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zoom RSS カール・ヤスパース『戦争の罪を問う』(平凡社ライブラリー)

<<   作成日時 : 2008/09/07 13:23   >>

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ヤスパースは、ドイツの著名な哲学者である。

ドイツ敗戦直後の1945年から46年にかけて
ハイデルベルク大学で講義したものをまとめたのが、本書だ。

敗戦直後の時点で、
すでにこれほど深いレベルで「戦争の罪」を真摯に考察していることに、
まず何よりも驚いてしまう。

それに比べて、日本人はどうだろうか?

東京裁判は、勝者による一方的な判断であり、不公平だ。

日本だけがわるいことをしたのではない。

日本だけが責められるのはおかしい。

こんな甘ったれた「暴言」を、日本人たちは平然と口走るのだ。

しかし、多くの日本人は重大な「歴史」を忘却している。

ヤスパースの次の言葉は、わたしたちにそのことを思い知らせる。

われわれは次の点をはっきりと意識しておくがよい。すなわちわれわれが生き、生き残っているのはわれわれ自身のおかげではないのだ。恐ろしい破壊のなかに新たな好機をもつ新たな状態が与えられているのは、われわれ自身の努力で達せられたのではないのだ。当然われわれに属すべきではずでない合法性を勝手に自分に認めたりするのはやめよう。(24頁)


ドイツと同様、日本も「無条件降伏」を受け入れた。

「無条件降伏」である。

もう一度言う。

日本は「無条件」に「降伏」したのである。

この歴史の重みを、いったいどれだけの日本人が真摯に受けとめたのか?

「無条件降伏」したにもかかわらず、
東京裁判は不当などとどの口が言えるのであろうか?

これほど不誠実な言葉が吐けるのは、
麻生太郎のような「極度にひん曲がった下品な口先」からだけだろう。

戦後日本が復興できたのは、
被害を受けたアジア諸国が賠償請求を放棄してくれたお蔭である。

連合国が日本国民を生かしておいてくれたお蔭である。

だから、
戦後日本の経済復興は日本人自身の勤労によってもたらされた、
などと語ることは、すでに歴史を捏造・偽装しているのである。

歴史をナショナリズムによって汚染しているのである。

そもそものはじめから自国の領域内において原則的に自然法と人権とを侵害してきた国家が、その後戦争において対外的に人権と国際法とを破壊した場合、その国家は自分が是認しなかったところのものを今さら自分の利益のために是認してくれと要求する権利はない。(68頁)


軍人・市民を問わず外国人の人権を一顧だにしなかったくせに、
東京裁判は不当だ、日本批判は不当だ、と言う右派・ナショナリストたち。

だから日本人は恥知らずだというのである。

安倍晋三前首相が「拉致問題」は「人権問題」だとどんなに主張しても、
国際社会でまったく説得力をもたなかったのと、同じことである。

なぜ安倍の言葉に説得力が微塵もなかったのか?

簡単に言えば、
「お前が言うな!」ということだ。

ともかく、戦後の日本人たちが「一億総懺悔」と言ったり、
「戦争とはそういうものだ」と言ったり、
「日本だけがわるいのではない」などと言ったりするのは、
「罪」の概念を区別できていないことに由来する。

「戦争はもうこりごり」と思った日本人たちも、
じつは「罪」や「責任」の問題を真剣に考えてはこなかったのだ。

この本は、「罪」の概念を四つに区別して考察したことでよく知られている。

@ 刑法上の罪

A 政治上の罪

B 道徳上の罪

C 形而上的な罪


それぞれの詳しい内容は、本書を読んでほしい。

中国や韓国は「反日」だなどと無知をあらわにしているひとびとがいる。

しかし、中国も韓国も一般の日本国民の「罪」は問わなかった。

多くの日本国民は一部の軍国主義者の被害者だと見なしてくれたからだ。

だが、中国政府や韓国政府が日本国民を赦してくれたとしても、
わたしたちはその「厚情」に甘えてはいけないはずではないか。

なぜなら、多くの日本国民も決して「無実」だったわけではないからだ。

日本がアジア諸国を蹂躙し、侵略したとき、
圧倒的多数の日本人はこれに反対しなかった。

ヤスパースの言葉を、やや長い引用になるが、聞いてみよう。

われわれは1933年以来別人になったのだ。1933年、見せかけの合法性によって憲法の侵犯が行なわれた後に独裁制が樹立され、国民多数の酔えるがごとき興奮のうちに反対者を押し流してしまったとき、屈辱のうちに死を選ぼうと思えば選ぶことができたのだった。1934年6月30日(大虐殺があった。)に、さてはまたわれわれの友人であり同胞であったユダヤ人が略奪、追放、殺害をこうむったことによって政府の犯罪が公然と表面に出てきたとき、あるいはまた1938年、ドイツ全土にわたってユダヤ人のシナゴーグ教会堂・神殿が焼け落ちて、われわれの上に拭いがたい汚辱を残したとき、死を選ぼうと思えば選ぶことができたのだった。戦争が始まった後、政府が「戦争においては、交戦国の後日の和解を不可能ならしめるような行為をしてはならない」ということを国際法の条件として要求したドイツ最大の哲学者カントのこの原則をはじめから踏みにじったとき、死を選ぼうと思えば選ぶことができたのだった。ドイツ国内で政府に反抗してみずから死を選び、ないしは少なくともそのために殺された者は幾千人、その大部分が名も知れぬ死を遂げたのだった。われわれ生き残った者は死を選ばなかったのである。われわれの友人たるユダヤ人がらち拉致されたとき、われわれは街頭に飛びだして、わめき立て、われもまたかれらとともに粉砕されてしまうというような危険を冒しはしなかった。われわれが死んでみたところでどうにもなりはしなかったろうという正しくはあるが弱々しい理屈をつけて、生きながらえる道を選んだのであった。われわれが今生きているということが、われわれの罪なのである。(111−112頁)


わたしたちの友人である中国人や韓国・朝鮮人やフィリピン人たちが
略奪・殺戮・暴行に苦しめられていたとき、
日本人は日本政府に抵抗しようと思えばできたのだ。

彼らを傷つけるなとわめき立て、抵抗することもできたのだ。

死を選ぼうと思えば選ぶことはできたのだ。

しかしそれを多くのひとはしなかった。

「生きて虜囚の辱めを受けず」の教えを守って、
GHQの「虜囚」となった日本国民が全員自決することだってできたのである。

しかしそうはしなかった。

「抵抗しなかった」ことは、そのひとの「選択」だったのだ。

その意味において「罪」は歴然とある。

近代国家においては誰もが政治的に行動している。少なくとも選挙の際の投票または棄権を通じて、政治的に行動している。政治的に問われる責任というものの本質的な意味から考えて、なんぴとも、これを回避することは許されない。
 政治に携わる人間は後になって風向きが悪くなると、正当な根拠を挙げて自己弁護をするのが常である。しかし政治的行動においてはそういった弁護は通用しない。(95頁)


このことは、戦後の日本人・戦後世代の日本人にも当てはまる。

戦後世代には無関係だ、と言うことはできない。

けれどもわれわれは一人残らず、積極的に何ごとをもしなかったという意味において罪がある。(107頁)


戦争責任を果たさない日本政府に対して、
積極的に何ごともしていないという意味において「罪」があるということだ。

この点については、
哲学者の高橋哲哉が「罪」と「責任」の区別をていねいに分析している。

後日あらためて紹介したい。

だから、戦後世代も甘ったれた「暴言」を吐くのはやめよう。

罪の意識をもたなければ、あらゆる攻撃に対するわれわれの反応は、依然として反撃の形をとるのである。(187頁)


日本人が、アジア諸国のひとびとに対して「逆ギレ」しているが、
彼らに「罪の意識」が欠如しているからだったのである。

なるほど。

アジア諸国からの「批判」に対して「反撃」の形をとっている。

正義を求めるアジアのひとびとに対するこの「反撃」は、
アクションに対する自己中心的なリアクションであり、
したがって本質的に「反動的」なものである。

ヤスパースは、次の言葉で締めくくっている。

謙虚さと節度とはわれわれの守るべき分である。(189頁)


もう一度確認しておこう。

わたしたちが生き残っているのは、わたしたちのお蔭ではない。














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