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zoom RSS 石田英敬/中山智香子/西谷修/港千尋『アルジャジーラとメディアの壁』(岩波書店)

<<   作成日時 : 2009/01/22 05:23   >>

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湾岸戦争のときに注目されたのは、アメリカのCNNだった。

イラク戦争のときに注目を浴びたのは、アルジャジーラだった。

アルジャジーラは、中東のカタールに本部を置くグローバル・メディアである。

アメリカの主要メディアがイラク戦争賛美一色だったなか、
彼らが報道しない「不都合な真実」を伝える貴重なメディアだ。

この本は非常におもしろい。
たまたま本屋で目にして買ったのだが、大正解だった。


「日本のメディア状況から――まえがきに代えて」(西谷修)

まず、西谷修の文章から紹介したい。

とても長い引用になってしまうが、
非常にすぐれた文章なので冒頭からそのまま数段落を引用しよう。

 日本でテレビを見ていると、イラクに日常化した爆破事件も、イスラエルによるレバノン空爆も、遠い中東のほとんど周期的な紛争のように伝えられ、日々の犠牲者や空爆による破壊のニュースは、逆にこの国のドメスティックな「安泰」を無意識に確認させてくれるものにさえなる。
 ところがその一方で、この国内志向的なメディアのなかでは、北朝鮮のミサイル実験が、まるでどこかを標的にしたものであるかのように「発射」として報道され、「北朝鮮の脅威」がことさらに強調されて「国防強化」の宣伝に利用される。そしてそんなメディアがみずから募らせた敵意の一般的風潮を、今度は世論調査で確認してみせるといった茶番がしたり顔で演じられ、図に乗った政治家や評論家たちが「予防的」な「先制攻撃」の必要まで口にしはじめる。思い出されるのは、イラクが大量破壊兵器を隠していると言い募り、「危険」が迫っているからと、とうとうイラク侵攻に乗り出した頃のアメリカの状況だが、このアメリカの振る舞いを、ここ極東で政治もメディアも逐一なぞってみせているかのようである。
 あるいはまた、実は国のあり方を決定する意味をもつ重要な政治的論議が、ワイドショー好みの異様な事件や有名人のゴシップと同じ資格で、お笑い芸人に託したエンターテインメントの格好の素材として消費される。何ごともお笑い芸にまぶされて、まさにこの国はドメスティックに「安泰」なのだが、その「安泰」のなかでドメスティックではない「危機」が弄ばれ、いつの間にか幻想と現実との関係が逆転し、演出された「危機」が「安泰」を呑み込みかねない状況を呈している。それが2006年夏の日本のメディア状況である。(xv−xvi頁)


日本という国の腐敗しきった現状を、見事に描いている。

「図に乗った政治家や評論家たち」!

日本のテレビ局には、もはやジャーナリズムの精神など存在しない。


「アルジャジーラと戦争の時代」(ジャミール・アザール インタビュー)

こういうインタビューを読むのは、とても大事なことである。

アメリカは、アルジャジーラをまるで「反米メディア」であるかのように捉える。

日本人のなかにも、アルジャジーラを、
アラブ世界の思想・イデオロギーをふりまくメディアであるかのように
考えているひとがいる。

もしアルジャジーラに「怪しい放送局」というイメージを持っているひとがいたら、
そのひとは、まんまとアメリカの宣伝に洗脳されてしまった単細胞のひとである。

……サウジアラビアへ行って「好きなチャンネルは」ともし尋ねれば、たいていの人は「アルジャジーラ」と答えます(笑)。もちろん、政府はそんなことは認めませんがね。政府や権力者は、明らかに私たちを敵視しています。例えば、メッカ巡礼の放送許可も私たちには出ません。(14頁)


サウジアラビア政府にも嫌われているのが、アルジャジーラだ。

どのくらい嫌われているのか?

そして彼らのとった行動とは、私たちのオフィスを閉鎖することでした。これは現実にクウェートでも、またヨルダンでも起こりました。アルジェリアでも、リビアでもそうです。私の知る限りでは、アルジャジーラに一度も不満を示さなかった政府はアラブに一つもないと思います。(15頁)


中東の各国政府からは、ほとんど嫌われているようだ。

私はキリスト教徒ですが、イスラーム文化で育ったという点ではイスラームの人間でもあります。(30頁)


ここがおもしろい。

なんとこのインタビューに答えている人物は、キリスト教徒だというのだ。

アメリカの主要メディアのなかにイスラム教徒はどのくらいいるのか知らないが、
アルジャジーラの幹部のひとりがクリスチャンだというのはおもしろい。

じつは、アルジャジーラで働くジャーナリストの多くは、
もともとBBCで働いていたひとたちだ。

BBCのノウハウを引き継いでアルジャジーラは設立されたのだ。

アルジャジーラは、カタール政府の出資で設立されている。

しかし、政府からの干渉は一切ない、という。


「砂漠のテレビ アルジャジーラ」(港千尋)

アルジャジーラは、世界に大きな影響を与えた。

アメリカが隠したがっている事実を容赦なく報道するからだ。

アルジャジーラの成功は、他地域にも同様の試みを生んでいる。2005年にはベネズエラ政府の呼びかけで、スペイン語による汎中南米テレビ局テレシュール(TeleSUR)が立ち上がり、現時点ではキューバやアルゼンチンなどが参加している。(57頁)


中東地域にも、アルジャジーラ以外の新しい放送局が誕生しているという。

正義を求める民衆の闘いにとって、大きな武器となるだろう。


「アルジャジーラの意味」(西谷修)

