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zoom RSS 内藤正典・阪口正二郎編著『神の法 vs. 人の法』(日本評論社)

<<   作成日時 : 2008/12/15 09:21   >>

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いわゆる「スカーフ問題」に関する研究書である。

以前、内藤正典の『ヨーロッパとイスラーム』(岩波新書)を紹介したが、
この本も滅法おもしろい。

超おすすめ。

『ヨーロッパとイスラーム』では、ヨーロッパ各国の状況が書かれていた。
この本ではトルコについても詳しく書かれている。


◆スカーフ論争とは何か(内藤正典)

トルコの場合、「スカーフ問題」と呼んでしまうことは、あまり正確ではない。イスラーム社会では、男性のあごひげ(鼻の下の口ひげと連なるもの)もまた、政治的なイスラーム主義を表明するものと受け取られているため、公的領域ではこの種の「あごひげ」も禁じられる。日本でも馴染み深い人物でいえば、ウサマ・ビン・ラーディンのひげを思い出していただけばよい。実際、あごひげ+口ひげの男性は、スカーフの女性と共に、国立大学への立ち入りを禁じられてきた。この点で、フランス以上にトルコの世俗主義原則のほうが厳しく、規制の対象は男女双方となっている。(8頁)


トルコは、イスラム教徒が圧倒的多数を占める国だが、
厳格な世俗主義・政教分離を貫いてきた国である。

一方、フランスをはじめヨーロッパでは、「あごひげ+口ひげ」の男性ならいくらでもいて、これはイスラームを象徴するものとはみなされないから、禁止規定にかからない。西欧での「スカーフ問題」は、原理的には、公的領域への宗教の侵入に対する批判であるにもかかわらず、ムスリム男性による宗教シンボルの持ち込みを見逃してしまうという面をもっている。(8頁)


「スカーフ」問題は、もっぱら政教分離の問題として語られてきた。

しかし、意外なことにジェンダー差別の問題としても捉えられることが明らかになる。

したがって、スカーフ論争というのは、公的領域に対する宗教の侵犯の問題という性格をもちつつ、他方では、ムスリム女性が持ち込むシンボルだけを論点にしている点で、ジェンダー・イシューとなっている。(8頁)


ムスリムの側からみると、このヨーロッパの対応はどのように見えるだろうか?

自らスカーフ着用の自由を求めるムスリム女性からみると、女性のスカーフだけを問題にするのが、女性差別なのである。第一に、あごひげの男には、何のお咎めもなく。スカーフの女性だけが咎められるのは性差別に当たる。第二に、彼女たちは羞恥心から頭髪を覆っているのであって、それを脱げといわれるのは、女性に対する人権侵害に当たるからである。(10頁)


自分の意思でスカーフをかぶっているムスリムの女性たちがいる。
彼女たちはなぜスカーフをかぶるのか?

また、スカーフをかぶらないムスリム女性がいるのはどうしてなのだろうか?

わたしも『クルアーン(コーラン)』を読んだことがあるが、
そこには「スカーフをかぶれ」とは書かれていない。

「恥部を隠せ」と書かれている。

つまり、頭髪を「恥部」と認識しているムスリム女性が、スカーフをかぶるのである。

「恥部」と考えない女性はスカーフをかぶらない。

性的部位と認識する女性たちによれば、「スカーフを取れ」と言われることと「スカートを脱げ」と言われることはほぼ同義なのだ。(13頁)


これはとても分かりやすい説明だ。

わたしは、スカーフは下着と同じだという説明をどこかで聞いたことがある。

だから「スカーフを取れ」というのは「下着を脱げ」と言われるのと同じなのだと。

ヨーロッパとイスラームの対立は、スカーフ問題だけではない。

2006年1月から2月にかけて、イスラームの預言者ムハンマドの風刺画をヨーロッパ各国の新聞が掲載したことで、世界各地に暴動が広がった。2005年の9月に、最初に掲載したのはデンマークの新聞だったが、ドイツ、オランダ、フランスなどの国で2006年に入って次々に転載された。(22頁)


