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zoom RSS 藤原正彦『国家の品格』(新潮新書)

<<   作成日時 : 2008/08/17 20:56   >>

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数年前に大きな話題となり、大ベストセラーになった本である。

「○○の品格」というタイトルの本やドラマが一時期目についたが、
その「品格」ブームのキッカケをつくった本である。

もっと前に取り上げるべき本だったが、
大事なことはいつでも書くべきだろうと思い、
今さらという思いはあるものの、取り上げることにした。

すごい本である。

いや、ものすごい本である。

超おすすめ。

まだ読んでいないひとは、ぜひ読んでみてほしい。

おやまあ。

わたしがこの本をすすめるのは、意外でしょうか?

もちろん、この本をすすめるのは
本書の内容が優れているからではございません。

あまりにもバカバカしい内容で、
嘘と妄想と暴論に満ちている本だからでございます。

これを読むと、
右派・ナショナリストの低脳ぶりがよく分かるからでございます。

ほんと、ものすごい本ですよ。

まず、筆者は、5〜15世紀の中世を見ると日本の素晴らしさが分かる、
とおっしゃいます。

ヨーロッパは当時、「蛮族」の集まりにすぎなかった。

しかし日本はそうではなかったというのです。

一方、日本は当時すでに、十分に洗練された文化を持っていました。文化的洗練度の指標たる文学を見ても、万葉集、古今集、枕草子、源氏物語、新古今集、方丈記、徒然草……と切りがありません。この10世紀間における文学作品を比べてみると、全ヨーロッパが生んだ文学作品より日本一国が生んだ文学作品の方が質および量の両面で上、と私は思います。(14頁)


ほかの国は「野蛮人」の集まりだったけれども、
日本だけは優れた国だったとおっしゃるのです。

わたくし、ここを読んで、お腹を抱えて笑ってしまいました。

バッカじゃなかろ〜か、ルンバ♪

まるで日本だけが世界のなかで優れた文学を生み出し、
日本人がことのほか優れた民族であるかのように強調しているわけです。

筆者はものすごい西洋コンプレックスの塊なのですね。

精神的に相当に病んでいらっしゃるのではないでしょうか。

ものすごい幼児的で自己中心的なご意見ですね。

ヨーロッパには、ホメロスの文学をはじめ、
ギリシア悲劇などたくさんの優れた文学作品があります。

インドにも中国にも優れた古典文学はたくさん生まれています。

しかもこれらはすでに古代に生まれたものです。

たとえば、ヨーロッパでホメロスの壮大な叙事詩が語り継がれていたとき、
日本はいったい何時代だったのでしょうねえ?

縄文時代ですよ。

おほほ。

著者は、現在のさまざまな問題を嘆いています。

犯罪、テロ、家庭崩壊、教育崩壊、教育崩壊による学力低下、
子供たちの読書離れ、少年少女の非行などなど。

そして、これらの問題に対して、
「武士道精神こそ世界を救う」などと言い出すのです。

よ、出ました! 「武士道精神」!!

右派・ナショナリストのひとたちって、「武士道」がお好きですねえ。

「武士道」の本当の意味については、
以前このブログで紹介したので、そちらを参照してください。

菅野覚明『武士道の逆襲』(講談社現代新書)

筆者は、「武士道精神」がいかに素晴らしいものであるかを述べます。

 江戸時代、会津藩に日新館という藩校がありました。白虎隊も教えを受けていた藩校なのですが、ここに入る前の子弟に対して「什(じゅう)の掟」というのがありました。
 そこにはこう書いてあります。

 一つ、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
 二つ、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
 三つ、虚言を言うことはなりませぬ
 四つ、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
 五つ、弱いものをいじめてはなりませぬ
 六つ、戸外で物を食べてはなりませぬ
 七つ、戸外でご婦人と言葉を交えてはなりませぬ

 武士道精神に深く帰依している私には非常に納得できるものです。七つ目を除いて。(47−48頁)