アメリカ政府は、アルジャジーラを敵視している。

怖ろしいのは、その「敵意」が心情的なレベルだけにとどまらなかったことだ。

アルジャジーラへの敵意は、言葉の上での非難という域にとどまらず、機会あるごとにそれは行為に移行し、米軍は実際にカブールやバグダッドのアルジャジーラ支局を爆撃した。(145−146頁)


これだけでもアメリカの本性が分かるというものだろう。

「イラクの民主化」「中東の民主化」などといった口実を使いながら、
彼らのやっていることは報道機関まで攻撃対象にすることだったのだ。

民主化が必要だったのは、アメリカ自身であろう。

2004年4月からと、11月の米大統領選挙の直後とに、イラクでアメリカ占領軍が行ったファルージャ攻囲は、街ぐるみの抵抗に手を焼いた米軍が、この街を「テロリストの巣窟」として全面的に破壊した制圧戦で、おそらく今世紀最初のジェノサイドとして記憶されるべき事件だが、このときも世界のほとんどのメディアが退避したなかで、アルジャジーラはこの街に特派員を置き続け、その無慈悲な一都市の制圧の模様を報道した。それがラムズフェルドを怒らせ、ブッシュの逆上を誘った。このときブッシュは、アルジャジーラを文字どおりの「敵」として「制圧」することを本気で考えたようである。そのことが、2005年11月になって露見した。その半年ばかり前にブレアがワシントンを訪問し、ブッシュと面談した際に行われた非公式の会話のメモが、イギリス首相官邸から漏洩したのである。そのメモによれば、ブッシュがカタールのアルジャジーラ本局を爆撃すると言い出し、さすがに驚いたブレアがそれだけはやめろとあわててなだめるというやりとりがあった。(146頁)


ブッシュがいかに極悪人であるかが分かる。

しかしどうしてこれほどまでにアルジャジーラはアメリカに嫌われるのか?

それは、アメリカが隠したがっている事実を映し出すからだ。

アフガニスタンやイラクで、
米軍の攻撃によって殺害され、負傷した女性・子どもたちの姿まで、
容赦なく映し出すからだ。

繰り返しになるが、
ブッシュ前大統領の犯罪をきちんと裁くことが必要なのであり、
オバマ新大統領の仕事に関心を移すのは「犯罪」に手を貸すことになるのだ。

また、この関係を高みで見ていて、アルジャジーラに「反米テレビ局」というレッテルを貼る向きがある。この種の表現には、ある「偏向」が言外に匂わされている。けれども、アルジャジーラは「反米」を方針としたことなどまったくなく、報道の自立性を保つというごくまともな方針を貫いているのだけだ。すると、それが米政府の要請に抵触することになり、米政府に敵視される。(148頁)


自国の方針に合わない報道をすると、
すぐに「反○○」というレッテルを貼りたがる愚かな連中がいる。

「反日教育」!

「反米メディア」!

2001年の11月頃、当時のアメリカのパウエル国務長官が、世界の「反米思想」を調査するという方針を出したことがあった。それを受けてたとえば日本のアメリカ学会は、「世界の反米思想」をテーマにしたシンポジウムを企画したが、自国のあり方を批判する言論を「反米的」として公然とマークするような国が、この世界に他にあるだろうか(日中戦争時代に「反日」狩りに血道をあげた日本を彷彿させるが)。(148頁)


アメリカこそが民主主義と自由の国であるというのは、
それこそ「幻想」なのかもしれない。

そう考えることのできる知性が必要だ。

だから、ブッシュが「テロリストの側につくのか、われわれの側につくのか」
と言って世界各国を恫喝したのがバカげたことであるのと同じように、
「親米対反米」という図式で考えるのもバカげたことであるし、
「親日対反日」という図式でしかモノを考えられないひともバカなのだ。

……アルジャジーラを「西洋対アラブ」といった対抗図式のなかに還元しようとするのは早計だろう。そもそもこのアラビア語放送局は、アラブ諸国でもしばしば排除され、活動を禁止されている。(153頁)


遠い国ほど「一枚岩」に見立ててしまうのが、イデオロギーの怖ろしいところだ。

要するにアルジャジーラを嫌うのは、アメリカだけでなくアラブ諸国の政府であり、そこに共通しているのは、言論の自由や真実の報道を不都合とみなす、あらゆる国家の当局者だということだ。だから、アルジャジーラがアラブ世界を代弁しているとしたら、それは諸国家の当局に代表されるようなアラブ世界ではなく、国々の権力には代表されないアラブの「公共的」な声だということだ。権力が僭称する「公」とはちがう、そのような不可視の「公共圏」をこのトランスナショナルなメディア機関は浮かび上がらせたのである。(154頁)


この部分はきわめて重要である。

権力が僭称する「公」とは異なる「公共性」。

国家権力に対抗的な「公」の可能性。

とりわけ「公」がいつも「国家的公」に絡めとられてしまう日本人には、
国家とは別の「公」があるというのはとても重要な指摘である。

国がいわゆる「公益」のために公共放送を管理する場合、必要なのはその「公益」の判断を報道機関自体の自立性に委ねること、つまり時の政府の恣意的な介入から守ることである。この点では、日本と違ってカタール政府は、基本的にアルジャジーラの自立性を保証しているようだし、むしろそれを望んでいるようにさえみえる。(156頁)


どうだろうか?

日本のタカ派政治家どもも、カタール政府を見習ったらどうか?

自分たちの気に入らない番組(NHK)に対して、
製作者を呼びつけて番組内容の改変を強要するのが日本の政治家だ。

おい、安倍晋三、中川昭一。
お前たちのことだぞ。

ちなみに、日本の右派・ナショナリストたちには、
アルジャジーラを適切に分析することも考察することもできない。

その能力も関心もない。

かわいそうに。






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