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zoom RSS 日本の戦争責任資料センター編『ナショナリズムと「慰安婦」問題』(青木書店)

<<   作成日時 : 2008/09/10 13:46   >>

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シンポジウムの記録といくつかの論文などによって編まれた本である。

これは、ものすごくおもしろい。

スリリングで読み始めたら止まらない。

シンポジウムのパネラーは、上野千鶴子、吉見義明、徐京植、高橋哲哉。

上野千鶴子が他の論者から厳しく批判されている。

読み応えがある。

従軍慰安婦問題に対して、
安倍晋三とか中川昭一とかいった破廉恥な国会議員たちは、
数々の暴言と暴挙を繰り返してきた。

彼らはこのうえなく「破廉恥」で「無責任」だ。

なぜそういえるのか?

それは、「恥の感覚」が欠如しているからである。

さらには、「責任」を果たそうとしていないからである。

では、「責任」とは一体何だろうか?

この本は、「責任」とは何かを考えるのに、とてもよい。

哲学者の高橋哲哉は、次のように述べている。

元「慰安婦」の人たちの声のなかには尊厳の回復を求める声と同時に、必ずと言っていいほど、記憶への呼びかけが含まれています。この記憶への呼びかけは、何があったかを知ってほしいということ、もちろんことが性暴力の問題ですから、知ってほしいということ自体にむずかしい問題を含んでいますが、歴史の事実として記憶してほしい、同じような苦しみを味わう被害者が二度と出てきてほしくないということ、そういう形をとっているように思います。
 私はこれを、未来の共有への呼びかけ、過去の直視とその反省ないし熟慮に立った新しい関係の創出への呼びかけとして聞くことができると思うんです。元「慰安婦」の人たちの呼びかけに応えて記憶の責任を負うということは、記憶するという約束を通した未来の共有への約束であり、過去の直視とその反省、その熟慮に立った新しい関係への約束にほかならないだろうと私は考えています。「慰安婦問題」に関して日本人として責任を負うというのは、以上のような元「慰安婦」たちの問いかけ、呼びかけに肯定的に応答することではないでしょうか。(57頁)


きわめて明晰な論理である。

「呼びかけ」に「応答すること」が、すなわち「責任」である。

「呼びかけ」に「response(応答)」することが、「responsibility(責任)」なのである。

だから、その「呼びかけ」を無視したり、踏みにじったり、「逆ギレ」したりすることは、
「無責任」以外の何ものでもない。

いや、それらの「反動」はすべて「破廉恥」な「暴力」とさえ言える。

「責任」を果たすということは、
「未来の共有への約束」なのであり、新たな関係を築こうとする実践的な行為だ。

よりよい関係を築いていくために果たす「責任」なのである。

もし「慰安婦問題」に関する「責任」を認めないのであれば、
そのひとは自分なりの「責任とは何か」を説明する「責任」がある。

残虐な罪を犯しても「責任」を果たさなくてもいい社会をつくるなら、
あなたはこの日本をどのような国にしようとしているのかを説明する「責任」がある。

戦争をめぐる問題は、決して過去の問題ではない。

現在進行形の問題でもある。

これに関して、徐京植の言葉は、きわめて重い。

長い引用になるが、じっくりと耳を傾けてほしい。

……鹿島建設が戦時中に朝鮮人・中国人を強制連行して働かせてその補償をサボっています。そのサボっているという現実はいま、ここにある現実ではないのか。私は学生によく尋ねますが、あなたはその鹿島建設に就職しないのか。その下請け、取引先、メインバンクに就職しないか。あなたがそこに就職した時、鹿島の企業責任を問う覚悟はあるのか。言うまでもなく、就職するという分かりやすい関係だけではないですね。あなたの属している自治体が鹿島に発注しているのではないのか、鹿島に利益をもたらしているのではないか。鹿島というのはたんなる例ですが、日本の旧財閥系企業や今日の大手ゼネコンはほとんどすべてが植民地支配と戦争で大きな利益を得た。そこで行われた本源的蓄積とインフラ構築の土台のうえに戦後日本の繁栄があり、あなた方のひとりひとりはその受益者ではないのか。その特権の構造のなかにいるのではないかということなのです。……鹿島における中国人の強制連行は「華人労務者移住の件」という当時の内閣の閣議決定で行われたものですね。国家と企業がそのように共犯関係を結んでいた。そのような共犯関係によってもたらされた利権の構造のなかであなた方は現在も暮らしているんじゃないのか、そのことを薄々感じながら現在の生活にしがみついているのではないか、というのが私の疑いなんです。(67−68頁)


「鹿島建設」は、日本のゼネコンであり、超有名企業だ。

同時に「談合」を繰り返し、国民の税金を略取し、
日本各地を乱開発して環境と景観をボロボロに破壊してきた企業だ。

どういうわけか、日本人の間では、「鹿島建設」は「一流企業」と評価され、
「犯罪をおかしても責任を果たさない犯罪企業」とは見なされていない。

「強制連行」は「閣議決定」されたことで「歴史的事実」だったのに、
「政府は関与していない」などと歴史を偽装している連中までいるアリサマだ。

サルにも劣る連中だ、と言いたいところだが、
この言い方はサルに失礼かもしれない。

日本人のモラルの水準は、所詮この程度のものなのだろうか?

戦後生まれの若い世代も、この「責任」から逃れることはできない。

戦後世代の日本人といえども、現在日々刻々犯されつつある日本の国家犯罪の共犯者になることはありうる。たとえば被害者が年老い死んでゆくのを見ながら公式謝罪と個人補償を拒み続けることも国家による犯罪のひとつだ。シンポジウムの際、私は、既得権集団のたとえとして鹿島建設を挙げた。鹿島が国家と共謀して犯した過去の犯罪に直接かかわっていない人は、その「罪」を問われることはない。しかし、株主、社員、下請け、顧客等々というかたちで鹿島の既得権の分け前にあずかっている広汎な受益者には「責任」がある。そして、鹿島が現在ただいま犯しつつある犯罪(被害者の補償要求を拒絶すること)を支持ないし容認するならば、その行為はもはや「責任」の域を超えて限りなく「罪」に近づくと言わねばならない。(158頁)


もちろん「鹿島」だけの問題ではない。

現在、自民党総裁選挙でバカ騒ぎしている連中も同類である。

あの「破廉恥」で「下品」な「麻生太郎」が、日本の首相になろうとしているのだから。

この、恥知らずな人物については、「麻生太郎というひと」をご覧いただきたい。

そして徐京植は、次のようにわたしたちに語りかけている。

日本国民の皆さん、自分はたまたま日本に生まれただけであって「日本人」であるつもりはないとか、自分は「在日日本人」に過ぎないとか、どうかそんな軽口は叩かないでいただきたい。あなた方が長年の植民地支配によってもたらされた既得権と日常生活における「国民」としての特権を放棄し、今すぐパスポートを引き裂いて自発的に難民となる気概を示したときにだけ、その言葉は真剣に受け取られるだろう。そうでないかぎり、「他者」はあなた方を「日本人」と名指し続けるのである。(167頁)


日本に暮らし、日本国籍をもち、日本人として数々の特権を享受しているわたしたち。

よく右派・ナショナリストたちは、
自分たちの気に食わないひとに向かって「日本から出て行け」などと言うのだが、
「責任」を認めない彼らこそ「日本から出て」行けばよろしい。

さっさと荷物をまとめなさい。

ただちに引越し屋に予約を入れなさい。

しかし、彼らのような「破廉恥」で「無責任」な「動物」を快く受け入れてくれる国は、
世界中のどこを探してもないだろうが。

最後に、高橋哲哉の言葉をもう一度引用しよう。

私が提起しているのは、「慰安婦」問題に関する「日本人として」の責任とは、根源的には「慰安婦」被害者への責任であり、彼女たちの呼びかけ――怒りの声、つぶやき、沈黙の抗議など――に応えて、短期的には日本政府の態度を変え、長期的には日本社会の民族差別的、性差別的傾向を克服していく努力をすることではないか、ということである。責任とはここで、被害者の尊厳が回復されるように、また類似の犯罪が二度と起こされることのないように日本政府や日本の法を変えていくことであって、それらに服従することではない。政治共同体への責任とは、政治共同体そのものを変革していく責任を当然含んでいるものと私は考えている。(176頁)


日本国民がやらなければならないことは、じつはハッキリしているのだ。

そもそも、なぜ私たちは戦争責任・植民地支配責任ということを考え、それを負おうとするのか。そこには必ず国家対国家、民族対民族の関係には尽くされない、人間の人間に対する不正、暴力的支配や抑圧に対する批判という、ある普遍的な地平が含まれているはずです。たとえば朝鮮半島の植民地支配への責任を日本人として受けとめるということのなかにも、あらゆる植民地支配に対する原則的批判の可能性が含まれているはずだと思うのです。(186頁)


こうした高橋哲哉の言葉に、わたしは無条件で賛成したい。

日本の「戦争責任」について考えようとしないひとたちは、
諸外国の「戦争責任」についても「差別」や「不正な暴力」についても、
何も語る資格はない。

言うまでもないが、「拉致問題」についても、語る資格はまったくない。














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