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help リーダーに追加 RSS 表現の自由の弾圧

<<   作成日時 : 2008/07/16 23:58   >>

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政治体制が全体主義化するとき、表現の自由は制限される。

戦時中の日本では、表現の自由は認められていなかった。
政府によって徹底した検閲が行なわれた。

「社会主義」「共産主義」関連の書籍は発行禁止。
政府に批判的な表現は禁止され、ある文言は伏字になり、
「社会」という単語さえも「社会主義」を連想させるという理由で
検閲の対象になった。

当時、『昆虫の社会』という本まで発禁処分になった、
という笑えるのか笑えないのかよく分からない話があるほどだ。

このエピソードは、丸山真男がどこかで書いていた。

「贅沢は敵だ」というスローガンが街中に貼られ、
国民は戦争に総動員されていった。

戦争に反対するひとびとは、「贅沢は敵だ」と書かれたポスターに、
深夜ひそかに「素(す)」という一文字を書き加えて、抵抗したという。

「贅沢は素敵だ」

このエピソードは、福田歓一がどこかで書いていたと思う。

表現の自由に対する弾圧は、全体主義化のしるしである。

そして、現在の日本が、全体主義化を進めていることは、
もはや誰の目にも明らかである。

今年(2008年)4月、「立川テント村事件」の最高裁判決が出た。

この事件は、東京都立川市の自衛隊官舎のポストに、
自衛隊のイラク派遣に反対する市民団体が反戦ビラを入れたことに対し、
市民団体メンバーが住居侵入罪で逮捕・起訴されたという事件である。

最高裁判所は有罪判決を出したため、市民団体の有罪が確定した。

多くの日本国民は、この判決に対して、
きわめて冷淡で無関心な反応しか示さなかった。

先日わたしは、「戦争のできる国家」のレシピをこのブログに書いた。

戦争ができる国になるためには、
戦争に反対する国民を処罰する法律をつくることが必要だ。

そう書いた。

「立川テント村事件」は、まさにこれを裏書するものである。

こうして着々と戦争のできる国家が出来上がっていくのだ。

これに対して、国際人権NGO「アムネスティ・インターナショナル」は、
有罪判決が出された市民団体メンバーを「良心の囚人」に認定した。

アムネスティ・インターナショナルの抗議声明は、
『立川テント村事件』の最高裁判決を懸念」で読むことができる。

ぜひ全文を読んでいただきたい。

「良心の囚人」とは、次のような意味である。

暴力を用いていないのに、自らの信条や信仰、出自、肌の色などを理由に、政府によって拘禁されたり自由を制限されたりしている人たちを、アムネスティは「良心の囚人」と呼びます。

(「アムネスティ・インターナショナルWEBサイト」より)

ビルマ(ミャンマー)軍事政権や中国政府と同じように、
日本政府は「良心の囚人」を不当に拘束し、弾圧している。

アウンサン・スーチーが自宅軟禁されていることには批判的な日本国民は、
自国の市民が政府によって弾圧されていることには関心を向けない。

そしてふたたび、同様の事件が起きた。
今月3日、「朝日新聞のWEBサイト」に次のような記事が出た。

 東京都国分寺市の共産党市議が、同党市議団発行の「市議会報告」を市内にあるマンションの集合ポストに投函(とうかん)したとして、東京地検八王子支部に住居侵入容疑で書類送検されていることが2日、分かった。この市議と共産党国分寺市議団は「オートロックのドアの外側にある集合ポスト周辺は事実上、だれでも出入りできる。ここへの投函が罪にあたるはずがない。市議会報告の配布は市議活動として必要な行為だ」と批判、不起訴処分を求めている。

 書類送検されたのは、幸野統(おさむ)市議(27)=1期目。

 小金井署によると、市議は5月18日午後5時ごろ、国分寺市本多1丁目のマンション1階の玄関にある集合ポストに党市議団発行の市議会報告を配布するため、マンションの敷地に侵入した疑い。敷地には、関係者以外の立ち入りを禁じた張り紙があったという。

 幸野市議によると、当日、市議会報告を投函中に、マンションの住民1人から注意を受けた。この住民とは初対面だったが、注意されたため「投函をやめる」と話したという。しかし、納得してもらえず、この住民と一緒に近くの交番に行ったとされる。その後、同署はマンションの管理組合から被害届が出たのを受けて6月9日に書類送検した。


戦争に反対する市民団体や日本共産党に対する弾圧。
そしてこれを他人事のように捉える圧倒的多数の「善良なる日本国民」。

ずっと前にわたしが引用したある文章を、再度ここに引用しよう。

ドイツの神学者マルチン・ニーメラーの言葉である。

ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になった。
けれども結局自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。
それからナチは社会主義者を攻撃した。
自分の不安はやや増大した。
けれども依然として自分は社会主義者ではなかった。
そこでやはり何もしなかった。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、
そのたびに自分の不安は増したが、
なおも何事も行わなかった。
さてそれからナチは教会を攻撃した。
そうして自分はまさに教会の人間であった。
そこで自分は何事かをした。
しかしそのときにはすでに手遅れであった。

(丸山眞男「現代における人間と政治」より引用)

日本は着々と戦争のできる国家づくりを進めている。

そして、日本国民はこれに抵抗してはいない。
すでに批判的知性・批判精神をすっかり奪われているからだ。

日本は戦争に向けて準備を整えている。
ふたたび戦争をしようとしている日本。

いま問題になっている「竹島」問題も、この文脈で捉えなければならない。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
連投で申し訳ありません。

マルチン神父の言葉は、以前影丸さんが紹介されていた「茶色の朝」に似ていますね。
共謀罪は身を潜めておりますが、教育基本法や、労働基準法など、自分が手の届かないところからジワジワと堀を固められているように感じます。

「竹島」についてですが、「誰かのもの」にしないで、月や、南極のように「誰のものでもないもの」にはできないものでしょうか?
sendo
2008/07/17 15:14
◆sendoさま

いえいえ、いくつでもコメント大歓迎です。ありがとうございます。
そうですね、『茶色の朝』も同じ内容ですね。じわじわと全体主義化が進んでいるので、日本の現状が当たり前だと思わないように抵抗しないといけません。

月は誰のものでもないはずですが、じつは「月の土地」はもう売買されているみたいですよ。私有財産制の欲望は、宇宙にまで広がっているようです。
影丸
2008/07/18 16:02

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