フォーラム自由幻想

アクセスカウンタ

zoom RSS 高橋哲哉『状況への発言』(青土社)

<<   作成日時 : 2008/09/23 15:27   >>

トラックバック 0 / コメント 0

著者がいろんなところに書いた文章をまとめて編まれた本です。

具体例も豊富なので、
初心者にも大変に分かりやすいのではないでしょうか。

活字も大きい。

高橋哲哉さんは、じつにすばらしい。

誠実に考えつづけている貴重な知識人です。

テレビに出るのが大好きな色白で小太りの評論家とは、
おおちがいです。

高橋哲哉の述べていることは、ほとんどすべて正しい。

そうだそうだと、うなずくところが盛りだくさんです。

さて、はじめに戦後ドイツの「責任」の果たし方について。

1970年、西ドイツのウィリー・ブラント首相がポーランドに行った。

彼は、ワルシャワ・ゲットー蜂起の記念碑で脆いて祈った。

1985年、ヴァイツゼッカー大統領は「戦後40年」の有名な議会演説を行なった。

 戦後60年の今年も、ドイツのシュレーダー首相はブーヘンヴァルト強制収容所跡地へ行って被害者への謝罪を表明しました。ブーヘンヴァルトはワイマールの近郊にあり、アウシュヴィッツが知られる前はナチス強制収容所の象徴とされていたところです。そこで「私は犠牲者そして家族の前に頭を下げて陳謝します」と述べました。ドイツの首相や大統領が繰り返ししてきたことを今年も行なったのです。ドイツ降伏の5月8日にはモスクワの欧州終戦60年式典に参加し、ロシア紙に「ドイツに苦しめられたロシア国民やその他の諸国民に赦しを請う」と述べています。(27−28頁)


どうでしょうか?

日本政府の対応とのあまりの違いに驚いてしまうでしょう。

もちろん、ドイツの果たしている「責任」の、これはほんの一部にすぎません。

麻生太郎くんも、頭を下げて謝罪しなさい。

そして日本によって傷つけられたひとたちに「赦し」を請いなさい。

ヴァイツゼッカー大統領は戦後40年の演説で、まずユダヤ人に哀悼の意を表し、冷戦の最中だったにもかかわらず、侵略されたソ連や東ヨーロッパの人々に哀悼の意を表し、ドイツの兵士にも哀悼の意を表し、シンティ・ロマの人々にも表した。そしてはっきりと、ドイツの国内外でナチスに抵抗した人にも哀悼の意を表している。(31頁)


冷戦の真っ最中だったのに、というところがとくに重要でしょう。

いわば「敵国」と見なされている人びとにも、
きちんと謝罪しているのですから。

シンティ・ロマのひとびとにも哀悼の意を表しています。

シンティ・ロマとは、かつて「ジプシー」と呼ばれていたひとたちです。

麻生太郎くん、日本に侵略されて被害を被った人々に謝罪しなさい。

そして、日本帝国主義に抵抗した人々にも哀悼の意を表しなさい。

次に靖国問題について。

毎年8月15日になると、首相をはじめ閣僚による靖国参拝が注目されます。

すると、日本国内の反応は2つのパターンであらわれます。

@ 近隣諸国に配慮して、参拝を見送るべきだ。

A いやいや、近隣諸国からの批判は内政干渉であり、
  これに負けずに参拝するべきだ。


これに対して、筆者はどう考えているのでしょうか?

「近隣諸国への配慮」による「参拝見送り」論と、「内政干渉」に屈せず「参拝すべきだ」という論と。議論がこの二つに収斂しているところに、私は大きな疑問を感じている。(45頁)


ごもっとも。

わたしも、筆者と同じように強い疑問を感じています。

これらは、どちらも「国家」の枠組みでしか発想できていないからです。

そもそも靖国参拝は、戦争の被害者の感情を「逆なで」する行為ですが、
それだけでなく日本国憲法にも違反するれっきとした「違憲行為」なのですね。

@とAは、日本人の道徳的水準の恐るべき低さを物語っていると思います。

小泉首相の参拝についても、福岡地裁(2004年4月)と大阪高裁(05年9月)で「参拝は違憲」との判断が出ています。(77頁)


