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zoom RSS 鷲田清一『「聴く」ことの力』(阪急コミュニケーションズ)

<<   作成日時 : 2008/12/10 09:22   >>

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コミュニケーションの重要性を説く本はたくさんある。

学生さんたちに「言葉とは何か?」と質問すると、
彼らのほぼ100%がほとんど同じ答えを差し出してくる。

「言葉とは、意思伝達のための手段(道具)である」と。

このまるでロボットのような画一的な答えは、
コミュニケーションの重要性という前提に無自覚に立っている。

なぜなら、彼らは「いかに自分を表現するか」ということしか考えていないからだ。

彼らは「表現すれば相手と意思疎通ができる」と思い込んでいるからだ。

道具としての言葉。

高度消費社会において、ひとびとは「表現主体」であることを期待されているわけだ。

これもひとつの洗脳である。

鷲田清一の本は、
そうしたコミュニケーション重視の言語観では見失ってしまうことを、
繰り返し繰り返しえぐり出そうとする。

タイトルが象徴的だ。

「話すこと」ではなく、「聴くこと」。

生徒のいない教師はいない。患者のいない医師や看護婦はいない。教師としての、あるいは医師、看護婦としての同一性は、たとえそれが一方的な関係であっても、やはり相互補完的なものである。(96頁)


これを読んで、当たり前ではないか、と思ったひとは、じつは平凡なひとである。

実際はちっとも理解していない。

求められるということ、見つめられるということ、語りかけられるということ、ときには愛情のではなくて憎しみの対象、排除の対象となっているのでもいい、他人のなんらかの関心の宛て先になっているということが、他人の意識のなかで無視しえないある場所を占めているという実感が、ひとの存在証明となる。……ひとは「だれもわたしに話しかけてくれない」という遺書を残して自殺することだってあるのである。(97頁)


駅のホームで、
見知らぬ男性にいきなり「結婚してください」と申し出た女性がいたという。

筆者はここで取り上げていないのだが、
わたしならここで「ゴミ屋敷」を取り上げたくなる。

日本各地で問題になっている、
自分の住居にせっせとゴミを集め込んでしまうあの奇妙な住人のことだ。

ご近所のひとたちからは「迷惑な存在」と見なされている。

小説家の宇野千代は、
かつて「生きて行く私、人生相談」(毎日新聞)というコーナーの回答者を、
1年にわたって務めていたという。

この回答の仕方がおもしろいのだが、詳細は本書を。

ちなみに、「詳細」は「ようさい」とは読まない。

最後に、発達心理学者の浜田寿美男から筆者が聞いたという話を。

浜田寿美男の子どもが小学校で体験したことである。

 古い卵と新しい卵の話。
 小学校で、古い卵と新しい卵を見分ける方法を習ったという。わたしたちの世代なら、表面がつるつるかざらざらか、水に浮かぶか沈むかなどといった見分け方を習ったようにおもうが、お子さんの場合、割って黄身が高く盛り上がっているのが新しく、黄身が平べったくなっているのが古いと教わったのだそうだ。そして、後で試験にこれが出た。「図のようなふたつの卵があります。あなたはどちらを食べますか?」お子さんは即座に平べったいほうと答えた。クラスメートは全員、盛り上がったほうに丸をした。正解は盛り上がっているほう。こちらが新しいということであった。
 お子さんはだから、平べったいほうを正解としたのだった。冷蔵庫から卵をふたつ取り出して、賞味期限に差があれば、まず古いほうから食べるというのがあたりまえだから。それがペケにされて、お子さんはずいぶんと傷つかれたという。(265−266頁)


このエピソードから、いくつかのことが考えられる。

まず、「古い卵と新しい卵」の見分け方についてだ。

割ってみないと分からない方法は、実用的でない。
卵を買いに行った店で実践できないからだ。

つぎに、これを学校教育批判につなげるひとが多いだろうということだ。

しかし問題は、そこでどのような批判をするのか、その内容だ。

ちなみに、「どちらも食べたくない」という解答はどう評価されるのだろうか?

なぜなら、わたしは、午前中だったら卵を食べたいとは思わないからだ。

本書には、写真家・植田正治の作品がいくつも掲載されている。

脱線するが、わたしはある法則を発見した。

学校批判の典型的なものとして、「かけっこ」問題というのがある。

日本の学校の運動会では、
競争を否定してみんなで手をつないで一斉にゴールする。

こうした、いったいどこの学校で実際に行なわれているのか
よく分からない話を取り上げて、
戦後日本教育の「平等」重視の考え方はよくない、と批判するものだ。

このテの話を引用するひとには、ある共通点がある。

その共通点とは何か?

彼ら/彼女らは例外なく「バカ」である、ということだ。

わたしはそういう冷徹なる「法則」を発見した。




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