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zoom RSS ジョン・ダワー『増補版・敗北を抱きしめて(下)』(岩波書店)

<<   作成日時 : 2008/10/29 00:13   >>

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前回のつづき

敗戦直後、人口に膾炙していた「なぞなぞ」を紹介しよう。

マッカーサー元帥は、日本の「へそ」と言われる。

さて、なぜでしょうか?

元帥と天皇が並ぶ有名な写真が公開された後に、裕仁は、占領期の猥褻この上ない「なぞなぞ」の標的にされた。それは、天皇の自称である朕が、ペニスの俗語と同音(チン)だという、従来ならとても口にできない下品な語呂合わせの上になりたっていた。「マッカーサー元帥はなぜ日本のへそなのか?」「チン(=天皇)の上にあるからだ」。(43頁)


答え、「チンの上にあるから」。

その「チン」は、アメリカの占領統治に利用された。

エリオット・ソープ准将は、天皇の身の安全を守り、第一次戦犯リストを作成する任務についていたが、後に自らの活動について感慨を込めて振り返っている。自分は、天皇裕仁の在位を全面的に支持していた。「というのも、天皇の退位は混乱以外の何ももたらさないからだ。宗教もなく、政府もない。天皇だけが統制の象徴だったのである。もちろん天皇は悪に手を染めた。彼が無邪気な子供などでないことも明らかだ。しかし天皇はわれわれにとって大変役に立つ存在だった。これが私が天皇を支えるよう、あの老人(マッカーサー)に勧めた理由だ」。(72頁)


役に立つから利用されたのである。

そして天皇自身も、自分の役割を正しく認識していた。
だから、天皇は語の厳密な意味でアメリカの傀儡なのだ。

1ヵ月後、日本は天皇中心の暦に従って時を数え続けるという発表があった。12月5日、政府は国会での質問に答えて、「元号制」の維持を明言したのである。……これは保守派にとって心慰むような勝利であった。天皇制があればこそ日本人は独特であり、他者には共有できない国土に生きているのだということを、日々繰り返し確認できる、素晴らしい方法であった。これで出版物に印刷されている日付を見るたびに、人々は天皇の存在を思い出すであろう、と。(167−168頁)


いまでもさまざまなところで元号は使われている。

そしてひとびとの意識に刷り込まれていく。

1947年10月、GHQの検閲官は、他国との関係を説明した小学6年生の教科書から日の丸の旗を削除するよう命じた。このころ日の丸は、軍国主義と超国家主義のシンボルとみなされていた。(184頁)


日の丸が軍国主義のシンボルだというのは、当たり前のことである。

当時のひとには、そのことが分かっていた。

しかし、現在はそうした意識がきれいに消去されてしまった。

GHQの検閲は、着々と成果をあげていった。
ただ、妙な検閲もあったという。

占領最初期の一定程度の検閲については納得できる理由もあるが、この教科書(1941年発行)では、雪合戦の描写が好戦的として『黒塗り』の対象とされた。このように、行き過ぎた検閲の例もあった。(187頁)


「雪合戦」は好戦的だという理由だろうか。

ともあれ、GHQはさまざまな政策を通じて日本の民主化をすすめた。
これを「上からの革命」と呼ぶ。

この観点からみると、この「上からの革命」のひとつの遺産は、権力を受容するという社会的態度を生きのびさせたことだったといえるだろう。すなわち、政治的・社会的権力に対する集団的諦念の強化、ふつうの人にはことの成り行きを左右することなどできないのだという意識の強化である。(227頁)


つまり、お上に媚びへつらう態度は、戦後の日本人にも残ったということだ。

次に、極東国際軍事裁判(通称、東京裁判)について。

インドネシアの場合、日本による「オランダ領東インド」占領後の苛烈な強制労働のせいで亡くなった人が100万人とも、それ以上とも言われているにもかかわらず、東京裁判で同じ恩恵は受けられなかった。オランダがインドネシアも代表していた、ということなのだろう。ベトナム、マレー半島、ビルマで日本人の手にかかって辛酸をなめたアジア民族も、独自の代表を送れなかった。建前ではフランスがインドネシア人を代弁することになっていた。原則的にはイギリスも、ビルマ人、マラヤ諸民族、そして香港の植民地被統治民に代わって同じ役割を演じたことになっている。(267−268頁)


