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zoom RSS 成実弘至『20世紀ファッションの文化史』(河出書房新社)

<<   作成日時 : 2008/10/15 02:15   >>

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普段はあまり読まない分野の本だが、とてもおもしろかった。

目からウロコが落ちまくり。

とてもおもしろかったのだが、
本書では何人かの哲学者の思想も紹介されており、
そうした思想に慣れていないひとには、
少々むずかしいという印象を与える本かもしれない。

たとえば、どのような思想家が参照されているかというと、
エドワード・サイード、ジャン・ボードリヤール、ギー・ドゥボール、
ロラン・バルト、ヴァルター・ベンヤミン、リオタールなどなど。

とても有名な思想家ばかりではある。
そして当然参照されるべき思想家たちばかりである。

さて、本書で主に取り上げられるファッション・デザイナーは、以下の10人。

チャールズ・ワース

ポール・ポワレ

ガブリエル・シャネル

エルザ・スキャパレッリ

クレア・マッカーデル

クリスチャン・ディオール

マリー・クアント

ヴィヴィアン・ウエストウッド

コム・デ・ギャルソン(川久保玲)

マルタン・マルジェラ

アルマーニやゴルチエについては、ちょっと触れられるだけ。

まず、20世紀に入る前のファッションは、どのようなものだったのか?

19世紀後半の主流ファッションは、コルセットで上半身を締め、クリノリンないしバッスルで下半身をふくらませるスタイルである。これは豊かなバストとヒップ、そしてくびれた腰、いわゆる「砂時計型」の体型を理想としたものだ。腰は細いほどよいとされ、健康や骨格が損なわれるほど締め上げる者も出たので、女性や医者がコルセット反対運動を展開したくらいである。コルセットとクリノリンはいかに女性たちが束縛されていたかを象徴するものとしていまもなお悪名高い。(29頁)


こうした「理想的な女性の身体像」が、20世紀に入ると変化していく。

どのように変化するのだろうか?

簡単にまとめると次のようになる。

「砂時計型」から「円柱形」へ。

コルセットが消えていくのである。

20世紀になってコルセットがつけられなくなったのは女性解放運動が実を結んだからではない。19世紀にコルセットの弊害が叫ばれ、アーツ・アンド・クラフツや合理服運動がからだにゆったりとしたドレスを提案しても、多くの女性はきゅうくつな拘束着を脱ぎ捨てようとはしなかった。多くの場合、服飾史を変えるのは合理性よりも人々の欲望のほうである。むしろスポーツや旅行など女性のライフスタイルが開放的・活動的になり、よりスリムな身体が好ましいと考えられるようになった時代の風潮にあわなくなって、コルセットが自然に凋落していったと見るべきだろう。(40−41頁)


「アーツ・アンド・クラフツ」というのは、
イギリスの社会主義者ウイリアム・モリスなどによって展開された運動だ。

アンチコルセットの風潮に危惧を抱いて相談にきたコルセット業界の代表団体に、ポワレは「女性がショートヘアにするからといって美容師の仕事がなくなるわけではありません」と返答したという。たしかにコルセットが不要になったかわりにブラジャーやガードルがつけられるようになった。おしゃれやマナーとしてのコルセットは廃れたが、身体の拘束や修正はいまもなお同じように続いている。(41頁)


身体の修正こそが、ファッションである。

流行のファッションは、必然的にそのコピーを生み出す。
コピーをつくって儲けようとするからだ。

ポワレはアメリカの多くの小売店で自分のドレスやネームタグさえもコピーされているのを発見し、帰国後に訴訟をおこしただけでなく、フランス・クチュール関連産業保護組合の結成に動いている。(62頁)


ファッションの先端をいくフランスにとっては、黙っていられない状況だろう。

しかし、そのフランスでもコピー商品は氾濫する。

コピー商品はフランス国内でもさかんにつくられていた。(84頁)


近年、中国などでコピー商品が出回っていることについて、
中国の「権利意識の低さ」という観点から論じらることが多い。

この観点は、中国への「蔑視」「差別意識」と不可分である。

日本国内の大量のコピー商品には目をつむって、
多くの日本人は中国に対するお決まりの「蔑視」を繰り返す。

しかし、筆者による上記の指摘は、
コピー商品の氾濫がいわば消費社会の宿命であることを示唆している。

なんでもかんでも理由をつけて中国を非難すれば済むものではない。

ところで、サルバドール・ダリについて書かれていることに目がとまった。

ダリはファシズムを賛美しているとい理由でシュルレアリストのグループから除名されている。彼の金銭への執着も仲間から嫌われた理由だった。(110−111頁)


へえ、それは知らなかった。

シュルレアリストについては、いずれここで書くかもしれない。

話を戻そう。

このようなアメリカ産業界において脚光を浴びたのがインダストリアルデザイナーであった。大量生産が進んで市場が飽和すると、新たな需要を喚起するためにデザインが重視されることになる。そこで市場の動向を見ながら商品を新しくスタイリングする工業デザインに注目が集まった。パリからニューヨークに来て百貨店のディスプレイやファッションイラストを手がけていたレイモンド・ローウィは、旧型の複写機の外見を新しくデザインすることで、同じ機能の製品をふたたびアピールするものに変えることに成功する。産業界は性能を変えなくても外見を新しくすればモノが売れること、つまりデザインの重要性に気づいたのだ。(123−124頁)


