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zoom RSS 家永三郎『戦争責任』(岩波書店)B

<<   作成日時 : 2009/01/29 04:42   >>

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日本の軍隊が残虐な行為を繰り返したのには、原因がある。

それは軍隊という組織がもっていた構造的特質にある。

……陸軍士官学校・海軍兵学校等を卒業し、はじめから将校として進級していく若い幹部の下に立つ下士官・兵の心裡にきびしい階級序列からの圧迫による不満が蓄積しないはずもなく、その不満が下級者への抑圧として転化され、すべての重圧が新兵に集中するとともに、戦場では敵兵や占領地住民への残虐行為として発散する一因ともなった。同民族でありながら他人の人権を平然とふみにじる軍隊に属している軍人が、異民族の人権をふみにじることにためらいを感じなかったとしても、怪しむに足りないであろう。
 上記のように、国民が制度のなかで権利・自由を保障されなかったのは、帝国憲法が近代憲法の眼目とする人権保障を目的としていない外見的立憲制憲法であったことによるが、同時に日本の社会が、その本質において近代市民社会の段階を経ることなしに外形だけの近代化を追い、社会構造に根強い前近代的共同体秩序を温存あるいは再生産していたことにもよるのであった。官憲万能と個人の自主性の欠如とが、制度と社会の実態との悪循環にささえられて、戦争期にいたる日本人の生活の特質をなしていたのである。(275−276頁)


軍隊という抑圧組織だけでなく、
日本社会に人権尊重の仕組みが存在していなかったことも大きな構造的要因だ。

さて、戦争に積極的に協力したのは、裁判官や学校の教師たちばかりではない。

いわゆる有力者たち・企業も国民を戦争に動員するのに大活躍した。

企業の戦争責任についても、日本ではほとんど追及されていない。

大まかに言えば、冒頭に例示したごとき大きな社会的影響力をもつ人々で積極的に戦争に賛同し国民ノ戦争推進への協力を鼓舞した人々の戦争責任は、国家機関の地位にあって戦争遂行時に当たった人々とほぼ同じ責任が問われるであろうが、序節で述べたように、知る自由も表現する自由もほとんど与えられず、常に心身両面にわたり権力の統制下におかれていた大多数の国民には、国家権力との関係から見れば、被害者の側面が大きいのは、いうまでもない。ことに戦争への参加・協力を好まず、ただ戦争に反対しまたは戦争への協力を拒む自由がないために余儀なく時世に順応していた人々の場合、特に被害者的側面が強いのである。そのような人々をも含めて、日本人(国籍上の日本国民ではなく、植民地での被支配民族に対して支配民族に属していた日本人)であるかぎり、日本国家の加害行為に進んで加わり、あるいはそれを阻止できなかった責任があるといわなければならない。すなわち、日本国家に対しては被害者として権力の行使者を責問する立場に立つと同時に、日本国家により被害を受けた元植民地諸民族・被侵略諸民族に対しては、加害行為について、少なくとも道徳的な意味での連帯責任を有するというべきである。(282頁)


ここも著者の甘さが若干気になるところだが、
一般国民は戦争の被害者であるという認識は成立しないことは確認できる。

一般国民の戦争責任を、このようにきめこまかく区別し、それぞれ異なる次元での問題として処理していくことが、責任問題の混乱と歪曲とをくいとめるため不可欠の方法であることを、くり返し強調しておきたい。(282頁)


次に、一般国民のなかでも、女性や子どもはどうだろうか?

女性や子どもは戦争の犠牲者とされることが多いわけだが、
そのような捉え方は本当に正しいのだろうか?

女性や子供がもっぱら被害者の境遇におかれたのは事実であるが、まったく物心のつかぬ乳幼児は別として、女性や小学児童にも加害者としての側面があったことも、また事実である。例えば「大陸の花嫁」という賛美の声に送られて満州開拓民の妻となって入植した女性たちは、客観的にみれば、現地居住中国農民の耕作地を収奪した日本開拓団に加入することによって、中国民衆への加害行為に積極的に加わったことになる。(297頁)


まさしくその通りである。

女性たちにも加害者としての責任があったのである。

では子どもはどうだろうか?

