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zoom RSS 山口厚『刑法入門』(岩波新書)

<<   作成日時 : 2008/12/14 04:44   >>

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法に対する無知は、この国を人権無視の無法国家へと追いやるだろう。

「人を殺せば殺人だ」

「殺人犯は死刑にしろ」

このような中学生1年生レベルの感想が、あちらこちらであけすけに語られている。

では、そういうひとに答えてもらおう。

次のようなケースでも同じように言えるのだろうか?

あなたが、事前に計画を練って、殺意をもって誰かを殺害した場合。

これは明らかに「殺人」に当たる。

では、次のケースはどうか?

あなたが出勤(登校)途中に、道端で倒れているひとを見かけた。
しかし救急車を呼ぶこともせず、あなたはそのままその場を立ち去った。
「重要な会議(テスト)に遅れるとまずいから」と考えたからだ。
倒れていたひとは、その後、病院に搬送されたが、手遅れで死亡した。

調べたところ、あなたが発見したときに通報していれば、
そのひとは助かった可能性があったことが分かった。

ここでも「人を殺せば殺人で、殺人犯は死刑にしろ」と言えるか?

次のケースでは、どうか?

あなたが車を運転していた。

対向車線からはみ出してきた車をよけようとして、あなたは急ハンドルを切った。
そしてあなたは隣の車にぶつかり、ぶつけられた車は横転、炎上。
運転手を含む同乗者もすべて焼け死んだ。

この死亡事故では、
対向車線をはみ出した車も原因ではあるものの、
あなたの運転する車も原因のひとつである。

あなたは甘んじて「死刑」を受け入れるのだろうか?

あなたがついカッとなって、友だちに目の前の皿を投げつけた。
あるいは、投げる素振りだけでもいい。
その皿が顔面に直撃し(しなくてもいい)、友だちはよろめき倒れた。
運悪くテーブルの角に頭部をぶつけ、死亡した。

どうだ?

あなたが夜中に歩いていると、向こうから不良がやって来た。
金を出せと刃物で脅されたが、あなたは勇敢にも抵抗した。
もめているうちに、その刃物が不良の腹に突き刺さった。
不良は出血多量で死亡した。

あなたの幼稚園に通う子どもが数人の友だちと池の縁で遊んでいた。

あなたの子どもがふざけて友だちの背中をぽんと押した。
押された園児は池に落ち、溺死した。

このケースでも、「園児(=自分の子ども)を死刑にしろ」と言うのか?

このように、いくらでもケースを想定することができる。

「人を殺せば殺人だ」というひとたちよ。
そう単純な話ではないことは、これで分かるであろう。

だからこそ、事実を明らかにするために「裁判」があるのである。

本書は、日本の刑法はこうなっていますよ、ということを解説した本である。
分かりやすく書かれている。

罰金は1万円以上で(上限額は、罰則に定められています。なお、罰金を減軽するときは、1万円未満とすることができます)、科料は千円以上、1万円未満の軽微な刑です(「かりょう」という同じ音ですが、行政罰であって前科にならない「過料」とは違います。混同・誤解を避けるために、科料を「とがりょう」、過料を「あやまちりょう」と呼ぶことがあります)。(15頁)


このように、罰金と科料のちがいも説明してくれている。

刑法の考え方の基本は、罪刑法定主義である。

罪刑法定主義の内容をまとめると、次の二つの原理・原則となります。第一は、罰則は法律で定めなければならないということで、これは、法律至上主義と呼ばれています。第二は、罰則は施行後の行為にだけ適用され、施行前の行為に遡って適用することはできないということです。これは、遡及処罰の禁止という原則です。(60頁)


罪刑法定主義には、法律至上主義と遡及処罰の禁止が含まれている、という。

高校生なら学校で勉強したはずの内容である。

刑法では、一般に、罰則の「拡張解釈」は許されるが、「類推解釈」は許されないといわれています。(71頁)


ふむ、どういうことなのだろうか?

