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zoom RSS デイビッド・ポトーティとピースフル・トゥモロウズ『われらの悲しみを平和への一歩に』(岩波書店)・続

<<   作成日時 : 2009/01/16 09:19   >>

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前回のつづき

ナショナリズムというのは怖ろしいものである。

いったんそれに脳みそが汚染されてしまうと、
「敵国」の人間の身体が焼かれようと、粉々になろうと、
手足がもぎ取られようと、血だるまになろうと、
悲しみも同情も哀れみも感じなくなってしまうのだから。

それどころか、「敵国」のひとびとを痛めつけろ、叩きのめせ、殺せ、と叫ぶ。
公然と、あるいは、ひそかに。

しかし、いかなる理由をいくつ持ち出そうとも、
「武力攻撃」がもたらすのは何人もの無辜のひとびとの無惨な死である。

2001年の10月7日にアフガニスタンに爆弾が投下され始めたとき、これがわが国がテロリストの行為に応えて選んだ道であることを考えて、わたしは深く悲しんだ。皮肉なことにそれは弟の誕生日であった。たしかに、これは彼の死に対する当然の処置だと主張している者もいる。しかしそれは、暴力に暴力をもって返すことが永続的な解決にはならないと思っているわたしの主張ではない。たとえ、9月11日の恐怖に対してでもである。戦争は、わたしたちの失った家族の命を擁護するものではない。(142頁)


遺族にとって、これは耐えがたいことであろう。

アフガンの人々はもてなしの深さで知られている。どこへ行ってもわたしたちは、最高の尊敬ともてなしで歓迎された。わたしたちが、米軍の爆撃によって影響を受けた人々の家、あるいはその残骸を訪問した時でさえ、彼らは同じような礼儀で迎えてくれた、また十分に差し出すものがない時でさえ、わたしたちはお茶を、そしてたいていの場合に軽食を提供された。それは常に敵意を超えたもてなしであった。(144頁)


当たり前のことだが、
「敵国」と見なされたひとびとは、悪魔でも何でもない。

「同じ人間」である。

わたしたちはまた、テロリズムと戦争のほかの罪なき犠牲者たちとの親近感、すなわち国境を越えた親近感をも意識するようになった。共感をこめてわたしたちに手を差し伸べてくれた人々の中には全世界にわたって、暴力で自分の愛する者を失った人々がいる。それは広島と長崎、イスラエルとパレスチナ、アフガニスタン、イラン、コロンビア、アイルランドからの人々、そして恐るべき喪失感を味わったその他の人々である。彼らはわたしたちを、彼らの地球家族に迎え入れてくれた。わたしたちは彼らの支援を心から喜ぶ。

 わたしたちにとって9月11日は城壁が崩れ落ちた日であった。それはわたしたちが、十分な高さを持ったバリケードはないこと、十分に大きい爆弾はないこと、アメリカの不死身な強さという幻想を長引かせるのに十分なほど巧みな知恵はないことを自覚した日であった。(164−165頁)


あまりにも遠いひとびとの死を想起すること。

あまりにも遠いひとびとと人間的な関係を築くこと。

こうしてひとびとは、国家から「死」を「生」を自身の手に取り戻すのである。

わたしたちはバグダッドのアル・アミリーヤ防空壕の廃墟に立っていた。そこでは1991年2月13日に400人以上のイラク民間人――そのうちの圧倒的多数は女性と子どもと年寄りたちであった――が、米国のミサイルがシェルターを襲ったときに殺されていた。……
 ……わたしたちに随行していた政府警備員が、彼女の言葉を通訳してくれた。それによると最初のミサイルは4フィートの厚みのある鋼鉄で強化したコンクリートの屋根にがっぷり穴を開けた。そして2番目のミサイルがその開けられた穴を通り抜けてシェルターの中で爆発した。その爆発力は人々の体を猛スピードで投げ飛ばして、骸骨を壁に埋め込んだので、今でもそのままになっているほどである。燃え盛る火は壕内の酸素を完全に費消してしまった。温度はあまりにも高くなって、壁の中の水道管が爆発してシェルターの1階も2階も超高温の蒸気が充満するほどだった。人々が死んだときの状況は恐るべきもので、多分ローラが耐えたであろう火炎の中での最期とあまりにも多くの類似点があると考えて、わたしはその説明に吐き気を催した。(264頁)


シェルターのなかで猛烈な高温に焼かれ死んだイラクのひとびと。

そして、これを命じたのは、ブッシュ・ジュニア大統領である。

あのへらへらとニヤついた表情のブッシュ・ジュニア大統領である。

もし「報復」が正当化されるのであれば、
イラク人たちにはブッシュ一家を同じ目にあわせる権利があることになる。

ブッシュが何の処罰も受けずに、このまま引退してよいはずもない。
悠々自適の生活をさせるわけにはいかない。

いま、パレスチナ人たちも高温で焼かれ殺されている。

こうした事態に無関心な多くの日本人は、「人間」の名に値するのだろうか?

ピースフル・トゥモロウズは、徐々に支持者を広げているという。

「平和な明日を求める9月11日家族会」には100家族以上[2003年末には103家族]のメンバーが(そして2000人以上の支持者たちが)いる。(272頁)


しかし、彼らの活動も数々の困難に囲まれている。

……NHKテレビの特別番組『ピースフル・トゥモロウズ――9・11テロ戦争反対を訴えた遺族たち』(2002年12月22日放送)に登場した同会の創設者の一人アンバー・アムンセン氏が、本書には登場していない……。同夫人は愛する夫のクレイグ・アムンセン氏を国防総省のペンタゴンで失っている。訳者が2003年秋著者のポトーティ氏から聞いた話では、想像の通り同夫人は周囲の保守的愛国主義的批判・中傷に曝されていろいろないやがらせにも遭い、やむなく残された幼い子どものために、現在運動の前面から撤退しており、本人の意志を尊重して本書には寄稿していただいていない、ということであった。(279頁)


わたしもこのNHKの番組を観たのだが、
周囲からの卑劣ないやがらせ・脅しのために、
運動から手を引かなければならなくなってしまった女性がいたのである。

国家の方針に逆らうひとたちは、
「フセインの手先」だとか「非国民」だとかいった罵声を浴びせられる。

「ブッシュの手先」どもによって。

ナショナリズムに汚染された連中によって。

自分の国が強くなれば、
まるで自分自身も強くなったかのように錯覚する愚か者どもによって。

ところで、訳者は、
「本書はキリスト教徒にとっても必読の書である」(280頁)と述べているが、
言うまでもなく、キリスト教徒でないひとたちにとっても「必読の書」である。




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蓮池透・太田昌国『拉致対論』(太田出版)B
拉致問題を解決するのは、ナショナリズムとは別の方角にある。 ...続きを見る
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2010/01/12 11:32

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