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zoom RSS エンゲルス『イギリスにおけ労働者階級の状態』全2冊(国民文庫)

<<   作成日時 : 2008/06/25 19:04   >>

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日本における所得格差の拡大が、問題になっている。

きっかけは、橘木俊詔と佐藤俊樹の研究だったと思う。

当初、小泉純一郎首相(当時)は、格差の存在を認めなかった。

日本に格差は存在しないと強弁していた。

その後、データによって格差拡大が実証されると、
格差があることはわるいことではないと開き直った。

所詮、新自由主義(ネオ・リベラリズム)の推進者だ。

現実の前に謙虚である様子は微塵もない。

こういうのをわたしたちの感覚では、「モラル・ハザード」という。

自民党に政策担当能力などないことが、これだけでも分かる。

だが、低賃金労働に苦しむひとびとは、やっと自分たちの状況を理解しはじめている。

所得格差の拡大は、企業の雇用戦略と政府の政策による結果なのだ、と。

だから、『蟹工船』が読まれているのだろう。

さらに、このエンゲルスの本を読むと、資本制の正体がよく分かる。

歴史的な名著。

超おすすめ。

「……砂糖のなかに、米粉やその他の安い材料を混ぜて、額面どおりの価格で売られている。石鹸工場の廃物が、同じように他の物質と混ぜられて、砂糖として売られている。……ココアは、目の細かな赤土としょっちゅう混ぜられるが……」……もちろん、このような詐欺は食料品だけにかぎられていない。……そのほか、こうした恥知らずな行為はかぞえきれないほどある。(@161−162頁)


商品の偽装、そして詐欺。

まるで、今の日本を見ているようではないか。

さすがにココアに赤土が混入するなどという事態はほんとどないはずだが、
「恥知らずな行為はかぞえきれないほどある」というのは、日本の現状そのものだ。

企業は、利益のためには商品偽装も詐欺も平然と行なう。

企業は、利益のためには労働者を奴隷のように酷使する。

「奴隷のように」とは、大げさに聞こえるだろうか?

なるほど、近代は、建前上、奴隷が存在しないことになっている。

近代の賃金労働者は、企業と対等な雇用契約を結び、
人権も保障されているはずである。

しかし、実態はどうか?

近代の賃金労働者、すなわち、あなたも、そこのあなたも、
そこのお嬢さんも、お兄さんも、じつは奴隷なのである。

それがエンゲルスの診断だ。

古代の露骨な奴隷制度とちがう点があるとすれば、それはただ、現在の労働者が自由であるように見えるということだけである。なぜなら、いまの労働者は一度に売られるのではなくて、一日ごと、一週間ごと、一年ごとにすこしずつ売られるからであり、またある所有者が他の所有者に労働者を売るのではなく、労働者が自分で自分自身を、このような方法で売らなければならないからであるが、それというのも、労働者がある一有産者の奴隷であるのではなくて、有産者階級全体の奴隷であるからである。いまの労働者にとっては、事態は根本的には古代の奴隷制度と同じままである。(@177−178頁)

(太字部分は、原文では傍点)

まさに、賃金労働者は、賃金奴隷なのである。

しかしプロレタリアは、自分の両手のほかにはなにも持たず、きのうかせいだものはきょう食いつくし、ありとあらゆる偶然に従属し、どうしても欠くことのできない生活必需品を手に入れることができるという保証もちっともない――あらゆる恐慌、あらゆる雇い主の気まぐれで、失業することもあるのだ――プロレタリアは、人間が考えることのできる最も不快な、最も非人間的な状態におかれているのだ。奴隷には、すくなくとも自分の主人の私利私欲によって自分の生存は保障されているし、農奴は、とにかく一片の土地をもち、この土地で、すくなくともただ生きているだけの生活をする保障をもっている――ところがプロレタリアは、たよりになるのは自分自身しかないのに、しかも同時に、自分の力を頼みにすることのできるようなしかたで、自分の力を使うことができない状態におかれている。(@234頁)


「プロレタリア」、それはわたしたちのことだ。

賃金労働者は、古代の奴隷よりも苛酷な状況を強いられている。

古代の奴隷なら、生命は保証されていた。

現在の「プロレタリア」は、その保証さえない。

失業、病気、貧困、すべて「自己責任」にされてしまうのだ。

この国では、社会戦争が完全に勃発している。……あらゆる不和が、脅迫、正当防衛、あるいは裁判によって解決される。要するにめいめいが、他人とは、排除しなければならない敵と見るか、それともせいぜい、自分の目的のために利用すべき手段と見るのである。(@259頁)


これは、エンゲルスが19世紀のイギリスを表現したものだが、
まるで今の日本を描写している錯覚に陥るのではないか。

人間と人間の関係が、まるでモノとモノの関係であるかのように。
相互に競争し、敵対し、手段化する資本制の世界。

ここで、駅や電車内でささいなことをきっかけにいがみ合う都市の姿を
連想するひともいるかもしれない。

あるいは、秋葉原通り魔事件を連想するひともいるかもしれない。
(この事件については言うべきことがあるが、いずれまた)