あらまあ、何ということでしょう。

「什の掟」に帰依するのであれば、
すべて守ってくださらないとおかしいのではありませんか。

ご自分に都合のわるいものだけを取り除くだなんて、
そんな精神はご自身のおっしゃる「武士道精神」にさえ反していますよ。

そもそも、この本の内容は、嘘と暴論に満ちているのですから、
上記の「三つ」目の項目に反しています。

また、筆者は、日本人だけが優れた民族であるかのように、
猛烈な自己中心的(ジコチュー)な見解を述べているのですから、
「四つ」目の項目にも反しています。

ところで、筆者によると、外でバーベキューもできなくなるし、
ピクニックにも行けなくなるし、花見もできなくなるのですね。

「六つ」目の項目を守ると、そうなってしまいます。

野球場でホットドックを食べながら野球観戦なんて、
「武士道精神」に反する「野蛮な行為」になってしまうのですね。

恋人や家族や友だちと、外で楽しく食事をする。

こうした行為は「下品な行為」になってしまうのですね。

「一つ」目だって、よく考えると、怖ろしいですよ。

親から虐待されている児童たち、
商品偽装を社長に命令された社員たち、
教師からのセクハラに苦しんでいる女学生たちは、
みんな黙って「年長者」の言うことに従いなさい、というのですからね。

まあ、ご自分が60歳を越える「年長者(クソじじい!)」になったので、
「オレの言うことに反抗するな、従属しろ」と言いたいのでしょうね。

おー、怖い怖い。

筆者は、ヨーロッパが大嫌いのようで、
西欧に影響されたと思われるものは、すべて批判の対象になるようです。

私は「自由という言葉は不要」と思っています。控えめに言っても、「自由」は積極的に賞揚すべき概念ではありません。……どうしても必要な自由は、権力を批判する自由だけです。それ以外の意味での自由は、この言葉もろとも廃棄してよい、廃棄した方が人類の幸福にとってよい、とさえ私には思えます。(66−67頁)


ということは、
職業選択の自由も住居移転の自由も、
恋愛の自由も、廃棄しなければならないのですね。

怖ろしいことをおっしゃいますねえ。

「自由」という言葉をなくす。

これはまさにジョージ・オーウェルが『1984年』で描いた、
未来の超監視国家・全体主義国家のことです。

こんな怖ろしいことを書いているのが、藤原正彦というひとなのですねえ。

また、筆者はジョン・ロックを目の敵にしているのですが、
その理由が、ロックの言う「自由や平等」という考え方が、
独断にすぎず、論理的根拠がないからだ、というのです(74頁)。

そもそも筆者は、「論理」で世界を捉えるのが間違っている、
と述べていたのに(第2章)、
ジョン・ロックを「論理的ではない」という理由で批判しているのです。

もうわたくし、さっぱりワケが分かりません。

「論理」で考えてはいけないといいながら、
ひとさまのことは「論理的でない」といって非難するのですから。

筆者の頭の中身は、どのようになっているのでございましょうか?

さらには、次のような暴論も展開しています。

 国民は永遠に成熟しない。放っておくと、民主主義すなわち主権在民が戦争を起こす。国を潰し、ことによったら地球まで潰してしまう。
 それを防ぐために必要なものが、実はエリートなんです。(83頁)


またしても無茶苦茶なことをおっしゃっていますね。

民主主義を否定して、エリート主義を賞揚する。

侵略戦争・植民地支配を指導的に行なったのが、
日本のエリートたちだったことをもうお忘れなのでしょうか。

もとより、この筆者によって書かれたこの本自体が、
エリート主義の主張を裏切っています。

筆者は「はじめに」で、次のように述べています。

 本書は講演記録をもとに、それに大幅に筆を加えたものです。話し言葉に品が欠けていたため、ほとんどすべての文章に筆を入れる羽目になりました。品格なき筆者による品格ある国家論、という極めて珍しい書となりました。(6頁)


ユーモアを交えているつもりなのでしょうが、ちっともおもしろくありません。

こんな妄言を繰り広げるひとに講演を依頼するひとがいることにも驚きますが、
そもそも筆者は「国家論」の専門家ではないでしょう。

ただの数学者です。
別に数学者をバカにしているわけではありません。

しかし、数学者は数学の「エリート」ではあっても、
「国家論」のエリートではありません。
だから、筆者には「国家論」を語る資格はないはずなのです。

こう言うと、また頭のおかしいひとが的外れなコメントをしてくるので、
念のために申しますが、
わたしは素人が「国家論」を述べるな、などとは考えません。

そうではなく、筆者自身が「エリート主義」を主張しているのです。
そのくせ、「国家論」に関してはズブのド素人であるご本人が、
堂々と「国家論」をご披露なさっているのです。