産業界でもデザインの重要性が気づかれていった。

ファッション業界が産業界に影響を与えたという構図である。

その間も、ファッション業界は着々とモードを変化させていった。

1947年、クリスチャン・ディオールは「ニュールック」と
呼ばれることになるコレクションをを発表する。

ニュールックを象徴するもっとも有名なコスチュームは「バースーツ」である。……下半身はたっぷりとプリーツをとったロングスカート。(147頁)


このデザインは、第二次世界大戦直後に登場し、大きな反応を呼んだという。

当時はまだ人々が物資の不足に苦しんでいた時代である。女性ファッションも怒り肩とひざ丈スカートという戦時中の実用性重視のスタイルが主流であり、多くの布地を使うニュールックに激昂する女性は少なくなかった。アメリカ、イギリス、フランスでは女性たちが抗議運動を組織し、ロングスカートをはさみで切り落とすパフォーマンスを演じたり、ニュールックをまとったモデルに襲いかかったりする一幕も見られた。イギリスでは通産大臣がスカート丈を長くしないようデザイナーに要請したり、アメリカのジョージア州はロングスカート禁止令を立法しようとするなど、政治問題に発展しかねない勢いであった。(148頁)


このころから、ファッション・デザイナーが時代との戦いという色彩を強めていく。

いったいどのような批判が向けられたのだろうか?

ニュールックへの批判は三つの立場からなされたという。第一には経済的かつ愛国的な理由である。まだ多くの国民が空腹をかかえているのに過剰に布地を使うドレスは不謹慎ではないかという意見だ。第二にはフェミニズムの立場から。ニュールックは日常生活に必要な機能性をそなえていないだけでなく、女性を美しいだけのオブジェにしてしまう。戦争によって女性たちの社会進出が進んだというのに、これは時代に逆行する男性中心主義者の陰謀ではないか。そして最後にモラルの観点からの反発もあった。それは女性のからだを扇情的に強調するという道徳的・保守的な根拠によるものである。(148−149頁)


右翼からもフェミニストからも批判されたのだという。

さらに大きな批判を呼んだのが、ミニスカートの登場だ。

ミニスカートは60年代前半にロンドンで生まれ、65年にパリコレクションでも発表されたのをきっかけに世界に広がっていったといわれている。
 パリのデザイナーはミニスカートには強い抵抗を示していた。パリのエレガンスはひざを露出することを認めていなかったためである。20年代にモード界の革命児であったガブリエル・シャネルも「ひざは美しくないので出してはいけない」と強硬に主張したくらいだ。(175−176頁)


ファッション業界内からも、非難を呼んだというのである。

また、ここではもうひとつ重要な変化があった。

それは「若者のファッション」というイメージの出現である。

まだ当時は若者向けのファッションというカテゴリーが確立しておらず、若い女性も母親と同じ服を身にまとい、大人の身だしなみの規則に従っていた。(178頁)


ミニスカートは当初、ロンドンの若者の間で流行していて、
それをデザイナーが取り入れたのだそうだ。

このミニスカートの流行に大きな役割を果たしたのは、
言うまでもなくあの「ツィギー」であった。

ツィギーの本名はレスリー・ホーンズビー。

……〔ツィギー〕は15歳でデビューしているが、身長168センチ、体重41キロという体型はモデルとしてかなり小柄なうえに痩せすぎており、「栄養失調」などと揶揄されながらも、瞬く間に各ファッション雑誌からオファーが殺到する。(186頁)


彼女が日本にやってきたのは、1967年のことであった。

それをきっかけにして、日本にもミニスカート・ブームが到来する。

しかし、ミニスカートが一般に普及していく際に、洋裁文化も重要な役割を果たしていた。60年代は家庭裁縫の伝統もまだ根強く続いており、ミニスカートは家庭でもつくりやすいこと、つまり手持ちのスカートの丈を切るだけで簡単につくることができることも、ミニスカートが年齢・地域を越えて普及を見せた要因だったようである。
 日本での女性たちのミニスカート評価は、身体の露出を自分の意思で決定することに解放感があったという意見とともに、少女的なスタイルに魅力が感じられたからというものがある。当時の男性週刊誌は足の露出に野次馬的な下心を抱く一方、性犯罪を誘発するとか、冷え性になるとか、出産が困難になるなど非難がましい視線を投げかけている。(193−194頁)


これほど社会からの反発を招いたミニスカートも、
今ではごく当たり前のファッションになっている。

そして、ここで筆者が述べていることが重要である。

逆説的なことだが、女性たちはそれまで考えなくてもよかった足の美しさにも配慮しなければならなくなったのだ。(198頁)


