フォーラム自由幻想

アクセスカウンタ

zoom RSS 小森陽一『天皇の玉音放送』(五月書房)

<<   作成日時 : 2008/07/25 23:27   >>

トラックバック 0 / コメント 0

右派・ナショナリストのなかには、「反米」を掲げる勢力もある。

しかし、これは「偽看板」である。

騙されてはいけない。

なぜなら、そこには「天皇」の問題が横たわっているからだ。

右派・ナショナリストが「反米」を掲げても、
彼らの大好きな「天皇」自身は「親米」なのだから、
右派・ナショナリストの「反米」は「偽りの看板」にならざるを得ない。

本書は、天皇ヒロヒトの戦争責任の免責が、
日米合作の物語であることを精緻に描き出している。

敗戦後、日本国民は自分たちの加害責任を自覚することもなかった。

あれだけの侵略行為をはたらいておきながら。

そのような無責任は、どのようにして可能になったのか?

それは、「騙された」という感覚を持つことによって、である。

自分たちは、戦争指導者たちに「騙された」のだ。

戦争を望んでなどいなかったのだ。

このように思い込むことで、自らの責任を棚上げした。

そして、国民の「騙された」という無責任意識は、
天皇ヒロヒトの無責任と共犯関係を結んでいる。

 ……ヒロヒトの戦争責任の免責は、「軍部を中心とした勢力の戦争責任だけを問題」にすることによって、はじめて成り立ちうることであった。「指導者責任観」による、国民の戦争責任を棚上げする論理は、ヒロヒトを免責する論理と同じ構造を持っている。この構造がそのまま露呈すれば、戦後日本社会の全体を覆っている無責任体制が明らかになるだけだ。
 ヒロヒトも、国民と同じように軍部に「ダマサレタ」のだ、という論理だけでは、現実的には最高責任者としての無能さを強調することになりかねない。さらに、軍部に「ダマサレタ」ことが国民的レヴェルにおいても明らかになっている段階で、退位をはじめとする何らかの責任の取り方をヒロヒトが示していない以上、彼は無能であるばかりでなく、無倫理で無責任な国民の象徴でしかなくなるのだ。(217−218頁)


天皇は、軍部に「騙された」のだという。

天皇には、戦争をする気はサラサラなかったとされた。

しかし、もしこれが正しければ、
逆に、彼がいかに無能な「大元帥」だったかを明らかにしてしまう。

無能で、無責任で、無倫理な天皇ヒロヒト!

そこで、天皇の無実を偽装するための「からくり」が必要になった。

こうした意図で企画された一大イベントが、
言うまでもなく「東京裁判」であり、
じつはそのシナリオは「天皇の玉音放送」から始まっていたのである。

これらの茶番劇的イベントは、しかし見事に効果を発揮した。

……東京裁判によって、過去の「独裁主義」であったところの「軍閥政治」(死刑になったA級戦犯)から切り離された昭和天皇ヒロヒトが、新憲法を国民に与えた主体として、数年前までは独裁者であったにもかかわらず、「民主主義」の象徴であるかのように転倒されるのである。
 さらに、現在そして未来の「独裁主義」としての「赤色侵略者」として朝鮮民主主義人民共和国を描き出し、国内的には在日朝鮮人を徹底して差別・排除することによって、「象徴天皇制民主主義」の下に生きる「日本人」が、アジアにおいて最も「民主主義」的であるかのような幻想を、多くの人びとが抱けるような、気分と感情をめぐるからくりが出来上がったのである。
 ……レッド・パージと朝鮮戦争によって、日米談合象徴天皇制民主主義の、国民的な気分と感情をも巻き込んでいくシステムが完成した……。(258−259頁)


日米談合象徴天皇制!

これが戦後日本の実態である。

しかもそこでは、「民主主義」さえも偽装されたものにすぎなかった。

朝鮮戦争特需で、一気に成長した日本の基幹産業は、それぞれの会社の社長や創業者を小天皇のように位置づけて、上位下達の軍事的といえる組織の下に、日本型の共同体主義的な企業体を形成していった。この日本型共同体主義的企業は、かつての「皇軍」の兵士たちの生き残りにとって、もっとも基礎的な、経済的であると同時に精神的復員の場となったのである。
 男たちは、この象徴天皇制的な日本型共同体主義的企業の中で、「企業戦士」となり、朝鮮特需が終わった後も、「神武景気」、「岩戸景気」、「いざなぎ景気」といった、天皇による建国神話と深く結びついた経済好況の表象によって自らを鼓吹しながら、経済復興という名の「国体」再建に動員されていったのである。こうした象徴天皇制的な日本型共同体主義的企業の内部は、「民主主義」も「憲法」も存在しない空間となっていった。(259頁)


