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zoom RSS 家永三郎『戦争責任』(岩波書店)C

<<   作成日時 : 2009/02/01 01:00   >>

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この記事が、この本の紹介の最終回。

日本の戦争責任について検討したあと、著者は連合国の戦争責任の検討に移る。

アメリカにも、当然のことながら、戦争責任はある。

米国の日本に対する最大の戦争責任は、日本の都市を空襲し、多数の非戦闘員に対する無差別虐殺をおこなったことである。
 その一は、1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲以来、ことさらに低空夜間焼夷弾・爆弾攻撃を都市の人口密集地域に加え、多くの非戦闘員老若男女を殺傷した行為である。空襲はそれ以前から開始されていたが、第21爆撃機集団司令官カーチス−E−ルメイの決断によって3月10日の東京空襲から右のような新しい攻撃方法が実行されることとなった。……1982年に米国立国会図書館から発表された米国立公文書館公表のルメイらによる第21爆撃機集団戦術任務報告書には、「これら一連の攻撃の目的が、一般市民に対する無差別攻撃でなかったということは特筆されてよい。目的は、これら日本の四大都市〔東京・名古屋・大阪・神戸〕の中心部に集中している工業と戦略上重要な目標を破壊することにあった」と記されているというが、これに対する大岡昇平の「そんなこと、今さら通用しない。米軍はドイツのハンブルク、ドレスデンでも無差別攻撃をしているし、結果を見れば東京空襲が無差別攻撃だったことに弁解の余地はない。(中略)米軍内では、それまでの軍事目標主義の指揮官が更迭され、それに代わって登場したのが無差別攻撃の専門家と言われるルメイ少将だった」という批評談話に言われているとおり、非戦闘員への無差別虐殺の結果のもたらされることを予見していなかったとは、到底認められない。……そのルメイが、戦後に日本政府から自衛隊創設への貢献を理由に外国人にはじめての勲一等旭日大綬章を授けられたというのは、驚き入ったはなしである。(315−316頁)


どうだろうか?

こうしたことを知らない若いひとたちは、びっくり仰天してしまったのではないか?

市民の頭上から爆弾の雨を降らせ、
無差別殺戮(戦争犯罪!)を行なったルメイという人物に、
なんと天皇ヒロヒトと日本政府は「勲一等旭日大綬章」を与えているのである。

もし日本にまともな右翼などというものがいるのだとしたら、
彼らはこのことについて一体どのように考えるのだろうか?

アメリカのもっとも重大な戦争責任は、言うまでもなく「原爆投下」だ。

西島有厚『原爆はなぜ投下されたか』では、いっそう積極的に原爆投下が日本の降伏促進のためよりも対ソ威嚇のためになされたことを強調している。(323頁)


原爆投下は、戦争終結のためだったとアメリカでは理解されているが、
真相は上にあるように「対ソ威嚇のため」であったことは日本人なら誰でも知っている。

日本の降伏によってアメリカ軍が占領のため日本全土に進駐してきたとき、戦闘終了後の平和進駐であったにもかかわらず、女性を襲って強姦したり、また、日本人一般が最低の生活水準にあえいでいたにもかかわらず、金品の掠奪・強盗をはたらいたりした。(328頁)


連合国には、アメリカだけではなく、ソ連も入っていた。

では、ソ連の戦争責任についてはどうか?

 ……少なくとも日本人にソ連の対日開戦責任を論ずる道義的資格はないというべきであろう。
 さらにソ連の対日開戦が、アメリカの希望に基づいておこなわれたことも忘れてならないところである。(332頁)


日本人のソ連批判の説得力のなさについては、すでに書いたので繰り返さない。

それにしても、どうして日本人の多くはソ連を容赦なく批判してきたのに、
その批判の何分のいくつかをアメリカには向けてこなかったのだろうか?