これは明らかに筆者自身の幼稚な矛盾を示しています。

また、この本には、
日本人の感受性や日本の自然が、いかに優れたものであるか、
ということがバカみたいに繰り返し述べられています。

駐日イギリス大使の奥さんが、
「自然への感受性や美を感じる心という点で日本人に勝る国民はいないでしょう」
と書いていると指摘して、筆者は大喜びしています。

イギリス人のことを散々「野蛮人」と言っておきながら、
彼らから日本がいかに褒められたかを何度も述べるのです。

そして、「富士山」は世界一美しい山だと、おっしゃるのです。

まともな感性を持っているひとならば、
羞恥心を抱かずにはこのあたりの文章を読むことはできますまい。

 楓に見られるように、日本というのは自然そのものが非常に繊細に出来ている。豪快さにはやや欠けますが、山も川も谷も木々も何もかも、非常に繊細に出来ている。その上、四季の変化がはっきりしています。こんな国は珍しい。(106頁)


日本人の自然への感受性。

日本の美しい自然。

そして、日本の四季の変化。

ああ、どこまでこの方のおっしゃることは、典型的なナショナリストなのでしょうか。

あまりに凡庸で陳腐で、お決まりの言い方です。

四季がはっきりしている国は、他にいくらだってあるのですよ。

ご存知ないのでしょうか。

そんなに日本人が自然への優れた感受性を持っているのだとしたら、
どうして日本人はこれほど自然破壊を進めてきたのでしょうか?

どうして日本では、他の先進諸国に比べて、
自然保護の運動が活発ではないのでしょうか?

ここまで読んできて、
もう読者のみなさまも呆れ果ててしまったのではございませんか?

もう少しの辛抱ですから、もうちょっとだけお付き合いください。

 私は、ガーナ人でガーナを愛さない奴がいたらブッ飛ばします。韓国人で韓国を愛さない奴がいたら張り倒します。仮に張り飛ばさなくても、少なくともそういう人間とは絶対に付き合いません。(112頁)


おやまあ、乱暴なことをおっしゃいますねえ。

わたくしは熱烈な「反日」ですから、
筆者がもしわたくしに会ったらわたくしのことを「ブッ飛ばす」のですね。

ぜひブッ飛ばしていただきましょうか。

その代わり、わたくしも遠慮なくブッ飛ばさせていただきますわよ。

おほほ。

筆者は、ご自分のことを、
ナショナリストではなく、パトリオットだとおっしゃいます(113頁)。

しかしながら、書いているものを読めば、
筆者は典型的な「ナショナリスト」なのです。

「日本」という近代になって作られた擬制を何にも疑っていません。

「日本文化」といって、文化の枠と国家の枠を素朴に同一視しています。

パトリオットでもよいですが、彼は同時にナショナリストなのです。

 美的感受性や日本的情緒を育むとともに、人間には一定の精神の形が必要です。……私は、こうした情緒を育む精神の形として「武士道精神」を復活すべき、と20年以上前から考えています。(116頁)


お得意の「武士道精神」です。

そして、単細胞のナショナリストたちが決まって持ち出すのが「武士道」です。

あまりに独自性のないご見解です。

武士階級の行動規範だった武士道は、日本人全体の行動規範となっていきました。(117頁)


こんな事実に反することを書いていたら、
誰かが注意してあげなかったのでしょうか?

藤原さん、おかしいですよ。

間違っていますよ、と。

というか、「武士道」に基づいて、こういう妄想にとりつかれたひとは、
それこそ「ブッ飛ばして」しまってもよいはずなのですけどね。

さらに筆者は、ものすごくアホらしいことを言っていますよ。

日本人は万葉の時代どころか、想像するに縄文の時代ですら、「卑怯なことはいけない」「大きな者は小さな者をやっつけてはいけない」といった、皮膚感覚の道徳観、行動基準を持っていたのではないかと思います。(118−119頁)


ほらね?

その程度の道徳観なら、世界中のどこにだってありますでしょうに。

それなのに、日本人だけは大昔からこのような道徳観を持っていただなんて。

図々しいにもほどがありますわ。

そこでまたしても「武士道」を持ち出すのです。

そして、この「武士道」を、新渡戸稲造と結びつけているのです。

ほらね?