全く架空の話ですが、老朽化した木製の橋に「牛馬を通行させることを禁止する。禁止に違反した者は○○万円以下の罰金に処する」という表示が掲げられているとします。象を連れてこの橋を渡る者に、この罰則の適用があるのかどうかを例として考えてみることにします。
 まず、拡張解釈は、この罰則を次のように解釈します。「牛馬の通行」が禁止されているのは、橋が老朽化しているために、重い物が通ると橋が落ちるおそれがあり危険だからである。したがって、「牛馬」とは、文字通り牛と馬をいうのではなく、落橋のおそれがあるような体重の重い動物を指す。それゆえ、象は通行禁止の対象に含まれるし、カバなども当然その中に入る。このように、拡張解釈は、通行禁止の理由・趣旨から「牛馬」を「体重の重い動物」と広げて解釈し、その中に象が含まれている用語・概念を、条文の趣旨を根拠として拡張し、問題となっている事例をその中に含めるというわけです。
 これに対して、類推解釈の方は、この罰則を次のように解釈します。「牛馬の通行」を禁止しているのは、重い牛馬が通行することによって落橋するおそれがあり、その危険を避けるためである。通行が禁止されている「牛馬」は、文字通り「牛馬」である。しかし、通行禁止の趣旨は、牛や馬以外の、同様に体重の重い動物、さらには、それよりも重い重機などにも当てはまらなければならない。したがって、象は「牛馬」には含まれないが、「牛馬」と同じく、通行禁止の趣旨からして、その通行を禁止すべきである。このように、類推解釈は、問題となった事例が条文に用いられている用語・概念に含まれていないとしながらも、禁止の趣旨は同じく当てはまらなければならないから、その禁止を条文で規定されていない物にまで類推して及ぼそうとするわけです。(72−73頁)


「拡張解釈」と「類推解釈」のちがいは、これで分かっただろうか?

拡張解釈は、条文で禁止された対象を拡張して解釈し、問題の事例もはじめからその中に含まれていたとするのに対して、類推解釈は、問題の事例は条文で禁止された対象には含まれないが、禁止の理由はその事例にも同じく当てはまるから、同じく禁止すべきだとするのです。(73頁)


なるほど。

微妙なちがいに思われるかもしれないが、そのちがいが大きいのである。

拡張解釈は、条文で禁止された対象を拡張して解釈し、問題の事例もはじめからその中に含まれていたとするのに対して、類推解釈は、問題の事例は条文で禁止された対象には含まれないが、禁止の理由はその事例にも同じく当てはまるから、同じく禁止すべきだとするのです。(73頁)


では、どうして類推解釈は許されていないのだろうか?

類推解釈が刑法の解釈として許されないのは、問題の事例は罰則が禁止した対象に含まれていないとしながら、なおそれを禁止する点にあります。立法者が罰則で禁止・処罰していないものを処罰しようとする点で、法律主義に反することになるのです。(73頁)


法律というのは、厳密さを要求するのだ。

次に挙げる「尊属殺」の話は、
直観や情緒に流されて事件を見てしまうひとには都合のわるいものである。

現在は削除されていますが、かつて、刑法200条には、「自己又は配偶者の直系尊属を殺したる者は死刑又は無期懲役に処すという尊属殺の規定が置かれていました……。つまり、自分や配偶者の父母・祖父母などを殺害すると、通常の殺人罪(刑法199条)の刑(当時の刑は、死刑または無期もしくは3年以上の懲役。現在は、懲役刑の下限は5年に引き上げられています)ではなく、死刑か無期懲役という極めて重い刑が科されることになっていたのです。(96頁)