ヨーロッパでは、「表現の自由」を掲げて、
まるでムスリムを挑発するかのように諷刺画が広がっていった。

西欧とイスラームとの対立をさらに深刻にしたのが、2006年9月に発生したローマ教皇ベネディクト16世による講和問題であった。教皇は故郷の南ドイツ、バイエルンにあるレーゲンスブルク大学で講演し、600年も前のビザンツ皇帝マニュエル2世パライアロゴスの発言として「ムハンマドがもたらしたのは邪悪と暴虐だった」という一節を引用した。(25頁)


この事件も記憶に新しい。


◆リベラル・デモクラシーにとってのスカーフ問題(阪口正二郎)

2001年に富山県で、イスラーム教の聖典であるコーランが礼拝所から盗まれ破り捨てられるという事件がおきた。ムスリムにとってコーランは命より大事な聖典であり、怒ったムスリム数百名が富山と東京で抗議集会やデモ行進を行い、新聞でも大きく取り上げられ、われわれを驚かせた。……幸い、すぐに窃盗容疑で犯人が逮捕され、犯人の供述から事件は単なるいたずらであったことが判明した。富山地裁において裁判長は有罪判決を下す際に、被告に対して「自分の行動が社会にどう影響するか、よく考えなさい」と諭した。(35頁)


それにしても、みっともない日本人である。

この犯人の姿にネット上で弱者バッシングを繰り返すひとたちが重なって見えるのは、
わたしだけだろうか?

さて、ヨーロッパ人から見れば、スカーフは女性抑圧のシンボルである。

しかし、そう単純な話ではない。

しかし同時に、自らの意思でスカーフを被る女性も多い。こうした女性からすればスカーフは抑圧のシンボルではない。それどころか、スカーフの着用は、ムスリムとしての自らの宗教的アイデンティティを表明したり、男性からの性的な視線を逃れるための行為である。ムスリムの女性によるスカーフの着用は、抑圧の産物ではなく、逆に、積極的で自律的な立場表明であり、自らを解放しようとする行為ですらありうる。……スカーフは、一方から見れば、差別、抑圧のシンボルであるが、他方から見れば、自律性、解放のシンボルでもある。(41頁)


信教の自由や政教分離の問題は、日本も無関係ではない。

靖国問題だけではない。

例えば、教義によって格闘技を禁じられているエホバの証人の信者にとって、体育の授業で格闘技を強いられることは、世俗の義務と神の義務のいずれに従うのかを求めることになってしまう。こうした場合には信仰に配慮して世俗的な義務の履行を免除することは当該宗教を特別扱いすることになり、政教分離原則に反する可能性を生み出す……。
 ……信教の自由と政教分離は場合によって衝突する可能性がある。(51頁)


たしか裁判では、エホバの証人信者が勝ったように記憶している。


◆ドイツの政教分離(内藤正典)

バイエルンのキリスト教社会同盟(CSU)は、連邦議会レベルでは、キリスト教民主同盟(CDU)と盟友関係にある。移民問題に関しては「ドイツは移民国ではない」という主張を繰り返し、移民たちにドイツの「規範的文化」を学ばせるべきだと主張してきた。一言で言えば、異質な文化を背負う移民が多数居住することに加えて、彼らがドイツ社会に同化しないことに嫌悪を隠さない。(134頁)


これを見ても分かるように、
ドイツにはキリスト教を名乗る宗教政党がある。

法学者の見解のなかにも、スカーフが羞恥心の表われである以上、その着用は人格権にかかわるものであるという指摘がある……、ムスリム側から見ると、最も現実的なスカーフ解釈というものは、まさに人格権の問題なのである。(148頁)


「政教分離・男女平等のヨーロッパ」対「政教一致・女性抑圧のイスラーム」
という単純な図式ではないことは、もはや明らかであろう。

女性の頭髪が、コーランが言うところの「恥部」もしくは「身の飾り」に当たると認識して自らスカーフを着用している女性に、「脱げ」と命じることは、公権力によるセクシュアルハラスメントである。だが、ドイツに限らず、ヨーロッパ諸国はいずれも、この点に注意を向けていない。(149頁)


