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zoom RSS 菅野覚明『武士道の逆襲』(講談社現代新書)

<<   作成日時 : 2008/07/26 16:24   >>

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日本の伝統文化を大切にするべきだ。

「武士道」の精神を取り戻すべきだ。

こんな血迷った主張が、メディアをはじめ、さまざまなところで見られる。

若者のなかにも、「武士道」に憧れを抱くものがある。

何も知らないくせに。

日ごろは冴えないサラリーマンも、「武士道」に憧れる。

何も知らないくせに。

勘弁していただきたいものである。

所詮これらはグローバル化の反動にすぎない。

反動にすぎないのだが、反動化が現在の日本を水路づけている。

歴史を知らないというのは、怖ろしいものである。

「武士道」が日本の伝統文化だと思い込んでしまうのだから。

ちょっと考えれば、分かるはずだ。

武士階級の人口は、かつての「日本」の総人口の何%だったのか?

ほんの数%だろう。

圧倒的多数のひとびとは、農民であったり、漁民であったり、
生産階級(武士ではない!)だったはずである。

どうして少数派の武士の価値観が、「日本」の「伝統」になるのだろうか?

しかも、武士は男だけであって、女性は入っていない。

どうしてそれが「日本」の「伝統」になるのだろうか?

本書は、「武士道」にまつわる間違ったイメージを学問的に覆すものである。

日本人の間では、一般的に「武士道」は新渡戸稲造の名と結びつけられる。

「武士道」といえば新渡戸稲造『武士道』が参照される。

数年前、この『武士道』がベストセラーに入っていたほど、よく売れていた。

しかし、武士の思想である「武士道」と新渡戸稲造の書いた『武士道』は、
じつは何の関係もない。

新渡戸武士道は、明治国家体制を根拠として生まれた、近代思想である。それは、大日本帝国臣民を近代文明の担い手たらしめるために作為された、国民道徳視思想の一つである。(12−13頁)


新渡戸の『武士道』が出版されたのは、1899年(明治33年)のことだ。

武士など、とっくにいなくなった時代に書かれたのである。

だから、新渡戸の『武士道』は、まぎれもなく「近代思想」なのである。

新渡戸の『武士道』は、次のように書き出されている。

武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である。
(新渡戸稲造『武士道』岩波文庫、25頁)


この本はアメリカで出版され、英語で書かれている。

そのことからも分かるように、
この本は日本の独自性を創り上げるためにアメリカ人に向けて書かれた。

ちゃんと勉強しているひとの間では常識の類いなのだが、
ナショナリズムが持ち出す「伝統文化」というのは、
じつは近代になって「作り出されたもの」であって、
この『武士道』も近代に作り出されたフィクションであることを示している。

『武士道』は、捏造され偽造されたフィクションなのである。

さて、この新渡戸武士道は、しばしば軍人精神の模範とされている。

しかし、近代日本の軍人精神のモデルとされた新渡戸の『武士道』は、
それまでの「武士」の価値観を否定するところにこそ成立していた。

近代日本の兵制は、武士という存在の全否定の上に立脚している。近代において、武力や戦闘者のあり方をめぐる思想の根幹となった「軍人勅諭」の基調は、武士及び武士的なるものの否定である。「軍人勅諭」は、武士ではなく、武士とは全く異なるところの「軍人」を創出しようとしたのである。(16頁)


では、もともと「武士道」とはどのようなものだったのか?

武士道とは、第一義に戦闘者の思想である。したがってそれは、新渡戸をはじめとする明治武士道の説く「高貴な」忠君愛国道徳とは、途方もなく異質なものである。(20頁)


「軍人勅諭」の説く忠君愛国は、「武士道」とはまったく異なるものだった。

「途方もなく異質なもの」だったのである。

武士の道徳というと、多くの人が、忠孝、仁義といった儒教的徳目を思いうかべることであろう。……
 しかしながら、武士の道徳を儒教的概念体系で説明するようになったのは、長い武士の歴史の中の後ろ半分、徳川太平の世になってのことである。(20−21頁)


儒教的価値観が「武士道」のなかに入り込んできたのも、
じつは徳川時代になってからのことだった。

つまり、忠孝・仁義といった徳目さえ、「伝統的」な価値観とは言えないのである。

しかも武士は、何より暴力を振るう集団である。

何の罪もない他人の領地に押し入り、実力次第でそれを奪い取っても、人殺し、盗人とは呼ばれない。強ければ奪い、弱ければ奪われる。それが武士の世界の当然のルールであり、そのことを本来の稼業とするのが武士なのだ。(40頁)


