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zoom RSS ハーバート・ビックス『昭和天皇(上)』(講談社)

<<   作成日時 : 2008/10/31 00:29   >>

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本書は、昭和天皇、すなわち「裕仁」の伝記である。

そして、2001年にピュリッツァー賞を受賞した。

この本もエピソードが豊富でおもしろい。

わたしの記憶では、たしかこの本は現在、文庫本化されているはずだ。
だから入手しやすいと思う。

天皇ヒロヒトは平和主義者だったなどという寝言を
いまだに繰り返す「ゴキブリ級」の日本人がわりと多いが、
こういう本を読んできちんとお勉強をしなさい。

ヒロヒトは、平和主義者などでは断じてない。
ヒロヒトは、軍部に翻弄されただけの存在だったのでもない。

そのことは、歴史学者である著者が次のように述べていることからも分かる。

この伝記で取り上げた昭和天皇は、受け身の立憲君主でも、日本きっての平和主義者・反軍国主義者でもなかった。それどころか天皇は、昭和時代に起きた重要な政治的・軍事的事件の多くに積極的に関わり、指導的役割を果たした。(1頁)


だから、天皇ヒロヒトに戦争責任があるのは、当然である。

1946年を迎えて間もないころ、44歳の昭和天皇には、戦争犯罪人として告発されるのではないかという重圧が国の内外からのしかかっていた。……皇族のなかには、天皇を退位させることで政治責任をかわし、天皇制を護持しようとする声があった。(17頁)


退位で何とか切り抜けられると思っているところが、皇族の愚かなところである。

ただ、皇族内部に退位論まであった事実は大きい。

他人をどれほど犠牲にしようと、みずからの地位を懸命に守ろうとした点において、昭和天皇は現代の君主のなかでもっとも率直ならざる人物のひとりだった。(20頁)


自己保身に励む自己中心的な人物、それがヒロヒトの実像である。

詳しい内容は本書を読んでみていただきたい。

昭和天皇は20年以上にわたり、相互にからまり合う複雑な制度のなかで、政治および官僚制から独立して実権と権威を行使してきた。戦争と外交の状況をよく呑みこみ、政治と軍事の知識を十分に備えながら、国家の政策決定に関与し、野戦指揮官や提督に大本営命令を発してきた。日本の戦争戦略の形成と、中国における軍事作戦全般の実行の指揮に積極的な役割を演じた。(28頁)


天皇ヒロヒトは、大元帥だったのである。

側近の日記は、政治行動への天皇の変わらぬ関心を示している。歴史がそれ自体の歩みを進めるなかで、単に受け身の存在であることにあきたらない彼は、政党内閣や枢密院の決定に関与し、政党間の争いを間接的に仲裁し、彼の都合から議会の論戦を止めさせることさえあった。間もなく彼は、牧野と宮内官の意を体して、明治天皇さえ一度もしなかったことを断行した。首相の陸軍大将・政友会総裁田中義一を叱責し、辞任に追いこんだのである。かくして、政党の活動根拠となってきた美濃部的な「天皇機関説」が破られた。(171頁)


これは誰でも知っている歴史的事実であるが、
「昭和天皇平和主義者説」を信じ込んでいるひとにとっては都合のわるい事実だ。

1936年2月26日早朝5時ごろ、1935年を通じて荒れ狂った国体をめぐる非難の嵐は、叛乱へと爆発した。22名の陸軍初級将校は、第一師団麾下(きか)の三個連隊および近衛歩兵連隊に所属する1400名以上の完全武装の兵士と下士官を率いて、雪に被われた都心で叛乱を起こしたのである。……
 ……彼らは天皇が側近に操られていると見ており、実際、天皇は独自の意思を欠いていると考えていた。そのため、ひとたび、内大臣や侍従長を追放してしまえば、軍を強化し、中国問題を解決する英雄として彼らの信望を集めていた真崎甚三郎に、昭和天皇は組閣の大命を下すことになるだろう、と信じていた。(260−261頁)


言うまでもなく、これは「2・26事件」のことである。

そして、これに対してヒロヒトがどのような対応を行なったのか。
これも言うまでもないであろう。

1936年8月25日、広田内閣は1937年度の全政府予算のうち約69パーセントが軍事に配分される(約330億円)と発表した。政府支出の47.7パーセントを占めた前年度の軍事予算100億円がほぼ3倍に増額されたのである。(271頁)


しかしこれは凄まじい数字である。

この膨大な軍事予算でぼろ儲けした連中もたくさんいたわけだが、
彼らは戦争責任も何も果たしていないのである。

1938年末、圧倒的な地上、海上、空中での優位をほしいままにした日本軍の攻勢は、事実上、あらゆる戦闘で大勝利を収めた。しかし、中国の抵抗は頑強なため、日本軍はしだいに化学兵器に頼るようになった(これは西洋に先例がある。もっとも悪名高いのが、第一次大戦、ドイツによる最初の毒ガス使用であり、そして1935年にはファシスト・イタリアがエチオピアでこれを使用した)。(300頁)


当然のことながら、化学兵器の使用は違法行為であった。

下巻につづく












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