それなのに、裁判所の判断を無視したのが、
小泉純一郎をはじめ、自民党などの国会議員の各位であります。

彼らには、そもそも「憲法」を守るつもりがないということです。

だから、新しい憲法に変えたって、
どうせその憲法すら守らないにちがいないのです。

次に、東京裁判について。

東京裁判では1928年以降の侵略戦争が裁かれました。したがってA級戦犯は満州事変以降の責任を問われたのです。しかし、満州事変を起こした1931年には、すでに日本は植民地帝国になっており、朝鮮、台湾の支配を行なっていました。A級戦犯という言い方では、中国侵略以前のアジア侵略、植民地支配の歴史をカバーできません。(79頁)


そのとおりです。

だから、私たちは、東京裁判で戦後処理が済んだとは言えないのです。

私たちが批判すべきなのは、
明治以降形成されていった植民地帝国としての「日本」です。

かつて19世紀に、明治維新によって成立した日本政府は、国策としての戦争を可能にするために、三つのものを作り出しました。第一に日本軍。第二に靖国神社。第三に愛国心教育です。……「国民精神」を作り出す装置として、国民宗教の靖国神社と、教育勅語に基づき「国のため、天皇のために命を捧げて尽くすこと」を内容とする愛国心教育を創設……。(88頁)


戦争のためにつくったものは、「軍隊」、「靖国神社」、「愛国心教育」。

どんなバカでも気づくはずでしょう。

この3つの復活に向けて、自民党政権は着々と準備をすすめているのです。

しかし、日本人のなかには、まだ気づいていないひとも少なくない。

情けないというか、哀れというか、なんというか。

靖国神社に祀られている約246万の戦死者のうち、200万以上が太平洋戦争の戦死者であるが、その約6割は戦闘での死者ではなく、広義の「餓死」であった。(102頁)


戦争を美化したり、兵士を英雄にしたりする映画や本が、
近年多く見られるようになりました。

しかし、彼らがどんなに日本の過去を美化しても、
戦死者の半数以上は「餓死」だったのです。

「敵」と戦って美しく「散った」のではありません。

食べ物がなくて飢えてひからびて死んだのです。

人肉まで食べたのです。

戦争の記憶にしろ、靖国問題にしろ、
「国家」という枠組みだけで考えると決定的な事実を見逃します。

「軍が守るのは国家であって、国民ではない」。沖縄戦の悲劇から私たちが学んだこの思想を継承し深化させることこそ、憲法9条を生かす道につながるのだと思う。(110頁)


ほんとうにそのとおりです。

軍は、決して「国民」を守ることはありません。

だから、国防軍を設置しても、軍は国民の生命を守るわけではありません。

……1951年4月15日、GHQ最高司令官を解任されて離日する前日のマッカーサーと会見した昭和天皇は、「戦争裁判に対して貴司令官が執られた態度につき、この機会に謝意を表したいと思います」と述べたのです。またその際のマッカーサーは、「私はワシントンから天皇裁判について意見を求められましたが、もちろん反対いたしました」と述べています(以上、天皇の通訳を務めた外交官・松井明氏の手記、『朝日新聞』2002年8月5日付)。東京裁判を「勝者の裁き」として全面否定する人々は、それならば、昭和天皇がその「勝者の裁き」に感謝の念を表したことについてどう考えるのか、説明する義務があるのではないでしょうか。(112頁)


おっと。

東京裁判を批判するひとたちにとっては、きわめて都合のわるい「事実」ですね。

見たくないことでしょう。

見なかったことにしたい事実でしょう。

だって天皇ヒロヒトは、東京裁判を肯定しているのですから。

東京裁判を不当だと非難するひとたちよ、どうする?

法廷で東条が、日本の高官が天皇の意思に反する行動はありえないという趣旨の証言をしたとたん、天皇に責任が及ぶことを避けるための工作が行なわれたことはすでによく知られています。
 ……東京裁判とは、A級戦犯に日本の戦争責任を集中させることによって、昭和天皇裕仁の戦争責任問題そのものを抹消してしまった裁判……。(115頁)


そうだ。

前にも書いてきたことですが、
東京裁判は、一部の軍国主義者に責任を負わせることで、
天皇および日本国民の責任そのものを消し去るためのセレモニーだったのです。

……アメリカは、占領統治のための最良の「傀儡」(エドウィン・ライシャワー)として昭和天皇を利用するという政治的な決定を下しました。(115頁)


アメリカの傀儡としての天皇!