東京裁判を「勝者による一方的な裁き」だと批判する愚か者たちは、
アジア諸国のひとびとが裁判に参加しなかったことには言及しない。

見事なご都合主義、自己中心主義であろう。

東京裁判に、判事としても、検察官としても、朝鮮人がひとりもいなかった事実はきわめて異様である。(268頁)


まったくである。

しかし、右派・保守派はこのことについても口をつぐむ。

都合のわるいところでは、黙り込む。
これが右派・ナショナリスト・保守派の動物学的な特徴である。

ここでジョン・ダワーは批判の刃をアメリカにも向ける。

日本がアジア諸民族に「人民に依る人民の為の人民の政治」を許さなかったとする冒頭陳述でのキーナンの非難が呆れるほど愚かだったのは、それ以前のヨーロッパやアメリカによる支配のもとでもアジアにはそんなものは存在しなかった、という事実のためだけではない。その非難がなされていたまさにそのとき、フランスはインドネシアに、オランダはインドネシアに、イギリスはマレー半島に、ふたたび入りこもうと戦闘をくりひろげていたからである。そして、その血塗られた侵略を、平和と人道に対する罪だ、と糾弾するアメリカ人首席検察官はいなかった。むしろ、この戦闘のどれについても、彼の国の政府が、これら死に瀕した旧帝国主義の最後のあがきを支援していたのである。(270−271頁)


もうひとつ、日本人自身の関与も東京裁判から外された。

……戦争犯罪の調査と告発から日本の関与をいっさい排除したことは、先見の明に欠けた誤算だったというべきだろう。
 ……日本人の正式な関与があったら……この裁判から「勝者の裁き」の烙印を多少なりとも薄くしていたかもしれない。さらには、一般の日本人のあいだに、あの罪に責任をとらなければならないのはほかの誰でもない、自分たち自身だ、という意識をもっと浸透させたかもしれない。それが推進できなかったのは、権力独占にこだわることはかえって逆効果であることを知らなかった占領当局の、もっと大きな失敗と無縁ではない。(274−275頁)


当時の日本には、戦争責任について追及しようという動きも、じつはあった。

敗戦直後には、日本の戦争犯罪を掘り起こそうという積極的な活動に、草の根レベルでかなり強い支持があった。日本軍の働いた残虐行為が明らかになったことに衝撃を受けて、すでに1945年9月半ばには、『朝日新聞』などの新聞に、戦争犯罪人とおぼしき者たちのリストを日本人の手でまとめるべきだ、そのほうが連合国の作成するであろうリストよりずっと長くなるだろう、そして、できたら日本人自身による裁判も行なうべきだ、とする論調が現われた。多くの読者がこれに賛成した。(275頁)


他方で、別の目論見から戦争責任の幕引きをはかる動きがあった。

政治的立場の対極で、日本政府も裁判の実施を考えていた。……9月12日、東久邇内閣は、迫りくる逮捕と、それに関連して、東条が起訴を免れようと自殺を図って未遂に終ったことに衝撃を受けて、連合国側の行動とはかかわりなく戦争犯罪を調査し、独自の裁判を実施する、と決定した。重光葵外務大臣(のちに自身も逮捕され、戦犯として裁判にかけられる)がこの政府の意向をGHQに伝えたが、翌日には不可を告げられた。(276−277頁)


独自の裁判を実施しようとしたからといって、
これを評価することはもちろんできない。

なぜなら、本当に真相を追究し、責任を追及しようとしたものではなかったのだから。

どうやら政府は、いったん裁判にかけて判決を下してしまえば、同一人物を連合国が再び裁判にかけて二重の危険にさらすことはできないはずだ、とふんだらしい。(277頁)


