フォーラム自由幻想

アクセスカウンタ

zoom RSS 高橋哲哉『「心」と戦争』(晶文社)

<<   作成日時 : 2009/01/02 02:32   >>

トラックバック 1 / コメント 0

「日本人としての誇り」

「日本を愛する心」

こうした陳腐なフレーズが、
抵抗感なくひとびとの口から発せられるようになってしまった。

ナショナル・アイデンティティを強めれば、
失った自信が取り戻せると思っているひとがいるらしい。

国旗国歌法が制定された当時、
国旗・国歌を国民に強制しないはずだった。

しかし、教育現場では何が起きているのだろうか?

2002年10月に報道されたことですが、福岡市の小学校のほぼ半数に当たる69校で、本年度から使っている6年生の通知表に、「国を愛する心情」や「日本人としての自覚」を3段階で評価する項目が盛り込まれていることがわかりました。正確にいえば、「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を持つとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚を持とうとする」。これを生徒がどの程度達成したかを、先生が評価するというのです。(57頁)


日本国家をどれだけ子どもたちが愛しているのかを、
信じられないことに、通知表で評価しているのである。

しかも、福岡市だけでなんと69もの小学校で行なわれていたという。

「きみはまだまだ日本国家に対する愛情が足りませんよ」

「きみはもうちょっと日本国家を愛せるといいですよ」

「きみは日本をとっても愛していて、すばらしいですね」

まさに心のなかまで踏み込んできて「愛国心」を評価しているのである。

これを国家による洗脳教育と言わずして、何を洗脳教育と呼ぼう。

これを全体主義と呼ばずして、何を全体主義と言おう。

これがいやしくも民主主義を標榜する近代国家のやることだろうか?

同じような愛国心通知表はその後、京都府でも見つかっています……。(59頁)


国家が、教育を通じて「愛」を強制しているのだ。

「愛国心通知表の問題は国家レベルではない、自治体レベルである」

そんな反論があるかもしれないが、
その後制定された「教育基本法の改悪」を見ればすぐ分かる。

これらの小学校は「教育基本法改悪」を先取りしていたのである。

こうした動きを積極的にすすめようとしているのが、「日本会議」だ。

では「日本会議」とは、どんな団体か?

彼らは、自分たちにとって都合のわるい歴史をことごとく勝手に書き換えてしまう連中だ。

たとえば日本会議のホームページに見られる「慰安婦」強制連行はなかったという言い方、これは強制連行ということが「慰安婦」問題の中心なのかどうかという問題にもなりますが、そういうことを主張している人たち、あるいは「韓国朝鮮統治は反省謝罪の対象なのか」という言い方、そうではないという言い方、要するに、日本の戦争責任や植民地支配責任を全面的に否定したがる、こうした「無責任」な歴史認識の持ち主たちが、いったいどんな権利があって、今日の日本社会のモラル・ハザードを追及する資格があるのだろうかと思ってしまう。(82−83頁)


恥知らずで無責任なひとたちが、日本のモラル崩壊を嘆いてみせる。

歴史の責任を認めないひとたちが、子どもたちに誇りを持てという。

これは、滑稽をずーっと通りすぎて、もはや悲劇である。

それに加えて、右派・ナショナリストたちは新しい言い訳をひねり出す。

「自分の国を愛することができてはじめて外国のことを理解できるのだ」と。

そんなバカな。

愛国心が足りないと、他国の文化の理解も低下するので無用の摩擦が生じるという。でも、最大の「摩擦」が生じたのは愛国心が強調された戦前・戦中ではなかったでしょうか。
 彼らの言葉遣いを注意してみると、愛国心、自国文化に対する愛着と、自国のことについては「愛」という言葉を使うのですが、他国の文化についてはけっして「愛」という言葉は使われず、「理解」なのです。自国の文化は「愛」すべきものなのですが、他国の文化は「理解」の対象でしかない。でも、どうでしょう、「文化」を「愛」するのに国境は関係ないのではないでしょうか。モーツァルトの音楽が好きだとか、イタリア料理が好きだとか、キムチが好きだとか、皆さんのなかにもそんな人は多いでしょう。能楽よりオペラを愛する日本人がいてもおかしくないし、オペラより能楽を愛するフランス人がいてもおかしくない。文化への愛に国境や国籍は関係ない。(95頁)


まったくそのとおりである。

どんな文化を好きになるのかは、趣味の問題である。

「愛すること」をひとびとに強制する存在とは、何なのだろうか?

たとえば、ある男性が、ある女性に対して次のように一方的に命じたらどうか?

「オレを愛しなさい」と。

さらには3段階で「愛」の通知表を作り、
「お前はまだまだオレを愛していないぞ」と言ったらどうだろうか?