だから、武士とは、暴力団のことである。

だから、武士でない人々から見れば、武士世界の腕ずくの流儀は、まさに「切り取り強盗は武士の習い」として、嫌悪の対象ともなる。(40頁)


まじめに生活し、まじめに労働しているひとびとにとっては、
武士は憧れの対象などではなくて、憎悪の対象だったのだ。

当然だろう。

人を殺しても「切り捨てごめん」で済ませるのだから。

しかも、実際の武士の姿は、現在のひとびとが抱く武士のイメージとは、
相当にかけ離れている。

武士は、よく泣く。……いつわりかざりのきかない、掛け値なしの実力稼業。それは、情緒、感動においてもむきだしのあるがままに生きることである。(48頁)


よく泣き、力ずくでひとの財産を奪い、ひとを殺す。
これが歴史研究から浮かび上がる「武士」の姿であった。

「唯我独尊」という言葉は、ある面で、武士という存在のあり方そのものを端的にあらわしているように思われる。「俺が、俺が」の精神は、いつの時代にも、武士という生き物のきわだった特徴であると見られてきた。「我こそは」とは、己れの力によって一人立つ武士のあり方そのものを示す文句だからだ。(218頁)


ここまで読んできて、もうお分かりだろう。

新渡戸稲造の『武士道』は、歴史的に正しい「武士」の姿を描いてはいない。

実際の「武士」は、わたしたちが憧れ、理想とするようなものではない。

ところが、今でも「武士道」は日本人を惹きつけている。

自衛隊がイラクに派遣されるとき、
番匠幸一郎・一等陸佐(当時・陸上幕僚監部広報室長)は、
北海道旭川市で行なわれた隊旗授与式で、
「武士道の国から来た自衛隊らしく規律正しく堂々と任務を遂行しよう」と
訓示を述べたという。
(斎藤貴男『「心」が支配される日』筑摩書房、参照)

ここでも「武士道」が日本のアイデンティティとして利用されている。

しかも「武士道」のイメージが、「規律正しさ」と結びつけられて語られている。

勘弁してほしい。

「武士道」というのは、筆者が言うように、
人を平然と殺し、略奪し、「唯我独尊」で自己を正当化することだ。

そんなものを理想化する自衛隊。

怖ろしいこと、この上ない。

「武士道」を賛美するひと。

「武士道」を美化するひと。

こうしたひとびとに対しては、私たちはどう接すればいいのだろうか?

どうだろう、いきなり殴ってもいいのではないだろうか?

「何をするんだ?」

「痛いじゃないか?」

などと、もし文句を言ってきたら、
わたしたちは平然とこう言い返せばよいのだ。

「これが『武士道』である」

と。

















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内 容 ニックネーム/日時
ご紹介の本とは関係ないかもしれませんが、先日('11・1・9)のNHKスペシャルを見て漠然と思ったことを書かせていただきます。
話は国際連盟を脱退する前後の「外交の失敗」のこと。「満州国」建国に対する列強の干渉に対し、できる限り譲歩するつもりでいました。日本は連盟から脱退するつもりは当初なかったのです。満州利権を手放すつもりもありませんでしたが。日本はソ連に対する「防共協定」を提案して満州支配を正当化しようとするのですが、軍と外務省では情報や方針の統一ができず、頼みのイギリスは不審を抱いて乗ってきません。結局ナチスドイツしか組む相手がいなくなる、といった内容でした。失敗の原因は「民族自決の建前を尊重する国際情勢を読みきれなかった」「国内での原則を重視する内向き姿勢」「長期戦略がなく場当たり的」といったものが挙げられています。欧米の「民族自決の尊重」もなんだか怪しげですが、そこは今回はおいとくことにします。

番組を見終わって、当時の日本人は帝国主義の国際社会を国捕り合戦の延長のように捉えていたのだな、と思いました。いや、ひょっとすると鎌倉時代以来の「一所懸命」の領土観がいまも生きている。だから隣に獲りやすそうな土地があれば罪悪感なく侵略するし、外交交渉だけでは血であがなった領土を手放す気にならない。この領土観がある限り、日本人は何度敗戦を体験しても侵略者であることを自覚できず、まともな国際感覚を身につけることができないのではないかと思います。イラクの皆さん、これが「武士道」ですよ。
りくにす
2011/01/15 21:48
>実際の「武士」は、わたしたちが憧れ、理想とするようなものではない。

「弓矢を取るも取らぬも恩こそ主よ」(大庭景親)