理由は言わずとも分かる。

もしソ連の条約違反の責任を論ずるとするならば、ソ連をして国際法違反の実行を要求した米国の教唆あるいは共同正犯の責任をも論じなければならないのではなかろうか。(333頁)


もちろん、ソ連軍が行なった在満日本人に対する残虐行為などは、
厳しく批判されなければならない。

次に、敗戦後、中国の捕虜となったひとの手記を紹介する。

「八露軍兵士は私達を使役に使う時、必ず代償を払い、また人間として扱った。ある日、幹部と思われる一人の八露兵に声をかけられた。『どこから来ましたか』『子供は』『今どうして暮していますか』と、矢継ぎ早やにしかも叮寧な質問。『お子さんはかわいそうなことをしましたね。中国も大きな犠牲を払いましたが、あなた方も犠牲者です。これからはあなたの国も、私の国も大きく変わるでしょう』と。その人の目も、同行の少年兵の目も生き生きと美しかった。」(342頁)


中国側が日本人捕虜を人道的に扱ったことについては、
もっと知られていなければいけないし、強調されてよいことだ。

ほとんどの若いひとたちはこの事実を知らない。

知らないくせに中国批判を繰り広げている。

「中国は『反日教育』によって中国国民を洗脳している。」

「反日政策を外交カードに利用している。」

こうした妄想にとりつかれているひとたちが多い。

そうした妄想癖のひとは、上記の手記をよく読むといい。

中華人民共和国の戦犯に対する処遇は、他の連合国といちじるしく異なり、報復的処罰ではなく、戦争犯罪の自己認識を求める教育的措置をとり、改悛の情を認めたときは不起訴・早期釈放をおこない、また残虐きわまる行為の実力者であっても、死刑を科することがなかった。(369頁)


それに比べて、日本軍は中国人捕虜に対して何をしたか?

おぞましい残虐行為の記述が本書にあるので、直接読んでいただきたい。

次に、日本の戦後に目を移そう。

……東久邇宮内閣では「一億総懺悔」ということが唱えられた。国内における戦争責任の質的相違を解消し、権力者に対しては多くの場合被害者であった国民大衆から権力者の戦争責任追及の声の発せられるのを予防するための口実として考案されたスローガンであった。(352頁)


「一億総懺悔」とは、日本国民全員に「責任」があるということだ。

しかしそれは要するにみんなで「無責任」になるということだった。

しかも、これについては著者は書いていないと思うのだが、
この「一億総懺悔」というときの「懺悔」は、誰に向かって「懺悔」するのかが問題になる。

誰に向かって「懺悔」するのか?

侵略戦争の被害にあったひとたちに向かって、ではない。

信じられないことに、「天皇」に向かって日本国民が「懺悔」する、というものなのだ。

次に、東京裁判について。

東京裁判批判に対する批判は、これまでも何度もここで取り上げた。

極東裁判が勝者の敗者に対する一方的裁判であったとする非難がある。そのような一面のあることはたしかであるが、日本国民が自らの力によって戦争勢力を打倒し責任者の責任追及をなし得なかったのであるから、占領軍の処理に委ねられたのを非難する資格が日本人にあるとは思われない。(361−362頁)


ここが、戦後日本のあり方にも影響を与えたところだ。

日本人自身が天皇制ファシズムを打倒したのではなかった。

戦犯処理といい、追放といい、とにかく日本人自身の力によってなされたのでなく、占領軍から加えられた制裁という他律的印象を当事者に与え、処罰や追放を受けた人々に自発的な戦争責任の自己批判を生み出さなかったばかりか、あるいは居直りの戦争正当化論、あるいは制裁不当の自己弁護を言わせたり、「運が悪かった」というあきらめの心境に追いこんだり、いずれにしても戦争責任の自覚と正反対の方向に当事者たちを向かわせてしまったのである。(373頁)


日本人自身が日本人自身の手で戦犯を裁くこともなかった。

自国民の手で戦争犯罪を裁いたユーゴスラヴィアの一人民が日本の戦争犯罪処理について日本の新聞記者に向って述べた「他国の人に裁判してもらってそれで終ったことにしているのは、少しのんきすぎるように思いますが」という批評……で衝かれた不作為の報いは、その後の日本国家をして戦争責任の問題を完全に棚上げさせ、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」て制定された日本国憲法の平和主義・民主主義の理念を空洞化しつつ新しい戦争の危険のおそれある道を歩ませる結果となって現われている。(374頁)


