが私の義務であった」というのがこれらの連中の言い分であった。ところが今度の戦争および今後の日本の征服計画を否認していた者たちもやはりきまったように、その平和主義的信念の出所は天皇であるとしていた。天皇はすべての人にとってすべてのものであったのである。戦に倦み疲れた人たちは天皇を「平和を愛好し給う陛下」と言い、「陛下は終始自由主義者であって、戦争に反対しておられた」と主張した。(40頁)


おめでたいひとたちである。

意見をコロコロと変える。

日本人は「名誉」を重んじる。

しかしその「名誉」は、欧米とは異なる意味で使われている。

ところが、日本人は事態を異なったふうに規定していた。名誉とはすなわち死にいたるまで戦うことであった。とても望みのない状況に追い込まれた場合には、日本兵は最後の一発の手榴弾で自殺するか、武器を持たずに敵中に突撃を敢行して集団的自殺を遂げるかすべきであって、決して降伏してはならなかった。万一傷つき、気を失っていて捕虜になった場合にでも、彼は「日本へ帰ったら顔をあげて歩けない」のであった。彼は名誉を失った。それ以前の生活から見れば彼は「死せる者」であった。(47−48頁)


そんな軍人たちも、捕らえられると態度を一変させる。

「一億玉砕」

「鬼畜米英」

「生きて虜囚の辱めを受けず」

これらは何だったのかと思わせるほどに豹変する。

捕まった軍人たちが、ぺらぺらと秘密を何でもしゃべりはじめたのだ。

これらの連中は模範的な俘虜以上のものであった。永年軍隊のめしを食い、長い間極端な国家主義者であった彼らは、弾薬集積所の位置を教え、日本軍の兵力配備を綿密に説明し、わが軍の宣伝文を書き、わが軍の爆撃機に同乗して軍事目標に誘導した。それはあたかも、新しい頁をめくるかのようであった。
 ……アメリカ人はまさか俘虜がこのような回れ右をしようとは思わなかった。それはわれわれの掟に合致しないことであった。(51頁)


何なのだろうか? この無節操ぶりは。

状況・空気が変われば、それにカメレオンのように適応しようとする。

周囲の目を気にする態度のあらわれだ。

……何世紀もの久しい間にわたって、「恩を忘れない」ということが日本人の習性の中で最高の地位を占めてきたという事実である。近代日本はあらゆる手段を利用して、この感情を天皇に集中するようにしてきた。(117頁)


しかし、身近なひとから「恩恵」を受けることは嫌がる。

比較的縁の遠い人から、はからずも恩恵を蒙ることは、日本人の最も不快に感じるところである。近隣の人たちとのつき合いや、古くから定まった階層的関係においてならば、日本人は恩を受けることの煩雑さを承知しているし、また喜んでその煩雑さを引き受けてきた。ところが相手が単なる知人や、自分とほとんど対等の人間の場合には、心安からず思う。彼らはなるだけ、恩のさまざまな結果に捲き込まれることを避けたいのである。(120−121頁)


以上のことを知らないと、日本人を理解できないという。

日本人を理解していないひとたちは、
「忠」なる概念が日本人のなかでいかに大きなものであるかを理解しない。

1945年8月14日に日本が降伏した時に、世界はこの「忠」がほとんど信じがたいほどの大きな力を発揮した事実を目撃した。日本に関する経験と知識をもつ多くの西欧人は、日本が降伏するなどということはありうべからざることである、という見解を抱いていた。アジア大陸や太平洋諸島の所々方々に散在する日本軍がおとなしく武器を放棄すると考えるのはおめでたすぎる、と彼らは主張した。(152−153頁)


ここで日本の降伏が「8月14日」と記されていることに注目しよう。

彼らは好戦的な国民なのだ。こういうふうに日本を分析していたアメリカ人は、「忠」を勘定に入れていなかったのである。天皇が口を開いた、そして戦争は終わった。天皇の声がラジオで放送される前に、頑強な反対者たちが皇居の周りに非常線をめぐらし、停戦宣言を阻止しようとした。ところが一旦それが読まれると、何びともそれに承服した。満州やジャワの現地司令官も、日本内地の東条も、誰一人としてそれにさからうものがいなかった。(153頁)


こうして占領統治にあたって天皇を利用することが決定される。

すなわち、日本人は、たとえそれが降伏の命令であったにせよ、その命令を下したのは天皇であった、と言いうる権利を獲得したのである。敗戦においてさえも、最高の掟は依然として「忠」であった。(154頁)


天皇がいかに日本人の意識に影響を及ぼしていたのかを物語るエピソードを、
著者は次のように紹介している。

例えば、自分の学校の火災によって――失火の責任は全然ないのだが――どの学校にも掲げてある天皇の写真が危険に瀕していたという理由で自殺した校長がたくさんいる。(175頁)