この点は、内藤正典が繰り返し強調していることである。

ベルリン市で20年以上にわたって、外国人問題の受任者(オンブズパースン)を勤めてきたバルバラ・ヨンは、2003年の12月に、筆者らにこう語った。
 「地下鉄に乗っているムスリムの女性が、おまえは原理主義者だ、スカーフを被っているじゃないかと罵られ、唾を吐きかけられるのです。人びとはスカーフを引っ張って外そうとします。スカーフをした女性は嫌がられ、侮辱されます。今行われているのは、彼らに対してまさに敵対的な議論なのです。これらのことは、19世紀以来、ユダヤ人の身に起きたことと同じです。私はそういう考えには決して同意しません。私は少数派ですが、そんなことは気にしません。私が守りたいのは、複数の文化の共存を認める多元主義であり、何の悪意もなくスカーフを被っているだけで罵られている人びとなのです」。(151頁)


卑劣なひとたちである。

これをかつてのユダヤ人差別とアンブズパースンが重ねていることも見逃せないが、
日本で在日朝鮮人たちに対して行なわれる嫌がらせともダブってしまう。


◆フランスの「スカーフ禁止法」論争が提起する問い(森千香子)

ここでは、興味深いことが指摘される。

ヨーロッパ人は自分たちを先進国と見なし、
イスラームを人権が発展途上の国々であると見なす。

だが法での平等の華々しさとは裏腹に、「現実」のレベルでは女性差別は「解決」とはほど遠い状態にある。フランス国会議員の女性比率はイラクやアフガニスタンより低く、企業経営者の女性比率も低い。女性に対する男性の暴力問題も、前述の郊外だけでなく、フランス全体でみられる現象であることを示す社会学調査もある。(176−177頁)


意外な事実である。

……2005年9月……。社会党の女性政治家セゴレーヌ・ロワイヤルが、大衆紙パリマッチのインタビューで2007年の大統領選に立候補する意欲のあることを示した。するとこの発言に対し、同党の大物政治家が「子どもの面倒は誰がみる?」「(大統領選は)美人コンテストではない」などと公で発言したのである。
 「子どもの面倒……」は元首相のローラン・ファビウス、「美人コンテスト」は元文化大臣のジャック・ラングの言葉である。両者は社会党の中でも、2004年の「スカーフ禁止」法制化を最も初期から強く支持した人物である。(177頁)


ここでおもしろい構図が浮き彫りになる。

「スカーフ問題」では先頭に立ってイスラームの「女性差別」を告発した政治家が、
フランス国内では「女性差別」を平然と言ってのける人物だったというのだ。

「女性解放」の名の下にスカーフ着用を厳しく批判した人物が、女性の大統領立候補希望者に対し平気で差別的発言をするという矛盾に満ちた事態を、どう考えればいいのだろうか。(177頁)


たまたまそうだったのか?

それとも、ここに何か本質的な問題を嗅ぎ取るべきなのか?


◆ドイツでのスカーフ問題の位相(内藤正典)

たとえば、「スカーフをかぶる自由」については、
日本人たちは意外にすんなり受け入れられるかもしれない。

しかしこの問題が興味深いのは、
政教分離・信教の自由の問題はほかの形でもあらわれるということだ。

子どもたちの教育に関する問題は、なかでも重要な争点となった。……学校で、男女共修の水泳の授業がある。これに娘を参加させたくないが、学校側と、どう交渉したらよいか。同様の異議は、泊りがけでの校外学習や生物の生殖の授業についても提起された。(196頁)


こうした場面になると、意見が分かれるのではないか?

巻末には、樋口陽一・内藤正典・阪口正二郎による鼎談も掲載されている。

ぜひ一読をおすすめする。




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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
コーランをちゃんと理解すれば女性は必ずスカーフをかぶらなければならないのかを知るはずです。
an-nur,24:31
this is the explanation..
http://www.muhajabah.com/surah-an-nur.htm

and this is why muslim woman wear hijab..
http://www.islamfortoday.com/hijabcanada4.htm
muslimah
2010/07/14 21:19
◆muslimahさま

コメントありがとうございます。ただし、それは言いすぎだと思います。
影丸
2010/08/24 00:23

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