悪かったのは一部の軍国主義者であって天皇には責任はない。戦後日本で広く共有されてきたこの認識は、東京裁判の構図そのものです。これをもう一つの「東京裁判史観」と言うならば、戦後日本の大勢はこの「東京裁判史観」の下にあったし、今もあると言わなければならないでしょう。(116頁)


天皇に責任がないことにすれば、
日本国民の責任もないことにできるというわけですね。

だって、大元帥が責任をとらないのに、
どうして国民が責任をとる必要があるでしょうか。

この「免責」のメカニズムは、精神分析をすると、すっきりと解明できます。

ここで筆者の批判は、戦後の「良心的な日本人」にも向けられます。

つまり、決して戦争を美化しない人たちにも問題がある、というのです。

「良心的な日本人」は、何と言ってきたのでしょう?

「戦後の日本は、現行憲法のお蔭で平和と繁栄を手にすることができた」

「戦後の平和憲法のお蔭で、日本はこれまで戦争をせずに済んだのだ」

このように言ってきました。

しかし、こういう見方は、やはり問題なのではないでしょうか?

「平和憲法のおかげで戦後日本の平和と繁栄が可能になった」という物語からは、沖縄の戦後史は排除されています。「戦後沖縄が平和であった」とは、現在でさえ言えないわけですから。「日本の軍隊が他国の人を殺したり、他国の軍隊から日本人が殺されることもなかった」と言うけれども、沖縄の米軍基地とその関係者の犯罪は、復帰後の平和憲法下の沖縄に限っただけでも2万件以上あります。現実に、沖縄の人が「他国の軍隊」によって殺傷される事件や事故が起こってきたわけです。
 ……かつてのベトナム戦争でも最近のイラク戦争でも、米軍が沖縄の基地から出撃してきました。ファルージャ攻撃は沖縄から行った海兵隊が主力でした。(133頁)


だから、上記のように言う「良心的な日本人」たちも、
そのように言うことでじつは重大な事実を隠蔽しているのです。

その証拠に、彼らの多くは沖縄の現実に無関心です。

彼らはイラク戦争にも反対しなかったではありませんか。

沖縄では今、米軍再編に伴う普天間基地の辺野古沖への移設の問題が非常に緊迫してきています。反対派に対して海域調査が強行実施されているのですが、そのなかで海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」までが動員され、沖縄県民から強い反発を受けています。保守系の仲井真知事も、「銃剣を突きつけるようなもので、県民感情を全く配慮していない」と言っています。(134頁)


なんと、市民を弾圧するために、あろうことか自衛隊が出動していたのです。

保守系の沖縄県知事でさえ怒っているのです。

歴史は繰り返そうとしています。

「軍隊」は決して「国民」を守るものではない。

このことを肝に銘じておきましょう。

次に、日の丸・君が代の強制に抵抗した教員たちが処分された事件について。

今回の処分は、なぜ、不当なのか。
 第一に、通達自体が、思想・良心の自由を保障した憲法19条に違反するからである。公立学校の教員は公務員として、憲法を尊重擁護する義務を負う(憲法99条)。国の最高法規である憲法に反する法律、命令は無効である(同98条)。
 とすれば、通達に従わないことは、教員にとって自己の思想・良心の自由を守る権利行使であるだけでなく、教育公務員としての責務でもあることになる。
 通達は、教育への「不当な支配」を禁止した教育基本法10条にも違反する。(155−156頁)


まさにそのとおりです。

本当ならば、むしろ「通達」に従わないことが、
公務員として果たすべき「責務」のはずです。

すでに日本国憲法は、骨抜きにされはじめているのです。

この現実を見て、
まだ日本は戦争をするわけではないと言うひとがいたら、
そのひとは戦争が実際にはじまっても「これは戦争ではない」と
言い張るひとでしょう。

次に、いま、
とうとう念願の首相の座を射止めて、
もっとも舞い上がっているであろうひとについて。

麻生太郎は、かつてこう述べました。

日本軍兵士たちのなかに、「首相万歳」と叫んで死んでいったものはいなかった。
彼らはみんな「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいったのだ、と。

日本軍兵士が「首相万歳」ではなく「天皇陛下万歳」を叫んで戦死したのであれば、日本国民に対する責任もアジアの諸国民に対する責任も、東条首相ら「A級戦犯」以上に、天皇にあったことが明白になるからである。(200頁)


さすが「失言王」ですね。

「天皇陛下万歳」と叫んだのであれば、
それこそ天皇の戦争責任が逆に明確になるでしょう。

次の問題もきわめて重要である。

現在の日本人には、日本政府の外交姿勢に不満を持つものが少なくありません。
ストレスを抱えているひとが少なくないありません。

「日本政府は弱腰だ」

「いつも外国の言いなりになっている」

ちょっと待ってくださいよ。

ほんとうにそうですか?

