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zoom RSS S・ブルッフフェルド/P・A・レヴィーン『語り伝えよ、子どもたちに』(みすず書房)

<<   作成日時 : 2008/10/25 05:58   >>

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本書は、子どもたちに何を語り伝えようとしているのだろうか?

それは、あの「ホロコーストの歴史」である。

この本がユニークなのは、
スウェーデン政府による企画でできたものだということだ。

スウェーデンでは、ホロコーストの歴史を知らない子どもたちが増えている。

このことに危機感を抱いた首相がプロジェクトを立ち上げたというのである。

子どもたちに語り伝えるという趣旨から、
とても分かりやすく読みやすいホロコースト入門になっている。

本書の巻末には、高橋哲哉の解説が掲載されている。

〈この世に生きることは実に危険だ。それは悪事をはたらく者のせいではなく、そばにいながら彼らを容認している者がいるからだ。〉アルバート・アインシュタイン(26頁)


悪事をはたらく者を容認するものたち。

それは、圧倒的多数の「良心的な市民」たちである。

つまり、わたしたちにほかならない。

しかし、圧倒的多数の「良心的な市民」たちは、犯罪を容認した。

ナチスは、600万人ものユダヤ人を殺害した。

それだけではない。

ユダヤ人の身体をその死後も「有効利用」したのである。

親衛隊はユダヤ人の体さえも利用した。女性の死体から切り取った毛髪は潜水艦部隊のために靴下やパッキングに加工された。金歯は取りはずして溶かされ、焼却した死体の灰は肥料となった。(40頁)


ユダヤ人の身体の油で石鹸まで作った。

こうした事実に誰でも慄然とするであろう。

しかし、現在わたしたちは「脳死患者」の身体を「有効活用」しているのである。

「臓器移植」という名の人間の身体のリサイクルである。

ユダヤ人の身体が材料化されたことに驚愕するひとは、
他方で身体の資材化・資源化をすすめる臓器移植には鈍感である。

ゲットーの住民にとっては、食糧確保は生き残るための日々の戦いであった。ドイツ当局がワルシャワ・ゲットー住民に配給した食糧は1日1人につき200キロカロリー。たとえば今日、病院で肥満改善ダイエットを行う場合、定められている摂取カロリーは1日1000キロカロリーである。(49頁)


これだけでも想像を絶する残虐な行為である。

そんななかでも、ユダヤ人を助けようとしたドイツ人もいた。

戦争中、ユダヤ人に対する援助を惜しまなかったドイツ人技師、ヘルマン・フリードリヒ・グレーベは、なぜなのかと問われて、その理由は自分にもわからないと答えた。しかし、つましい階層出身だった自分の母親の影響が多分にあると語った。少年時代、彼は友人たちと共にユダヤ人老婆を殴打したことがあった。グレーベは次のように語っている。〈「決してそんなことをしてはいけません。なぜ殴ったりしたの?」と母は言いました。当然のように「他のみんなもしているから」と答えると、母は厳しい口調でこう言いました。「あなたはその他の大勢ではなくて、私の息子なのよ。二度としてはいけません。もし、またこんなことをしたらただじゃおきませんよ。彼女の立場になってみたい?」私は「ううん」と答えました。「それならやめなさい。あの人もあなたや私と同じように感情を持っている一人の人間なのよ。絶対にやめなさい。」〉このようにして母は私の行動に影響を与えました。母はこうも言いました。「人を職業や宗教で判断してはいけません。それよりもどんな人間なのかを見極めるほうが大切です」と。
 すべての答えが教育にあるとは言いきれないが、ここには真剣に考えるべき重要な意味がある。(76−77頁)


彼は、特別に優れた能力をもった人物だったわけではない。

彼も普通の市民だった。

わたしたちも真剣に考えなければならないだろう。

迫害されているひとたちに対して、わたしたちはどれほどの助力をしているのか?

差別を受けている在日コリアンたちに対して。

亡命申請をしている難民たちに対して。

わたしたちは彼らに何をしているのだろうか?

そうだ、今のわたしたちが問われているのである。

次に、ある恐ろしい会話を紹介したい。

「ヴァイトマン博士、犯罪技術研究所は大量の毒薬を生産することができますか?」

「何の目的で? 人間を殺すためにですか?」

「いいえ」

「では、動物を殺すためですか?」

「いいえ」

「では何のために?」

「人間の姿をした動物、つまり精神障害者を殺すためです。彼らはもはや人間とは言えず、治療の手段もないのです」

ドイツ刑事局、犯罪技術研究所化学課長アルベルト・ヴァイトマン博士と刑事局員であり親衛隊中将であるアルトゥール・ネーベとの会話(86頁)


殺害されたのはユダヤ人だけではなかった。

障害者も殺害の対象のリストに入っていた。

ドイツでの障害者、発育障害者、「反社会的分子」の殺害は、ヨーロッパのユダヤ人とシンティ・ロマに対する国家的組織的大量殺戮に先立つものであった。このナチスによる「安楽死」は1939年10月に始まり、ベルリン中央司令局が置かれていたティアガルテン通り4番地にちなんで、「T4作戦」と呼ばれていた。執行部はヒトラーの総統官邸にあった。ドイツじゅうの病院で、医師たちから「生きるに値しない」という烙印を押された人々が拘束された。……殺害の手段はたいてい、毒ガスか薬物注射だった。家族には、次のような型どおりの書式で死亡が伝えられた。
〈○○氏がここ○○において、肺炎で亡くなられたことをお伝えしなければなりません。私どもは実に心痛に耐えませんが、医師団は患者の救命のために最善を尽くしました。〉
 犠牲者の遺体はしばしば、医療施設の研究材料として使われた。1945年までに、少なくとも12万人が障害者殺害プログラムの中で殺された。「T4作戦」は、教会やドイツ市民による抗議ののち、1941年8月末に公には廃止されたが、障害者の殺害は、さらにカムフラージュされたかたちでナチス崩壊後の時まで続けられた。(86−87頁)


ひとの命を救うべき医療従事者たちが、障害者の殺戮に加担していた。

障害者は「生きるに値しない」という理由で。

「シンティ・ロマ」というのは、かつて「ジプシー」と呼ばれたひとたちである。

この「生きるに値しない」という生命の選別は、
決して過去のおぞましい出来事ではないことに注意しよう。

現在も、わたしたちはあるひとびとを「生きるに値しない」と見なしているのだ。

そして、「生きるに値しない」と見なされたひとびとが殺されていくのを、
圧倒的多数の「良心的な市民」たちは抗議も何もせずに容認しているのである。

しかし、歴史家クリストファー・ブラウニングは、次のような視点を見失ってはならないと説いている。
「結局のところ、ホロコーストがなぜ生じたのかというと、[…]個々の普通の人々が長期間にわたって何千人もの他人を殺害したからである。」(102頁)


そうなのだ。

ホロコーストを実行したのは、一部の「狂人」たちではなかったのだ。

「普通の人々」が大量殺戮を着々と実行していったのである。

1940年夏以降は、アウシュヴィッツはポーランド人政治犯の強制収容所として使われていた。収容所は大きな鉄道分岐点にあったことから、40以上の建物から成る巨大な施設に急成長した。最も有名だったのはアウシュヴィッツ第一収容所(基幹収容所)、アウシュヴィッツ第二収容所(ビルケナウ)、アウシュヴィッツ第三収容所(モノヴィッツ)である。(104頁)


ここにヨーロッパ中からユダヤ人が移送されてきた。

ガス室には約2千人が収容できる。厚いドアが閉められ電灯が消えると、ツィクロンBが流入される。しばらく換気したあと、「特別労務班」のユダヤ人が死体を運び出して焼却炉へ運ぶ。これら一連の作業は、しばしば1、2時間以内で終了した。(107頁)


効率よく殺害できたのは、科学の発展と命令を忠実に実行する組織があったからである。

600万人ものユダヤ人が、まるで「屠殺場に向かう羊」のごとく抵抗せず殺されたというのは、ホロコーストにまつわる伝説にすぎない。実際は、ワルシャワ・ゲットーの蜂起やユダヤ人パルチザンによるドイツ軍部隊への攻撃など、何千という抵抗運動が西および東ヨーロッパには存在した。また、強制収容所や絶滅収容所内でも、ユダヤ人のほか非ユダヤ人による組織的抵抗が行われた。しかし、ドイツ人は際限なき暴力を武器に、あらゆる抵抗運動を抑え込んだ。(114頁)


ユダヤ人がおとなしく殺されていったという伝説があった。

この伝説によって、加害者であるドイツ人の罪が軽くなると思われたからだろう。

日本でも、創始改名は朝鮮人が望んだことだったとのたまった政治家ががいる。
彼はいま日本の最高責任者である総理大臣である。

こうした暴論が吐けるのは、
現地での抵抗運動の歴史を消去してはじめてできることであろう。

だからこそ、抵抗の歴史をわたしたちが記憶することが重要なのである。

あらゆる抵抗運動の中でも絶滅収容所における蜂起は、もっとも勇気ある行動であると同時に、もっとも希望のないものであった。(120頁)


抵抗運動は徹底的に弾圧された。

こうした全体主義体制を見ると、
一般の市民にはどうしようもなかったのではないかと思うひともいるかもしれない。

しかしそうではない。

それでも、一般ドイツ市民は追従を拒否したり、異論を唱えることができた。いくらかは、そのような可能性も存在していたのだ。少なくとも、自分の意志で犯罪に荷担しない選択肢は誰にも与えられていた。たとえば、集団銃殺の実行を拒否した警官は配置転換されたにすぎない。また、医師や看護人は障害者を守ることができたし、彼らを殺さねばならない理由もなかった。軍には犯罪的な命令に背く部隊もあった。このようなかたちでの命令拒否は危険ではなかったのだ。それにもかかわらず、一歩を踏み出す者は一握りにすぎなかった。(120−121頁)


できたのに、しなかった、のである。

「ホロコースト」は自然現象ではないのだから。

ナチスへの従属を拒否して大きな損失を被ったのは「エホバの証人」の信者だった。彼らは自らの死とひきかえにしても、ヒトラーに忠誠を誓い武器を取ることを拒んだ。何千人という「エホバの証人」の信者たちは強制収容所へ送られ、その約4分の1が殺害された。(122頁)


そうだ。

彼らも殺戮されたのだった。

ナチス国家に対する最も興味深い抗議行動のひとつが1943年3月、ベルリンの路上で公然と行われた。ナチ政権はその時まで、抗議を恐れて非ユダヤ人と結婚しているユダヤ人男性の連行をためらっていた。しかし、宣伝相とベルリン・ナチ党大管区指導者を兼任していたヨゼフ・ゲッベルスは、帝国首都であるベルリンにユダヤ人が存在することを嫌って、最後のユダヤ人たちの逮捕を命じた。しかし、……ローゼン通りにある、1700名のユダヤ人男性が拘留されていた建物の前にその妻ら数百人が集まって、ゲシュタポと親衛隊に対する抗議行動を起こした。……抗議は功を奏し、ほとんどの女性は夫を取り戻すことに成功した。戦後、ドイツで生き残ったユダヤ人の98パーセントは、これら「混合婚」の男性である。(124−125頁)


このように抗議したひとたちも存在した。

私たちは、ユダヤ人の大量殺戮について、多くのことを知っている。長い間、「どのように」がホロコースト研究の最重要問題のひとつであった。しかし、「なぜ」という問い――たとえば、なぜヨーロッパでユダヤ人の子どもたちの90パーセントが死ななければならなかったのか――、それは当時の犠牲者たちが理解できなかったのと同じように、今日の私たちにも説明がつかない。……
 ただ、たとえ多くを理解できないとしても、私たちがホロコーストという犯罪を否定したり無関心でいることは、人類の未来にとって危険きわまりない。(141頁)


多くの日本人は、こうした過去の歴史に無関心である。

過去の歴史を都合よく偽装する連中までいるありさまだ。

だから、日本人は人類の未来にとって危険きわまりない存在である。












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アウシュヴィッツ強制収容所 Das KZ Auschwitz-Birkenau und Schind...
ヨーロッパに長期滞在することになったら、一度は見に行きたいと思っていたところが、アウシュビッツ強制収容所だ。何も怖いもの見たさから思っているのではない。未曾有の大量殺戮の現場に自ら立つことで、戦争の残酷さをより近くで感じ、平和の意味を考え直すためだ ・・・ ...続きを見る
ドイツ在住オヤジのつぶやき
2008/11/03 00:54

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