恋人でも家族でもないのに。

しかも、男性は女性に執拗にしつこくつきまとうのである。

「オレのことを愛してくれないのか?」

「オレに対する愛情が足りない、もっと愛せ」

こういう男を、わたしたちはふつう、「ストーカー」と呼ぶ。

だから、わたしたちに「愛国心」を強制してくる国家は、「ストーカー国家」である。

ゆえに、愛国心教育はストーカー規制法に違反する。

したがって安倍晋三元首相は、語の厳密な意味で「ストーカー」である。

ちなみに、ストーカー規制法に違反すると次のような「罰則」がある。

第13条 ストーカー行為をした者は、6月以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

第14条 禁止命令等……に違反してストーカー行為をした者は、1年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。


次に、恐るべき「優生思想」について。

……ノーベル賞科学者の江崎玲於奈氏は、もっと恐ろしいことを言っています。
 能力に応じた教育とかいうけれど、それは具体的にどういうことかと訊いたら、「最初はクラスの中でできる子とできない子を机の列で分ける程度だが、ヒトゲノム解析もできたし、人間の遺伝子がわかるようになると、就学時に遺伝子検査をしてできる子にはそれなりの教育をして、できない子にはそれなりの教育をすればいいんだ」。
 これはもうナチスばりの優生学的発想ですね。(112頁)


ノーベル賞受賞者には立派な科学者もいるが、
江崎玲於奈のような差別的・優生学的思想の持ち主もいるのである。

そういえば、DNA螺旋構造を発見したひとも、人種差別主義者だった。

では、どうしていま愛国心だとか優生思想だとかが表面化してきたのか?

それは戦争の準備のためである。

現に、「有事」に備えた法律「有事法制」がこの国ですでに成立している。

逆にいうと、「有事法制」がここまで出てきているということは、政府のほうが国民に対して、そろそろ戦争する準備をさせてくれと言ってきている。戦争の禁止、戦争に国民を動員することの禁止を解除してくれ、そのための「有事法制」をつくらせてくれ、認めてくれと言ってきているわけです。(152−153頁)


戦争に動員されるのは、もちろんわたしたちである。

政治家ではない。

政治家の家族でもない。

そして、戦争を正当化するためには、外国に対する差別心が利用される。

あの福沢諭吉が、このことの参考になる。

続く台湾植民地戦争――当時は「台湾征討」と言われ、いまでも靖国神社ではそう言われている、清から割譲させた台湾を征服するための戦争――のときにも、福沢は『時事新報』で「反抗する者は一人残らず殲滅せよ」という激しい主張をしています。(216頁)


「反抗する者は1人残らず殲滅せよ」である。

これがいやしくも教育者の言うことだろうか?

福沢諭吉の怖ろしさについては、
以前書いた記事「安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識』(高文研)」を参照していただきたい。

現在、戦争を正当化するのに利用されようとしているのが、
「テロとの戦い」というもっともらしい理屈だ。

アメリカでは、この屁理屈が大いに力を発揮した。

しかし、これに抵抗したひとびともいた。

ところが他方、遺族のなかには数は少ないながらも、「自分たちのような遺族になる悲しみを他の人たちには味わわせたくない、自分たちの死んだ家族の名において戦争を正当化してほしくない」として、ブッシュ政権のアフガニスタン攻撃に、そしてイラク攻撃に強く反対してきた人たちもいます。2002年12月27日のNHKスペシャルでその活動が紹介されていましたが、その名も「ピースフル・トゥモロウズPeaceful Tomorrows」というグループの人たちです。(226頁)


彼らについては、さらに詳しい記事を近日中に書くつもりである。

……そこには、突然不条理な他者からの攻撃で家族を奪われた「普通の」アメリカ市民が、「許せない」という圧倒的な「国民感情」と、戦争によってこそ国を守ることができるのだという「国家の論理」に取り込まれることなく、少数ながら連帯しあい、戦争とは別の道を模索する姿が存在していました。新たに立ち上がる戦争主体の一員に組み込まれることを拒否する遺族の姿が、存在していました。
 一方の道を行けば、新たな戦争、新たな暴力のために遺族や「国民」の感情が動員されて利用される。
 もう一方の道を行けば、別の可能性が開けるかもしれない。
 この選択は、いま、この時代を日本で生きる私たちにも問われている選択ではないでしょうか。(226−227頁)


国家の論理に取り込まれず、戦争を拒否する道を歩むのか?

それとも、ストーカー国家の言うままに「愛国心」に溺れ、大量殺人の道を歩むのか?

国家とどのような距離をとろうとするのか?

これがいまわたしたちに問われていることなのである。

とても平易な言葉で語られていて、超おすすめの本である。





テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
森巣博『越境者的ニッポン』(講談社現代新書)@
心強いことに、とてもイキのいいひとが現れてくれた。 ...続きを見る
フォーラム自由幻想
2010/10/13 14:56

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
高橋哲哉『「心」と戦争』(晶文社) フォーラム自由幻想/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる