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zoom RSS 熊野純彦『西洋哲学史』全2巻(岩波新書)

<<   作成日時 : 2008/09/22 21:07   >>

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これは新書なのだが、とても濃密な内容である。

哲学史に興味のあるひとには、おすすめ。

研究書や解説書を読むことも大切だが、
古典を読むことの大切さをイヤというほど感じさせてくれる本だ。

内容があまりに濃密なので、
簡単に紹介することができない。

その中からひとつだけ、おもしろい話を取り上げてみたい。

それは、「神」にまつわる問題である。

キリスト教の神は、全知にして全能であるとされる。全知と全能のそれぞれについて逆説をみちびくこともたやすいけれども(たとえば、神は、じぶんにも持ちあげられない石をつくることが可能だろうか)、その両者が組み合わされると無数のパラドクスが生まれる。(247頁)


神は全知全能の存在だと言われる。

では、神は、自分で持ち上げることのできない石をつくることができるか?

……ふむ。

できる、としたらどうなるか?

「自分で持ち上げられない石をつくることはできる」

しかしその石を持ち上げることはできない。

なぜなら、それは自分でも持ち上げることのできない石だからだ。

すると、神の「全能性」が否定されてしまう。

神さまにもできないことがある、ということになってしまう。

では、できない、としたらどうなるか?

そんな石はつくれない、としたらどうか?

端的にその時点で神の「全能性」がまた否定されてしまう。

神にもできないことがあるということになるからだ。

神さまが直面するディレンマである。

さらに深刻な神さまのディレンマを紹介しよう。

神は、すでに為されたことがらを為されなかったようにすることが可能であろうか。可能であるなら、神はのちに否定することをかつて為した結果になり、その全知が制限される。不可能であるならば、神の全能が端的に否定される。(247頁)


「神は全知全能である」という前提に立ってしまうと、
このような深刻なディレンマは避けることができないのである。

こうした問題を取り上げて、信者をからかうことが本意なのではない。

むしろ、逆である。

キリスト教思想家たちは、こうした難問に向き合った。

それこそ全体重をかけて必死にこうした難問に取り組んでいったのである。

そこが彼らのすごいところである。

たとえば、日本に優れた思想家がほとんど生まれなかったのは、
こういうところにも関わっているのだろう。












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