こうした不満の根拠は、単純に事実に反していますよ。

実際は、日本が戦後、他国に対していつも「弱腰」であったなどという事実はない。韓国に対しても、日韓基本条約を含め最近まで植民地支配の責任を認めることを強硬に拒否してきたし、90年代に盛り上がった戦後補償請求に対しても「解決済み」とする立場を頑なに守っている。(203頁)


こういうことを指摘できるのが、高橋哲哉のすばらしいところです。

たとえば、「日朝平壌宣言」だって、
日本政府はじつは相当に北朝鮮側に妥協を強いているのです。

しかしどういうわけか日本のメディアはそういう点は解説しない。

まるで北朝鮮ペースで、終始、外交が進められているかのような報道をします。

北朝鮮問題の専門家と称するひとたちも、
こうした点には「だまったちゃん」になります。

ナショナリズムって、ほんとうに怖ろしいですね。

次に、「日本の伝統」について。

「伝統文化」は、しばしばナショナリストによって捏造され、利用されます。

……奈良の橿原神宮は「初代」神武天皇を祀った神社だと聞いていた……。
……しかし実際は、平安神宮は1895年、橿原神宮は1890年、どちらも明治時代のかなり後になって創建されたものである。どちらも「近代」の発明品で、その意味では新しく創られた「伝統文化」なのである。(230−231頁)


なあんだ。

橿原神宮も平安神宮も、ちっとも「伝統」じゃないじゃん。
新しいじゃん。

ひょっとすると、日本の偽装・捏造文化は、
このあたりから由来するのかもしれませんね。

したがって、首相の伊勢神宮への年頭参拝も、決して「伝統」などではありません。

戦後の1955年に鳩山一郎首相が行なったのが最初で、「恒例化」したのは67年の佐藤栄作首相以後のことにすぎない。意外にも、戦後かなり経ってから「創られた」伝統なのだ。(231頁)


おお、こういうことを知ることが大事なのですね。

おそらく修学旅行で伊勢神宮に行く学生たちは、
これが日本の「伝統」であるなどと「洗脳」されて来てしまうのでしょう。

でも、ほんとうは「伝統」ではないのですよ。
新しく「創られた伝統」なのですよ。

残念でした。

次に、日本で進行している外国人差別について。

石原慎太郎知事率いる東京都に関して言えば、たとえば枝川朝鮮人学校への圧迫だ。……2003年12月、都は枝川朝鮮人学校が都有地を「不法占拠」しているとして、4億円の地代相当金の支払いと立ち退きを求める裁判を起こしたのだ。(234頁)


政治に差別を利用するひとって、ほんとうにイヤですね。

在日朝鮮人のみなさん、申し訳ないです。

わたしもできるかぎり、こうした差別と戦っていきたいと思います。

次に、教科書の検閲問題について。

……「集団自決」については……最近の学界では、「自決」という表現が日本軍による強制を曖昧にし、住民が進んで「国に殉じた」印象を与えることから、「日本軍による強制的集団死」という表現に変えようとする動きも出ていた。……
 今回検定に合格した教科書の「集団自決」に関する記述と「慰安婦」に関する記述に共通しているのは、日本軍の関与が消されているということである。(242頁)


日本軍の関与を消して、どういう記憶を捏造しようとしているのでしょう。

やっぱり、進んで国のために命を捧げる人間を作り出すためでしょうね。

次に、イギリスで戦争に抵抗しているひとについて。

……ブライアン・ホー(Brian Haw)氏……は2001年6月2日、ロンドンの国会議事堂前の広場で、英国の対イラク経済制裁に対して抗議行動を開始。その後も一貫して広場に陣取り、今年の6月まで6年間、英国のイラク政策を「ジェノサイド」、「虐殺」だとして批判、ブレア首相を「戦争犯罪人」として啓発してきた。(245−246頁)


すばらしいひとですね。

わたしたちも、ブッシュとブレアを戦争犯罪人として裁くために、
努力していかないといけませんね。

ふと思うのですが、
日本の右派・ナショナリストたちって、
こういう「正義の活動」をしているひとをちっとも評価しようとしませんね。

どうしてでしょうね?