わたしは、日本の独善的な企業経営者たちのことを、
「プチ金正日」と呼んでいるが、
「小天皇」=「プチ金正日」たちが日本全国にウジャウジャいる。

日本企業の内部には、民主主義も人権も憲法も存在しない。

だから、日本の企業では、平然と人権侵害が行なわれ、
いじめや差別や偽装や賄賂や買春などの不法行為が横行するのである。

ところで、右派・ナショナリストたちは、
こうした歴史にも現実にも無知なので、
「憲法第九条改正」が日本の自立につながると妄信している。

「自主憲法の制定」=「九条改憲」!?

じつはこれも「偽看板」である。

右派・ナショナリストたちは、言う。

日本国憲法はアメリカによって「押しつけられた」ものだ、と。

だから改憲をしなければならないのだ、と。

九条改憲をもくろむ連中に対して、
筆者は次のように厳しい指摘をしている。

性懲りもなく、憲法第九条はアメリカが日本を弱体化するため押しつけてきたと主張しつづける者たちに明言しなければならないのは、沖縄の軍事要塞化と日本の全土基地化、さらには再軍備こそが、朝鮮戦争のただ中でヒロヒトの手引きによってアメリカから押しつけられたのだ、という歴史的事実である。(266頁)


まさに痛快な指摘である。

沖縄の軍事要塞化。

日本の再軍備。

これらは、すべてアメリカによって「押しつけられた」ものだ。

しかも忘れてはならないのは、
これらは天皇ヒロヒトの「手引き」によって行なわれてきたという事実だ。

沖縄が米軍によって不法占拠されている現実に、
何の怒りも示さない「愛国主義者」たち。

そして、九条改憲は、アメリカによって要求されていることだ。

だから改憲を主張している右派・ナショナリストは、
またもや尻尾をふってアメリカの要求に従うつもりなのだ。

これが日本のナショナリスト・愛国主義者たちの水準である。

つまり「自主憲法制定」というナショナリズムの仮面は、日本が名目上の独立国家になったその瞬間から、骨の髄までの対米追従主義を押し隠すための装置として機能していたのである。
 同時に、この、あまりにも屈辱的な対米追従主義こそ、戦犯ヒロヒトを守る、唯一の方策だったがゆえに、敗戦後の極右ナショナリストは、原理的にアメリカに尻尾を振りつづける、最も忠実なアメリカ追従主義者になるのである。
 私は、ナショナリストでも国家主義者でもないので、「売国奴」などという言葉は使わないが、これまで論証してきたことを通して、戦犯ヒロヒトと、彼を支える日本の保守政治家たちが、敗戦のその瞬間から、日本列島に生きる人びとの、安全と権益を、一貫してアメリカに売り渡しつづけてきたことだけは明らかになった。しかも、この路線は、イラク戦争をいち早く支持し、「武力攻撃事態」関連三法を通過させ、「イラク特措法」によって自衛隊を戦場に送りこもうとしている、小泉純一郎政権の下で、ますます加速されているのだ。(269−270頁)


これまでもわたしは繰り返し書いてきたが、
ここでも同じことを繰り返しておこう。

右派・ナショナリスト・保守派・愛国主義者・タカ派……。

彼らはすべて「対米従属主義者」にほかならない。

右派・ナショナリストたちはポーズとして東京裁判を批判してみせるが、
東京裁判を批判されてもっとも困るのはほかならぬ「天皇」である。

誤解するひとはまさかいないと思うが、
わたしは東京裁判に対して大いに批判的である。

東京裁判を批判するのは、戦争責任の究明が不十分だったからだ。

東京裁判はこれからも批判されなければならない。

しかしそれは、天皇の戦争責任を明確にするためであって、
その他の数多くの日本の戦争犯罪を厳しく裁くためである。

21世紀の安全保障と経済、そして環境をめぐる国際的ルールを、創り出すことができるかどうかが焦眉の課題である。そのためにも、日本の首相が靖国神社を参拝することに象徴される、侵略戦争と植民地支配を美化しようとする対米追従型歴史否定のナショナリストたちの策動に、終止符を打つ市民運動を、反戦運動と連動して広げていく必要がある。(287頁)


筆者が言うように、いま必要なのは、
「対米従属型歴史否定ナショナリズム」を徹底的に粉砕することである。













テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
小森陽一『天皇の玉音放送』(五月書房) フォーラム自由幻想/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる