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zoom RSS 金富子/中野敏男【編著】『歴史と責任――「慰安婦」問題と1990年代』(青弓社)

<<   作成日時 : 2008/09/25 23:27   >>

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歴史は、過去の事実を寄せ集めたものではありません。

現在のわたしたちのあり方が問われる場です。

歴史は、人間の営みであって、自然現象ではありません。

だからこそ、そこではそれぞれの「責任」が問われるのです。

本書は、何人かの論者によって書かれた論文集です。
「慰安婦」問題をはじめ、植民地支配の責任を問うものです。

まずは「慰安婦」問題の経緯を簡単に確認しておきましょう。

************************

1991年、金学順さんが元慰安婦として初めて名乗り出ました。
その後、続々と元慰安婦たちが名乗り出ました。

彼女たちは、日本政府に謝罪と補償などを求めて裁判を起こしました。

日本軍の関与を示す証拠もちゃんと発見されました。

さすがに逃げ切れないと判断した日本政府は、
何度か形式的な謝罪を表明しました。

1995年、政府は「女性のためのアジア平和国民基金」を発足させました。
眉毛の長い村山富市(社会党)首相のときのことです。

この基金は、
政府からの資金と民間からの募金によって成り立っていました。

この基金を通じて、
元慰安婦の被害女性たちに「償い金」を支給するつもりでした。

なぜ「基金」を設置したのでしょうか?

なぜ政府は直接被害者に賠償金を支払わなかったのでしょうか?

それは、政府が「責任」を認めたくなかったからです。
責任を認めたくなかったので、「基金」という形でごまかしたのです。

「いや、それよりも法律上の問題があるのだ」
「だから『基金』の形にするしかなかったのだ」
などと指摘されることがあります。

しかし、それはまったく理由になっていないということが、
この本によって見事に明らかにされます。

「基金」の主導的立場にあった著名な民間人がいます。
和田秀樹や大久保保昭や下村満子などです。

これらの名前をしっかり記憶しておきましょう。

いずれにせよ、政府が被害者に直接謝罪することはありませんでした。

それどころか、こころない国会議員などからは、
被害女性たちを罵倒する声さえ上がったのです。

安倍晋三や中川昭一といった甘ったれた世襲議員が
NHKの番組をめぐって圧力をかけたことも記憶に新しいと思います。

2007年、12年間の「償い事業」を終えて、
「女性のためのアジア平和国民基金」は解散しました。

※以下、「女性のためのアジア平和国民基金」は「国民基金」と略記。

************************

こうした日本政府の無責任ぶりに対しては、
被害者をはじめ、国連などからも厳しい批判が向けられてきました。

2007年には、アメリカ合州国議会の下院で、
日本政府に謝罪と責任を求める決議が採択されました。

「日本軍が若い女性たちに性奴隷を強制したことについて、
明確かつ曖昧さのない形で歴史的責任を正式に認め、謝罪し、
受け入れるべきである」と厳しく非難されました。

これにつづいて、
オランダ、カナダ、さらには欧州議会でも同様の決議が採択されました。

ちなみに、オランダは「慰安婦」問題の被害当事国です。

もう一度言いますが、日本政府はこの問題で、
国連からも厳しく批判されつづけてきたのです。

これが世界の常識です。

「慰安婦」問題は存在しないとか、
日本政府は関与していないとか、
そんな無神経な暴論を吐いているのは一部の日本人だけです。

狂った右派・ナショナリストたちだけです。
女性の人権をなんとも思っていない連中だけです。

まるで極東アジアの和平から北朝鮮が孤立しているのと同じように、
日本政府も世界の人権意識から完全に取り残されているのです。

さらにおぞましいのは、
その日本政府に対して日本国民があまり怒っていないことです。

日本軍「慰安婦」問題と歴史への責任」(中野敏男)

2007年に2つの大きな出来事が見られました。

一つは沖縄戦の「集団自決」をめぐる教科書検定問題。

もう一つは薬害肝炎訴訟をめぐる政治的救済です。

裁判所には認められなかった薬害肝炎被害者の一律救済が、原告団の固い団結と必死の粘りによって紆余曲折の末の政治決断を生み、国の責任と謝罪が明記された新規の議員立法によって一律救済の道が開かれたという事態である。これらは一見すると日本軍「慰安婦」問題とは全く無関係に見えるだろうが、「慰安婦」問題が飛び越えかねてきた障害が実は越えられるという前例を作った点で、いずれ効果が出てくるはずの意義をもつと考えられる。かつて、かの国民基金が作られた時点では、日本軍「慰安婦」問題について国が法的責任を認めるというのは法的・制度的な壁ゆえに不可能なのだと説明されていた。だから国民基金以外の手だてはないということだったが、そのような壁ならこれまでも政治が越えたことはあったし、今回のことでも少なくとも一部はまた崩されている。やはり、政治と思想の責任が重いのだ。(14頁)


どうですか?

政府もやろうと思えばやれるのです。

被害者に謝罪し、責任を認めようと思えばできるのです。

薬害肝炎訴訟では、当初頑なに責任を認めようとしなかった国に対して、
強い国民的な批判がわき上がって、とうとう国は責任を認め謝罪したのでした。

だから、やろうと思えばやれるのです。

しかし、してこなかった。
それどころか、過去の事実を隠蔽したり、捏造したり、
開き直って正当化する政治家や漫画家まであらわれたのです。

このような日本の状況を見たら、
諸外国のひとびとが日本を警戒し、怒るのも当たり前でしょう。

日本人自身にはあまり自覚されにくい(したくない?)ことではあるが、他者に「反日ナショナリズム」のにおいが少しでもあればびくびくと過敏に反応するようになった昨今の風潮も半ばは自己意識の投影と見るべきで、「国家主義(ナショナリズム)」というならその傾向が進んだのは中韓というよりむしろ日本の方だったのである。(25頁)


かつて綾瀬市女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人のひとりが、
殺された女性を嘲笑し、反省の色を見せない発言をしたことが暴露されたとき、
世のなかのひとたちは激怒したのではなかったのですか?

何も反省していなかった犯人を厳しく非難したのではなかったのですか?

それがどうして「慰安婦」問題になると、
平気で被害女性たちを侮辱することができるのでしょうか?

そもそも、日本のナショナリストたちが、
外国のナショナリズムを批判するというのは、滑稽です。

筋がとおりませぬ。

ナショナリズム・愛国心に脳みそを汚染されるということは、
かくも怖ろしいことなのです。

ところで、ナショナリズムは人種差別と性差別を喚起します。

実際、薬害肝炎の被害女性を愚弄するような意見が、
ネット上にあらわれはじめているようです。

こういう恥知らずな連中には、
肝炎ウイルスやHIVを注射してやりたくなるほどの怒りを覚えます。

「慰安婦」被害者の「尊厳の回復」とは何か?(西野瑠美子)

重要なことは、何度でも言うべきですから、
ここでも繰り返し強調しておきましょう。

「慰安婦」問題では、日本政府は国際社会から厳しく批判されています。

「慰安婦」問題が浮上して以来、国連人権委員会やILO条約適用専門家委員会、女性差別撤廃委員会、近年では国連拷問禁止委員会などが、「慰安婦」問題を取り上げ、日本政府に対して数々の勧告をおこなってきた。(47頁)


それでも日本政府は、こうした勧告を無視しつづけてきました。

日本軍の敗戦により解放のときを迎えてから62年が過ぎたいまも、祖国に帰れないまま連行地に生きている被害女性たちがいる。いまもなお、多くの女性たちが沈黙を続けている。慰安所での地獄のような生活がトラウマとなり、悪夢にうなされ、フラッシュバックに襲われ、人間恐怖症や対人恐怖症を抱え、数々のPTSDや後遺症に苦しんで生きてきた女性たち。「慰安婦」を強いられた女性たちにとって、戦争はいまだ終わりを告げていない。日本政府がなすべきことは、被害女性たちの苦しみに向き合い、過ちと加害責任を公的に認め、被害者が納得する謝罪をおこない、補償を通して『謝罪と反省』の真意を示すことだ。国民基金という近道は和解の通路にはなりえなかったのだから。(45頁)


被害女性たちは今も苦しんでいます。

彼女たちを愚弄する行為は、れっきとした暴力です。

まぎれもないセカンド・レイプです。

日本という国は、女性差別が根強い国です。

女性が性暴力の被害にあうと、
被害女性の方が落ち度を指摘されて非難されてしまうような国です。

性暴力の加害者を非難するどころか、
「元気があっていい」などと褒めるひとが大臣になれる国です。
(おい、お前のことだぞ、太田誠一!)

戦後責任と日本人の「主体」(中野敏男)

日本はしばしば「恥の文化」だと言われます。

日本の保守政治家たちは、日本の伝統文化の重要性を主張します。

しかし、彼らは「恥」知らずな行為を繰り返します。

これに対して「恥の文化」とされたはずの日本の指導者は、実は「心に刻むこと」をしないから「恥ずべきものを恥じず」、「戦争責任を否定する場合はもちろんそれを認める場合にもなお、彼らの言説は、厳密な意味で破廉恥なのである」。なるほどそのように考えてみると、「汚辱を捨て」ようと呼びかけるこの破廉恥は、「つくる会」に表現された「慰安婦」問題への右からのリアクションにもまさに明瞭に引き継がれているとわかる。この破廉恥が、戦争の記憶から倫理を生み出す可能性をいつも破り続けているのだ。(93頁)


この文章で「 」で引用されているのは、
哲学者・鵜飼哲さんの論文です。

そして、ここに出てきた「つくる会」というのは、
あの破廉恥な「新しい歴史教科書をつくる会」のことです。

「倫理を生み出す可能性」、この言葉がとても大事な部分です。

いつも「倫理」の可能性を破り捨ててきたのは、
ほかならぬ保守派・右派・ナショナリストたち自身だったのです。

だから、彼らが「モラル」「倫理」を説くなどというのは、笑止千万です。

次に、政治決断によって補償が実現した別の事例を見てみましょう。

小泉純一郎元首相は2001年5月の熊本地裁での「ハンセン病国家賠償請求訴訟」の原告勝訴の判決を受けて、控訴を断念し謝罪するとともに「新たな補償を立法措置により講じる」という政治決断(「ハンセン病問題の早期かつ全面的解決に向けての内閣総理大臣談話」)をすることによって、直ちに同年6月にハンセン病補償法(「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」)を成立させ、対象者らに補償金が支払われることになった。その後、植民地だった韓国・台湾の療養所入所者も東京地裁に提訴するなどの経緯を経て、韓国・台湾などの入所者にも追加的に補償する法律に改正されたのである。(117頁)


ほら。

政府はやろうと思えばやれるのですよ。

これは、小泉純一郎が行なった、数少ない善行のひとつです。

長くなりそうなので、つづきは記事をあらためて。

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