こういう方って、歴史を知らずに威張るのですよね。

『武士道』〔新渡戸稲造著〕が世界的なベストセラーとなり、国際的な名声を博したその2年後に、台湾に民生局殖産課長として赴任したのです。
 当時の台湾は日本領となってまだ6年で、マラリア、コレラなどの伝染病が蔓延する未開の土地でした。新渡戸の偉大さは、そこで一介の課長として懸命に台湾の農業を改革し、製糖業を興したことです。その結果、台湾の製糖業を昭和初年にはハワイと世界一を競うまでに育てた。不惜身命と申しましょうか、「公に奉ずる」という武士道精神を見事に実践したのです。(124頁)


著者は、他の箇所で、さすがに侵略戦争を肯定してはいません。

明確に「卑怯なこと」だったと批判しています。

しかし、そう言っておきながら、これです。

このありさまです。

台湾は未開の土地だったのだが、新渡戸が開発してあげた。

これは立派な武士道精神だ。

そう言うのです。

台湾を植民地支配したことに対するひと言の批判も見当たりません。

台湾のひとびとを虐殺した歴史にも言及していません。

台湾の製糖業を繁栄させたといってそのことを評価していますが、
ほかの箇所では拝金主義や資本主義を何度も批判しているのです。

またしても幼稚な矛盾があらわれています。

 「卑怯を憎む心」を育むには、武士道精神に則った儒教的な家族の絆も復活させないといけない。これがあったお陰で、日本人の子供たちは万引きをしなかった。(128頁)


この部分は、読んでいて大爆笑です。

日本人の子供は万引きをしなかったですって。

言外には、
日本以外の子供たちは万引きをする、
そしてその理由は「武士道精神の欠如」である、
というニュアンスが含まれています。

本当に「卑怯を憎む心」があれば、
その矛先は真っ先にこの本に向けられることになるでしょう。

道徳の高さを測る尺度はありませんが、過去千年間の各国を何らかの方法で比較することができたら、おそらく段違いで日本人がトップと思われます。この、日本人のDNAに染みついているかの如き道徳心が、戦後少しずつ傷つけられ、最近では市場経済によりはびこった金銭至上主義に、徹底的に痛めつけられています。(188頁)


何の根拠もなく、こうした恥ずかしい断定を下しています。

千年前に「日本人」などという国民は存在していなかったのに。

日本人である筆者が、日本人はすごいのだと臆面もなく書き、
それを日本人が読んで、そうだそうだと大喜びしているのです。

なんとみっともない光景でありましょう。

なんと幼稚で自己中心的な態度でありましょう。

恥ずかしいったら、ありゃあしません。

外国の方々から見たら、さぞかし滑稽な光景でしょうね。

日本人がいかに優れているかを延々と書いていること自体、
いかに日本人が道徳的に劣っているのかを露呈してしまうのです。

筆者は金銭至上主義を批判していますが、
嘘とデマと妄想にまみれたこの本は、どうなのでしょうか?

売れれば何を書いてもいいという出版社の姿勢は、いかがなものでしょうか?

ねえ、新潮社。

売れれば嘘を書いてもいいという筆者の姿勢は、いかがなものでしょうか?

ねえ、藤原さん。

もうこの本を取り上げるのはやめましょう。

あまりにスカスカの内容であることは、
もうお分かりいただけたのではないでしょうか?

それにしても、この程度の本がベストセラーになっている日本というのは、
相当に知的レベルが低下している何よりの証拠なのではないでしょうか?

この本を読んで感動するひとがいる、ということにも驚きを禁じえません。

筆者とこの本を支持する読者に、処方する薬はないものでしょうか?












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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
いやーこれはなんという本でしょう(笑)笑いすぎてお腹が痛いです。。
あばら骨折してるので、イタイイタイ(笑)
この本を読んだことはありませんが、影丸さんの文章だけでお腹いっぱいです。

藤原さん。爆笑をありがとう!
サブシルマ
2008/08/18 20:37
◆サブシルマさま

こんばんは。そんなに笑ってくださいましたか。
そして骨折をなさっているのですか? それはくれぐれもお大事になさってください。

それにしても、こんな本がベストセラーになって、感動しましたなどと言うひとがこの日本にはたくさんいるのですからね。大笑いです。
影丸
2008/08/20 19:14

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