当時の子どもたちの雰囲気をよくあらわしている記事がある。
それを見てみよう。

『アサヒグラフ』1932(昭和7)年1月1日号には、東京市泰明小学校尋常科第五・六学年男女児童の「小学生座談会」の発言が記録されているが、当時の少年少女がどれほど積極的に戦争を謳歌していたかが、実によくわかる。
 記者 満州事変てどういふ事ですか。
 加藤〔浜三郎〕 支那人が日本人に対して大変無礼であるから、吾々日本の軍人はこれを懲らしめるために満州で支那軍と戦つて居るんです。
 (中略)
 記者 この頃国際聯盟がやかましく言つて居ります。国際聯盟といふものをどう思ひますか。
 加藤 世界の臆病が集まつて相談する所です。
 (中略)
 記者 これから先き日米戦争が起ると思ひますか。
 中島〔孝子〕 わからないわ。
 福沢〔三郎〕 僕は起ると思ふ。アメリカ人は威張りくさつて居るから、一度負かして見たい。
 加藤 米国人の高慢な鼻をヘシ折るために一度撃滅して見たい。
 福富〔ふみ子〕 私もそうして見たいわ。
 周囲のおとなたちの影響にちがいないが、女児をふくめて、成人をはるかに凌駕する戦争賛美を表明しているのである。(299−300頁)


これを読んで、どんな感想を持つだろうか?

わたしはこの洗脳されてしまった小学生たちの発言に、
昨今の右傾化する若者の姿を重ねてしまわずにはいられない。

1933(昭和8)年生れ、1943年にまだ10歳の小学校児童であった櫻本富雄は、同年6月8日『朝日新聞』長野版に掲載された自分の「愛国作文」を再発見し、「それは、私自身が戦争に加担したことを証明する、まぎれもない証文である。その罪責は、どのような反省をもっても、清算できるものではない。たかだか10歳の少国民にすぎなかった、などと言いわけをするつもりはない」……と明言している。(300頁)


もちろん子どもたちをこのような軍国少年・少女に洗脳教育してしまった
大人たちの責任がもっとも重大であることは言うまでもない。

次に著者は、日本共産党を取り上げる。

共産党は、戦時中も反戦活動を貫いてきた数少ない勢力である。

しかし、著者によると、日本共産党でさえ「責任がない」わけではないという。

日本共産党は思想団体であるよりも反体制政党として政治活動を主目的として組織されたのではなかったか。とすれば、たとい「日本政治の指導権をファシズムに明け渡」すことを妨げ「侵略戦争の防止」に成功する現実的可能性が存在したとは認め難いにせよ、少しでも「戦争の惨禍」の招来をくいとめるために当時にあって最大限可能な戦略戦術が考案され実行されたかどうかをきびしく自己批判する責任は残るのではなかろうか。(302頁)


相当に厳しい批判にも聞こえる。

実際、多くの日本国民が戦争に動員されていったなかでも、
反戦を貫いてきたのは日本共産党である。

その反戦活動のために拷問を受け、殺害されたひとも多い。

しかし、この批判はやはり甘受しなければならないだろう。

反戦活動を闘った日本共産党でさえ「責任」があるのであれば、
積極的に抵抗しなかった一般国民に「責任」がないはずはない。

吉田満が「一兵士の責任」(『戦中派の死生観』所収)と題する一文で、「平凡な国民(中略)、平均人の能力しかもたない者が、どこまで戦争協力の責任を問われるのかという設問」を掲げ、次のように論じていることは、抽象論にとどまるうらみがあるとはいえ、示唆に富むものがあると思われる。
「招集令状をつきつけられる局面までくれば、すでに尋常の対抗手段はない、そこへくるまでに、おそくとも戦争への準備過程においてこれを阻止するのでなければ、組織的な抵抗は不可能となる。目に見えない“戦争への傾斜”の大勢をどうして防ぐかにすべてがかかっている。(中略)
 平凡な一兵士あるいは一市民に戦争協力の責任を問うことは、酷であり無意味であるから責任そのものが存在しないと主張すべきなのだろうか。しかし私はそこまではふみ切れないでいた。このような混迷はまず、絶対非協力か屈伏かだけを考えてその中間の可能性を軽視したことから来ているのではないか。(中略)戦争憎悪がもっと深く私の中に根を下ろしていたら、戦争非協力に一歩でも近づく道をとりえたはずだし、もし真に平和を欲していたのなら、そのために、一つ一つは微細でも、無数といえる程多くの機会が与えられていたのではないだろうか。(中略)私の場合でいえば、戦争か平和かという無数の可能性がつみ重ねられながら一歩一歩深みに落ちていった過程を通じて、まず何よりも政治への恐るべき無関心に毒されていたことを指摘しなければならない。また国家と国民の関係について、国家の意志のあり方について、自分の問題として具体的に取組んだことはほとんどなかったといっていいだろう。他の人について論ずるのは、本論の主旨ではない。しかしこの意味では、おそらく大多数の国民が、ひとしく戦争協力の責任を問われるべきではないだろうか。(中略)このような基本的な戦争協力責任、戦争否定への不作為の責任を改めて確認することが、敗戦によって国民が真に目覚めるということであるにちがいない。」(306−307頁)


最後の部分にこう書かれている。

「戦争否定への不作為の責任」。

戦争を否定するためにあなたは何をしたのか?