次はこれ。

また、教育勅語か軍人勅諭か、どちらか一方の勅語を奉読している最中に読み損ないをし、自殺を遂げることによって汚名をすすいだ人びとに関する有名な話が伝えられている。現在の天皇の治世においても、ついうっかり自分の息子に「裕仁」という名を付けたために――日本では天皇の名は決して口にされることがなかった――その子供とともに自殺した人があった。(176頁)


次は、いかにも日本的で、欧米には見られないという話。

試合に負けた学生チームもまた、この失敗の恥辱にかられて随分極端な行動をとった。ボート選手はボートに乗ったまま、オールの傍らに身を投げ出して悲嘆にくれた。野球の試合に負けたチームはひとかたまりになり、おいおい声をあげて泣いた。アメリカでならばわれわれは、何という負けぶりの悪いやつらだ、と言うことであろう。われわれの作法では、敗者は当然、やはり力の優ったチームが勝ったのだ、と言うものと期待されている。敗者は勝者と握手するのが礼儀になっている。どんなに負けることがいやだとしても、負けたからといって泣いたり喚いたりするような人間をわれわれは軽蔑する。(179頁)


欧米人にとっては軽蔑するようなことだが、日本人にとっては「自然な」反応だと。

日本人はロシア人と並んで、その小説の中で好んで倦怠を描く国民であって、この点アメリカ人といちじるしい対照を示している。アメリカの小説家はあまりこのテーマを取り扱わない。(192頁)


なるほど。

このようなアメリカ人とはおよそ異なる日本人は、
結局、敗戦後、天皇制ファシズムをやすやすと放棄した。

そして占領軍を大歓迎する。

少数の頑強な抵抗者を除いて、日本人はアメリカ占領軍に対し不服従運動をしたり、地下潜行的反対をしたりする必要を認めない。彼らは古い主義を固守する道徳的必要を感じない。占領の当初から、アメリカ人は単独で、すし詰めの列車に乗って日本の辺鄙な片田舎へ旅行しても何の危険も感じず、かつては国家主義で凝り固まっていた役人に丁重な礼をもって迎えられた。今までに一度も復讐が行なわれたことはなかった。われわれのジープが村を通り抜ける時には、道ばたに子供たちが立ち並んで、「ハロー」、「グット・バイ」と叫ぶ。そして自分で手を振ることのできない小さな赤ん坊の場合には、母親がその手を持って、アメリカ兵に向かって振ってやる。(199頁)


このような日本人を見て、ふつうひとはどう思うのだろうか?

好戦的だった軍部の犠牲者?

おひとよしの日本人?

まさか。

「空気」が変われば、またいつでもそれに一斉に動員されていく。

それが日本人であろう。

国際的な緊張が叫ばれれば、すぐにでも「反撃」「攻撃」「戦争」へとすすむ。







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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
『菊と刀』は非常に奥深い本です。正しく理解するにはなかなか努力が要ります。その努力の助けになる本がありますからそれをご覧になることを勧めます。詳しくは次のページをご覧ください。
http://www.sutv.zaq.ne.jp/ckapj600/kikutokatana2/top21.htm
牡蠣
2010/11/15 15:36
>戦争に熱狂していた国民は、敗戦を迎えると、たちまち「平和」主義者に変身する。

戦後つくられた「反戦映画」の多くが、東京大空襲や原爆投下等、「被害者」としての側面ばかりを強調したものが「主流」であった観があります。「なぜ戦争になったのか」という「オリジン」を明確に描いたものは少ない(『戦争と人間』(山本薩夫監督)はその稀有な例の一つ)。加害者意識の欠落した「平和主義」など、何かあれば容易に「万民翼賛」に転化してしまうものと言えましょう。

>「空気」が変われば、またいつでもそれに一斉に動員されていく。
>それが日本人であろう。

自己の確立というものがまるでなく、ただ、その時々の支配的風潮に無条件で身を委ねてしまう没論理性こそ、「日本精神」の正体ではないのでしょうか。
反小市民
2010/11/16 22:13
◆牡蠣さま

お返事が遅くなりまして、失礼いたしました。

『菊と刀』には、じつは重大な問題もあります。ダグラス・ラミスがそのことを書いていますが、本の内容の分かりやすさに目を奪われてレイシズムに陥らないように注意したいと思っています。おもしろい本ですけどね。
影丸
2011/01/04 13:01
◆反小市民さま

いつも鋭いご指摘をありがとうございます。

あれほど悲惨な戦争をしてきたというのに「反戦の誓い」は60年も持たなかったわけですからね。丸山真男が指摘していた日本の「無責任体系」がいまも残りつづけている証拠だと思います。
影丸
2011/01/04 13:07

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