育ててもらった恩を忘れて、親を殺害するなどとんでもない悪党だ、
というのが当時の世論であり、モラルだった。

しかし、他人を殺害した場合と親を殺害した場合で罪の重さが変わってしまうと、
ひとの命の重さにちがいがあることになってしまう。

法の下の平等に反する。

そこで、この「尊属殺」の規定は最高裁で憲法違反と判断された。

これも高校生なら知っているはずのことである。

ちなみに、この違憲と判断された当の事件は、
おぞましい内容の事件であったが、本書では説明されていない。

なお、尊属殺の規定は、最高裁判所により違憲無効とされた後も、刑法典から削除されずに形式上残り続けるという「異常事態」が続いていましたが、1995年の刑法改正で、尊属殺規定だけでなく、尊属傷害致死罪の規定も削除されました……。(98頁)


以上のように、「犯罪」は「法律」によって規定されてはじめて「犯罪」になる。

しかし、場合によっては「ある犯罪行為」が犯罪ではなくなることがある。

……犯罪の成立を阻却する阻却事由には、違法性を阻却する違法性阻却事由と、責任を阻却する責任阻却事由とがある……。(176頁)


どういうことか?

次の説明を読むと分かるだろう。

まず、責任阻却事由として挙げられるのが、刑事責任能力がないこと、責任無能力です。……刑法39条1項は、「心神喪失者の行為は、罰しない」と定めていますが、ここで「心神喪失」(心「身」喪失ではありません。それでは、心も体も失われた! 状態になってしまいます)とは、精神の障害のために、行為が違法であると認識して、その認識に従って自分の行動をコントロールできる能力がない状態をいいます。(176頁)


では、これと似た「心神耗弱」とはどういうことか?

これに対して、弁識能力または制御能力が著しく減退した状態を「心神耗弱」といい、犯罪が成立しなくなるわけではありませんが、刑を軽くすることが必要になります(刑法39条2項参照)。つまり、……責任を軽くする責任減少事由とされているのです。(117頁)


保守派の方々はこれらの規定が気に食わないらしいが、
このような規定があることにはもちろん理由がある。

ただし、この点についてはたしかに議論すべきことがまだあるように思われる。

……故意を要件とする犯罪(故意犯)でも、自分の行為が法的な禁止に反する違法なものであるという意識、すなわち違法性の意識をもつことは必要とされていません。国は国民に法を周知する責務がありますが、国民としては法を知る義務があるのです。したがって、たとえ自分の行為が違法なものだとは思わなかったとしても、そのことで処罰を免れることはできません。
しかし、行為が違法であることを知りようがない、それを知らないとしてもやむをえないのではないかと考えられる場合もあるでしょう。(177−178頁)


国民には法を知る義務がある、という点が重要であろう。

次の話は、素人には分かりにくいが、おもしろい話である。

飼い主に命じられて襲ってくる飼い犬に対しては正当防衛ができます(他人の飼い犬を殺傷することは、器物損壊罪に当たる行為ですが、その違法性が阻却されることになります)。なぜなら、飼い犬を利用した飼い主自身による不正な侵害が認められるからです。これに対して、鳥獣保護法で保護されている野生動物の攻撃に対しては、依然として、正当防衛はできないことになりそうです(野生動物を殺傷する行為が鳥獣保護法違反の犯罪になるとしても、その違法性は阻却されないことになります)。もっとも、この場合でも緊急避難はできますが、違法性が阻却されるための要件はより厳格です。(207−208頁)


例えば、野生のタカに襲われたとき(そんなことがあるかどうか分からないが)、
正当防衛はできないのだという。

なぜなら、野生動物の襲撃は、「不正」によるものだとは言えないからだそうだ。

この例でいうなら、
犬に襲うよう命じた飼い主の行為は「不正」と見なせるので、「正当防衛」が成立する。

他方、野生動物の場合は本能的な行動だから「不正」と見なせないというのである。

もっとも筆者は、これについては、
議論にもなっているし、検討の余地があると述べている。

以上のようにとても分かりやすく解説されているのだが、
危険運転致死傷罪など最近話題になっている事例は取り上げられていない。

また、刑法の背後にある思想までは深く掘り下げていない。

やや物足りない感があるものの、
新書だから仕方がないと言えば仕方がないのだろう。

もし続編が出るのであれば、さらに掘り下げた解説を期待したい。




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