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zoom RSS 中島みち『脳死と臓器移植法』(文春新書)

<<   作成日時 : 2008/07/18 16:33   >>

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臓器移植法の改正が準備されている。

とはいえ、脳死・臓器移植がどのように行なわれ、
ドナーの遺族が何を思っているのかといったことは、
なかなか伝わってこない。

実際に家族の「脳死」を看取ったひとびとは、どのように考えているのだろうか?

東京女子医大、日本医大等の救命救急センターでとられた多くの貴重なデータからは、従来は脳死を人の死と考えていたが、家族の脳死を体験してみて、死ではないと思うようになったという人の割合が、最も多いという。脳死患者の死後、年月を経てから遺族に尋ねたもので、山梨医大の脳神経外科による非常に貴重なデータがあるが、脳死を死と認める人18%。反対の人45%で、これは、年月を経ても、家族の脳死を経験した人で脳死を死と容認する者は、2割を切るということである。(52−53頁)


現在、脳死をひとの死と見なすことに賛成のひとは、
わりと増えているように思う。

しかし、家族の「脳死」を体験したひとの多くは、
考えを変えているというのだ。

「脳死」は「死」ではない、と考えはじめているというのだ。

それも当然であろう。

触ればぬくもりもある。

汗もかく。

排泄物も出す。

動く。

これで「死んだ」と言われて納得するひとの方が少ないのは、当然だ。

脳死移植に賛成しているひとびとの多くが、
こうした事実に目を向けているとは思えない。

また、この本を読むと、脳死判定が現場の医師たちによって
いかにいい加減に杜撰に行なわれているのか、が分かる。

守るべき脳死判定マニュアルさえ守られていない現実。

瀕死状態の患者に大きな負担を与えてしまう無呼吸テストを、
何度も繰り返して行なってしまうケース。

たとえば、筋弛緩薬を投与されている患者は、
脳死ではないのに脳死に似た状態になりうるという。

だから、このような患者には脳死判定をしてはいけないことになっているのだが、
このような患者に脳死判定を長時間にわたって繰り返し行なっている
ケースがあるという。

移植医たちは、「脳死状態」の患者の生命を救うことよりも、
何とかして患者の身体から臓器を取り出したくてウズウズしている、
というようにしか見えない。

……日本の臓器移植法が、本人の積極的な提供意思表示の書面がなければ臓器の摘出を許さないのは、この問題に対しての自己決定権の尊重とともに、こういう死生観のかかわる問題に対しての判断を迫られない自由、ないしは判断力のない者を保護する意味でも、優れて人道的な法とも言えるのではないか。(180頁)

※引用文中の太字は、原文では傍点。

臓器移植法が改正されてしまえば、
「判断を迫られない自由」も奪われるのである。

たとえ脳死移植に賛成のひとであっても、
判断を迫られない自由を他者に認めるべきではないのか。

筆者は、そういう意見のようだ。













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