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お笑いコンビ「いつもここから」のネタに次のようなものがあった。 ◆いま父親は大きな手術を受けようとしている。 手術室に向かう父親の手をとって、家族がこう言う。 「お父さん、がんばってね」 「お父さんに『がんばって』とか言ってんじゃねえぞ」 「バッキャろめ、ニャロメ」 「お父さんは麻酔をかけられて寝てるだけじゃねえか!」 ――このネタをテレビで観て、大笑いした覚えがある。 手術室に向かう患者に対してだけではない。 わたしたちは、誰かを励まそうとするとき、やたらと「がんばれ」と言う。 勉強の集中力が途切れそうになったとき。 スポーツをしていて、体力が限界に近づいたとき。 恋愛においてふたりの関係が行き詰まったとき。 このようなとき、日本の社会では、呪文のようにこの言葉が響き渡る。 「がんばれ〜!」 「がんばって〜!」 かくも日本人は何ごとにつけ「がんばる」という言葉を乱発する。 日本人の精神主義が、日本人の精神を蝕(むしば)んでいる。 ここで思い出されるのが、戦時中のあるエピソードだ。 東条英機陸相が、ある日、陸軍航空士官学校に乗りつけた。 「飛行機は何で落とすか」と、生徒にじかに質問した。 「弾で落とします」という答えを聞くや、東条は生徒をどなりつけたと言う。 「精神で落とすんだ!」と。 (飯塚浩二『日本の軍隊』岩波現代文庫、316頁) 日本人の精神主義は、しばしば常軌を逸する。 それだけではない。 何か社会で問題が起きると、すぐに「心」や「精神」の問題に摩り替えられてしまう。 「心」を教育してしまえば、問題はすべて解決すると考えられている。 これも日本の精神主義である。 さて、きょう紹介する本は、 いま日本で進行している怖ろしい傾向を浮き彫りにしている。 その傾向とは、ひとの「心」を丸ごと管理・支配しようとする傾向のことである。 以前から日本企業には、不気味な精神主義が巣食っていた。 もっとも有名なのが、「禊ぎ研修」であろう。 冬の一番寒い季節に、深い川に首まで浸かったり、滝に打たれたりの荒行を、企業の人事部が新入社員や新任の管理職らにやらせる光景が、1990年代の初め頃まで、この国の企業社会では日常的に見られた。身の穢れを祓うことは魂の穢れを祓うことだとする神道思想に基づく伝統的な精神修養法が、企業の社員研修に持ち込まれたのだ。(67頁) これによって、新社会人たちは、 大学などで身につけた人権意識や懐疑精神などを徹底的に破壊され、 従順な企業ロボットとして洗脳されていった。 会社のためなら、平気で嘘をつく。 会社のためなら、家族を犠牲にする。 会社のためなら、平気で誰かを騙し、利用し、傷つける。 会社のためなら、人も殺す。 現在、大手メーカーのキヤノンでは、 異常とも言えるほどの細かなルールを設定して、 それを従業員に守らせているという。 駐車場に停める車は、すべて同じ方向を向いていなければならない。 地面のラインにぴったり揃えて車を停めなければならない。 キヤノン電子の工場内は歩く速度も決められている。5メートルを3.6秒で歩くという速度である。敷地内のどこをみまわしても、ゆったり歩いているような従業員はいない。(78−79頁) ちなみに、よく日本のサラリーマンたちは、 「わたしは○○の社員です」などと言うが、 正しくは「わたしは○○の従業員です」である。 「社員」とは株主のことであり、会社で雇用されているひとは「従業員」という。 サラリーマン諸君、きみたちは「従業員」なのだよ。 話を戻そう。 これは企業だけではなく、 教育の場面でも、「心」のコントロールは、はじまっている。 『心のノート』を利用した道徳教育がもっとも有名だが、 この本には怖ろしい別の話も紹介されている。 以下は、道徳教育を熱心にすすめているひとへのインタビューで 語られた内容である。 ……「江戸しぐさ」といわれるものの中に、「うかつ謝り」という言葉があることを御存知ですか。江戸時代の窮屈な長屋生活においては、路地で足を踏みつけてしまうということが、日常茶飯事だったそうです。その時、足を踏みつけた人が「すみません」と謝るのは当然のことですが、「うかつ謝り」というのは踏みつけられた人が「すみません。私がうかつだったので、あなたに足を踏ませ、不愉快な思いをさせてしまいました。ごめんなさい。」と謝罪することをいうのだそうです。何と奥床しいことでしょう。 この「うかつ謝り」という話のどこが素晴らしいのか、 わたしにはサッパリ分からない。 この「うかつ謝り」が一般化したら、一体どうなるのだろうか? 考えてみよう。 もし泥棒に入られたら、どうなるか? 泥棒を一方的に責めるのではなく、 自分の非を謝罪しなければならないということになる。 「わたしがうかつだったので、戸締りをきちんとしていませんでした。ごめんなさい。」 おお、すごいぞ、泥棒に謝っている。 痴漢被害に遭った女性は、どうなるのだろう? 「わたしがうかつだったので、あなたの手元にお尻を差し出してしまいました。 ごめんなさい。」 「わたしがうかつだったので、あなたの性欲を刺激する服装をしてしまいました。 ごめんなさい。」 おお、被害者は痴漢に対して謝罪をしなければならないのか。 すごいことだぞ。 差別されたひとは、どうだろうか? いじめを受けているひとは、どうだろうか? 「わたしがうかつだったので、あなたに不快な思いをさせてしまいました。 ごめんなさい。」 おお、すごいぞ。 これは加害者や権力者にはもっとも都合のいい考え方だぞ。 このような考え方を高校で普及させようとしているひとがいるのである。 恐るべき事態である。 ところで、いま日本では不気味なオカルトが流行している。 あのオウム真理教に対する激しい非難は何だったのか、と思うほどだ。 何のことか、ご説明しよう。 みなさんは『水からの伝言』という話をご存知だろうか? プラスの言葉からはきれいな結晶ができ、マイナスの言葉からは結晶ができない。例えば、「ありがとう」という言葉の上に一晩置いた水を凍らせて作った結晶はきれいな六角形を表し、「ばかやろう」という言葉の上に一晩置いた水を凍らせて作った結晶はきれいな結晶ができないのである。(180頁) 優しい言葉を投げかけると、きれいな「氷」の結晶ができるが、 汚い言葉を投げかけると、崩れた「氷」の結晶になってしまう。 こんなバカみたいな話が、 いま学校で教師たちによって子どもたちに語られているという。 実際、わたしの教え子に聞いてみたところ、 数名の学生が小学校の先生からこの話を聞かされたと言っていた。 こんな明らかに嘘と分かるデマを流布する教師も教師だが、 信じ込んでしまっている教師・学生がいるというのだから驚きである。 子どもの「心」から、批判精神・懐疑精神の一切を取り除き、 悪意のない純粋無垢な「心」を創り上げようとしているわけだ。 こうした事態に対して、 本書のなかでインタビューに答えている別の教師の言葉が印象的だ。 戦時中、周りの大人たちが「ザルで水を汲んでもこぼれなかった」「これは奇跡が起こる前触れだ」なんて話をしていた……。 たとえば、宝塚歌劇団出身の参議院議員・松あきら(公明党)は、 この『水からの伝言』に感動したひとりだという。 さすが公明党の議員である。 他にもいま流行のオカルト話はある。 わたしは聞いたことがまだなかったのだが、 「EM菌」や「百匹目の猿」といった話があるそうだ。 「EM菌」とはEffective Micro-organisms(有用微生物群)の略で、食糧不足をはじめ環境、エネルギー、難病など地球上のすべての問題を解決できる“万能の救世薬”と宣伝されているもの。新興宗教団体「世界救世教」との関係……。「百匹目の猿」は、「あることを真実だと思う人の数が一定数に達すると、それは万人にとっても真実になる」という仮説のことだ。宮崎県南部の沖合に浮かぶ幸島に群棲する猿の中の1匹がサツマイモを海水で洗い始めたら、次第にこれを真似る猿が増えていき、やがて接触のないはずの大分県高崎山の猿の群れにもイモを洗う猿が登場した、というエピソードがしばしば語られる。EM菌も百匹目の猿も、日本ではオカルトと労務管理を結びつける講演や著書で人気のある経営コンサルタント・船井幸雄によって広く紹介された。(292頁) 出た、船井幸雄。 わたしが以前働いていたところでも、 経営者がこの船井に影響を受けてしまったことがあった。 それがキッカケだったかどうかは忘れたが、わたしはそこを辞めた。 こうしたオカルトには拒絶反応を示すひとでも、 血液型占いには抵抗感を覚えないであろう。 しかしこれも、同種のオカルトである。 今もなおこの国の女性誌やテレビのワイドショーで花盛りの血液型話はもともと、後にナチスとドイツが障害者を安楽死させたり、ユダヤ人を虐殺するのに活用した優生思想にも通じるものだった、とは。(294頁) 血液型占いと優生思想の関係についての詳細は、本書を当たってほしい。 考えてみれば、 朝の民放各局の番組では、必ずといっていいほど「占いコーナー」がある。 メディア関係者はよくぞ恥ずかしくもなくこのようなことができるなあ、 と呆れてしまうのは、わたしだけではないだろう。 アメリカでは現在、「ID(インテリジェント・デザイン)」という考え方が大問題になっている。 インテリジェント・デザインとは、人間を含めた地球上の動植物は、ある種の知的存在(造物主)によって構想されたものであるという主張のことだ。ほとんど旧約聖書の天地創造論なのだが、「神」という表現を巧みに避けて、キリスト教徒以外へのアピールを可能にしているのが特徴で、すべての生命は共通の祖先から枝分かれしたとするダーウィン進化論は唯物論的だとして否定される。(298頁) つまり、ダーウィンの進化論を否定するのが「ID」である。 露骨な宗教教育は公立学校ではできないので、 そこで編み出された新たな宗教教育が「ID」なのである。 ここで攻撃されているのが「科学」だということは、覚えておいてよい。 こんな教育をしていたら、そのうち、 地球は宇宙の中心であるなどと言い出すひとも出てくるかもしれない。 地動説が否定され、天動説への逆戻り。 コペルニクスもびっくりするであろう。 さすがにこんな妄想を教育に取り入れようとしているのは アメリカくらいなものだろうとタカをくくっていたら、 本書には驚くべきことが書かれていた。 なんとこの「ID」を日本の新聞が好意的に取り上げているというのだ。 アメリカのID論争を、日本では「産経新聞」がしばしば取り上げている。現象面の報告だけでなく、日本版のID教育を、と呼びかける提言報道に及んだこともあった(2005年9月26日付朝刊)。(301頁) よ、出ました、「産経新聞」! 右派・ナショナリストがお気に入りの「産経新聞」。 前からこの新聞社は狂っていると思っていたのだが、 わたしの予想をはるかに超える「狂ってる度」であった。 恐るべし、「産経新聞」。 なお、「日本版ID」を提唱している人物に、 京都大学名誉教授の渡辺久義がいるという。 彼は、あの霊感商法で有名な「統一協会」と関わりが深い人物だそうだ。 他方、技術にも目を向けてみよう。 ひとびとを監視する技術も着々と進歩しているからだ。 東京メトロに導入されている「顔認証システム」の開発・実験には、 次のような連中が参画していたという。 国土交通省の外郭団体、(財)運輸政策研究機構。 NTTコミュニケーションズ。 さらには何と公安警察。(214頁参照) ほかにも、本書では驚くべき内容が数多く報告されている。 自衛隊と商社の関係。 イラクに派遣された自衛隊の戦略。 などなど。 貴重なルポなので、ぜひ読んでいただきたい。 ところで、本書では日本の愛国主義者たちも批判されている。 お腹が痛いと言って総理大臣の職を投げ出した安倍晋三というひとがいた。 アメリカの下院で「元従軍慰安婦」に対する謝罪と責任を求める決議が採択されるとき、 彼はアメリカに出向いて、決議を阻止しようとした。 しかし結局決議は採択された。 このときの安倍の行動について、筆者はこう述べている。 どうしたことだろう。懸命に守ろうとしてきた日本国家の“名誉”なるものに、少なくともこの件では第三者でしかないアメリカ人が土足で踏み込んできたというのに、彼はなぜ、当の元慰安婦たちに投げつけてきた侮蔑や罵倒の1万分の1でも返してやろうとしないのか。筋が通らないではないか。(288頁) まったく同感である。 筆者が述べているのはもちろん皮肉なのだが、 安倍晋三というひとは、元慰安婦のひとたちには破廉恥な罵倒を投げかけたくせに、 公然とセカンド・レイプを行ってきたくせに、 アメリカの国会にはその罵倒の「1万分の1」も返してはいない。 なんと卑劣な首相(すでに前首相)だろうか。 それから、小泉純一郎が首相だったときのことを思い出していただきたい。 あのとき、首相の靖国参拝が問題になっていた。 国際問題にまで発展し、アジア各国との関係悪化を招いていた。 日本の一部に、 首相の靖国神社参拝を批判しているのが中国や韓国だけだと 思い込んでいるひとがいる。 ほかの国は批判していない、と思い込んでいるひとがいる。 おめでたい連中である。 本書には、その点に関わることが書かれている。 ちょうど小泉が訪米したときのことだ。 ……アメリカ下院のヘンリー・ハイド外交委員長が、2006年4月上旬、ハスタート下院議長に書簡を宛てた。……小泉首相が繰り返してきた靖国神社への公式参拝に対する懸念を強調……。靖国神社に合祀されているA級戦犯への敬意を隠さない人物を、アメリカの議会に立たせるわけにはいかぬ、真珠湾攻撃を記憶している世代のアメリカ国民にとっては、侮辱されたと受け止められかねないというのである。 プレスリー邸で、はしゃいでいた小泉の姿は日本でも報道されたが、 じつはアメリカの国会で演説させてもらえなかったのだという事実については、 どれほどの日本のメディアが報道していたのだろうか。 次に引用するのは、教育改革の場面である。 日本各地で、教育改革の名のもとで、さまざまな試みが行なわれている。 2007年……、市内〔京都市内〕上京区の官庁街に立地する、廃校になった中学校校舎の3階。携帯電話の「KDDI」や大手コンビニ「ローソン」、地元名産品の「井筒八ツ橋本舗」「京つけもの西利」などの店舗を模したブースで、それぞれの制服を身に纏った小学生たちが、声を嗄らしている。(304−305頁) 子どもたちにビジネスの真似事をさせ、 仕事の擬似体験をさせようというのだ。 これを行なっているのは、いったいどこの団体なのだろうか? 「京都まなびの街 生き方探究館」という。京都市教育委員会と、市および経済産業省、厚生労働省、地元産業界、大学など産官学が連携し小中学生の起業家精神を育む目的で2002年に設立された「21世紀型教育コンテンツ開発委員会」……とが一体となり、2007年1月に開設した、子どもたちに仮想の街で社会活動を疑似体験させる事業……。……セコム、松下電器産業、京都銀行、大和証券グループ、高島屋、第一生命、京都トヨペット、三井不動産グループ、大阪ガス、ワタベウェディングなど、全部で30社を超える企業が協賛した。(305−306頁) こうした試みは、微笑ましいことなのだろうか? 「キッザニア」も流行っていると聞く。 メディアはこの種の試みをもっぱら好意的に取り上げる。 だが、これは教育の敗北、以外の何ものでもない。 教育が資本に従属したということだ。 資本が教育の場を乗っ取ったということだ。 企業にとって都合のよいロボットを小学生のうちから養成しておこう、 という狙いの洗脳教育ではないのか。 実際、京都市教育委員会のHPには次のようなPRが載せてあるという。 協賛いただいた場合のメリット わたしたちは、上記の協賛企業の名前を、しっかりと覚えておこう。 こうした企業が子どもたちを食い物にしているのである。 さらに、京都市教育委員会は、 「ジュニア日本文化検定」なるものもはじめているらしい。 「検定」ブームに乗った安易な企画だろうが、 この検定用に容易されたテキストがまたとんでもない代物だそうだ。 実際、ほとんど冗談のような記述が珍しくもない。……〈(平安時代には)朝廷への献上品として、中国大陸をはじめ、全国各地からさまざまな野菜や種が(京都へ)持ち込まれました〉といった部分以外にも、〈『もったいない』の原点は着物〉、〈日本のサッカーのルーツは、初春に下鴨神社(左京区)で行われている蹴鞠です〉などといった暴論・珍論に満ちていた。(323頁) またもや出てきた幼稚で自己中心的な歴史観。 なんでもかんでも日本がルーツだったと言わないと気が済まないのだろうか? もはや狂っているとしか言いようがない。 狂気の沙汰である。 このプロジェクトの中心人物は、服飾評論家の市田ひろみだそうだ。 この名前もよく覚えておこう。 テレビにもよく露出する人物である。 市田ひろみは、日本和装師会の会長でもあり、 そしてあの「新しい歴史教科書をつくる会」の理事だった人物である。 なるほどね。 長くなったので、もうここらでやめよう。 ほかにも重要な話がたくさん出ているので、 ぜひ多くのひとに読んでもらいたい。 筆者の斎藤貴男は、この本を次の言葉で締めくくっている。 “心の時代”の正体が見えてきた。最も人間らしいものの素晴らしさが高々と揚げられているのに、その実態は、人間らしさへの渇きでさえもない。人間が人間であることの何もかもを絡め取り、利用し尽くしてしまおうとする者どもの営みである。(324頁) 本書には、企業や有名人の実名がたくさん列挙されている。 わたしたちは、それらの名前をしっかりと記憶しておこう。 企業経営者らが教育に口をはさんだらロクなことがない、 ということは、すでにわたしたちは学習済みのはずだったのではないか。 |
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