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zoom RSS 網野善彦『日本の歴史をよみなおす』(ちくまプリマーブックス)

<<   作成日時 : 2008/07/27 18:05   >>

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「日本」の歴史にまつわる思い込みを気持ちよく破壊してゆく本である。

すでに亡くなってしまった高名な日本史研究者による入門書であり、
「網野史学」と呼ばれるほどの影響力をもった著者の入門書である。

この本を読むと、
日本の歴史に対する見方が大きく変わるであろう。

右派・ナショナリストたちは、
「日本」という国が長きにわたって存続してきたと、素朴に信じている。

おめでたい脳みその持ち主である。

「日本」が延々と生きつづけてきたと信じ込んでしまうのは、
「日本史」という科目の影響でもある。

「日本史」を無批判に教え込まれることによって、
古代から脈々と生きつづけてきた「日本」のイメージが形成されるからだ。

実際はいつごろから「日本」が形成されたのだろうか?

5、6世紀の日本列島の社会は、畿内を中心とした首長たちの勢力が、大きな力をしだいに持ちはじめ、北九州をはじめ、各地域の首長たちとの対立、抗争を通して、列島の西部をはじめ東部――東日本にもその影響をおよぼすようになっていたのですが、全体として、古墳のあり方自体からも知られるように、「未開」で原始的なアニミズムや、呪術の力が強く支配している社会だったのだと思います。(193頁)


5、6世紀の日本列島には、もちろん統一国家など存在していなかった。

しかも「未開」で「原始的」な社会であった。

その後、徐々に国家が形成されていくことになる。

まさしくこの国家の形成の過程で、天皇という称号が定着するのですが、これまでその時期は推古朝以来という説が主張されていました。けれども、最近は、天皇という称号が安定的に用いられ、制度的に定着するのは天武、持統朝――浄御原律令の制定のころで、厳密にいえば持統からだというのが、古代史家のほぼ定説になっていると思います。
 ですから、この説にしたがって、史実に忠実な立場に立てば、雄略天皇や崇峻天皇はもちろん、天智天皇という「天皇」もいないことになります。(194頁)


持統以後に「天皇」の称号が用いられるようになったのであれば、
それ以前には「天皇」など存在しなかったというのも当然のことである。

神武以来、数千年にわたって「天皇制」がつづいていたなどというのは、
単なる作り話の「神話」であって、歴史研究に基づいた「史実」ではない。

怪しい薬でも飲んでいないと信じられる話ではない。

しかも、大宝律令のできた701年に遣唐使が中国大陸に行くのですが、その時の使いは「日本」の使いであると唐の役人にいっています。つまり「日本」という国号も、これまで推古朝とも考えられていましたが、やはりこれも最近の説では7世紀の後半、律令体制の確立した天武・持統のころ、天皇の称号といわばセットになって定まったと考えられています。……その意味で縄文人、弥生人はもちろんのこと、聖徳太子も「日本人」ではないのです。(195頁)


縄文人も弥生人も、「日本人」ではない!

それはそうであろう。

縄文人が「日本人」としてのアイデンティティを持っていたなどと
考えることはできるはずもないのだから。

また、「日本」の伝統文化は「和の精神」にあるとして、
「十七条憲法」の「和を以て貴しとし」を持ち出してくるひとたち。

聖徳太子も「日本人」ではない!

もっといえば、江戸時代のひとびとでさえ、
「日本人」としてのアイデンティティなど持ち合わせていなかったはずだ。

「日本人」ではないひとを、「日本人」のルーツにしてしまうのは、
虚偽意識以外のなにものでもないだろう。

しかもこの国号は、畿内を中心にできた律令国家の国号だったのですから、北海道や東北、さらに沖縄、南九州は「日本」の中にはいっていません。関東をふくむ東日本の人びともはたして「日本人」と見られていたかどうか、「東夷」ということばを考えれば疑問です。(202頁)


「日本」という国号ができたのが7世紀であり、
しかも「日本」に含まれていたのは畿内を中心とした地域だけ。

北海道や沖縄が「日本」ではなかったのはもちろんのこと、
関東も「日本」ではなかった!

むしろ、「日本」に含まれていなかった地域は、
「日本」によって侵略・統合されていった地域と見ることができる。

そしてその出発点において、日本という国号と天皇の称号とは深く結びついていたわけですから、将来、いつかは天皇が日本の社会にとって不要になる時期が来ると思いますが、その時には、われわれは、日本という国号そのものをそのままつづけて用いるかどうかを、かならず考え直すことになると思います。(202頁)


この指摘は重みのあるものとして受けとめよう。

「天皇制」と国号「日本」の廃棄!

「天皇制」も「日本」も、歴史のなかで作り上げられたものだった。

永遠の過去に起源を求めることなどできない。

それならば、「天皇制」や「日本」が未来に向けて永遠につづくと考えるのも、
またバカげた妄想であろう。

さて、天皇と仏教の関係についても、著者の解説は興味深い。

実際、天皇の称号の定着した持統以来、江戸時代までの天皇は、2、3の例外を除き、みな火葬で、聖武以来仏式ですし、墓も泉涌寺をはじめ、寺院に葬られていたのです。墳丘もつくられていないので、昭和天皇のような葬儀や墓は、明治以降になって、天皇号の定まる以前の、いわば古墳時代のころのやり方を「復興」する形ではじめられたので、これを「古来の伝統」などというのは、まったくおかしいことだと思います。(215頁)


これは何をあらわしているのか?

わたしがきのうの記事で書いた「捏造・偽造された伝統」のことだ。

「伝統」は偽造され、捏造される。

「伝統」は作為の擬制(フィクション)なのである。

天皇家については、
宮内庁などが隠し続けている資料・遺跡がたくさんあるようなので、
これらに対して本格的な調査がこれから進んでいけば、
天皇支持者たちにとってはきわめて都合のわるい「史実」が
どんどん明らかになっていくことだろう。

右派・ナショナリストたちよ。

存在しなかったものをまるで存在しているかのように偽装するのは、
もうやめた方がよい。

おのれの愚かさを露呈するだけである。

右派・ナショナリストの愚かさは、何度指摘しても指摘しすぎるということはない。

尚、この本には「ケガレ」や「女性観」など、
大変に興味深い記述がたくさんあるので、ぜひ読んでみてほしい。














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