だから、わたしたちが認識すべきなのは、
日本は戦前も戦後も断絶していない、連続しているのだということだ。

日本政府が、その後日本国内および世界的に展開する核兵器反対運動に同調せず、「核抑止」政策を採用しているのも、かような原爆使用の違法認定反対の姿勢と不可分の関係にあると考えざるを得ない。
 反対に日本の中国侵略における戦争を無視して中華人民共和国非難の態度を長くとっていたなかでも、例えば1958(昭和33)年2月8日の衆議院予算委員会における内閣総理大臣岸信介の次の答弁……に政府の対中国観が端的に示されている。
「中共が平和愛好国家として国際的に認められているかどうかが問題である。朝鮮動乱当時国連は中共に対する非難決議を行っており、まだ平和愛好国家として認められていないと思う。」
 さすがに「それでは中共は侵略国と考えるのか」という議員の重ねての質問には、「国連の現状からみてその点で答えるのは適当でない」と答弁を回避しているけれど、日本が中国に対して15年にわたり加えた侵略についてその被侵略全地帯の主権国家(平和条約を結んだ相手の国民政府の支配する台湾は、戦時下は日本の領土であって侵略戦争の対象ではなかった)に対し、いまだまったく日本の侵略についての謝罪もしてないのを棚にあげて、「中共」は「平和愛好国」ではなく「侵略国」であると明言するにひとしいことを公言しているのは、まことに驚くべきはなしではないか。日本政府が中華人民共和国に対しはじめて戦争責任の表明らしい意志表示をおこなったのは、中国と米国との接近に追随して1972(昭和47)年に日中国交正常化がおこなわれたときの共同声明中に「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」とあるのが最初である。しかも、ここではまだ中国との戦争が侵略戦争であったことを日本政府は明白には認めていない。(377−378頁)


岸信介は、A級戦犯である。

ドイツで言うなら、戦争中ナチスの幹部だったのと同じだ。

ところが、岸は戦後日本の総理大臣になっている。

ドイツで言うなら、ナチス元幹部が戦後ドイツの首相になるのと同じだ。

そして岸信介の孫である安倍晋三も総理大臣になった。

安倍晋三とはどういうひとなのかというと、
お腹が痛いと言って下痢を理由に首相の座を放り投げた無責任な人物で、
レイプされた女性を売春婦呼ばわりした人物で、
NHKの番組に圧力をかけて番組内容を変えさせた人物である。

このように日本国民自らの手により戦時下支配者たちの国際的・国内的戦争責任の追及をなし得なかったことが、いつのまにか戦争正当化論を国家の公的見解として採用させ、対米英開戦の詔書に副署した国務大臣の一人岸信介が内閣総理大臣に就任しても不思議とされない状態を現出させるにいたったのである。同じ枢軸国でも、ナチスやファシスト党の首脳が戦後政界の頂点に立つごとき思いも寄らないのを考えるときに、日本の戦争責任追及の欠如がもたらした政治的結果が、きわめて明白な形をとって示されていると言ってよかろう。その岸内閣によって再び新しい戦争への道を用意するとの深い危惧から大規模な反対運動を惹起した日米安保条約の改定が強行された事実も、結局はそうした戦争責任問題の雲散霧消化傾向の延長線上において理解されるところであった。(380頁)


支配層が戦前と戦後で断絶していないだけではない。

日の丸・君が代という侵略のシンボルでさえまったく変わっていないのだ。

そこで、わたしたちは無力感に甘えている余裕はない。

戦争責任の追及は、これからも続けられなければなるまい。

あらゆる方法を用いて。

その意味で、バートランド−ラッセルの発案で、アメリカのヴェトナム侵略戦争の違法性を告発するために開かれたいわゆるラッセル法廷の着想をより高く評価できるのではないか。(390頁)


この着想にヒントを得て行なわれたのが、「女性国際戦犯法廷」だった。

これについては、また後日あらためて書く。

では、何のために戦争責任は追及されなければならないのだろうか?

戦争責任の追及は、徒らに国家または個人を非難して快しとするものでないのはもちろん、復讐のためでも、被害感情の発散のためでもない。今日および将来において、かつてのような、否、むしろ過去のそれとは比較にならない悲惨きわまる状況の再現するのを防止するためである。(396頁)


言い換えるなら、戦争責任を曖昧にすることは、
再び同じ「過ち」を繰り返すということだ。

実際、日本政府は新しい「戦前」を作り出している。

今、新しい「戦前」の歩みが進行しているときに、これを阻止しようとしないのであれば、日本国民はまたもやその責任を問われなければならぬこととなるであろう。(398頁)


この本が出版されたのは、1985年である。

この時点で著者は新しい「戦前」の歩みが進行していると認識している。

それから約四半世紀が過ぎた。

すでに日本は戦争ができる国家づくりを着々と進め、
「戦前」というよりさらに深刻な「戦争前夜」という状況である。






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