何もしなかったのではないか?

そう問われる。

このことを十分に考えてこなかった日本人たちは、
現在もまったく同じ「過ち」を繰り返しているのである。

イラク戦争を目の前にして、あなたは何をしたのか?

何もしなかったのではないのか?

次に、戦後生まれた世代の「責任」について著者は取り上げる。

戦後世代は、戦争が終わってから生まれたのだから、直接戦争に関わっていない。

戦争に協力したわけでもない。

では、戦後世代にはまったく「責任」はないのだろうか?

しかし、ほんとうに「戦争を知らない世代」は、一切戦争責任と無関係であるのか? ……
 例えば、戦後生れの日本人が、海外に旅行して日本の被占領地域であった土地に赴き、そこで日本軍の残虐行為保存の施設、あるいは犠牲者追悼の碑・塔の前に立ったとき、あるいは日本軍の残虐行為により殺された人々の遺族や傷つけられた本人に出会ったときに、自分の生れる前のできごとだから自分には何の関係もないことであると、あたかも第三者のような顔をしてすませられるであろうか、すませられる人があるとしてもそれでよいものであろうか。良識ある日本人であるかぎり、たとい自分の生れる前になされた行為であったにせよ、日本人として平然と応対することのできない恥しさを感ずるのではなかろうか。そう感ずるのが当然であると思う。では、なぜ自分の生れる前の、自分としては関知せず責任を負うよしもないと思う行為に対して、恥しさを覚え、それにふさわしい応対をしなければならないのか。(308−309頁)


この論点についてはもっと詳細に論じたいところなのだが、
戦後世代にも「責任」はあるのだという指摘には、大賛成である。

どうしてか?

純戦後世代の日本人であっても、その肉体は戦前・戦中世代の日本人の子孫として生れたものであるにとどまらず、出生後の肉体的・精神的成長も戦前世代が形成した社会の物質的・文化的諸条件のなかでおこなわれたのであった。換言すれば、純戦後世代の心身は、戦前世代の生理的・社会的遺産を相続することなしには形成されなかったのである。(309頁)


ここで思い出されるのは、徐京植氏の言葉だ。

これについては、
日本の戦争責任資料センター編『ナショナリズムと「慰安婦」問題』(青木書店)
を参照してほしい。

戦後世代が戦前世代の遺産を相続することなしに自己形成をなし得なかったのであるとすれば、戦前世代の遺した責任も当然に相続しなければならないのである。個人の遺産相続に当たっては、相続を放棄することによって負債返還の義務から免れることもできるが、日本人としての自己形成において戦前世代からの肉体的・社会的諸遺産の相続を放棄することは不可能であるのだから、戦争責任についてのみ相続を放棄することもまた不可能である。
 日本国家の機関の地位に就く人々が全員純戦後世代に交代しても、法人としての日本国家の連続性が失われないかぎり、法人としての国家の戦争責任は消滅しないし、国民においても、日本国の主権者として国家の運営に参与する地位にある以上、同じ責任を負わねばならない。国家との関係を離れても、民族としての日本人の一員に属するのであれば、民族の一員として世代を超えた連帯責任から離脱できないと考えるべきである。(309−310頁)


ここで著者が「民族としての日本人」と述べている部分は、問題がある。

それを除けば、真っ当な指摘として受け取ることができる。

そして、日本政府が一貫して戦争責任を果たそうとしていない現実を、
そのまま支持・容認・黙認しているとするならば、
その「行為」をもって戦後世代の「責任」はさらに重くなると言わざるをえまい。

まだつづく




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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
この人にかかれば飼い犬まで戦争責任を課せられそうだw
菜奈氏
2009/09/24 20:17
◆菜奈氏さま

コメントをくださったのにお返事が遅くなって失礼いたしました。

それにしても、犬と人間の区別がつかないとは! どうぞお大事になさってください。
影丸
2009/10/08 22:46

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