ま、答えは分かっているのですけどね。

ここで筆者が引用している言葉が印象的です。

「偽りが蔓延する時代には、真実を語ることが革命的行為となる」(ジョージ・オーウェル『1984年』)。(247頁)


ほんとうにそうですね。

わたしたちは、どんな弾圧にも圧力にも暴力にも負けず、
真実を語りつづけていこうではありませんか。

次に、久間章生元防衛相の問題発言について。

彼は「原爆投下はしょうがない」と発言して、批判されましたね。

久間大臣の「原爆投下はしょうがない」発言を聞いて、私はすぐに、昭和天皇の「原爆投下やむをえない」発言を想起した。(250頁)


そうなのですよ。

久間と同じことをかつて天皇ヒロヒトも発言していたのですよね。

なのに、天皇はまったく批判されていません。

おかしいと思いませんか?

次に、昨今の格差社会について。

とくに懸念されるのは、小泉首相以来の新自由主義経済政策によって格差社会化が進んだ日本で、「ワーキング・プア」といった経済的弱者の位置に追い詰められている人々の中から、「現状を一挙に変えてくれるのであれば、戦争でもかまわない」といった「戦争待望論」まで出てきている事態である。経済的・社会的不平等が鬱積させた不満がナショナリズムや排外主義にはけ口を見出すような回路を断ち切るためにも、グローバル化とネオリベラリズムに対抗できる政治的構想力が求められているのだと思う。(255頁)


困ったご時勢です。

貧困層のなかからも、「戦争」を望む声が出はじめているのですから。

戦争をしてどうするのですか?

あなた方の本当の敵は、外国人ではないのですよ。
本当の敵は、あなた方をそのような状況に追い込んだ経済構造なのですよ。

そしてその経済構造をつくったのは、
企業、そして政治家たちなのですよ。

ちゃんと本当の敵を見失わないようにしてほしいものです。

次に、戦争の記憶について。

北海道の北西部、旭川から北に約60キロの山中に、厳寒期には零下30度にもなるという朱鞠内湖があります。雨竜ダムというダムで堰き止められた雨竜川がつくった人工湖です。
 戦時中に王子製紙のためにつくられたというそのダムでは、日本人労働者とともに、朝鮮半島から強制連行されてきた人々が、やはり「タコ部屋」に入れられて強制労働させられ、多数の人が命を失いました。
 1976年、朱鞠内の光顕寺という寺で発見された名前のない多数の白木の位牌が、ダム建設のために強制労働させられ死んでいった人々の位牌であることが判明……。(265頁)


王子製紙って、有名な企業ですよね。

強制労働はするわ、公害・環境破壊はするわ、
データ改竄はするわ、そして再生紙偽装をするわ……。

企業のモラルってどうなっているのでしょうか?

次に、これも記憶の問題ですが、
その後どうなったのかがよく分からないニュースです。

東京の中心部・新宿の戸山にある旧陸軍軍医学校の跡地で、1989年夏、約100個に及ぶ人間の頭蓋骨が発見された……。……
 ……「旧陸軍軍医学校跡地から発見された人骨問題の真相究明を求める会」という市民グループが立ち上がり、新宿区に対して遺骨の保存と、徹底的な真相究明の調査をするよう申し入れました。これに対して新宿区は、遺骨は焼却処分するという方針を出したのです。焼却されてしまえばそれが人体実験の遺骨だったのかどうか、真相は分からなくなってしまいます。(267頁)


焼却処分するって……。

それじゃあ、北朝鮮が拉致被害者の身元を分からなくするために
遺体を焼いてしまったのとまったく同じことをしているのではありませんか。

拉致被害者や支援者たちは、こういう問題について、
反応したという話は聞きませんけど、どうしてなのでしょうか?

「真相究明を求める会」は、新宿区の決定に差し止めを求めて提訴しましたが、最高裁まで争ったものの、結局原告の請求は棄却されました。
 これらの遺骨は実際には焼却処分されず、一昨年、旧陸軍軍医学校跡地のある場所に箱に詰められて納骨され、納骨式があったというニュースを聞いた記憶があります。(268頁)


納骨式で終わらせるのではなく、
きちんとした真相の究明をして、
ご遺族に返還するのがひとの「道」ではないでしょうか?

問題が発覚したら、すぐにフタをしてしまえ。

そういう考え方が日本にはあるように思われてなりません。

戦争の記憶を書き換えて、
残虐な歴史をなかったことにしようとするひとたちがいますが、
彼らの行なっていることはまさしく「暴力」にほかなりません。

筆者も述べています。

「記憶を抹消する」というのは、新たな暴力の極限形態(270頁参照)なのです。

記憶の抹消は、暴力の極限形態です。












テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
高橋哲哉『状況への発言』(青土社) フォーラム自由幻想/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる