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zoom RSS 白井聡『未完のレーニン』(講談社選書メチエ)

<<   作成日時 : 2008/10/20 09:43   >>

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きのうの記事も「レーニン」で、きょうも「レーニン」である。

若手の研究者が『未完のレーニン』という意欲作を書いた。

いまさらレーニン? と思うひともいるだろう。

社会主義体制が崩壊して、レーニンも強い批判の対象になった。

それとともにレーニンは読まれなくなった。

しかし筆者は、レーニンはまだ生きている、という。

レーニンには、独特な思考の旋律が聴き取れるという。

独特な思考の旋律とは、言いかえれば、それはレーニンという人物の存在の「比類のなさ」を物語るものでもある。その「比類のなさ」は、ソヴィエトの官製プロパガンダがつくり出そうとした「聖人」という意味での偉大さのことではないし、冷酷な権力者としての凄みということでもない。不幸なことには、東側からは「聖人としてのレーニン」が、西側からは「権力の亡者としてのレーニン」が発明された。さらには、それらのレーニン像が色褪せた後には、「人間レーニン」なるものが考案され、家族に甘えたり心遣いを示したり、また愛人との関係に悩んだりした「普通の人」としてのレーニンについて、さまざまな事柄が語られることもある。だが、筆者がレーニンのテクストに向き合うことによって確信したことは、レーニンはまったく「普通の人」ではなかったということである。それは、彼が「聖人」であったのかそれとも「権力の亡者」であったのかということとは何の関係もないし、彼が時に道に迷ったり苦悩したりしたかどうかということとも何の関係もない。ロシアに社会主義革命の嵐を巻き起こすことに成功した彼の言説のスタイルは、そのような善悪の基準や人間的な基準を超越した「何か」を持ち込もうとしていた。(18−19頁)


本書では、
レーニンの代表作『何をなすべきか?』と『国家と革命』の読解を中心に、
レーニンの「比類のなさ」とは何なのかを探ろうとしている。

そして、同時代の巨人フロイトとの意外な共通点が浮き彫りにされる。

『何をなすべきか?』(1902)



『国家と革命』(1918)。

前者は、いわゆる「外部注入論」を展開している作品だ。

それだけに、近年ではすこぶる評判がわるい。

階級意識の外部注入論は、前衛/大衆の二元論に立つと考えられているからだ。

しかしそうではない、と筆者は主張する。

この本は、非常におもしろかった。

超おすすめ。

レーニンについて前提知識がないひとには歯が立たないと思うが、
ある程度のイメージを持っているひとにはとても興奮できる本である。

「レーニンは生きた、レーニンは生きている、レーニンは生き続ける」。











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白井聡『永続敗戦論』(太田出版)@
もしまだ本書を読んでいないのなら、ただちに書店へ行くべきだ。 ...続きを見る
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2014/05/08 10:38

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