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zoom RSS 岡真理「世界の現実に批判的に介入する文学の〈不/可能性〉とは何か」

<<   作成日時 : 2008/08/03 19:42   >>

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「9・11同時多発テロ事件」後、ブッシュ米大統領は次のように言った。

「テロリストの側につくのか、それとも、われわれの側につくのか」

ブッシュは、世界に向けてある種の脅迫状を出したのだ。

メディアの報道は、「テロ事件」一色に塗りつぶされ、
報復が正当化され、武力行使という名の殺人が行なわれた。

あのとき、多くのアメリカ人は、自らを「被害者」と見なした。

被害者としての「悲しみ」を独占した。

チリの作家アリエル・ドルフマンは、「世界には他にも数多くの9・11がある。アメリカは自分たちの9・11を悲しむだけでなく、世界に数多くある他の9・11を悲しむことを学ばなくてはならない」という趣旨のことを言っています。
 あの出来事には、二つの可能性がありました。ひとつはドルフマンが言うように、「9・11」を契機として世界に他にも数多くある「9・11」に向かってアメリカが開かれていく可能性です。しかし実際に起こったのは、もうひとつの可能性のほうでした。つまり、あの出来事は「アメリカの悲劇」として我有化され、結果的にナショナリズムの強化に利用されてしまいました。アフガニスタンが空爆され、罪のない多くの市民が殺されました。しかし、彼らの不条理な死については、アメリカではほとんど語られませんでした。それは、「彼ら」の死であって、「われわれ」の死ではないからです。(193−194頁)


悲劇を経験したひとびとには、二つの可能性があった。

他の「悲劇」に向かって開かれていく可能性。

そして、「悲劇」を独占し、他者を攻撃していく可能性。

アメリカは、後者を選択してしまった。

「悲劇」を戦争に利用することに反対した稀有なひとびともいた。

「ピースフル・トゥモローズ」という遺族のグループである。

彼らは、アメリカが報復戦争を行なうことに反対した。

しかしながら、圧倒的多数のアメリカ人は、「悲劇」を独占した。

そして新たな「悲劇」を他国のひとびとに強いた。

他方、日本の状況に目を向けてみよう。

北朝鮮による拉致問題が表面化してからというもの、
圧倒的多数の日本人は、「悲劇」を独占した。

このときも、わたしたちは、二つの可能性を持っていた。

……日本社会は北朝鮮による日本人の拉致事件の報道一色でした。「9・11」の出来事と同様に、この拉致事件もまた、日本が過去に強制的に連行した無数の者たちの苦しみや悲しみへと開かれてゆく可能性をもっていました。けれども、アメリカで起きたのと同じことが日本でもくり返されました。
 世界に無数にある「9・11」に向かって開かれていくのか、それとも、出来事を「われわれ」の悲劇として我有化し、それをナショナリズムの強化に利用し、新たな暴力を生み出すのか。どちらを選択するかは、私たち自身です。(195頁)


拉致問題は、ある意味で、日本にとって画期的な出来事だった。

戦後の日本は、もっぱら「加害者」として責任を追及される側だった。

ところが、「拉致問題」では、「被害者」の立場に立って、
他国の責任を追及する側に立ったのである。

このとき、わたしたちは二つの可能性を持っていた。

他の「悲劇」に向かって開かれていく可能性と、
自分たちの「悲劇」としてこれを独占する可能性だ。

結局、多くの日本人が選び取ったのは、そのうちの、
「悲劇」を独占し、「新たな暴力」を生み出すという方向であった。

「拉致問題は解決済み」という北朝鮮の主張に、多くの日本人は反発する。

しかし、これは、
じつは日本政府がこれまでアジア諸国のひとびとに対して
繰り返しとってきた態度そのものだろう。

「戦争責任・賠償問題は解決済み」といって責任を回避しつづけてきた。

北朝鮮政府の態度は、日本政府のパロディなのだ。

そして、日本は、
日本の「ピースフル・トゥモローズ」を生み出すことができなかった。

(小森陽一監修『研究する意味』東京図書、所収)


















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