エンゲルスの資本制社会に対する厳しい告発は、つづく。

もしある個人が、他のある個人にたいして肉体上の傷害をくわえたならば、しかもその被害者に死を招くような傷害をくわえたならば、われわれはこれを傷害致死とよぶ。もし加害者が、あらかじめその傷害が致命的になることを知っていたならば、われわれはその行為を殺人とよぶ。すると、もし社会が、何百人ものプロレタリアを、思いがけない不自然な死に、剣や、弾丸による死とまったく同じような強制的な死に、必然的に陥らざるをえないような状態におくとすれば、またもし社会が、何千人も〔の労働者〕から必要な生活条件を奪いとり、彼らを生活できない境遇におくとすれば、またもし社会が、彼らを法律という腕力によって、こうした境遇の必然的な結果である死が訪れるまで、こうした境遇に強制的においておくとすれば、さらにもし社会が、これら何千人もの者がこのような諸条件の犠牲となって必ず倒れることを知っており、知りすぎていながら、それでもなおこれらの諸条件を存続させるとすれば――それこそまさに、〔前述の〕個人の行為と同じように殺人である。ただこの殺人は、隠蔽された、陰険な殺人であり、だれも防ぐことができず、一見殺人とは思えないような殺人であるにすぎない。なぜなら、殺人犯の姿が見えないからであり、殺人犯はすべての人たちであって、しかもだれでもないからであり、犠牲者の死が自然のように見えるからであり、そしてこの殺人は作為犯のというよりは不作為犯だからである。だが、これが殺人であることには変わりがない。(@201−202頁)


とはいえ、かつてのイギリスの状態は、たしかに一層ひどかった。

まだ労働者の権利が十分に守られていなかった時代だったからだ。

男たちは、これらの影響のために非常に早くふけこむ。たいていの者は40歳で働けなくなり、少数の者は45歳までどうにかもちこたえるが、50歳までもちこたえられる人はほとんど皆無である。……そして残りの者の平均年齢は、まだ40歳にもならなかった――そして、全員が年をとりすぎているという理由で失業したのだ! ……彼は40歳の労働者を「老人」とよんでいるのだ!(A45頁)


ひたすら酷使されるだけの人間たち。

……工場婦人労働者はいっそう頻繁に流産する、ということも証言されている。そのうえになお女性は、あらゆる工場労働者に共通な一般的な衰弱になやんでいて、たとえ妊娠したとしても、分娩の時間がくるまで工場で働く――もちろん、あまりはやく仕事をやめすぎると、自分たちの席がふさがってしまい、彼女たち自身が解雇される、ということを心配しなければならない――また彼女たちは、賃金も失うことになる。晩までまだ働いていた婦人が、翌朝出産するということは、きわめてしばしばおこることである。それどころか、彼女たちが工場そのもののなかで、機械のあいだで分娩することも、あまりにめずらしいことではない。(A47頁)


工場経営者たちは、労働者をこのような状況においやっておいて、
そのことに何の罪悪感も感じていなかったのである。

たくさんの病気が、たんなるブルジョアジーのあさましい金銭欲によってひきおこされるのだ! ただブルジョアジーの財布をふくらませるためだけに、女は石女(うまずめ)にされ、子供は不具にされ、男は虚弱にされ、手足は押しつぶされ、全世代が虚弱と不治の病を伝染されて、破滅するのだ!(A55頁)


エンゲルスの視線は、人間の生命・暮らしが破壊されている現実に、
まっすぐに向けられている。

工場主の労働者にたいする関係は、人間的な関係などではなくて、純粋に経済的な関係である。工場主は「資本」であり、労働者は「労働」なのである。……ブルジョアは、自分が労働者と、売買という関係以外にまだほかの関係ももっていることを理解できない。ブルジョアは、労働者を人間とは考えずに、いつも面とむかって労働者をよんでいるように、「人手(hands)」と考えている。(A225頁)


こうしたあまりに非人間的な状況は、現在、どれほど改善されているのだろうか。

途上国の実態を見れば、これはまだ継続している「現実」だ。

先進国においては、どうか。

「○○さんは使えない」などといった言い方が、
労働者の間ですら日常的に使われていることを想起せよ。

エンゲルスは、児童労働の実態についても、
厳しい批判を展開しているが、それについては本書を読んでいただきたい。

また、「犯罪」に対するエンゲルスの見方は、
今日においてもその価値は決して失われていないすぐれたものだ。

凶悪な犯罪が報道されるたびに、
厳罰化と道徳的引き締めという方法しか頭に浮かばないひとびと。

彼らには、エンゲルスの見方は、思いもよらないものであるにちがいない。

今日にいたるもなお有産階級は、議会において、まだ完全に利己心の奴隷にはなりきっていない人たちの比較的善良な気持に反対して、プロレタリアートをますます抑圧するためにたたかっている。共有地は次々にとりあげられ、耕作される。もちろん、それによって耕作は促進されるけれども、プロレタリアートには大きな損害がくわえられる。共有地のあったところでは、貧乏人は、そこで一頭の驢馬や豚か、2、3羽の鵞鳥を飼うことができたし、子供や若者たちは、自分たちの遊んだり、戸外でぶらついたりできる場所をもっていた。これがだんだんなくなって、貧乏人のかせぎはもっと少なくなるし、また遊び場をとりあげられた若者たちは、そのかわりに居酒屋に行くようになる。(A234頁)


いかがだろうか。

これを過去の、すでに克服された世界と見ることができるだろうか。

※尚、引用文末の「@」「A」は、「1巻」「2巻」をあらわしている。














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