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zoom RSS 大澤真幸『ナショナリズムの由来』(講談社)D

<<   作成日時 : 2009/05/18 14:42   >>

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偏狭なナショナリズムに対抗するものは、一般的にいって「寛容」である。

「異文化を認めることが大切だ」と、自己中心的なナショナリズムは批判される。

この態度を多文化主義という。

しかし、問題はそれほど簡単ではない。

筆者によると、多文化主義は、エスノ・ナショナリズムや原理主義の裏面である。

……多文化主義が主唱する諸文化の完全な平等と相互尊重が、実践的にはその反対物へと転態しうる……。多文化主義が、望ましいものとして指定している社会状態は、結局、ラディカルなエスノ・ナショナリズムや原理主義に基づくアパルトヘイトとほとんど同じ状態になってしまうのである。(581頁)


ここで分かるのは、多文化主義が直面している二重性である。

その二重性とは何か?

一方では、多文化主義者は、実質的な内容を害する普遍的な規範が不可能である、ということを公然と認めている。……だが、他方では、多文化主義は、諸文化が平和的に共存する、普遍的な均質空間が実質的なものとして存在しうることに対する、独断的で素朴な信念をも保持している。(582頁)


それは次のような素朴な主張にあらわれる。

多文化主義の理論は、……こうである。「任意の文化は尊重されなくてはならない。それゆえに、この特定の文化――われわれの文化――も尊重されなくてはならない」。(611頁)


もっとも、多文化主義は異文化を強引に同化させるわけではない。

ふつう文化と人種は区別される。

それにもかかわらず多文化主義は人種主義の一種なのである。

……多文化主義が、それぞれの固有の文化を尊重し、統合主義的な方針を採らないのは、文化の差異が「本質的」だからである。……本来は後天的な文化や規範の差異が、人種のような生物学的な特性に匹敵する固定性を帯びる現象が、人種なき人種主義であった。(614頁)


この文脈をおさえると、
現在の国際社会がどうして〈帝国〉によって特徴づけられるのかが分かるという。

〈帝国〉と指示される実体において、類を包括する極端な普遍主義と、一部の共同体の利己的な利益にのみ資する極端な特殊主義とが、いかなる媒介もなしに短絡しているように見える……。たとえば、今日のアメリカの他国への介入は、常に、デモクラシーや人権といった、純粋に普遍的な理念の名のもとになされている。……ところが、その同じアメリカは、冷戦時代では到底考えられないほど極端に、利己的で孤立主義的に振る舞ってもいるのだ。地球環境問題に関する京都議定書の拒絶、ABM条約の破棄、国際刑事裁判所(ICC)への不参加などがそうした孤立主義を表現している。(615−616頁)


利己的なふるまいが普遍主義を名乗る。

そういえば、アメリカは「無限の正義」を標榜しようとしていた。

この倒錯した姿がまさに〈帝国〉なのである。

人種なき人種主義の原型は、反ユダヤ主義である。

そこには必ず「ユダヤ人の陰謀」といった荒唐無稽な陰謀論が伴っている。

日本でも、この類いの妄想をばら撒いているアホがたくさんいる。

それらはどれも読むに耐えないものばかりなのだが、
「中国人・韓国人の陰謀論」もまたネット上にはあふれている。

なかには「朝日新聞の陰謀」なるものまで書かれているありさまである。

ちなみに、陰謀論に汚染された有名人といえば、あの田母神俊雄である。

「日本は侵略国家ではない」と言い放つ御仁である。

ところで、なぜこうしたアホどもは陰謀論を信じてしまうのだろうか?

なぜ彼らは外国人が国内に入ってくることを嫌がるのだろうか?

外国人労働者や難民の排除を訴える右翼は、しばしば、「彼ら」は「われわれ」の文化や習慣に十分に溶け込んでいない、と批判する。それならば、彼らが溶け込めば、問題は解決するのか。そうはいくまい。「彼ら」が溶け込めば溶け込むほど、外国人嫌いの右翼は「未だ不十分」であることを示す徴候を捜し求めるに違いない。……われわれは、ナチスによる反ユダヤ主義の高揚は、ユダヤ人がすでにヨーロッパ社会に深く浸透し、ほとんどの場合、一目では、ユダヤ人とドイツ人とが判別できなくなったような段階においてこそ見られた、という事実に注目すべきである。(618頁)


つまり何が言いたいのかというと、
筆者はこれを「第三者の審級の意志が不確定な状態」にみられる、
不確定性を消去・克服するための物語(妄想)と捉える。

ひらたくいえば、
「われわれ」の快楽を外国人が奪おうと企んでいるというのである。

本書を読んでいないひとには何のことやら分からないだろうけど、
そのまま話をすすめていきたい。

では、かかる倒錯したレイシズム・ナショナリズムを乗り越える道はどこにあるのか?

それは、筆者によると、
「自己の内密性が〈他者〉に侵されていることを悦びとする感受性」(620頁)だという。

こうなると、本書の読者の3/4はついていけなくなるかもしれない。








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