自分の身体への配慮。

上半身から下半身への配慮の拡大。

これは、「近代」を考えるうえでとても重要なポイントである。

次に、1980年代の日本に目を移そう。

DCブランド・ブーム……。……80年代に人気となったさまざまな既製服ブランドを総称することば……。パルコ、ラフォーレ、丸井などのファッションビル、駅ビルとともに全国的に展開し、80年代後半には半期のバーゲンに徹夜で並ぶ者が出るなどしてメディアにもとりあげられている。
 エレガントなビギ、ヨーロッパテイストのニコル、フォークロア少女のピンクハウス、和製パンクのミルクなど……。(243頁)


「DCブランド」と聞いて、ものすごく懐かしい気持になる。

おのブームが大きかったのは、
日本の男子たちがファッションに目覚めたからであった。

それにしても懐かしい。

ちなみに、当時のわたしはこういう流行にはまったく興味がなかった。

徹夜でバーゲンの行列に並んだことはない。

念のために言っておく。

このころの日本も高度消費社会に入っていったのである。

従来型の画一的な商品を大量生産&大量消費する社会ではなく、
ライフスタイルの多様化にあわせた多品種・少量生産の社会に突入した(244頁参照)。

次に、ファッション業界の多角経営について。

ベルナール・アルノー率いるLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)グループだ。

LVMHはルイ・ヴィトン、ディオール、ケンゾー、ロエベ、フェンディなどのファッション部門に加えて、香水、小売り、時計、ワイン・スピリッツなどの部門でも多くの有名ブランドを傘下に収めている。(262頁)


こうなるとルイ・ヴィトンは一大帝国である。

ルイ・ヴィトン発展の大きな要因は、内部改革だった。

アルノーはディオールのデザイナーとして89年にイタリア人のジャンフランコ・フェレを、97年以降はイギリス人のジョン・ガリアーノを起用してブランドイメージを一新している。フランスの誇る老舗店を外国人に任せたことに批判的な意見もあったようだが、交代劇が功を奏したことによりその経営手腕はいっそう高く評価された。(263頁)


ファッション業界にもナショナリズムが横たわっていたという。

しかし、外国人を積極的に採用するという手法は、
もはや多国籍企業にとっては当たり前のことになっている。

こうしてファッション業界も、
高度資本主義社会の発展とともに飛躍していった。

デザインはひとつの設計プランから複数の商品を量産することで成り立つ。そこに一点制作が基本の工芸や美術との大きな違いがある。すなわち、そのプランやアイデアこそがデザインにとってのオリジナルなのである。オリジナルは観念のなかにしか存在しない。それにもとづいて生産されるものはコピーであり、その意味でデザインはすべてがコピーとなる。
 ファッションデザインもまたオリジナルなきコピーである。ボードリヤールいうところのシミュラクラは産業社会がデザインを量産しはじめたときからすでに生まれていた。ブランドが懸命に偽造商品を取り締まろうとするのは本物の領域を偽物が侵犯していくからではなく、本来デザインには「コピー」しかないことが明らかになるのを恐れているからだろう。(282−283頁)


この指摘は興味深い。

ブランドが守ろうとしているのは、「オリジナル」ではない。

コピー商品を取り締まることを通じて、
「オリジナルがあるにちがいない」という観念を作り出すことにあったのだ。

造形的に見ると、20世紀初頭のファッションにおこった変化はとくに大きい。コルセットやクリノリン、バッスルをつけて構築した装飾的身体は、補正具を捨てた活動的身体へと変貌をとげる。砂時計型やS字カーブから直線的でストレートなラインへ。1920〜30年代にはほぼ現在の服装と同じレベルにまで装飾が捨象され、シルエットも簡略化される。ハイファッションの基本はこの時期までにほぼ定まったといっていい(マスファッションの領域ではリーヴァイスのジーンズ501が19世紀中にすでに完成されていたが)。(285−286頁)


ただし、こうした変化を「人工的なものから自然なものへ」と捉えてはいけない。

そうではないのだ。

1920年代は活動的で若い身体が浮上した時期であった。女性たちがスポーツをしたりダイエットに励んだり、美容整形をしたりして、スリムなからだになろうとしたのがこの時期だ。逆に考えると、外側から強制的に身体を成形するのではなく、内側から身体そのものを自己管理するという意識の変化がおこったわけである。砂時計の身体像はただ流行遅れになってしまったのである。(286頁)


外側から身体を修正するのではなく、
内側から身体を修正していくようになったのだ。

そうすると、身体の自己管理・配慮は、ますます強まっているということである。

日本では、「自分らしさ」とか「個性」とかいったフレーズが流行っている。

そこでは、まるで自分が自由自在にファッションを楽しんでいるかのようだ。

「素の自分」に合わせてファッションを選んでいるかのようだ。

しかし、実態はまるでちがう。

だから「自分らしさ」や「個性」は、今やひとつのイデオロギーなのである。

尚、本書にひとつ注文をつけるとすると、
著作権の問題があるのかもしれないが、もっと写真を多く掲載してほしかった。













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