時代劇や大河ドラマ等で美化される、虚構の武士像を支えてきたのは、大衆の中に根をはっている「町人の武家談義」的心性ではないのでしょうか。「上見て暮すな、下見て暮せ」「泣く子と地頭には勝てぬ」という諦念からくる、支配階級に対する卑屈なおもねりが、「高潔な武士」という幻想を作り出していったのでしょう。忌まわしい現実を直視できない被支配層の「お上とはこうであってほしい」という願望が、「水戸黄門漫遊記」や「大岡裁き」の「神話」を広めていったのだと思います。徳川幕府が三世紀近く続いた理由もわかるような気がしますね。その体制を倒した「明治維新」も、所詮「革命」ではなく、武士たちを中心になされた「政変」であることを考えれば、新体制が時代を経るにつれ軍国化し、1945年8月15日を迎えたのは必然的と言えましょう。
反小市民
2011/01/18 19:30
反小市民様、こんばんは。
前回は脱線しすぎましたので、まじめに。
明治維新を推進した武士たちは、不思議なことに自分たちの階級を名目上解消してしまいました。自分たちが時代遅れと捨て去ったものを賞賛するとはまこと不思議な話ですね。しかも外国人相手に。
新渡戸稲造といえば、先日の番組にも出てきた国際連盟で活躍した人ですよね。あまり考えたくないけれど、帝国主義者オーラ丸出しの日本人がジュネーブを闊歩していたことになりますね。武士道の正体見たり、か?
この場合、検証しようにも、「武士」がその辺にいませんので「武士道」が真実かどうかわからない。「武士道」を道具にするには、武士が過去のものになっているのはこの上なく都合がいいといえます。
さて、われわれの領土観が「一所懸命」から脱皮できないのは、徴兵制によって一般人が兵役を担うようになったせいかもと思います。
そういえば「領土」とは何なのか学校できちんと教わらなかった気がします。

ところで、武士が台頭し始めた平安時代の辺境って、ロックやホッブスのいう「自然状態」みたいだったのではないかと想像しておりますが・・・
りくにす
2011/01/21 21:10
りくにすさん、レスを頂きありがとうございます。
お返事するのが大変遅れてしまい、誠に申し訳ありませんでした。

>自分たちが時代遅れと捨て去ったものを賞賛するとはまこと不思議な話ですね。しかも外国人相手に。

新渡戸稲造の「武士道」はヨーロッパの「騎士道」に似せてつくられたもの
であるという説があります(参照・八幡和郎著『本当は恐ろしい江戸時代』ソフトバンク新書)。明治以降、欧米列強と互角に渡り合うために、倫理・文化面でも、「日本と西洋は共通するものがある」としたかったのでしょう。一般には日本古来のものと思われている「武士道」そのものが、実は「西洋コンプレックス」の産物であったと言えるのではないのでしょうか。武士道賛美論や、「騎士道」との安易な同一視に対する鋭い批判は、フリーダ・アトリーの『日本の粘土の足』(原著は1936年出版、邦語訳は1998年、日本経済評論社から刊行)で痛烈に批判されています。

>ところで、武士が台頭し始めた平安時代の辺境って、ロックやホッブスのいう「自然状態」みたいだったのではないかと想像しておりますが・・・

地域の土豪たちが勢力拡大の為に武装したことが、武士階級の起こりと言われていますね。その起源からして、「高邁さ」とは程遠いものであることがわかります。平安期と言えば、有名な「宇治拾遺物語」の「芋粥」の話にあるように、地方武士の中には、都の貴族たちを遥かに凌駕する富と権力を持つものさえ出てきましたね(その裏には、農民たちへの残酷な搾取があったことは明らかですね)。
反小市民
2011/02/22 22:22
◆りくにすさま

コメントありがとうございます。そして、お返事がすっかり遅くなりまして、失礼いたしました。自衛隊イラク派兵の場合は、その領土を分捕ろうとしているわけではなかったので、ちょっとズレているように思いますが、したたかな経済侵略と強烈な欧米コンプレックスがないまぜになって派兵を推し進めているようにも思われます。外国の人間を人間とも思っていないという点では、ご指摘の点は当てはまるかもしれませんね。
影丸
2011/03/22 09:42
◆反小市民さま

なるほど。それは「内面化された差別意識」と同じと見ていいでしょうね。支配階級への卑屈なおもねりが、「下」への強烈な蔑視と同居している、とうい差別構造。その差別構造がまた「神話」を生み出し再生産していく。そうすると、この構造を破壊しなければいけないというわれわれの課題もハッキリと見えてくるような気がいたします。
影丸
2011/03/22 09:50

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