見事な無責任ぶりの下心である。

次に、東条英機について。

9月11日に逮捕命令が出てMPが逮捕にくると、東条は自分の胸をピストルで四発撃ち、アメリカ人記者たちに椅子に抱えあげられた。……氏名不肖のGIからの輸血のおかげで、アメリカの医療チームによって一命をとりとめた。急遽運ばれた軍の病院で治療にあたった医療チームの親切と効率の良さに感銘を受けて、見舞いに訪れた外務省高官にむかって「アメリカのデモクラシーの強さ」を褒めちぎった。こうした一連の不名誉のあと、ロバート・アイケルバーガー第八軍司令官に高価な刀剣を贈った。その後、立派に回復して、東京裁判で無罪を主張した……。(295頁)


東条のこのようなくだらなさは、誰でも知っていることであるが、
そのうち歴史を知らない若者のなかには「東条はカッコイイ」などと言い出すものが
きっと出てくるにちがいない。

東条はすぐにも自らの命を絶つべきだ、絶つだろう、と広く考えられていた。なんといっても、陸軍が有名な「戦陣訓」の示達によって「生きて虜囚の辱めを受けず」と軍人に訓諭したのは、1941年、東条が陸軍大臣のときのことだった。……遅ればせながらもようやく死ぬ気を奮いおこした東条が、武士らしく刀を使わずに、まるで外国人のように弾丸を選んで、おまけにそれさえヘマをしたことは、傷ついた愛国者たちにとって耐えられる限度を越えていた。(295頁)


このような東条英機を天皇ヒロヒトがどう評価していたのかは、後に述べる。

再軍備の実行を日本にねじこむためにジョン・フォスター・ダレスが訪日したとき、朝鮮戦争に参戦せよという極端な要求が出るのを非常に警戒して、吉田は二人の社会党指導者に密使を送り、ダレスの使節団に見せるために、再軍備に反対するデモを政府の外で組織してくれないかと頼んだ。そうすることによって、再軍備を全面的に実行すれば日本社会は深刻な分裂に陥るであろうことを、ダレスに理解させようとしたのである。(370頁)


吉田茂が、ひそかに「再軍備反対デモ」を社会党に依頼した、という。

それにしても、当時はまだ「再軍備」に反対するだけの世論の盛り上がりがあったのである。

占領軍は、到着した瞬間から日本の官僚組織を保護した。そしてそれによって官僚組織の役割と権威を高めた。やがて冷戦的な思考が大勢を占めるようになり、占領政策の「逆コース」がはじまったとき、行政の「合理化」を進めて、結果的に官僚の権力をさらに少数者の手に集めたのは、アメリカ占領軍にほかならなかった。(390頁)


これで見えてくるであろう。

日本の官僚がどうしてアメリカに従属しているのか、ということが。

天皇と同様、官僚たちもアメリカによって維持され利用されたからである。

天皇はアメリカの傀儡であるが、
官僚もアメリカの手先であり、それは現在も変わっていない。

こうして、連合国最高司令官による新植民地主義的な上からの革命という変則的な事態は、両刃の剣となった。それは純粋に進歩的な改革を推進すると同時に、統治の権威主義的構造を再強化した。(391頁)


権威主義は、現在の日本の政治にも見られる特徴である。

日本の戦後システムのうち、当然崩壊すべくして崩壊しつつある部分とともに、非軍事化と民主主義化という目標も今や捨て去られようとしている。(397頁)


その動きを指揮しているのは、やはりアメリカである。

最後に、天皇ヒロヒトと東条英機について。

側近に対して深い思いやりと寛容をもっていたという一般のイメージとは逆に、裕仁の独白録によれば、彼は側近の大部分に対して厳しく無慈悲であった。裁判の被告のなかで裕仁が肯定的に評価したのは、木戸幸一と、連合国が最大の戦犯とみていた東条英機であった。(432頁)


しかし天皇ヒロヒトは、
東条英機に戦争責任を負わせることで、自らの保身をはかった。

どいつもこいつも薄汚い連中である。













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